2015年

5月

06日

摩訶大将棋のブログ_02:目次

(この項、書きかけです)


投稿の表示数の上限を超えていましたので、2015年1月以降の投稿を、新しいページ(摩訶大将棋のブログ_03)に移動させました。今後は、摩訶大将棋のブログ_03に投稿します。以下、摩訶大将棋のブログ_02のページの目次です。


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摩訶大将棋のブログ_02:目次

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130)youtubeで試験公開:摩訶大将棋の対局(2014/12/26)

129)象經序:象棊纂圖部類抄の序文のルーツ(2014/12/16)

128)摩訶大将棋の卒業論文・卒業制作(2014/12/13)

127)「新猿楽記」再考:摩訶大将棋の記述?(2014/11/26)

126)象棊纂圖部類抄の序文:将棋と陰陽道(2014/11/19)

125)立体駒を用いたアドバンスド摩訶大将棋(2014/11/18)

124)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 7(2014/11/14)

123)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 6(2014/11/01)

122)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 5(2014/10/30)

121)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 4(2014/10/30)

120)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 3(2014/10/30)

119)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 2(2014/10/28)

118)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 1(2014/10/27)

117)摩訶大将棋の駒の動き方:2014秋版(2014/10/24)

116)仲人の駒の謎:象棊纂圖部類抄より(2014/10/20)

115)ゲーム学会 第5回摩訶大将棋ワークショップ(2014/10/04)

114)摩訶大将棋の復刻:ルールの見直し(暫定版)(2014/10/02)

113)摩訶大将棋の展示・対局会:2014秋(お知らせ)(2014/09/26)

112)中将棋と大将棋と摩訶大将棋:その成立順の考察(2014/09/16)

111)平安大将棋の飛龍と桂馬の動き:二中歴の記述から(2014/09/12)

110)平安大将棋と摩訶大将棋:駒の名称の決まり方(2014/09/08)

109)摩訶大将棋の整然さ:古式の将棋だと思われる理由(2014/08/27)

108)伎楽と摩訶大将棋:踊り駒が舞う(2014/08/25)

107)摩訶大将棋を遊ぶということ:白川静「文字逍遥」(2014/08/24)

106)なぜ家の外で対局しないのか:日記に残る大将棋(2014/08/22)

105)摩訶大将棋と陰陽道:ゲーム学会の研究会にて発表(2014/08/17)

104)アドバンスド摩訶大将棋(平成26年夏・秋の展示)(2014/07/19)

103)摩訶大将棋の酔象:王子と太子の違い(2014/07/17)

102)摩訶大将棋と陰陽道(速報)(2014/07/14)

101)摩訶大将棋は大将棋よりも古い:大型将棋の成立順(2014/07/10)

100)八道行成(再考):酔象と猛豹(2014/07/08)

 99)アドバンスド摩訶大将棋の展示(お知らせ)(2014/06/30)

 98)吉備大臣入唐絵巻:吉備真備説を追う(2014/06/17)

 97)Reproduction of Maka Dai Shogi(投稿中)(2014/06/11)

 96)長安の都はシャンチーの盤:将棋と陰陽道(2014/06/07)

 95)駒は五角形でなければならない(補足)(2014/06/05)

 94)駒は五角形でなければならない:台形の駒がない理由(2014/06/05)

 93)八道行成=マックルックの可能性:和名類聚抄(2014/06/04)

 92)タイの将棋が話題になることについて:将棋伝来の件(2014/06/02)

 91)解明:将棋伝来の『謎』(2014/05/29)

 90)アジアの将棋の歴史に関する研究会(2014/05/27)

 89)6月の展示予定:摩訶大将棋(2014/05/25)

 88)摩訶大将棋の紹介と対局(国際奈良学セミナーハウス)(2014/04/30)

 87)摩訶大将棋の対局会&大盤解説(3月1日予定)(2014/02/22)

 86)摩訶大将棋カード(2014/02/08)

 85)摩訶大将棋の終盤を味わう(2014/01/23)

 84)諸象戯圖式の再評価:師子と狛犬の居喰い(2014/01/18)

 83)大将棋系列における王子と太子(速報)(2014/01/15)

 82)師子の居喰い:摩訶大将棋はなぜ指されなくなったか(2014/01/11)

 81)師子と狛犬の踊り:枕草子(2014/01/10)

 80)摩訶大将棋の駒の出現回数:源平盛衰記(2014/01/09)

 79)大将棋の成立時期に関する考察(2014/01/05)

 78)将棊馬日記について(速報)(2014/01/04)

 77)中将棋の成立時期に関する考察(2014/01/03)

 76)踊り駒の動き(再考):「踊る」の意味(2014/01/02)

 75)アドバンスド摩訶大将棋(1)(2014/01/01)

 74)象棊纂圖部類抄:いくつかの疑問点(2013/12/31)

 73)奔王は奔玉だということ(2013/12/22)

 72)コンピュータ摩訶大将棋の作成と活用(2013/12/01)

 71)大正区ものづくりフェスタ:摩訶大将棋も出展(2013/10/31)

 70)興福寺で出土の酔象:伝来当初の駒かも?(2013/10/25)

 69)摩訶大将棋の彫駒 1(2013/10/23)

 68)水都大阪フェス2013:摩訶大将棋ワークショップ(2013/10/10)

 67)摩訶大将棋:秋の展示(お知らせ)(2013/09/05)

 66)CEDEC2013の2日目(2013/08/22)

 65)延年大将棋:CEDEC2013の第1日目(2013/08/21)

 64)摩訶大将棋の復刻:CEDEC2013にて発表します(2013/08/18)

 63)問題1: 先手の無明は法性に成れるでしょうか?(2013/07/18)

 62)摩訶大将棋の詰将棋1(2013/07/12)

 61)鎌倉で出土している鎌倉時代の駒(2013/07/08)

 60)無明で攻める:摩訶大将棋の棋譜(2013/06/24)

 59)摩訶大将棋の展示(お知らせ)(2013/06/09)

 58)摩訶大将棋のルール(暫定版)(2013/06/08)

 57)摩訶大将棋の棋譜(2013/06/02)

 56)鶴岡八幡宮の出土駒は摩訶大将棋の駒(速報)(2013/05/16)

 55)摩訶大将棋の公開対局(お知らせ)(2013/05/04)

 54)摩訶大将棋の自在王: 反則負けについて(2013/04/30)

 53)土御門天皇と日蓮:摩訶大将棋に関連して(2013/04/24)

 52)妙法蓮華経と摩訶大将棋(2013/04/23)

 51)摩訶大将棋:成りのタイミング(再考)(2013/04/20)

 50)桂馬の動き:昔は違っていたかも知れません(再考)(2013/04/19)

 49)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:覚え書き2(2013/04/03)

 48)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:覚え書き(2013/03/31)

 47)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:2013年3月31日(2013/03/28)

 46)摩訶大将棋のブログ_01のまとめ(2013/03/20)


2014年

12月

26日

130)youtubeで試験公開:摩訶大将棋の対局

摩訶大将棋の対局の模様を、youtubeで試験公開しました。URLは次のとおりです。

https://www.youtube.com/watch?v=pTNdjRfkvRk


昨日の夜の対局です。あまりいい対局例ではありませんが、前後左右に動く仲人・奔人が見れますので、アップロードすることにしました。先手は私です。566手で投了、きちんと負けたのは久しぶりです。いつもどおりの指し手ができなかったことが一番の原因ですが、ミスもかなり多かったです。序盤で急戦となり、逆に、勝負が長引きました。


駒の動き方ですが、次の点、新しいですので、ご注意下さい。この件、投稿114)、116)、117)に書いていますが、詳細は後日と言いながら、そのままになっています。すいません、引き続き、後日をお待ち下さいませ。


1)狛犬:不成り

2)鳳凰:狛犬に成る

3)仲人:前後左右に1目歩く

4)麒麟:四方2目踊る(歩きについては変わりません)

5)鳳凰:四角2目踊る(歩きについては変わりません)

6)桂馬:前方ななめ2目踊る

7)驢馬:前後2目踊る(歩きについては変わりません)

8)すべての奔駒:単なる走り駒(歩く方向に走る)

9)奔人:飛車の動きと同じ

10)夜叉:(投稿117の図では3目踊りですが、まだ以前のままです。四角2目踊る・前に1目歩く)


異論ある方もおられると思いますが、以上はルールの創生ではなく、摩訶大将棋の復刻という立場で考えています。このルールで、先月11月以降、研究室での対局は20局以上になりますが、全く問題ありません。


ところで、まだまだ検討は必要なわけですが、次の案件もずっと意識しています。ただし、全部を復刻とみなすことはむずかしいでしょう。いくつかは、新ルール(現代ルール)と呼ばざるを得ません。採用するかどうかは、ゆっくり考えます。


a)力士、金剛、羅刹、夜叉の成りが金なのかどうか:

鳳凰の成りは狛犬だっただろうと考えるのが、一番自然ですが、次のような成りも一考の余地ありです。

麒麟と鳳凰:どちらも師子になる。

力士・金剛・羅刹・夜叉:どれも狛犬に成る。

2目踊りの麒麟・鳳凰は、やはり2目踊りの師子に、3目踊りの4駒は、3目踊りの狛犬に成らすというルールです。


b)鉤行・摩カツの相討ちなしというルール:

中将棋の師子の相討ちのルールを、鉤行・摩カツに適用するというものです。


c)仲人は師子の居喰いでしか取れないというルール:

このルールを採用したときに、夜叉の動きを投稿117の図のとおりで試してみたいと思っています。


d)奔王を取られても負け:

玉将か奔王を取られたら負けというルールです。王子ができた場合は、王子も取らないとだめですが。


上の4件のうち。a)とb)は古文書にはないものですが、面白さを維持したまま対局時間の短縮になります。c)とd)については、古文書との関連で議論できそうです。特に、d)は、いろいろありますが、後日投稿の話題です。


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2014年

12月

16日

129)象經序:象棊纂圖部類抄の序文のルーツ

本稿、もっと早く書きたかったのですが、書こうと思ってからもう3週間たっています。先月11月29日、大阪商業大学のアミューズメント産業研究所にて、将棋の研究会が行われました。N大学のN先生から、中国の将棋の歴史に関するレビューがあったのですが、摩訶大将棋一辺倒の私には、この発表、1時間少々で、2年間分ぐらいを勉強した気分です。研究会があった部屋は、つまり、龍宮城だったかも知れません。


本稿、N先生に教えてもらいました象經序を取り上げます。隋書経籍志の目録にある古文書で(象經という名称のようです)、原本は残されていないのですが、藝文類聚(624年成立)に冒頭の一部を見ることができます。以下のサイトに象經序の原文があります。ご一読下さい。

http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%97%9D%E6%96%87%E9%A1%9E%E8%81%9A/%E5%8D%B7074


ページの一番最後の項目です。皆さんもすぐ気づかれたと思いますが、私もすぐ気づきました。この文章は、たぶん、象棊纂圖部類抄の手本になった文章なのではないでしょうか。象棊纂圖部類抄の序文は、投稿126)の写真を参照下さい。象經序についてのあれこれは、後日の投稿ということになりますが、皆様、ゆっくりとご検討のほどを。


一に曰く、天文。以てその象を観る。という感じの読み下しになります。以下、原文からの抜粋です。どれも、*に曰く、**。以て**を**。という形式です。


一曰天文。以観其象。・・・

二曰地理。以法其形。・・・

三曰陰陽。以順其本。・・・

(四の箇所は、一部脱文のため不明)

五曰算数。以通其変。・・・

六曰律呂。以宣其気。・・・

七曰八卦。以定其位。・・・

八曰忠孝。以惇其教。・・・

九曰君臣。以事其禮。不可以貴凌賤。・・・不可以卑畏尊・・・

十曰文武。以成其務。武論七德。文表四教。・・

十一曰禮儀。以制其則。居上不驕。為下盡敬。・・・

十二曰観德。以考其行。・・・


上の11項目のうち、象棊纂圖部類抄には、一、二、三、六、九、十の6項目が、ほぼそのままの内容で取り込まれています。象棊纂圖部類抄の序文の前半は、象經序が原本と言ってもいいくらいです。


ところで、この対応の良さの件はともかくとして、もっと注目すべきは、象棊纂圖部類抄の序文はこの後もまだ続いている、という点です。象經序に書かれている部分(対応がついている部分)の後も、まだ続いているのです。となると、象棊纂圖部類抄の序文の後半、これがオリジナルな文章なのかどうか、この点が大きな問題となってきます。もし、オリジナルではなくて、引き続き、象經の文章をなぞったものだったとすれば、どうなるでしょうか。


象經(象經序の続きというべきでしょうか)は、原本も写本も現存していません。しかし、その内容は、象棊纂圖部類抄の序文の後半に、その面影を残している可能性があるわけです。序文の後半には、桂馬も香車も猛獣も出てきます。これは面白いことになってきました。摩訶大将棋のルーツがここまで遡るとは、当初は思いもよらなかったことです。


以上の件、後日にまた投稿します。最後に1点、隋書経籍志にある象經が、日本に伝わっていたのかどうかという点も問題になります。この件も後日にまた投稿しますが、伝わっていました、と結論だけここではお伝えします。


先を急ぐ方は、以下のサイトを参照下さい。『象戯經』の伝来というタイトルで、詳しい経緯が書かれています。

https://sites.google.com/site/2hyakka/shogi/shogikyo


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2014年

12月

13日

128)摩訶大将棋の卒業論文・卒業制作

しばらくの間、投稿があきました。そういうときは何かあるときなのですが、今回は、卒論のシーズンだったからです。今日が卒論発表会でした。来週からまたゆっくりと書き残していることを投稿していこうと思います。


今年の卒研生(9期生)はこれまでで一番少なくて、7人です。7人のうち、4人が摩訶大将棋関連のテーマで発表となりました。摩訶大将棋をテーマに4件の発表、多少変わった研究室ではあります。


4つのテーマは、次のとおりです。

1)摩訶大将棋対局時での脳血流計測(NIRS計測)/認知症の予防になるのかどうか

2)立体駒を用いたアドバンスド摩訶大将棋/光学タグの利用/3Dプリントによる造形

3)摩訶大将棋キャラクターカードのデザイン

4)摩訶大将棋の棋譜・戦法の検討/習得プロセスの観察


2)は先週、学会発表しました(JPCATS 2014)。1)3)4)は合わせて、3月のゲーム学会にて発表予定です。


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2014年

11月

26日

127)「新猿楽記」再考:摩訶大将棋の記述?

新猿楽記(11世紀中頃の成立とされています)は、将棋という語句が初めて出てきた文献、つまり将棋に関連する最古の文献として知られています。その記述は、「十一の君」の節に、次のとおり出てきます(面倒ですので、現代の漢字で書きました)。


・・・(前略)・尺八・囲碁・双六・将棋・弾碁・小弓・包丁・(後略)・・・


ある人物が上手にできる事を順に書いている箇所があるのですが、この中に将棋という語句が出てきます。語句だけです。将棋の説明はありません。しかし、ともあれ、新猿楽記が書かれた頃に将棋があったのは確実、ということになります。将棋の歴史に関連して新猿楽記が引用されるのは、これまでは、しかし、この1点だけでした。


本稿では、摩訶大将棋が陰陽道と関連しているという点、摩訶大将棋に十二支の駒があるという点を意識しつつ、新猿楽記を再検討してみました。問題となるのは、「十の君の夫」の節で、ここでは、ある陰陽師のことが取り上げられています。その一節に、摩訶大将棋のことかも知れない記述があるのです。以下の箇所です。是非ご検討を。


占覆物者如見目、推物怪者如指掌。進退十二神將、前後三十六禽。


原文の全部は、たとえば、次のサイトにあります。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kanbun/n_sarugo.htm


読み下しは次のとおりです。

覆物ヲ占ウコトハ目ニ見ルガ如シ、物怪ヲ推スルコトハ掌ヲ指スガ如シ。

十二神將ヲ進退シ、三十六禽ヲ前後スル。


陰陽師がどういうものかということを説明している箇所なのですが、意味は次のような感じでしょうか。

覆物を占うとまるで目が見えているようにきちんと当てる。

もののけを占うと手のひらを指すように、これまたきちんと当てる。

十二神将を進め、三十六禽を前後する。


さて、問題としたいのは、十二神將と三十六禽の箇所です。ここは、平凡社の東洋文庫「新猿楽記」では、十二神將ヲ進退シ、三十六禽ヲ前後ニスル、と読み下し、陰陽師が自分のまわりに十二神将と三十六禽を従わせているという解釈です。陰陽師は、式神だけでなく、十二神将も三十六禽も、意のままに使うのだというわけです。なお、三十六禽というのは、十二支と類似した考え方で、十二支にそれぞれ3つの動物、全部で三十六の動物を当てはめたものです。詳しくは、google検索にてお願いします。


以下、空想です。

この時代、陰陽師は摩訶大将棋を使っていたものと考えてみて下さい。十二神将は十二支と対応づけられてもいますので、十二神将も三十六禽も、実は、摩訶大将棋の駒ではないのかという可能性が出てくるのです。


十二神将を進め、三十六禽を前後する。この文章の意味は、十二神将の駒、三十六禽の駒を動かしている、という解釈です。つまり、陰陽師の仕事の風景です。この前段で覆物の占いのことが書かれていますが、これも、将棋の駒を使います。


新猿楽記は、SF小説のようなものではありません。枕草子と同じく日常をそのままに書いたエッセイです。それが、陰陽師のことだとは言え、十二神将も三十六禽も従えていると、そういう空想的な話しをこの箇所に限って書くのだろうかということです。ここは、実際に起こっている話、現実どおりを書いたと見るべきではないでしょうか。「十の君の夫」の節では、この記述以外は、すべて現実を書いていますし、その他の節でも、現実の話ばかりです。


式神の記述はどうなのか、と聞かれるかも知れません。これに対しては、当時の人は、式神は人間だということを知っていただろうという立場をとりたく思います。式神は人間だという件、N先生から教えてもらいました。安倍晴明が一条戻り橋の下に式神を隠していたというのは、つまりは、忍者かスパイのような人たちです。安倍晴明の仕事を陰でいっしょにしていたというわけです。こう考えれば、式神に関する記述も、やはり、ありのままということになります。


残る問題は、駒に三十六禽があるのかということなのですが、きちんと三十六の動物がいます。ブラボー!です。次のとおりです。


驢馬2、老鼠2、猫又2、嗔猪2、猛牛2、盲熊2、悪狼2、盲虎2、

淮鶏、蟠蛇、臥龍、古猿、

蝙蝠2、奔猫2、奔猪2、奔熊2、奔狼2、奔虎2

仙鶴、奔蛇、奔龍、山母


たとえば、左の猛牛と右の猛牛は、別々に数えて下さい。上記の36駒が、摩訶大将棋の三十六禽ということになります。なお、飛龍、猛豹が、除外されているのは、十二支の駒の選択基準と同じです。平安大将棋にも出現しているように、より古式の駒か、または、十二支の駒よりは、特殊な駒と見ています。この件、別稿にていずれ書きます。十二神将を十二支の駒そのものと見ればいいのか、または、強い踊り駒8、龍王2、龍馬2とすればいいのかはわかりませんが、三十六禽が揃うことでよしとしたく思います。


「三十六禽を前後する」、つまり、陰陽師が、秘術「摩訶大将棋」を使っている風景と見ました。時代は、11世紀半ば、タイミングとしては、まあいい具合です。本稿、空想ではありますが、古文書の記述を読み解くという点、三十六禽がぴたり揃うという点で、客観的に議論可能な空想とみなしていただければ幸いです。


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2014年

11月

19日

126)象棊纂圖部類抄の序文:将棋と陰陽道

現時点では、象棊纂圖部類抄(=象戯圖)の序文は、日本将棋成立の由来や背景について記述されているほぼ唯一の古文であり、最古の文献です(象棊纂圖部類抄と象戯圖は同じ文献)。この序文を抜きにしては、将棋の歴史は考えられません。先日の奈良県大芸術祭の摩訶大将棋イベントでも、象棊纂圖部類抄のカラーコピーの全文を旧世尊院客殿の廊下に長々と広げて展示しました。この様子は、ブログ(現代に生きる摩訶大将棋)にも取り上げていただいています。ありがとうございます! URLは次のとおりです。

http://mylife29.blog74.fc2.com/blog-entry-15.html


象棊纂圖部類抄:東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
象棊纂圖部類抄:東京都立中央図書館特別文庫室所蔵


象棊纂圖部類抄の序文のことは、投稿102)にて一度話題にしていますが、序文の写真は、本稿が初めてとなります。上図は、序文の前半部分です。


投稿102)では、序文のはじめから3行目まで、「・・・金銀鉄石ノ名ヲ以テス」までを取り上げました。この序文のとおり、摩訶大将棋には、地の金銀鉄石はあるのに、天の日月星辰がない、これはなぜだろうか、というのが投稿の内容です。もう3カ月が経ちます。十二支の話はここからがはじまりでした。将棋と陰陽道の関連は、この少し前からうっすらとは感じていたのですが、序文の日月星辰、つまり、十二支の駒がきちんと存在することから、将棋と陰陽道はほぼ確かだろうということで、その後ずっと追いかけている次第です。


いろいろなことが新しくわかりました。私の色眼鏡で見ているからでしょうが、そのすべては摩訶大将棋の陰陽道起源説を支持しており、そうではないという形跡はひとつも出てきません。ひとまず1点のみ指摘し、本稿終わります。序文「以金銀鐡石之名」の続きからです。


蓋順陰陽之本 宣律呂之気: 蓋シ陰陽ノ本ニ順イ、律呂ノ気ヲ宣ブ

陰陽の本のとおり、確かに、(将棋は)律呂の気を表現している、という解釈になります。


将棋が陰陽道だと言いたいのなら、日月星辰よりもこちらの文章の方がより直接的だったと思いますが、当初は、「律呂の気」を、宇宙の気と、よく調べずに思い込んでいたということがありました。調べてみると、そうではなく、律呂(りつりょ)というのは、中国古代音楽の音名の総称です。律が陽で、呂が陰の調子です。六律と六呂、合わせて12あり、それぞれが、十二支のどれかと対応づけられています。律呂は十二支なわけです。それと、たとえば、十二の律呂は、太簇、夾鍾、姑洗、・・・という名前で、月の名前としても使われていました。象棊纂圖部類抄の奥書にも、夾鍾(陰暦二月)という語句があります。このあたり、諸橋博士の大漢和辞典にとても詳しく書かれています。


このように、将棋は陰陽道だらけです。たとえば、投稿110)のコメントにも書きましたように、宝応将棋の物語に出てくる「六甲」という言葉は、干支から来たものでしょう。つまり、甲子・甲寅・甲辰・甲午・甲申・甲戌の6種類の総称です。たとえば、二中歴の大将棋のところ、飛龍の記述にある「四遇(しぐう)」は、陰陽道から来ており、東南、西南、東北、西北のことです。


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2014年

11月

18日

125)立体駒を用いたアドバンスド摩訶大将棋

奈良県大芸術祭の件、まだ全部投稿できていませんが、イベントでは、先月までの研究室の成果を全部紹介し説明した形となっています。ですので、まだしばらくの間は、今後の投稿も奈良県大芸術祭での内容と同じだと思っていただければと。。。


本稿、立体駒を用いた摩訶大将棋の紹介です。今年の卒論のテーマのひとつですので、来月までには、ひとまずの完成を見るだろうと思います(12月13日がデジタルゲーム学科の卒論発表会です)。

立体駒の試作品。奔王、蟠蛇、桂馬,猛牛、反車、飛龍等。
立体駒の試作品。奔王、蟠蛇、桂馬,猛牛、反車、飛龍等。

左図は、立体駒の試作品です。研究室でモデリングし、大学の3Dプリンタで出力したものです。摩訶大将棋の場合、駒数が多いですので、駒のデザインだけから駒の種類を判別するのはむずかしいかも知れません。駒に行先表示を付ける方向で考えています。



立体駒を用いた摩訶大将棋: 盤面のCGでアドバンスドモードを実現
立体駒を用いた摩訶大将棋: 盤面のCGでアドバンスドモードを実現

立体駒は、まだできていませんので、システムの開発には、右図のように、直方体の木片を使っています。タッチテーブルの画面上に置かれた駒の底面には、光学タグ(黒地に白色の円が複数個ならんでいます)が付けられており、駒の種類を判別することができます(円の配置の違いでタグを区別するという仕組みです)。タグは256種類用意されていますので、摩訶大将棋の駒192枚全部を同時認識することができます。図で、手に取られている駒は角行です。駒が持ち上げられたとき、駒のあったマスが赤色に、駒の進むことのできるマスは青色に表示されることになっています。駒を並べたときのイメージをつかむため、下図に、各駒の3Dモデルを初期配置どおりに並べてみました。駒のモデリングは全部終わっており、あとは3Dプリントするだけです。実際に3Dプリンタに入力するSTLデータを使った図ですので、実際もこんな感じだと思います。

3Dプリントした駒を並べたときの想像図
3Dプリントした駒を並べたときの想像図

完成しましたら、またどこかで展示しますので、立体駒の方でも対局をお楽しみ下さいませ。


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2014年

11月

14日

124)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 7

摩訶大将棋だけしていたいのですが、そういうわけにもいかず、イベントのまとめが全然書けていません。そんなときに、いいブログの記事を書いていただいていました。早速連絡し、写真の使用許可をいただきました。ありがとうございます!

 

旧世尊院客殿の文献コーナー(写真は「廃人的グダグダ旅行記」より)
旧世尊院客殿の文献コーナー(写真は「廃人的グダグダ旅行記」より)

摩訶大将棋の大きな文字のパネルを、廊下の鴨居のところに置きましょうというアイデアは、設営のときに教えてもらったものです。こういう置き方、知りませんでした。


この写真の場所に行く手前に長い廊下があります。そこに、象棊纂圖部類抄の巻物を全部ほどいて展示しました。

「廃人的グダグダ旅行記」というブログで取り上げていただいています。2014年11月7日の記事です。駒の総数192枚!摩訶大将棋の展示・対局会を見る(国際奈良学セミナーハウス・奈良)というタイトルがついています。リンクの許可ももらっておけばよかったですが。。。


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2014年

11月

01日

123)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 6

今日は、駒遊び人さんの駒作り実演のおかげで客殿にはたくさんの人が入って来られました。午後はほぼずっと対局してましたので、写真撮影、うっかりしました。明日、実演の様子を撮影し、uploadします。


今回、解説のポスターやキャプションはひとつも作らず(作れず)、文献は分野ごとに並べただけでしたが、意外と読んでいただいたように思います。ただ、将棋の歴史の本は不人気で、十二支の本や狛犬の本がよく動いていました。明日は、もっとのんびりとゆっくりとしてもらえるように、休憩スペースの充実をと思っています。


夜叉の駒ですが、駒遊び人さんが2枚目を持って来て下さいました。ありがとうございます! 受付の横に、再び、伎楽面の8枚、強い踊り駒の8枚が揃うことになりました。

伎楽面からの8駒:盤面中央部に並ぶ踊り駒8枚
伎楽面からの8駒:盤面中央部に並ぶ踊り駒8枚

3点ご注意を。復刻が進み、これまでとは見解を新たにしています(投稿114にも書いていますが)。麒麟と鳳凰は踊り駒、狛犬は不成り、鳳凰の成りは狛犬です。そういうことになりますと、摩訶大将棋の狛犬と鳳凰の駒は、現在、地面の上にあるのは、上の写真の駒だけということになります。同じ駒が地面の下にもまだ埋まっているのかどうか。なお、鶴岡八幡宮で出土の鳳凰の駒のことですが、大将棋の鳳凰だと考えます。その鳳凰は踊り駒ですが、成り先は奔王です(そもそも大将棋には狛犬がありません)。


ところで、伎楽面の8枚の駒は、興福寺の八部衆ではないかという件、まだ投稿できていませんが、後日にいずれ。さらに、空想を膨らませるとすれば、摩訶大将棋の十二支の駒は、興福寺の十二神将ということなのかも知れません(未だけは不明ですが)。だとしますと、摩訶大将棋の初期配置は、八部衆と十二神将が、中ほどにずらり並ぶという構図になっているわけです。

象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)

また、上図の初期配置では、師子と狛犬にも注目して下さい。師子と狛犬は左右に並んではいません。玉将の前に前後一列に並びます。これは、行道における、狛犬舞と師子舞による道祓いが現れているのではないでしょうか。獅子と狛犬の起源とも合わせて考えたとき(伎楽の行道を経て、平安・鎌倉時代、左右に並ぶ師子と狛犬像が成立したとすれば)、摩訶大将棋の初期配置は、師子と狛犬の、より古式な配置を連想させます。伎楽面の名称が並ぶこと自体、摩訶大将棋が古代の将棋だということの可能性を示すわけですが、師子と狛犬の配置からも、また古代という時代の息吹が現れるのです。


それと、師子と狛犬の歴史を辿るにつけ、師子単独での将棋への導入はあり得ないだろう、師子と狛犬は同時に将棋に導入されたに違いないという考えが強くなります。したがって、師子が導入されたのは、摩訶大将棋(師子も狛犬もある)の成立時であり、大将棋(師子だけで狛犬がない)の成立時ではないという結論に、やはり、たどり着くことになります。


空想ついでに言いますと、酔象の駒、酔の字の付いたこの駒は、踊り駒ではありませんが、伎楽面から来た名前という可能性もあります。酔胡王、酔胡従の面があるからです。


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2014年

10月

30日

122)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 5

旧世尊院の門の外からもイベントの開催がわかるよう、アルミトラスを2mぐらいの高さに組んで、文字サイズB2のパネルを作りました。当日は、左右の足の部分に、A1サイズのポスター(夜叉版・羅刹版)も置きます。アルミトラスのわくを門と見立てるなら、金剛・力士か、師子・狛犬の阿吽ペアを置きたいところです。向こうの客殿の明かりが見えているところ、帰りがけで半分閉じていますが、そこが受付です。

天童の駒と将棋盤の場所です。右側は庭に面した廊下。この写真で見て気づくのですが、やはり、床の間に何もないのは問題かも知れません。床の間には、神様が来ます。もし書く時間あれば、ここには、「遊」の象形文字の掛け軸を置こうかと。

 

"遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。"(白川静:遊字論)

 

摩訶大将棋は陰陽道の一部だったと思います、遊戯との境界は混沌としていました、と主張したとき、では、それはどういう状態なのかきちんと説明せよ、と言われたら、まず、私は、遊字論の冒頭をお借りするでしょう。神様によって遊んでいる状態ですという答えです。駒を動かしている手は、もちろん、対局者の手ですが、その手をもっと後ろで動かして楽しんでいる/遊んでいるのが、陰陽道の神様という見方です。現状の私の、拙いながらも、これを答えとして覚え書きしておきます。

 

摩訶大将棋と陰陽道の話しは、たとえば、陰陽師を信じない人には、説明はかなりむずかしいと感じます。ですが、平安時代の人は陰陽師を信じていたわけですから、まず陰陽師を信じていただかないと、将棋の歴史の説明もできません。陰陽道の呪術に、将棋の駒を使った使わなかったということで反対をされる方もありますが、摩訶大将棋と陰陽道の話は、そういう話しではありません。

 

なお、念のためですが、私は陰陽道をしているわけではありません。面白い摩訶大将棋を楽しんで指しているだけです。

 

引き続き、コーナー10~12です。ところで、コーナーごとにパネルやキャプションを作るのは、ちょっときびしくなってきました。時間あと2晩です。

 

11)想像と幻想の世界

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画図百鬼夜行全画集、鳥山石燕、角川ソフィア文庫、2005。

Truth In Fantasy56ドラゴン、久保田悠羅、新紀元社、2002。

美術手帖2007年11月号 特集:鳥獣人物戯画絵巻、美術出版社、2007。

想像と幻想の不思議な世界、マイケル・ページほか、教育社、1989。

世界の奇書・総解説、自由国民社、1991。

 

12)漢字/白川静

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常用字解 第二版、白川静、平凡社、2012。

文字逍遥、白川静、平凡社ライブラリ、1994。

文字游心、白川静、平凡社ライブラリ、1996。

別冊太陽(白川静の世界 漢字のものがたり)、平凡社、2001。

白川静 漢字の世界観、松岡正剛、平凡社新書、2008。

シリーズ書道基本名品集 篆書編19(甲骨文/金文)、雄山閣、1986。

墨 2002年5・6月号(巻頭特集:古代文字の世界)、芸術新聞社、2002。

 

13)踊り

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民俗小事典 神事と芸能、神田より子、吉川弘文館、2010。

民俗民芸双書1(芸能)、池田弥三郎、岩崎美術社、1966。

全訳 漢辞海 第三版、三省堂、2010。

ベネッセ古語辞典、ベネッセ、1988。

 
踊り駒の踊りは、繰り返す、という意味で間違いないと考えています。ただ、一度は古語辞典や漢和辞典で調べていただこうと、コーナー13に置きました。古語辞典の用例に、「踊り駒」を入れてもいいのではないでしょうか。
 
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2014年

10月

30日

121)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 4

参考文献エリアのコーナー5~10です。コーナー6、7、9については、運ぶ時間があれば、あと少し文献を追加するかも知れません。

 

05)吉備真備説

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解明:将棋伝来の「謎」、松岡信行、大阪商業大学アミューズメント産業研究所、2014。

日本絵巻大成3(吉備大臣入唐絵巻)、中央公論社、1977。

吉備大臣入唐絵巻 知られざる古代中世一千年史、倉西裕子、勉誠出版、2009。

古典大系日本の指導理念20、第一法規出版、1984。 <-- 江談抄の原文と訳

 

06)伎楽面

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季刊「銀花」第四十六号 特集:染色・天平の伎楽、文化出版局、1981。

マスクロード 幻の伎楽再現の旅、野村万之丞、日本放送出版協会、2002。

能面の世界、西野春雄、平凡社、2012。

日本の美術62 舞楽面、西川杏太郎、至文堂、1971。

飛鳥から平城への道 法隆寺の至宝展、小学館、1990。

伎楽面、法隆寺献納宝物特別調査概報Ⅰ、1981。

月刊 大和路ならら2014年10月号、地域情報ネットワーク株式会社、2014。

第38回 正倉院展、奈良国立博物館、1987。

第39回 正倉院展、奈良国立博物館、1988。

第40回 正倉院展、奈良国立博物館、1989。

第44回 正倉院展、奈良国立博物館、1993。

第49回 正倉院展、奈良国立博物館、1998。

平成十六年 正倉院展、奈良国立博物館、2004。

 

07)陰陽道

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週刊 朝日百科 日本の歴史52(占い・託宣・聖所での夢),朝日新聞社,1987.

日本陰陽道史総説、村山修一、塙書房、1981。

陰陽道の講義、林淳、嵯峨野書院、2002。

月刊 歴史手帖(第17巻1号)小特集 陰陽道、名著出版、1989。

日本のしきたりがまるごとわかる本、普遊舎、2014。

旧暦で読み解く日本の習わし、大谷光男、青春出版社、2003。

風水講義、三浦國雄、文春新書、2006。

風水先生 地相占術の驚異、荒俣宏、集英社文庫、1994。

図説 日本呪術全書、豊島泰国、原書房、1998。

すぐわかる日本の呪術の歴史、武光誠、東京美術、2001。

呪術秘法の書 神仏呪法実践読本、黒塚信一郎、原書房、2000。

秘伝 陰陽道占いの法、豊嶋泰國、原書房、1999。

暦を知る事典、岡田芳朗、東京堂出版、2006。

現代こよみ読み解き事典、岡田芳朗、柏書房、1993。

 

08)安倍晴明

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図説 安倍晴明と陰陽道、山下克明、河出書房新社、2004。

異界1 陰陽道、徳間書房、2000。

安倍晴明読本、豊嶋泰國、原書房、1999。

陰陽師「安倍晴明」超ガイドブック、安倍晴明研究会、二見書房、1999。

歴史群像シリーズ65 安倍晴明、学習研究社、2001。

 

09)十二支

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十二支動物の話<子丑寅卯辰巳篇>、井本英一、法政大学出版局、1999。

十二支で語る日本の歴史新考、東平介、明石書店、1998。

十二支と十二獣、大場磐雄、北隆館、1996。

十二支物語、諸橋轍次、大修館書店、1968。

干支の書、第百生命保険相互会社、1984。

 

10)師子と狛犬

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獅子と狛犬、MIHO MUSEUM、青幻舎、2014。

知れば恐ろしい日本人の風習、千葉公慈、河出書房新社、2012。

狛犬かがみ、たくきよしみつ、バナナブックス、2013。

 

以上に関連する内容だと、書くことは山ほどありますが、ここは、文献リストのみということで行きます。もし上記文献の中から、ひとつだけを選ぶよう言われれば、次の2冊のどちらかでしょう。

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解明:将棋伝来の「謎」、松岡信行、大阪商業大学アミューズメント産業研究所、2014。

獅子と狛犬、MIHO MUSEUM、青幻舎、2014。

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どちらもいいです。どちらも摩訶大将棋に深く関連しています(と思っています)。

 
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2014年

10月

30日

120)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 3

象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館所蔵)
象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館所蔵)

今回のイベントでは、東京都立中央図書館に企画書を提出し象棊纂圖部類抄の掲載許可申請をしました。ですので、象棊纂圖部類抄の全文を展示可能です(実際、巻物を全部ほどき、長机を4つ横につないで、その上に乗せています)。また、ポスターとWebへの掲載もできます。右図は、投稿116)にて話題にしましたが、中将棋の図面の後ろにある注釈部分です。象棊纂圖部類抄のスクリーンショットは、本ブログでは初登場となります。

 

仲人の記述は3つに分かれているのではなくて、部分2と部分3はひと続きである、と投稿116)で書いたわけですが、そんなことは、実際に見てみないとわかりようがありません。いかがでしょうか。つながっているとわかった後で見ますと、逆に、どうして3つの部分に分かれていると見てしまったのか、そちらの方が不可解です。

 

展示会では、このスクリーンショットをパネルにし、キャプションを付ける予定でいますが、文章の書き方がちょっとむずかしいです。真偽は別として言いたい放題を書くのか、ひとつの仮説として書くのか、これがほぼ正しいと書くのか、ということですが、たぶん、その3つの混合体になるのでしょう。展示するのは、自分の空想でも仮説でも結論でもなく、古文書からきちんと推理するという、その解読のプロセスをうまく表現できればいいのにと思っています(ただ、もっと問題になるのは、キャプションが1日(土)に間に合うのかということでしょう)。

 

引き続き、参考文献エリアの紹介です。コーナー3には、将棋の歴史に関する文献(増川先生以外)を並べましたが、ほぼすべてが現代将棋の歴史に関するものです。摩訶大将棋までを含ませて検討した書籍はありませんが、まあこれは仕方ありません。摩訶大将棋は指されていなかったと、皆さんお考えだったからです。露伴の随筆をこのコーナーにおくべきかどうかですが、その格調高い文章は、やはり文学だろうということで、将棋と文学のコーナーに置くことにしました。それと、将棋の歴史の学術論文は、もう少しあるだろうと思いますが、読んだものだけを置いています(調査していません)。

 

コーナー4は、摩訶大将棋の学会発表分です。デジタルゲーム学科でこそ可能な研究発表なわけで、このテーマを卒論にするのは他学科ではむずかしいだろうと思います。文献としては、全くおすすめではありません。ただ、着実に進んでいますので、少し前は、どういうふうに間違っていたか、気づいていなかったのか、ということを見ることができて、研究メンバーには、なつかしく思えます。楽屋落ちのコーナーです。

 

03)将棋の歴史

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将棋伝来再考、清水康二、橿原考古学研究所紀要 考古学論攷 第36冊、2013。

「庶民の遊戯である将棋」考、清水康二、橿原考古学研究所紀要 第37冊、2014。

中世日本における将棋とその変遷、大下博昭、日本研究 14巻(p23-p35)、2000。

日本文化としての将棋、尾本惠市、三元社、2002。

将棋の来た道、大内延介、小学館文庫、1998。

持駒使用の謎 日本将棋の起源、木村義徳、日本将棋連盟、2001。

将棋の民俗学,天狗太郎,作品社,1992.

将棋の庶民史、山本亨介、朝日新聞社、1972。

将棋文化史、山本亨介、光風社書店、1973。

将棋の博物誌、越智信義、三一書房、1995。

将棋歳時記、大竹延、創樹社、1992。

将棋の駒はなぜ五角形なのか、永松憲一、新風舎、2003。

囲碁はなぜ交点に石を置くのか、永松憲一、新風舎、2002。

将棋の神秘 ジャンボ将棋の世界、長尾幸治、近代文藝社、1996。

 

04)摩訶大将棋の復刻(学会発表予稿集)

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古文書で読み解く摩訶大将棋、葛原一成ほか、ゲーム学会第11回全国大会、2013。

摩訶大将棋の復刻、大野峻ほか,映像表現・芸術科学フォーラム2013、2013。

摩訶大将棋の戦い方、田村一樹ほか、ゲーム学会第11回合同研究会、2013。

摩訶大将棋の対局支援ツールの開発、甲斐誠也ほか、第18回日本VR学会、2013。

摩訶大将棋のネットワーク対局、飯田聡ほか、EC2013、2013。

コンピュータ摩訶大将棋の作成と活用、高見友幸ほか、JPCATS2013、2013。

摩訶大将棋の研究 -これまでのまとめ-、高見友幸ほか、ゲーム学会全国大会、2014。

摩訶大将棋対局時における脳血流計測、中村直樹ほか、ゲーム学会合同研究会、2014。

摩訶大将棋の研究(第2報)、高見友幸、ゲーム学会第11回合同研究会、2014。

 
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2014年

10月

28日

119)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 2

イベントの案内ポスター(夜叉版)
イベントの案内ポスター(夜叉版)

受付の横に並べていた8個の踊り駒のうち、夜叉の駒をどなたかが持っていかれたようです。なぜ、師子や狛犬や麒麟でなくて、夜叉なんだろうと考えてみると、受付の前に、夜叉の図案の案内ポスター(A1版)を置いていたのが原因だったかも知れません。いまはなき夜叉の駒の写真画像が、ポスターの右上にはいっています。

 

案内のポスターには夜叉版と羅刹版があり、客殿の入口のところに羅刹版を、入口を入ってすぐの受付の前に、夜叉版を置いていました。これを見て、イラストの展示会ですか、と尋ねた方がひとりおられました。

参考文献エリアの紹介の続きですが、コーナー1のテーマは古文書です。参考文献エリアのはじめには、なにはともあれ、古文書を置かねばなりません。次いで、増川先生の多数の著書を並べました。標準的なレイアウトだと思います。対局室から参考文献エリアの部屋へと続く廊下には、象棊纂圖部類抄の巻物(カラーコピー)を全部ほどいて展示しました。長さ6mほどの全文を一覧することができます。解説は、4つの箇所(序文、仲人、金剛力士、秀次公への駒の箇所)につける予定です。それらの解説は、廊下にではなく、部屋に入ったコーナー1のところにパネルします。ここには、古事類苑の2冊も置きました。将棋の歴史をしている人にとって、古事類苑の遊戯部は必須ではないでしょうか。諸象戯圖式、古今将棊圖彙を読み解くためには、くずし字の辞書も必要ですので、ここに置きましたが、この場所でくずし字を解読しようという人がおられるのかどうか。

 

古事類苑は、明治時代の編纂資料です。しかし、古事類苑の遊戯部には象棊纂圖部類抄の情報が全くないのです。もし、ここに象棊纂圖部類抄の内容が記載されているとしたら、摩訶大将棋の謎は早々に解かれていたに違いありません。象棊纂圖部類抄(=象戯圖)の内容は、近世ではたぶん広まっていなかったのだと思います。この点、調査の必要ありです。

 

なお、象棊纂圖部類抄を置いた廊下は、鶯張りになっています。この廊下もお楽しみ下さい。

 

01)古文書

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象棊纂圖部類抄、水無瀬兼成、東京都立図書館、1592。

諸象戯圖式、国立公文書館、1696。

古今将棊圖彙、東京国立博物館、1697。

大象棋絹篩、国立国会図書館、1821。

象棋六種之図式(雜藝叢書第一)、 国書刊行会、1915。

古事類苑 遊戯部、吉川弘文館、1997。

古事類苑 方技部、吉川弘文館、1970。

基礎 古文書のよみかた、林英夫、柏書房、1998。

覚えておきたい古文書のくずし字200選、柏書房、2001。

覚えておきたい古文書のくずし字500選、柏書房、2002。

週刊朝日百科 日本の歴史・別冊(文献資料を読む・中世),朝日新聞社,1989.

 

02)増川先生

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ものと人間の文化史23-I(将棋I)、増川宏一、法政大学出版局、1977。

ものと人間の文化史23-II(将棋Ⅱ)、増川宏一、法政大学出版局、1985。

遊芸師の誕生 碁打ち・将棋指しの中世史、増川宏一、平凡社選書111、1987。

碁打ち・将棋指しの誕生、増川宏一、平凡社、1995。

将棋の起源、増川宏一、平凡社、1996。

将棋の駒はなぜ40枚か、増川宏一、集英社新書、2000。

将棋の歴史、増川宏一、平凡社新書、2013。

日本遊戯思想史、増川宏一、平凡社、2014。

 

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2014年

10月

27日

118)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 1

すでにアナウンスしていますが、次のイベントがいよいよ明日から開始となります。

 

摩訶大将棋の展示会・対局会

日時:2014年10月28日(火)~11月3日(月・祝) 11:00~17:00

場所:旧世尊院客殿(国際奈良学セミナーハウス)

主催:日本摩訶大将棋連盟

協力:大阪電気通信大学 高見研究室

 

イベント会場となります旧世尊院は奈良国立博物館から徒歩3分程度の場所です(博物館前の東西のバス通りを北側に渡る)。期間中は、ちょうど正倉院展が開催されていますので、ついでにいかがでしょう。また、奈良県立美術館(旧世尊院から徒歩5分程度)でも、大古事記展が開催中です。こちらの方でも、高見研究室協力の作品(ゲームセンター・アマテラス)が展示されています(床面タッチのインタラクションを担当しました)。大古事記展の方もいっしょにいかがでしょうか。

 

今夜から設営準備をはじめていますが、日程のはじめの方で来られますよりは、最後の3日間、11月1日(土)~3日(月・祝)に来られた方がいいと思います。11月1日から、将棋の駒作りの実演をしていただきますし、同じく1日から、摩訶大将棋と将棋の歴史に関する参考文献エリアも増設する予定です。31日(金)までの展示は、これまでと同様の摩訶大将棋イベントで、摩訶大将棋の紹介・解説のほか、将棋盤のよる対局/模擬対局、アドバンスド摩訶大将棋の対局がメインです。1日以降の展示では、上記ふたつのエリアが増設されます。

 

参考文献エリアは、以下のコーナーを予定しています。10月中にこれらのキャプションが全部書けましたら、将棋の駒作り実演エリアの分と合わせまして、イベントの図録とする予定です。会場は、庭に囲まれており、長い縁側があります。この縁側で、のんびりと思索にふけるのはいかがでしょう。お茶とお菓子もご用意しています。ゆっくりとお過ごし下さいませ。

 

01)古文書        16)古代・中世の遊戯

02)増川先生       17)法華経

03)将棋の歴史      18)仏像/八部衆

04)摩訶大将棋の復刻   19)興福寺/曼殊院/東寺

05)吉備真備説      20)日本の神々

06)伎楽面        21)ゲームとしての将棋

07)陰陽道        22)世界の将棋・チェス・中将棋

08)安倍晴明       23)囲碁

09)十二支        24)出土駒

10)師子と狛犬      25)将棋の駒作り

11)想像と幻想の世界   26)将棋の伝来とシルクロード

12)漢字/白川静     27)将棋の文学

13)踊り         28)コンピュータ将棋

14)古代史        29)洋書

15)中世史        30)立体駒を用いたアドバンスド摩訶大将棋

              31)摩訶大将棋カード

 

項目に一部変更があるかも知れませんが、200冊程度持っていきます。詳しくはまた、明日以降、順番に投稿します。12)漢字/白川静、なぜ、漢字が摩訶大将棋に関係するのかと思われるかも知れませんが、博士が言われるところの、神様と遊戯に対する考え方、それは摩訶大将棋を指す気持ちに本当にぴったりとあてはまっているように思うからです。「遊」の字の意味を是非ご一読下さい。コーナー12では、次の文献を用意しました。

 

12)漢字/白川静

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常用字解 第二版、白川静、平凡社、2012。

文字逍遥、白川静、平凡社ライブラリ、1994。

文字游心、白川静、平凡社ライブラリ、1996。

別冊太陽(白川静の世界 漢字のものがたり)、平凡社、2001。

白川静 漢字の世界観、松岡正剛、平凡社新書、2008。

シリーズ書道基本名品集 篆書編19(甲骨文/金文)、雄山閣、1986。

墨 2002年5・6月号(巻頭特集:古代文字の世界)、芸術新聞社、2002。

 

コーナー5は、次のとおりで、もちろん、1番目は松岡先生の著作です。火のないところに煙はたたないという考え方は非常に大切だとわかりました。

 

05)吉備真備説

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解明:将棋伝来の「謎」、松岡信行、大阪商業大学アミューズメント産業研究所、2014。

日本絵巻大成3(吉備大臣入唐絵巻)、中央公論社、1977。

吉備大臣入唐絵巻 知られざる古代中世一千年史、倉西裕子、勉誠出版、2009。

古典大系日本の指導理念20(逸話にみる公務者)、第一法規出版、1984。 <-- 江談抄の原文と訳

 

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2014年

10月

24日

117)摩訶大将棋の駒の動き方:2014秋版

現状の駒の動きを、ひとまず、図面にまとめてみました。駒の動き方は、歩き(赤い点)、踊り(青い点)、走り(赤い線)の3種類だけです。仲人の前後左右についた赤い点からもわかりますように、仲人は前後だけでなく、横にも動くことができる駒になっています(投稿116をご参照下さい)。いかがでしょう、この仲人の自由さ! 図からも十分に感じ取れると思います。

摩訶大将棋の駒の動き方
摩訶大将棋の駒の動き方

 

踊り駒は12枚です。麒麟と鳳凰も踊り駒になっています。師子の点と点を結ぶ青い線は不正行度の踊りを、狛犬の青い直線は正行度の踊りを示しますが、両駒とも途中で止まることが可能です。桂馬も驢馬も踊り駒ですのでご注意を。また、夜叉が左右に3目踊りになっています。なお、動きが変更されたこれらの件、後日投稿いたします。投稿114)にも書きましたのに、まだ投稿できていません。今しばらくお待ち下さいませ。

 

駒の名前を1文字で略記しています。問題ないかと思いますが、念のため、いくつか、挙げますと、次のとおりです。

ひ:飛龍  行:横行  横:横飛  左:左車  右:右車  王:奔王

 

最後に、投稿116)にて議論しました次の点の解釈について書きます。まだ空想の段階ですが。。。

 

 > 或説云(ある説云く)は、次の2点を指しているものと思われます。

 > A)中将棋の仲人に対して、居喫師子が可能

 > B)中将棋の鳳凰・仲人は、大将棋(15マス)の鳳凰・仲人と同じ動きである

 

上の引用のA)についてです。考え方は2とおりあるかと思います。

1)仲人は師子の付喰の対象となる(投稿115を参照下さい)

2)仲人は師子で居喰いできる

 

本稿、2)でも面白いかなという立場です。つまり、普通は、仲人のいる場所に、敵の駒は進めなかったということなのかも知れません。これは、仲人は取ることのできない駒、死なない駒ということを意味します。しかし、師子の居喰いでなら(師子は仲人の場所には行かないわけだから)、仲人を取ることをOKとしましょう、というのが或る説なのです。

 

さて、仲人が取られない駒だとしましょう。これは、仲人という名前の意味からも、もしかしてあり得るかも知れません。また、戦略も大きく変わります。仲人は、敵の走り駒に対する合駒(というよりも完璧な防御壁)として使うことができるからです。

 

この件、まだ、アドバンスド摩訶大将棋の機能には追加していませんが、今後のんびりとシミュレーションしてみたく思います。もし、このルールで対局をご希望の方おられましたら、次週から始まります旧世尊院での展示会・対局会(奈良県大芸術祭)の折にでも、お声がけ下さいませ。

 

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2014年

10月

20日

116)仲人の駒の謎:象棊纂圖部類抄より

摩訶大将棋の復刻はもうこれぐらいで終わりだろうと思っていると、思いもよらないところから新しい発見がやってくるという、そういうことのくり返しです。本稿、ちょうど推理小説の謎解きのようでもあります。

 

象棊纂圖部類抄の中将棋の図面の後ろに、師子の居喰、鳳凰、飛鷲、角鷹、仲人に関する注釈があります。仲人に関する部分は、投稿82)でも一度議論しましたとおり、次のように、文章を3つの部分(それぞれ、2行の文章)として解釈してきました。

 

部分1)不行傍立聖目内 成酔象

部分2)或説云居喫師子許也 仲人立聖目外

部分3)鳳凰仲人等 行度如大象戯

 

実は、これが、完全な間違いだったということです。部分2)の左側は、部分3)とつながっているのです。部分2)と3)は、実物では、一続きになっているように見えます。ただ、これは、写本のときの字の大きさの加減で、本来、空くべきスペースがなくなったのだろう、これまではそう考えていました。しかし、この文章は、見たとおりに、もともとから一続きの文章だったわけです。ここは、次のとおり読むべきでしょう。

 

部分2)或説云居喫師子許也 鳳凰仲人等行度如大象戯

 

或説云(ある説云く)は、次の2点を指しているものと思われます。

A)中将棋の仲人に対して、居喫師子が可能

B)中将棋の鳳凰・仲人は、大将棋(15マス)の鳳凰・仲人と同じ動きである

 

さて、これをどう解釈するかということですが、「ある説云わく」という注釈がつくということは、つまり、普通はそうではないが、、、という事実が言外にあるわけです。たとえば、B)は次のような解釈となります。まず、仲人からですが、

 

解釈1(仲人の動き):

普通、仲人は前後に1目だけ歩くが(これは、中将棋での仲人の動き)、ある説によると、この動きとは違って、大将棋(15マス)の仲人と同じ動きらしい

 

こう読むと、大将棋(15マス)の仲人の動きは、前後に1目ではない、ということになります。ただ、これは、非常に考えやすくもあります。大将棋には、前後に1目だけ歩く土将の駒があるからです。ところで、違う名前の駒が同じ動きをするのは、将棋の駒すべての中でも、仲人と土将だけです。これは奇妙なことでしたが、実は、仲人は前後に1目だけ歩く駒ではなかったということでしょう。

 

では、本当の仲人は、どういう動きなのか。これのヒントになるのが、部分1)に書かれている「不行傍」という注釈です。仲人傍らに行かず(=仲人は横には進まない)ということですが、なぜ、仲人のわかりきった動きを、わざわざに書き記したのかというと、この点は注意しなさいよ、ということだったからです。大将棋(15マス)では、仲人は横に行けるが、中将棋では、仲人は横に行けません、ということで、つまり、これが、上記のB)の解釈となります。

 

たぶん、大将棋(15マス)の仲人は、前後に1目歩き、横にも1目歩く駒だったのでしょう。そして、この前後左右に1目だけ歩くという動き、かなり基本的な動きなわけですが、象棊纂圖部類抄には、この基本的動きの駒が見当たりません。このことも、本稿の推理の妥当性を裏付けます。もし、仲人がこれまで思われていたのとは、別の動きの駒だったとして、どういう駒の動きを割り当てることが可能かと考えてみて下さい。実は、前後左右に1目だけ動くという、この動きしか、駒の動きには「空き」がないのです。

 

次に、鳳凰の動きを取り上げます。基本的な考え方は、仲人の場合と同じです。

 

解釈2(鳳凰の動き):

普通、鳳凰はななめ方向に1目を越して2目に進むが(これは、中将棋での鳳凰の動き)、ある説によると、この動きとは違って、大将棋(15マス)の鳳凰と同じ動きらしい

 

もうだいたいおわかりだと思いますが、大将棋(15マス)の鳳凰は、中将棋の動きとは違って、ななめ2目に踊る駒だったわけです。その点を、上記B)では書いています。さらに、象棊纂圖部類抄の同じ箇所には、鳳凰に関する次のような注意も添えられています。

 

鳳凰飛角 不如飛竜(鳳凰角に飛ぶ 飛竜の如くにはあらず)

 

これは、上記B)の文言と同じく、中将棋では、鳳凰はななめ2目に越す駒である、飛竜のように、ななめ2目に踊る駒ではない、とわざわざに言っているのです。なぜ、そういう注意をするのかというと、もともと、鳳凰はななめ2目に踊る駒だったからです。ここのところの経緯、伎楽面と踊り駒の対応の投稿に合わせて、後日投稿いたします。

 

以上の件、大将棋が中将棋よりも先行していたということの、ひとつの文献的な証拠にもなりそうです。上記A)の解釈をとばしてしまいましたが、この件についても、後日の投稿といたします。

 

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2014年

10月

04日

115)ゲーム学会 第5回摩訶大将棋ワークショップ

ゲーム学会のWebサイトとゲーム学会メルマガでは、明日10月5日(日)の開催とアナウンスしていますが、投稿113)にてお知らせしましたとおり、ワークショップは、今日4日(土)から設営し、展示・対局を行ないました。明日は台風が近づきます。荷物撤収時に、雨が強くなりませんように。

www.gameamusementsociety.org/article.php?story=ws_maka_141005

 

今日、はじめてお会いしたyamaさんに、いろいろな件お聞きしお教えいただきました。ありがとうございました! 教えていただいた中での一番は、象棊纂圖部類抄の中将棋のところにある、仲人の記述の解釈です。yamaさんによれば、~というようにも解釈できると多少控えめではありましたが、その解釈で合っている可能性が大きいのではと感じました。次の箇所です。

 

1)不行傍立聖目内 成酔象

2)或説云居喫師子許也 仲人立聖目外

 

この部分は、投稿82)で一度問題にしており、聖目の内、聖目の外という相反する記述が謎でした。そのときは、聖目の内と外を、盤の左右方向だけで、内(中央側)と外(両端側)と考えたわけですが、yamaさんは、1)の立聖目内は、盤の縦方向で考えての内(中央側)ではないでしょうか、ということでした。縦方向でみれば、確かに仲人は内側にいます。2)の立聖目外は、盤の横方向で考えてのもので、仲人は盤の端側にありますので、こちらは、聖目の外で正しいということになります。この解釈ですと、記述の矛盾がなくなります。

 

また、2)の居喰(居喫)は、付喰の間違いではないのかという推理もお聞きしました。師子の付喰は、歩兵は確実なのですが、仲人を付喰に含ませるかどうかは確実でなかった可能性もあるそうです。このような解釈で行く場合、投稿82)の内容は、大きく修正されないといけません。

 

yamaさんの将棋盤と駒で対局
yamaさんの将棋盤と駒で対局

いつものように、天童の大きな駒も用意していましたが、yamaさんが持ってこられた摩訶大将棋の将棋盤と駒の方で対局しました。右図は、その盤面です。小さな盤と小さな駒ですが、対局には十分でした。先手は、無明の下に、竪行、飛車、奔王と繋げています。急戦模様の中飛車といった感じです。

鳳凰の成りの狛犬(彫り駒)
鳳凰の成りの狛犬(彫り駒)

「駒遊び」人さんにも来ていただきました。ありがとうございます! 左図は、鳳凰の成りの狛犬です。摩訶大将棋の鳳凰、今日、見せていただきました、まだ出来立て早々の彫り駒です。ちょっとした試作ということですが、私には、立派な普通の駒に見えます。ですが、「駒遊び」人さんが見れば、この駒のここのところが・・・という感じのようです。伎楽面の踊り駒8つを試作していただきました。ところで、この駒の写真、ブログに載せてもよかったでしょうか? 問題ありましたら、すぐ、この部分、削除いたします。

 

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2014年

10月

02日

114)摩訶大将棋の復刻:ルールの見直し(暫定版)

去年の秋以降、摩訶大将棋の成立に関していくつかの発見がありましたので、それに伴い、ルールの見直しを行いました。象棊纂圖部類抄の記述とは異なりますが、あくまでも、原初の摩訶大将棋を復刻するという観点での改訂です。新しい将棋のルールを新設したわけではありませんので、この点、ご理解お願いします。研究室での対局では、すでに、見直し後のルールで対局が行われており、改訂前に感じていた不自然さがなくなりました。このようなルール変更が妥当であることについては、後日きちんと投稿します。ひとまず、以下にルールの変更点のみ、お知らせいたします。

 

1)駒の動きの変更1:

麒麟と鳳凰を踊り駒とする。

動きの方向については変わらず、単に、越しの動作が踊りになっただけです。

 

2)駒の動きの変更2:

桂馬と驢馬を踊り駒とする。

動きの方向については変わりません。上記の変更1と同じです。

 

3)駒の動きの変更3:

奔駒を、単なる走り駒とする。

動きの方向については、変わりません。象棊纂圖部類抄にある「1目2目をば踊らず」の記述を無視する形となります。

 

4)成り駒の変更:

鳳凰の成りを狛犬とする。狛犬を不成りとする。

象棊纂圖部類抄とは異なりますが、後日の投稿で説明します。

 

以上の4点です。3)以外は、それぞれに妥当と思われる理由があります(後日、項目別に投稿します)。結果として、摩訶大将棋に越す駒はなくなり、走り駒の下に並ぶすべての駒と、師子、麒麟、鳳凰は、全部が、踊り駒として揃います。

 

奈良県大芸術祭の摩訶大将棋イベント(本年10/28~11/03)での対局準備用としまして、上記ルールでのアドバンスド摩訶大将棋を配布しています。ご希望の方は、takami@maka-dai-shogi.jpまでメールにてご一報下さい。折り返し、メール添付にて、お送りいたします。AIRのアプリケーションですので、AIR15のランタイムが必要になります(インストール時に、自動的に導入されますので、問題ないと思います)。動作環境は、Windows7/8、または、Mac-OSです。なお、お送りしますアプリケーションは、ルール改訂の暫定版のため、11月30日までの使用期限がついています。アドバンスドモードに一部バグがありますが、対局や棋譜再生には支障ありません。

 

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2014年

9月

26日

113)摩訶大将棋の展示・対局会:2014秋(お知らせ)

2014年、秋の展示・対局会のご案内です。

お問い合わせ先:takami@maka-dai-shogi.jp

 

1)摩訶大将棋の展示

期間:2014年9月23日(火)~30日(火)

場所:ピーコックストア奈良北生駒店

主催:日本摩訶大将棋連盟

内容:将棋盤1面・アドバンスド摩訶大将棋1面

 

2)摩訶大将棋の展示・対局会

期間:2014年10月4日(土)~5日(日)

場所:国際奈良学セミナーハウス・研修室

主催:ゲーム学会

内容(予定):将棋盤1面・アドバンスド摩訶大将棋2面

摩訶大将棋セミナー(入門編)、プリンセス金魚杯2014決勝

 

3)摩訶大将棋の展示・対局会(奈良県大芸術祭 参加イベント)

期間:2014年10月28日(火)~11月3日(月・祝)

場所:旧世尊院客殿(国際奈良学セミナーハウス)

主催:日本摩訶大将棋連盟

内容(予定):将棋盤4面・アドバンスド摩訶大将棋4面

各種文献・各種古文書の部屋、談話会、摩訶大将棋セミナー(入門編)、

摩訶大将棋大盤解説、奈良県大芸術祭トーナメント(仮称)

 

興福寺の子院、世尊院の客殿にて、対局の場を用意します。客殿はすべて予約しています。客殿のだいたいの様子は、以下のサイトの写真をご覧下さい。

http://nara-manabi.com/nara/kyuseson/

 

摩訶大将棋の対局を、ルールの復刻だけでなく、対局する場の空気、中世の空気も含めて復元できるでしょうか。対局日時の予約、承り中です。一対局(3時間まで)で一部屋全部を使いたいと思っています。日が近づきましたら、詳細また投稿いたします。

 

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2014年

9月

16日

112)中将棋と大将棋と摩訶大将棋:その成立順の考察

本ブログは、摩訶大将棋の復刻を第一の目標としていますが、復刻には、各種大型将棋の成立時期の問題と強く関係してきます。そこで、本稿にて、まず、その問題をはっきりさせておこうと思います。これまでに何度も取り上げてきた話題ですが、重要な問題ですので、現状の考えをまとめてみました。

 

古代の将棋は、文献資料が非常に少ないため、議論が空想の方向に膨らみがちですが、それを極力さけるため、ここでは、中将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つの将棋だけに絞って、その成立順を考えてみます。なお、ここで言う大将棋とは、象棊纂圖部類抄に記載されている大将棋のことです。これまでの投稿のコメントでは、古文書に記載のない大将棋の存在を想定した上でのコメントもいただいていますが、その問題は、後日にゆずるとし、まずは、単純に、象棊纂圖部類抄の中にある3つの将棋だけでいきます。この3つの将棋の成立順だけを考えたいと思います。

 

私自身は、摩訶大将棋がかなり古式な将棋だと考えます。結論は、次のとおりです。

摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋

 

もちろん、本ブログのこれまでの考えと全く同じです。むしろ、干支が駒の名称にきちんと現れていることで、一層強くこう考えるようになりました。年内に学会でも発表予定ですが、その前に、本ブログにて発表し、できれば、きびしいコメントをいただきたく思います。投稿101)にも類似の投稿をしましたが、そのときにいただきましたコメントも(私のコメントもそうですが)、それ以降に、いくつか発見的なことがありましたので、補足があるのではないでしょうか。一番大きいのは、駒の名称と伎楽面との対応がわかったことです。古代の舞と踊り駒が対応していたのです(投稿108に書いています)。神事であった可能性、古い時代での成立の可能性がさらに強くなったと考えています。

 

以下、理由を列挙します。摩訶大将棋の成立が、大将棋や中将棋よりも古いとした理由です。

 

1)陰陽道との関わりの強さ

古代の将棋には、干支(十二支・十干)との関わりが強く見られ、これは、当時盛んであった陰陽道の影響と思われる。摩訶大将棋には、陰陽道が強く現れており、中将棋には、陰陽道らしさが見られない。陰陽道は、中世では、次第に廃れていったが、中将棋の成立は、その頃だったのではないか。多少とも呪術らしさを残す大大将棋、泰将棋よりもさらに後の時代の成立かも知れない。

 

2)師子と狛犬のペア

師子と狛犬は、古文書を調べるにつけ、やはり、ペアで現れるのが自然である。大将棋や中将棋で、師子単独で導入されたと考えるよりも、導入当初はペアであったが、大型将棋が駒数を減らして発展していった段階で、狛犬が落とされたと見る。ペアが揃う摩訶大将棋が古式であろう。

 

3)神事としての整然さ

摩訶大将棋の駒には、十二支が揃い、伎楽面が揃い、走り駒が一列に並び、踊り駒が一列に並び、将の駒も系統的に並ぶという非常な整然さを見せている。これは、陰陽道の神様(もし、そういう存在が認められていたとすれば)への奉納のようにも思われる。舞楽や相撲や双六のような存在だったかも知れない。摩訶大将棋の立馬略頌は、奉納のための歌だった可能性もある。一方で、中将棋はピュアなボードゲームであって、初期配置には整然さが見られない。

 

4)桂馬がない

中将棋には桂馬がない。桂馬がある摩訶大将棋、大将棋の前に、中将棋の成立を想定するのはあまりに不自然である。駒がなくなるのは、発展の終着に限られ、発展途上でなくなった例がない。

 

5)酔象の成り駒

摩訶大将棋は王子、中将棋と大将棋は太子。平安時代、鎌倉時代の物語に使用される単語の頻度から確率的に考えれば、摩訶大将棋が古式である可能性が大きい(投稿103に書いています)。

 

6)象棊纂圖部類抄の序文

下象其形於地理列以金銀鉄石之名(投稿102)とあり、鉄将、石将を持つのは摩訶大将棋と大将棋である。その他にも、「摩訶大大の陣面」、「桂馬を憩う」、「日月星辰」等の語句に見られるとおり、摩訶大将棋を中心にして書かれている。この序文は、将棋の本質、将棋の歴史を語ろうとした文面であり、もし、中将棋が原初の将棋だとするなら、このように中将棋を無視したような記載にはならないはず(この件、本稿にて初出)。

 

以上、主要な理由です。いかがでしょうか。

上記の6件につき、個々の反論はあるかも知れません。しかし、逆に、中将棋が摩訶大将棋よりも古式と見るべしという理由、それを積極的に示す事柄が、私には思いつきません。通説は、大将棋が中将棋に先行するというもので、通常取り上げられるいくつかの理由(文献のあるなし等)だけですと、通説は妥当でしょう。ただし、通説では、摩訶大将棋は考えの中に入れられていません。当然、後でできたものと思われていた(そう直観されていた)からです。摩訶大将棋に陰陽道(つまり、干支)が見られるという仮説はごく最近になって現れた考え方です。

 

上記の6件以外にも、玉将のちょうど前に狛犬舞、師子舞があることや、伎楽の力士舞の面の駒が全部、踊り駒であること、成り駒の問題等、摩訶大将棋が古式な方に傾くいくつかの理由がありますが、これらは、まだ未投稿ですので、省いています。

 

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2014年

9月

12日

111)平安大将棋の飛龍と桂馬の動き:二中歴の記述から

投稿予定では、本稿にて、平安大将棋の飛龍の由来と、五行相剋のことを話題にすることになっていましたが、後日の投稿に廻します。投稿109)のコメント#19にて、飛龍と桂馬の動きが話題となりましたので、まず、こちらの方から書くことにしました。このコメント#19を受けての本稿、という流れで、ご一読下さい。

 

大型将棋の桂馬の動きについては、本ブログでは、前のななめ2目(今の動きとは違う)と考えています。この件、投稿50)にて詳しく取り上げていますが、二中歴の記述に関する部分は、ほとんど書いていませんでした。

 

桂馬前角越一目、これが、二中歴にある桂馬の動きですが、記述があいまいです。ですので、結論ありきで、無理やりに筋を通してしまうことも可能でしょう。つまり、私の場合なら、前のななめ二目に超すと書いてあるということで、納得していますし、上記のコメント#19では、今の桂馬の動きと同じと読めるということで、納得しているというわけです。

 

ですので、昔の桂馬の動きを議論する場合、二中歴からはこう解釈できる、という主張は、あまり意味を持たないように思います。二中歴の原文はどうにでも読めるわけですから。そこで、二中歴以外から、動き方の材料をさがすことになりますが、前のななめ2目説(今の動きとは違うという説)については、投稿50)に列挙したとおりです。

 

いちおう、私の解釈(前のななめ2目)ですが、「前角」で、桂馬の動きの方向は、ななめ前だけに限定、一目越しますので、2目に着地、となります。象棊纂圖部類抄の朱色の点とも一致します。ただし、平安将棋の段階では、桂馬は踊りの動作を持たなかったものと考えます。

 

ところで、桂馬と類似した動きを持つ飛龍の駒も、二中歴に出てきます。動きは「行四隅超越」、これを角行の動きだとするのが通説のようです。平安大将棋では、桂馬の上にあった飛龍(=角行の動き)、それが、後になって、桂馬の上に角行、というおなじみの形になるわけで、飛龍の動き=角行の動き、と解釈したのも納得はいきますが、私はそのように考えていません。

 

「行四隅超越」については、前後ななめ二目の踊り、と考えています(踊りについては、投稿76にまとめていますが、踊りの件、これ以降にも多少の進展があります。この件、まだ未投稿ですが、早々に投稿します)。ともあれ、「超越」という記述が絶妙かも知れません。

 

超と越の漢字の意味ですが、次のとおりです(たとえば、漢辞海を参照下さい)。だいたい同じなのですが、越え方が違うようです。

超:飛んで超える

越:飛ぶのではなく、踏んで越える

 

ですので、角行のように、ななめにどこまでも進むという解釈はむずかしいでしょう。もし、超の一文字だけで、行四隅超、のように書かれていたら、ななめ後ろにも飛べる桂馬のイメージでしょうか。しかし、行四隅超越、と書かれている。なぜでしょう。越を使うことで、踊りの動作を表わしたかったのかも知れません(投稿76を参照下さい)。まず、ななめ一目の駒の上に乗る感じです(つまり、駒をとることができるわけです)。乗った上で、越えていくのですから、二目まで進みます。超越は、超す、または、越すという意味で、味方の駒なら超す、敵駒なら越すということなのでしょう。全く踊り駒の動きそのもの、象棊纂圖部類抄に書かれている飛龍の動きそのものです。

 

ここで、平安大将棋の初期配置を思い出して下さい。香車の上に奔車、桂馬の上に飛龍です。香車の上に、後ろにも行ける香車(=奔車)を置いた、桂馬の上に、後ろにも行ける桂馬(=飛龍)を置いた、ということです。この整然とした配置!

 
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2014年

9月

08日

110)平安大将棋と摩訶大将棋:駒の名称の決まり方

古代の将棋駒の名称は、どのようにして決められたのでしょう、これが本稿のテーマです。駒の名称の理由については、これまでには、玉金銀桂香と酔象が発表されているぐらいです。これは、名称の決定に関連する古文書が見つかっていないからで、だから、名称の理由は、結局のところ、どれも推測でしかあり得ないのだと思います(とは言え、玉金銀桂香については、通説はかなり自然でもっともらしいですから、これは本当なのだろうと思います)。

 

ところで、摩訶大将棋に関しては、十二支というくくり、十干(または、陰陽)というくくりで駒の名称が決められたのではないか、と本ブログで発表してきました。これもまた推測と言えば推測にはちがいないのですが、当時盛んだった陰陽道との強い関連、十二支の動物や伎楽面といった実際の事物との対応がきちんとつくという点、伎楽面の駒と踊り駒が一致している点で、推測の域を脱しているのではないかとも思っています。

 

このように、摩訶大将棋の場合では、十二支や十干といったひとまとまりの駒が、集団となって取り込まれているのが特徴です。つまり、駒の名称は、1個1個ばらばらに決まっていったわけではなさそうです。実は、この点、平安大将棋にもあてはまっているかも知れません。下図に色付きマスで示した、飛龍、猛虎、銅将、鉄将の4駒が、ひとまとまりで入った可能性があります。

平安大将棋
平安大将棋

 

さて、山海経の西山経のところに、猛豹という動物が取り上げられています。山海経は、「世界の奇書・総解説」には、怪力乱神を語る古代中国の異端書と形容されています。有名な本です。中国最古の地理書ですが、おそらく、古代日本の公卿、僧侶たちも読んでいたでしょう。猛豹の記述は次のとおりです。

 

猛豹似熊而小、毛浅、有光沢、能食蛇、食銅鉄、出蜀中。豹或作虎。

(熊に似て小、毛は浅く光沢あり、能く蛇を食らひ、銅鉄を食らふ。蜀中に出づ。豹は或いは虎に作る。)

 

まず、注目すべきは、豹或作虎という記述です。或作**というのは、別名をいうときの慣用句ですから、猛豹は猛虎とも呼ばれていたということです。平安大将棋の猛虎の駒は、猛豹の駒と思っていいのではないでしょうか。大江匡房(1041年-1111年)が言及した猛豹の駒は、やはり古かったのです。同時に言及されている酔象の駒も11世紀の駒として出土していますので、象棋百番奇巧図式序にある将棋のことは、もっと重く考えるべきかも知れません。酔象は玉将の上、猛豹は金将の上、これは後世が装飾したのではなく、文面どおり、当時は、そうだったのでしょう。

 

次いで、「食銅鉄」の記述です。これを、銅将、鉄将の駒の起源と想像してみました。猛豹は銅将、鉄将より強い駒として導入されたということです。さて、猛豹、銅将、鉄将の3駒を山海経との関連で導入したものとして、もう1駒、飛龍をこのくくり(山海経関連)に付け加えたいと思います。飛龍は、山海経の応龍を想定していますが、これ以降、空想となりますので、次の投稿にまわします。陰陽道に則れば、飛龍、猛豹、銅将、鉄将、奔車の5駒で、五行相剋と五行相生が成立していそうに見えるというストーリーです。

 

ここまでのところで、本稿をまとめますと、古代の将棋の駒の導入は、この駒はこういう理由で、この駒の名前はこれこれ・・・、というふうに1個づつ決められたわけではなく、あるまとまりで、がばっ、がばっと決まっていったように思われます。古代の将棋を、平安将棋、平安大将棋、摩訶大将棋の3種として、この順で発展したものと想定するなら、次のようになっています。平安大将棋と摩訶大将棋に陰陽道が強く関わっているという前提です。

 

1:玉金銀桂香歩(平安将棋)と酔象 <-- この7駒からスタートします。

ここでは、この7駒の起源は考えません。酔象の駒だけがあまりますので、ひとまず、ここに入れました。

 

2:飛龍、猛豹、銅将、鉄将、奔車=反車、(横行)、(注人=仲人)

平安大将棋では、山海経関連で5駒がはいります。ここに五行思想が入っていそうです(次稿にて空想)。なお、1駒づつ入る横行と注人については、まだ不明です。

 

3:十二支(12種類の駒)、十干(または、八部衆:10種類または8種類)、走り駒一式、

(無明・提婆)、(瓦石土)

仮に、平安大将棋から、一気に摩訶大将棋の原型が成立していたとしても、細々とした数多くの追加があったわけではありません。3つの集団(十二支・十干と走り駒)が追加されただけです。無明・提婆・瓦将・石将・土将は、現状では不明です。無明と提婆は、摩訶大将棋が世に出た後での追加のようにも思えます。

 

なお、ここでは、平安大将棋-->摩訶大将棋の順で考えてみましたが、そうとは限らないということも想定しています。

 

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2014年

8月

27日

109)摩訶大将棋の整然さ:古式の将棋だと思われる理由

摩訶大将棋の中の十二支については、投稿102)と投稿105)にてすでに書いていますが、本稿では、まず、十干についても書いておかねばなりません。陰陽五行説では、木、火、土、金、水の五行のそれぞれに、兄(え)と弟(と)があって十干(木の兄=きのえ=甲、木の弟=きのと=乙、火の兄=ひのえ=丙、・・・・)となるわけですが、摩訶大将棋の駒は十干にも対応しているようです。兄弟(陰陽)のペアを考えると、どの駒かは明解です。

 

羅刹-夜叉、力士-金剛、狛犬-師子、麒麟-鳳凰

 

ちょうど、この8コマは伎楽面との対応を持つ踊り駒です。あと1組は、まだわかりませんが、猛豹-酔象が第1候補でしょうか。ともかくも、十干の存在も確からしく思えます。

 

ところで、摩訶大将棋は、駒の名前、駒の動き、駒の並び、駒の由来を考えたとき、非常に整然としている将棋だと感じませんでしょうか。次のような点です。

 

1)十干と十二支を含んでいるように見える

2)走り駒がひとつの列に揃う

3)踊り駒がひとつの列に揃う(※)

4)隣合う駒の動き、対応する駒の動きが類似する

 

この初期配置の整然さも、私が摩訶大将棋が古式な将棋であると見る理由のひとつです。遊戯ではあるのですが、神様に奉納するという点においては、神事や芸能と何ら変わらない厳粛さは必要とされます。たとえば、象棊纂圖部類抄の立馬略頌、これは、たくさんある駒を並べやすくするための歌との考え方もできますが、そうではないでしょう。これは、摩訶大将棋の対局を奉納するにあたってはじめに歌う歌と思われませんか。立馬略頌は、摩訶大将棋の陰陽道仮説の、証拠物件なのかも知れません。

 

以下、少し空想が入ります。陰陽道としての将棋は天皇とその周辺以外には漏れ出ることはなかったでしょう。朝廷での陰陽道の権威が薄れ、陰陽道が一般個人レベルまで広まったとき、隠されていた将棋は、世に出たと言っていいかも知れません。承久の乱以降でしょうか。あまりにも大型すぎた将棋が、純粋に遊戯として発展していったときに、大将棋、中将棋、小将棋と順に改良を加えられつつ(遊戯としての改良を)、小さくなっていったのだと思います。

 

摩訶大将棋の成立時期については、投稿101)にて書きましたが、本稿にて、再度、「整然さ」という観点から書いておきたいと思います。次の点です。

 

a)大将棋には、十二支の5駒だけ、中将棋には、十二支の1駒だけが含まれる。

b)大将棋、中将棋ともに師子が単独である。

c)大将棋には、走り駒の列に飛龍がいる。

d)中将棋には、走り駒の列に師子がいる。また、別の列にも走り駒(角行)がいる。

 

これらは、整然とした摩訶大将棋を、遊戯という観点から改変したときに生じた乱れではないでしょうか。こうした乱れを、乱れと感じるか感じないかの問題かも知れませんが。ともあれ、摩訶大将棋の飛車、左車、横行、横飛、竪行、・・・の列に、すべての走り駒が揃うわけです。今までは全く意識しなかったのですが、この列のすべての駒が、摩訶大将棋の段階で一気に作られた可能性まで考えていいのかも知れません。

 

ここで、平安大将棋のことも話題にしないといけません。玉将の上にある横行です。仮に飛龍が角行相当だったとしても、飛車も竪行もありません。横行1駒だけの不自然さは、この大将棋が陰陽道から捨てられた将棋のようにも見えます。十干も十二支もありません。そうした駒は門外不出、たまたま漏れ出た駒だけが並べられた、、、これは空想がすぎますでしょうか。

 

摩訶大将棋の駒に天平時代に栄えた伎楽面が含まれることで、このように、摩訶大将棋と平安大将棋を比較検討しても、荒唐無稽ではなくなりました。ただ、摩訶大将棋が、まだ陰陽寮の中にあった頃の話しは、画期的な出土駒でも出ない以上、たぶん結論などあり得ないでしょう。摩訶大将棋が世の中に出始めた頃、つまり、陰陽道が弱まった頃、1250年ぐらいのことだと思いますが、これ以降の摩訶大将棋、遊戯ではあったが受け入れられなかった摩訶大将棋のことを、まず考えていきたいと思っています。

 

(※)驢馬、桂馬も踊り駒と考えています。この件、後日に投稿し、ルールの根拠をきちんと説明いたします。

 

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2014年

8月

25日

108)伎楽と摩訶大将棋:踊り駒が舞う

摩訶大将棋には十二支の駒が揃っていたわけですが、実は、別の対応関係がもう1件見つかっています。伎楽面の名前が摩訶大将棋の駒に並んでいるのです。本稿、もし間違いがなければ、本ブログ中で最重要のひとつになるかも知れません。

 

摩訶大将棋には、伎楽面に対応した駒が、少なくとも8駒含まれているようです。投稿105)に十二支をマークした図を付けていますが、その図に、伎楽面に対応した駒(羅刹、力士、狛犬、金剛、夜叉、麒麟、師子、鳳凰)の位置を黄色にマークしました。

摩訶大将棋に並ぶ伎楽面の駒(黄色のマスにある駒)
摩訶大将棋に並ぶ伎楽面の駒(黄色のマスにある駒)

 

伎楽は、7世紀に渡来した舞の芸能で、大雑把には、平安時代に盛んに演じられ、鎌倉時代には廃れていたようです(調査中)。伎楽面は、正倉院や東大寺に200面ほどが残っており、多くは8世紀のものだそうです。

 

上図のとおり、摩訶大将棋では、玉将(天皇を想定)の前方に、狛犬と師子が並びますが、これは、行幸の際に先導する「道の祓い」を表現しているのだろうと考えています。つまり、狛犬舞と師子舞に対応しています。この道祓いが、陰陽道から来るのか神道から来るのか、まだ調べていませんが、ともあれ、投稿81)に引用した枕草子の文章中にも、このふたつの舞は出てきます。

 

ところで、図の黄色にマークされた駒の件、伎楽の演目に力士舞というがあるのですが、そのときに使う伎楽面と対応しているようです。以下、「摩訶大将棋の駒:伎楽面」の対応関係です。

 

羅刹:崑崙、 力士:力士、 金剛:金剛、

夜叉:治道、 師子:師子、 鳳凰:迦楼羅

 

狛犬と麒麟については検討中ですが、狛犬は伎楽面と対応づけなくてもいいかも知れません。麒麟については、力士舞の中では対応があいまいです。本稿、速報的に書いていますので、伎楽面と駒との対応の理由については、後日にまた投稿します。羅刹と夜叉が名称だけからは結びつきませんが、面を見るとはっきりします。

 

このように、狛犬舞、師子舞とは別に、伎楽の舞とも対応しているのですが、面白いのは、対応する駒のほとんどが、踊り駒だという点です(おそらく、全部が踊り駒でしょう。麒麟と鳳凰も当初は踊り駒だったと思います)。摩訶大将棋の作者は、舞に由来する駒の動きを「踊り駒」にしたというわけです。踊り駒の「踊る」は、「くり返す」の意味だということですでに決着していますが(投稿76)、舞と踊りという対応については、さらに考えないといけないでしょう。

 

摩訶大将棋が、平安時代に栄えた事物の名称を使っている以上、その成立を平安時代と見積もることもできます。しかし、重要なのは、陰陽道の呪術に使われていたときの話ではなく、世界に現れたときがいつかということです。ですので、陰陽道が民間陰陽師から一般個人にも広まり出す鎌倉時代の前半、1250年前後に、摩訶大将棋は世界に出現したのだろうと想像します。それ以前にも、別の大将棋(たとえば、平安大将棋のようなもの)が、呪術から漏れてきたこともあったでしょうが、おそらくその将棋は、陰陽道には無用の将棋ということになります。秘術ではないもの、陰陽師が放り出したものでしょうか。世に現れた呪術、それは神様に奉納する遊戯でもあったのですが、当時でも、あまりに複雑だったかも知れません。呪術の将棋は、次第に純粋な遊戯へと改良されていったのでしょう。駒数を減らして、大将棋、中将棋、そして小将棋(持ち駒あり)へというのが、ひとつの考えられる進展です。

 

この話、さらに展開しますが、まだ長くありますので、続きは後日に投稿します。以上の文面、私の空想の部分は読み飛ばしていただき、どうも本当らしい伎楽面と駒の対応だけを検討いただければと思います。実は、この8枚の踊り駒/伎楽面ですが、興福寺の八部衆にも対応しています(伎楽面が、もともと八部衆と対応していたのかも知れませんが)。こうして、またしても、古代の将棋に興福寺が出て来るのです。将棋は正倉院にはなかったのですが、興福寺に堂々と並んでいたというわけです。

 

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2014年

8月

24日

107)摩訶大将棋を遊ぶということ:白川静「文字逍遥」

十二支の駒があることから、摩訶大将棋が陰陽道と関わっていたことは確実でしょう。十二支は、単に年を決めているだけでなく、月や日や時間と対応し、さらに方角とも結びついています。当時は、物事をどの日に実行すればよいか、どの時間に出発すればよいか、どの方向に向かえばよいか、といったことを陰陽師に聞いていたわけです。国家の運営に関わるかなり重要なことでさえ陰陽道に頼っていたようで、この点、陰陽道の「占い」や「おまじない」を現代の語感で判断しないという注意が必要になります。

 

ただ、本ブログでは、駒による占いという観点にはあまり興味を持っていません。あくまでも、摩訶大将棋が対局されているということが前提で、その対局自体の中に陰陽道がどのように関わっているのだろう、ということを考えています。遊びには違いないが、純粋な遊びではなく、遊び以外の何かがあったという遊び、それはどういうものだったのか。天皇とその周辺だけが持っていた陰陽道のツールだった可能性も高く、その「遊び」は誰でもが遊べたというわけでなかったことは、日記に示されているとおりです。早くに伝来していたにも関わらず、朝廷の秘術として使われていたために、文献に現れることもなかったのでしょう。

 

摩訶大将棋を遊ぶというイメージを伝えるために、白川静の「文字逍遥」から引用したいと思います。以下、その冒頭の遊字論の、はじめの段落の全文です(白川静、文字逍遥、平凡社ライブラリーより)。

 

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。」

 
遊字論は、平凡社ライブラリーでは、37ページの文章です。遊の古代文字からスタートして、その成りたちから、遊という漢字のもつ意味が書かれています。遊字論と摩訶大将棋には何の関連もないと思いますが、偶然にも、遊字論の冒頭は、陰陽道としての摩訶大将棋の対局をそのとおりに表現しているように思えてきます。
 
神様に奉納するような感じでしょうか。舞楽、相撲、流鏑馬(やぶさめ)がそうですが、神様の前で、芸能や競技を見せるわけです。摩訶大将棋の対局も、同じくそのようなものであった可能性があるかも知れません。ただ、舞楽や相撲と違うのは、奉納と同時に、陰陽道を、つまり、何かの占いやおまじないをあわせ持ったのではないでしょうか。朝廷内の狭い範囲にだけ限定された秘術でしたから、舞楽や相撲のように、公開されることはなかったでしょう。
 
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2014年

8月

22日

106)なぜ家の外で対局しないのか:日記に残る大将棋

投稿15)にて一度取り上げましたが、次の文献は、大型将棋のことを考える上でとても大きなキーポイントを提起しています。

 

大下博昭、中世日本における将棋とその変遷

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN10113157/nk_14_23.pdf

 

この論文に、次の3点が指摘されています。

1)14世紀までの将棋の対局形態は、それ以降のものとは大きく異なる。

2)14世紀までの将棋は、多くが、家の中の者だけで行われた。また、

多くの対局は天皇あるいはお殿様のリクエストがあって行われている。

3)天皇あるいはお殿様は、対局をするのではなく、対局を見るだけである。

 

投稿15)の頃には、まだ、陰陽道のことは全く考えていませんでしたが、「遊戯だけの目的としてはなかなか説明がむずかしい」と自分でも書いていたようで、しかし、それ以上は考えが発展しなかったのでしょう。

 

現状ですが、個人的には、もうはっきりとしたひとつの回答が出たという感じでいます。つまり、中世のはじめ、この頃の将棋は、純粋な遊戯というのではなく、呪術だったという答えです。少なくとも、摩訶大将棋は呪術だったと思われます。

 

この答えは、今後いろいろな場で発表されて、叩かれなければなりません。それを経て、賛同を得るのか、不合理な点が見つかり引き下げるのかということになります。実験物理学のデータを追試するような感じと考えています。

 

将棋の歴史研究家の皆様、上に挙げた1)~3)の事実をどのように解釈されるのでしょうか。それぞれの方が、一家言お持ちだと思います。

 

この話題、少しの文章で説明することはできませんし、呪術という言葉もあいまいです。古代/中世の将棋と呪術、と言った場合の、呪術の意味する範囲ですが、あまり限定することも無理で、占いやおまじない、お祝いまでを含んだ広範囲な意味を想定しています。そういう内容の神事ととらえています。

 

上記の指摘1)で、対局形態が変わったのは、将棋が、純粋な遊戯になったからだろうと考えます。ただ、それまでの将棋が、遊戯ではなかった、というわけではありません。将棋が呪術であるためには、将棋が面白い遊戯でもあることが必要です。

 

この件、まだまだ長いです。なぜなら、同時に考えなければならないのが、遊戯とは何か、ということだからです。遊戯とは何か、次の投稿になりますが、そもそも、後世で遊戯と言われているものは、元は呪術であったり神事であったものが、非常に多いのです。このことを、全世界的なスケールで考える気にはなりませんが、独自の陰陽道を持つに至った平安、鎌倉の日本の中だけで考えると、はっきりとしています。

 
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2014年

8月

17日

105)摩訶大将棋と陰陽道:ゲーム学会の研究会にて発表

最近、ずっと投稿できていません。そのせいで、投稿したい話題がたくさん溜まっています。どの話題から投稿したらいいのかですが、ひとまず、今月の2日にゲーム学会の合同研究部会(大阪電気通信大学 駅前キャンパス 6階小ホール)で発表した件からいきます。摩訶大将棋の研究(第2報)というタイトルでの発表でした。本来は、研究会の前に投稿すべき話題なのですが。。。

 

摩訶大将棋と陰陽道の関連についての発表でしたが、陰陽道を取り上げるのは今回がはじめてとなります。どの程度の賛同、どの程度の反対があるのか想像つきませんでしたが、持ち時間は20分、会場には21人の方がおられ、発表のときと、その後の懇親会の席上でもいろいろ訊ねてみたところでは、まあ好意的な感じだったように思います。

 

4ページの予稿別刷を、次の展示会(たぶん、10月5日に奈良公園)のときにパンフレット代わりとして置きたいと思っています。本稿では、最後の結論部分、5節の全文のみを。 

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5.おわりに

 摩訶大将棋の中に十二支の駒が揃っているという前提で考えれば、象棊纂圖部類抄の序文とも合致して、摩訶大将棋は陰陽道起源であることが濃厚である。古代日本の将棋は、遊戯という枠組みの中だけで発展してきたわけではないという考えを、将棋の歴史を考察する際には、意識すべきであろう。

 また、15 マスの大将棋から19 マスの摩訶大将棋が作られたとする考え方は、より複雑なものへとゲームが発展していくという、自然な発展過程のように思えるかも知れないが、本稿で述べたとおり、その結論は逆である可能性の方が高い。どの観点から考えても、摩訶大将棋が大将棋よりも早くに成立していたことへと導かれるのである。

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投稿101~103に予稿の内容と同じものを書いていますが、まだ、投稿していない内容もあり、早々に投稿したいと思います。これまでの投稿では、摩訶大将棋の十二支の駒について、図を載せていませんでしたので、本稿に置きました(仲人の行は省略しました)。青いマスの駒が十二支の駒です。きれいに並んでいます。ただし、現状、「未」については不明ですが、盲熊に割り当てています。12個のうち11個が対応、これで十分とするか、あと1個が未対応なのでダメとするか、どちらでしょう。
摩訶大将棋に並ぶ十二支の駒
摩訶大将棋に並ぶ十二支の駒

 

初期配置の下から2、3、4段目にある駒では、反車(奔車)、飛龍、桂馬は二中歴にある古い駒、猛豹と酔象も、江談抄に出て来る古い駒ですので、残るは、羅刹、力士、狛犬、金剛、夜叉、麒麟、師子、鳳凰の8駒となります。実は、これらの駒も、どうも陰陽道に関連しているようで、この3段にある駒はほぼ全部の駒の起源がわかりました(と思っています)。この件、早々に書きます。

 

これまでは、麒麟と鳳凰は四神からと考えていましたので、なぜこの2つだけを選んだのかわからなかったのですが、四神からではありません。それと、力士と金剛を、漠然と金剛力士像からと考えてましたが、これもそうではありませんでした。

 

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2014年

7月

19日

104)アドバンスド摩訶大将棋(平成26年夏・秋の展示)

最近いくつか展示をしており、今後も展示はいろいろ続くのですが、学務と重なることが多く私自身がほとんど行けていません。とり急ぎ、今後の展示予定をお知らせいたします。

 

「日本の将棋と文化展」に出展

日時:平成26年7月6日(日)~8月9日(土)

場所:大阪商業大学アミューズメント産業研究所

 

グランフロント大阪 The Labにて展示

日時:平成26年7月19日(土)~未定

場所:グランフロント大阪・ナレッジキャピタル3階・The Lab

 

ピーコックストア奈良北生駒店にて展示

日時:平成26年9月23日?~9月末?

場所:ピーコックストア奈良北生駒店

 

奈良県大芸術祭に出展

日時:平成26年10月28日(火)~11月3日(月)

場所:旧世尊院客殿(奈良国立博物館前)

 

また、上記の「日本の将棋と文化展」では、今日と来週、注目の講演が行われます。次の2つの講演です。

 

7月19日(土)13:30~14:30

「コンピュータ将棋と人間の未来」 講師:古作登氏

 

7月26日(土)13:30~14:30

「日本の将棋はどこからきたのか?」 講師:清水康二氏 

 

どちらも是非行きたいのですが、オープンキャンパスが、7月20日(日)と7月27日(日)に行われるため、前日の準備でむずかしい状況で、どちらの講演も聞けない可能性大です。実は、オープンキャンパスでも、今年の4月から、アドバンスド摩訶大将棋をデモしていますが、なかなかの人気でした。引き続き、7月もデモ展示することになっています。

 

今から、グランフロント大阪に設営に行きます。設営が、もし、短時間で終われば、「日本の将棋と文化展」の講演に行きます。すぐ終わらなければ、そのまま、ゆっくりと、The Labの展示のところで、来られたどなたかと対局ができればと思っています。

 

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2014年

7月

17日

103)摩訶大将棋の酔象:王子と太子の違い

摩訶大将棋の酔象は王子になりますが、中将棋と大将棋の酔象は太子になります。この違いが何を意味しているのかという点、大型将棋の歴史にとっては重要なキーとなりそうです。この点、すでに投稿83)に書いたとおりで、時代によって使われていた言葉が違っていたということの反映と考えるのが妥当でしょう。

 

つまり、摩訶大将棋が成立した頃には、王子という言葉がよく使われており、大将棋や中将棋が成立したときには、太子という言葉がふつうに使われていたということです。議論に入る前に、投稿83)のデータ(軍記物語に使われている王子と太子の出現数)を、以下に示します。左端の数字は、王子の出現数÷太子の出現数(太子に対する王子の比率)です。

 

1.8 平家物語(成立時期 1240年以前):王子29、太子16

0.95 源平盛衰記(成立時期 1250年頃):王子82、太子86

0.55 太平記 (成立時期 1370年頃) :王子26、太子47

 

今回、別の歴史物語3編についても、大雑把に調べてみました。次のような結果です。

5.9  大鏡(850年~1025年までの史実)  :王子41、太子 7

0.56 吾妻鏡(1180年~1266年までの史実):王子24、太子43

0.0  増鏡(1183年~1333年までの史実) :王子 0、太子21

 

結果は、やはり同じで、時代が下るほど、王子は減り、太子が増えるという傾向です。同じ文献でも、データベースによって結果には多少の差がでるのですが、さほど大きくはありません。これは、ある文献では、王子と書いてあるところが、皇子という言葉で書いてあったりするからです。上記の結果は、国文学研究資料館のサイトの電子資料館のデータベースによります。

 

王子と太子のそれぞれの意味は、次のとおりです。

王子:天皇の子

太子:皇位を継承する王子

平安時代に、太子が少ない理由ですが、これは、皇位の継承が、必ずしも王子に限られていなかったということなのだと思います。摂関政治の時代で、継承者争いが激しかったということなのでしょう。事実、10世紀から13世紀は、直系だけでなく、兄弟、叔父、甥といった傍系での継承がかなり行われていますから、太子という言葉は大きな意味を持たなかったのでしょうか。

 

ともあれ、その時代でよく使われていた言葉が、駒の名前にも反映されている、つまり、摩訶大将棋が大将棋よりも早い時代にできた可能性が高いということでいいように思っています。これは、王子と太子という言葉に限らず、投稿83)にも書きましたが、金翅、香象といった言葉に対しても当てはまっており、このことが、摩訶大将棋と大大将棋の成立順にきちんと反映されています(大大将棋が後で成立)。

 

ところで、投稿101)にてコメントいただいてますように(以下、多少の意訳ですが)、王子と太子という言葉が両方使われている以上、駒に王子が使われていることで、成立時期が早いとはなりません、という意見が出されています。この意見についてですが、結論を100%の正確さで決める場合は、そのとおりだと思います。しかし、今決めようとしているのは、摩訶大将棋と大将棋、どちらが先にできた可能性が高いか、という問題です。駒の名前は、当時の社会で使われていた言葉と連動しているわけですから、物語中の言葉と駒の名前は、同様の出現確率となるでしょう。つまり、酔象の成りを王子として作った将棋の方が古い、という<可能性>、それを指摘できるわけです。

 

酔象の成りを太子にした理由、王子にした理由は、いろいろな推測が、当然できるわけですが、何らかの根拠が伴ったものは、現状、ひとつも出されていません。一方で、文献に基づいた場合では、AかBか、どちらの可能性が高いかという問いに対しては、<現状のこのデータから判断すれば>、Aの可能性が高い、そういう言い方で結論づけることができると思っています。

 

さて、酔象が成って王子ができた場合、王子は玉将相当なので、その王子も取らないといけないというルールですが、実は、このルール、象棊纂圖部類抄のどこにも書いてありません。中将棋の酔象・太子ルールは、対局そのものが伝承されていますから、問題ありませんが、摩訶大将棋にも、同様の酔象・王子ルールがあったのかどうか、この点は不明と言わざるを得ないでしょう。ただ、中央にある5駒としての存在感と特殊性から、王子が玉将相当というのは納得できるルールです。奔王・狛犬・師子・玉将と並ぶ酔象ですので、成りの王子が普通の王子では、バランスが取れません。

 

仮に、摩訶大将棋から、大将棋、中将棋へと大型将棋が展開していったと考えた場合、中将棋の酔象・太子ルールは、摩訶大将棋ルールを引き継いだということで、あまり違和感はないでしょう。一方、酔象・太子ルールが、中将棋ではじめて作られたとした場合、その勝敗を決める過激さ、太子を討たねば終わらないというルールには疑問が残ります。平安時代や鎌倉時代に、このような発想があり得たのでしょうか。いずれにせよ、中将棋の成立は時代がかなり下ってからと考えるのが、いろいろな点からも不自然がありません(この件、後日に投稿します)。以前の投稿で少し書きましたが、師子の居喰いルールは、中将棋での発案であって、摩訶大将棋にはなかっただろういう考えをまだずっと持っています。

 

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2014年

7月

14日

102)摩訶大将棋と陰陽道(速報)

象棊纂圖部類抄の冒頭にある序文は、次のように始まります。

 

夫象戯者周武之所造也

上観其象於天文移以日月星辰之度

下象其形於地理列以金銀鉄石之名

 

それ象戯は周武の造る所なり

上は其の象を天文に観て、移すに日月星辰の度を以ってす

下は其の形を地理に象って(かたどって)、列するに金銀鉄石の名を以ってす

 

上記の訳の三行目は、金将、銀将、銅将、鉄将・・と、大型将棋そのままの形容ですので問題はありません。しかし、二行目の文章は、私には最近までよくわからないままでした。ただ格調高く形容したのだろう、調子いい文章を作っただけと考えていました。将棋には天文に関連する駒や日月星辰がないと思っていたからです。この点が、実は完全に間違いでした。

 

この文章の意味するところですが、そもそも将棋は陰陽道そのものだったのですよ、と言っている箇所なのかも知れません。だからこそ、冒頭に来たわけで、最重要の文言でもあります。しかし、著者は、この点について具体的には書かず、次へと進んでいます。全文に関して、後日にきちんと投稿しますが、かなり意訳するならば、将棋は合戦シミュレーションでもあります、遊戯でもあります、この大切な将棋の一切を私が(著者が)書き残しておかねば、というストーリーです。これは、将棋の発展してきた筋道でもあるのでしょう。象棊纂圖部類抄に関する限り、将棋は昔からあったボードゲームです、というような書き方ではありません。

 

さて、では将棋の何が日月星辰なのか、ということについてが本稿です。最近、陰陽道のことをいろいろと文献で調べ始めて感じるのですが、日月星辰という四文字熟語自体が、すでに陰陽道の持つ雰囲気を表わしているような感じがします。本稿、結論のみを書きます。十二支が日月星辰に相当するものと考えています。

 

陰陽道では(こういう言い方が正確かどうかは、まだ私にはわかりませんが)、天球を12分割して、各領域に名前をつけているのですが、その名前が十二支にあたります。なぜ12分割かと言うと、木星がほぼ12年でもとの位置にもどってくるからです(木星の公転周期=ほぼ12年)。今どの位置に木星がいるのかを(正確に言えば、木星と対応づけされている架空の星:太歳)、十二支を使って表現することができるのです。

 

ですので、十二支の名前、つまり動物は、天球の住所のようなものです。「日月星辰の度を以ってす」で、度は位置ということでしょう。角度の度と言っていいのかも知れません。ひとつの名前で、天球のだいたい30度の領域と考えればいいでしょうか。投稿101)で書きましたとおり、摩訶大将棋に並ぶ十二支は、順に次のとおりと考えられます。

 

老鼠・猛牛・盲虎・猫叉・臥龍・蟠蛇・驢馬・盲熊・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪

 

「卯」は、東南アジアの十二支にあるように、猫になっています。「未」に相当するものを、本稿では、盲熊に割り当てていますが、この点のみ、まだ不明です。十二支のうち、十一が揃っていますので、この線でまず問題なかろうと考えています。上観其象於天文移以日月星辰之度、下象其形於地理列以金銀鉄石之名の文章の意味するところは、摩訶大将棋の駒を並べて、身近に見てもらえれば、本当によくわかります。最下段に地上のものがずらりと並び、その上に、まさに日月星辰がちりばめられています。おそらく、それぞれの駒には、陰と陽が割り当てられていますし、さらには十干があるのか十二月将がいるのか、ここに五行説も入ってくるのでしょうが、これらは、また後日の投稿となります。

 

最後に、なぜ、十二支にはない熊の駒なのか、について、思ったところを少しだけ書いておきたいと思います。この件、どうでもいい話で、ただの感想です。問題の「未」の位置ですが、ここは、西洋の星座では、しし座にあたる位置です。ほぼ同じ赤経(もちろん赤緯は違いますが)に、北斗七星(おおぐま座)があります。陰陽道では、北斗七星は、式盤の中央にあって、ひときわ重要だと思われます(未確認)。「未」の位置は、未を持ってこずに、おおぐま座の方を持ってきたのではないかとふと考えましたが、果たして、古代の日本に、おおぐま座という認識があったのかどうか。

 

なお、古代の中国では、北斗七星の星座は、熊ではなく、「車」と見られていたようです。摩訶大将棋の中に、もし、北斗七星に相当するものが入っているのだとすれば、それは、飛車、反車、香車・・という車の駒なのかも知れませんが、この件、まだまだ道は遠いでしょう。駒の強さで北斗七星を選ぶということもできます。

 

摩訶大将棋の十二支の件、だいたい以上のような感じです。単に、「子」は老鼠で、「丑」は猛牛で、という名前合わせではないことをわかっていただければと思います。摩訶大将棋にある動物の駒で、これら十二支以外の駒を見れば、これが、象と豹、つまり、酔象と猛豹です。このきれいな一致のせいで、私は、大江匡房の文言を重要視しています。酔象と猛豹は、摩訶大将棋ができる前に、大江匡房の時代に、すでに存在した駒だったのでしょう。

 

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2014年

7月

10日

101)摩訶大将棋は大将棋よりも古い:大型将棋の成立順

摩訶大将棋を復刻する上で、大型将棋の成立順は非常に重要です。古いか新しいかという問題ではなく、成立の順序がルールを決める際の手がかりになるため、はっきりさせておく必要があります。これまでの投稿でも、いくつかの観点から議論を重ねてきました。まだいくつか不明な点、残っているのですが、現況をひとまず、本投稿にてまとめておきたいと思います。

 

本稿の結論、摩訶大将棋の成立は、大将棋の成立よりも早かった、ということです。この結論は、通説とは違うわけですが、以下に列挙する理由から、納得していただける方も多いのでは、と思っています。不足の点は、コメント欄にて、または、新たな投稿にて補足しますので、いろいろなご指摘いただけると有難いです。なお、ここで問題にしている大将棋は、象棊纂圖部類抄の大将棋です(二中歴のものではありません)。

 

1)摩訶大将棋の酔象の成りが王子である点(投稿83に詳細)

王子は太子よりも古い時代の言葉です。大将棋の酔象の成りは太子ですので、摩訶大将棋の方が古い時代にできたことになります。

 

2)摩訶大将棋には大将棋のすべての駒が含まれている(投稿79に詳細)

仮に、大将棋から摩訶大将棋ができたとしましょう。将棋を発展させようとするときに、元になる将棋の駒のすべてをそのまま残すかどうか(気にいらない駒もあるでしょう)、そして、弱い駒を追加するかどうか(たとえば、土将のような駒)、という2点が気になります。摩訶大将棋の駒を間引いて、大将棋ができたと考えると、これらの問題がなくなります。

 

3)摩訶大将棋には十二支のすべてが含まれている(本稿が初出)

この項、後日、別投稿しますが、将棋が陰陽道であったことの名残りでしょうか。十二支は、以下の駒と考えています。

老鼠・猛牛・盲虎・猫叉・臥龍・蟠蛇・驢馬・盲熊・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪

「未」のみ不明なのですが、ここに盲熊を入れました(調査中です)。「卯」は東南アジア由来ですが、猫で問題なし、「戌」も狼で問題なしと考えています。

 

さて、大将棋には、このうち、猛牛・盲虎・猫叉・悪狼・嗔猪の5駒があります。大将棋から摩訶大将棋ができたとする場合、その後、7駒を追加して十二支を完成させたことになります。将棋が陰陽道起源であるとした場合、先に十二支があった方が自然でしょう。ここでも、やはり、摩訶大将棋の駒を間引いて大将棋ができたという結論になります。

 

4)象棋百番奇巧図式序にある大江匡房の言葉

大江匡房が取り除いたという酔象と猛豹なのですが、酔象は玉将の上に、猛豹は金将の上にあったということです。酔象の方は問題ありませんが、猛豹が金将の上にある将棋は摩訶大将棋だけで、大将棋も中将棋もそうではありません。大江匡房の時代の言であり、金将の上の猛豹という形が古式だろうと考えられます。摩訶大将棋はより古い将棋なのではないでしょうか。

 

5)奔王の動き(投稿73に詳細)

奔駒の考え方は摩訶大将棋が起源です。奔王=奔玉だとすれば、摩訶大将棋以前には、奔王の駒は存在していません。奔王を使う大将棋は、奔駒ルールを編み出した摩訶大将棋の後ではないでしょうか。

 

6)師子と狛犬

鎌倉時代(もっと古いかも知れませんが、まだきちんと調べていません)、師子と狛犬はいつもペアで登場します。つまり、師子と狛犬の両方が並ぶ摩訶大将棋が本来の形であり、師子だけを含む大将棋の不自然さがずっと気になっていました。この点から考えるに、大将棋は、摩訶大将棋から狛犬が間引かれてできたのではないでしょうか。盤を小さくしたことと連動して、3目踊りを全部なくしたのではと考えています。

 

ひとまず、6つ並べてみました。15マスの大将棋から19マスの摩訶大将棋が作られたとする考え方は、直観的には自然な発展なわけですが、いろいろ考えてみますと、その結論は全くの逆になります。どの観点で考えても、摩訶大将棋が古いということになるのです。皆様、議論お願いいたします。大将棋の方がやはり古いでしょう、という考え方が、上記6点以外の観点でありますでしょうか。または、上記6点に考え方の不備ありますでしょうか。こういう話は、学会でもなかなかできません。

 

実のところ、大将棋と摩訶大将棋の成立順は、ルール策定にはほとんど影響しません。ルール伝承が確かである中将棋の方との成立順が問題なのですが、大将棋の方が新しいと確認されれば、中将棋も、摩訶大将棋より新しいことが自明となります。

 

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2014年

7月

08日

100)八道行成(再考):酔象と猛豹

クリエイターEXPO東京の中で、摩訶大将棋のふとしたやり取りがありました。それを言われた方は、何を意図することもなくだったのでしょうが、後で思い返してみるにつけ、私には、八道行成の大きなヒントに思えて仕方ありません。本稿、この件について書きます。ただし、根拠はなく単なる感想です。

 

八道行成は、将棋の駒を使うには違いないのですが、いわゆる将棋という遊びではなかったかも知れません。この筋書を、クリエイターEXPOの最中、ずっと考えていました。八道行成には、酔象がいただろうか、猛豹もいたのだろうかということについてです。

 

この件、ともあれ、週末に試さなければです。今思っているゲームシナリオで、これで八道行成が果たしてゲームとして成立するのかどうかということです。

 

こちらには、8枚の歩兵の列と、その後ろに、香車、桂馬、銀将、玉将、金将の列が並んでいます。向こう側(敵陣)の端、中央には、酔象と猛豹の2枚が並びます。この2枚をとれば勝ちとなります。1枚を仕留めれば勝ちというのが十六むさしですが、古文書に記載されているとおり、八道行成を十六むさしとよく似た形のものとして想定してみました。八道行成は、酔象と猛豹という恐ろしい2枚を仕留めるゲームではないかという案です。

 

敵陣(端から2列目を想定)に行けば、歩、香、桂、銀は金になります。後ろに行けない酔象と、横に行けない猛豹を、後ろにも横にも行ける金で追い詰めるゲームというわけです。はじめから金で追ってもいいわけですが、八道行成の「行成」というネーミングも取り入れないといけません。

 

ところで、ここからが本論となります。興福寺の駒(1058年と1098年)は、本当に小将棋の駒だったのでしょうか、という点です。仮に八道行成のルールが不明だったとしても、八道行成が将棋の駒を使うものだったとして、しかし、いわゆる将棋ではなく、十六むさしと類似のボードゲームだったとしたら、どうなのでしょう。

 

玉将の上に酔象がいる小将棋が、すでに平安時代にあったのだということが、なかなか考えづらいのです。それならば、むしろ、投稿95)のように、敵の玉を酔象と考えるか、または、本稿のように八道行成のようなボードゲームを想定するかということになっている次第です。

 

ひとまずは、1058年の習書木簡にもどらないといけません。はじめて酔象の字が発見さられたのが、この習書木簡です。ここに、猛豹という文字は出てこないのかどうか、これは確認してみる価値がありそうです。吉備真備説を追っている手前、大江匡房の言葉も重要視しています。そこでは、酔象と猛豹がペアで現れます。このペアの2駒を、ただ将棋の中の2駒とみるのではなく、もっと特別な2駒として、たとえば、上記したような八道行成のゲームの中の酔象と猛豹のような存在としてとらえています。

 

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2014年

6月

30日

99)アドバンスド摩訶大将棋の展示(お知らせ)

最近、アドバンスド摩訶大将棋の展示が多くなりました。以前の投稿で(コメントの方でだったかも知れません)、少しお伝えしたように思いますが、6月は、グランフロント大阪のナレッジキャピタルと奈良のスーパーマーケットで展示をし、ちょうど今日、両方の展示期間が終わりました。あまり行けませんでしたので、棋譜の再生だけの展示で、タッチ機能は切っていました。

 

今週、クリエイターEXPO東京2014で出展します。アドバンスド摩訶大将棋のデモ展示です。床大画面アミューズメントとの2テーマでの出展ですので、時間を分けての展示となるかも知れませんが(ブースの間口:150cmです)、言っていただけましたら、すぐ摩訶大将棋の方にします。会場がどの程度の人出となるのか想像つきませんが、少ない場合、1時間程度でしたら、アドバンスド摩訶大将棋での対局をしていただいても大丈夫です。

 

クリエイターEXPO東京2014

会期:平成26年7月2日(水)~7月4日(金) 10:00~18:00

会場:東京ビッグサイト 西展示棟

 

今回、関東では初めてのアドバンスド摩訶大将棋のデモとなります。是非ご意見いただければと思っています。今回、ブースの担当は、私ひとりだけです。3日間とも会場にいます。他ブース見学のため、ブースを離れている時間があるかも知れませんが、1時間ほどで必ずもどります。

 

よろしくお願いいたします。

 

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2014年

6月

17日

98)吉備大臣入唐絵巻:吉備真備説を追う

解明:将棋伝来の『謎』を読んでから、サロンという言葉があることを知りましたが、本稿のタイトル、吉備大臣入唐絵巻は、後白河法皇のサロンで作られたそうです。この絵巻は、大江匡房が、祖父の橘孝親から伝え聞いた話がもとになっているとのことです。

 

ここしばらくの間、吉備真備説を追っているわけですが、追うほどに、私の中ではどんどんと、たぶん将棋の伝来はここなのだろうという感が強くなる一方です。さて、大江匡房という人物ですが、将棋に関連して現れるのは、江戸時代の本朝俗諺志と象棋百番奇巧図式の2つの文献の中だけです。どちらも、国立公文書館にあります。内容については、以下のサイトを参照して下さい。

 

本朝俗諺志:http://www.bunzo.jp/archives/entry/001688.html

象棋百番奇巧図式:たとえば、以下のpdfで、猛豹を検索して下さい。

http://homepage3.nifty.com/appleorange/kouda-rohan/shogi-zatsuwa.pdf

 

どちらの文献でも、吉備真備に関しての記述があった後で、大江匡房の記述があるのですが、全く独立した文脈で書かれており、また、2人は別の時代ということもあって、吉備真備と大江匡房の関係性は特にないものだと思っていました。しかし、本稿の冒頭で書いたとおり、実はそうではありません。

 

吉備真備のついていろいろと語り継がれていたことを直接聞いていたのが、大江匡房、本人だったわけです。もちろん、ここに、将棋伝来の伝え話もあったのだろうと推測されます。ただし、吉備大臣入唐絵巻には、将棋の話は出てきません。これまでに、まだ誰からも、将棋についての記述が引用されていないことを考えれば、他の関連書物の、「吉備大臣物語」、「江談抄」(大江匡房の談話が集められている)等にも、おそらく重要な情報は書かれていないのだろうと思いますが、和名類聚抄の八道行成のようなことがないとも限りません。特に、江談抄は、一度、目を通しておかねばと思っています。この件、また後日に投稿します。

 

ともあれ、吉備真備説は、江戸時代の書物、本朝俗諺志にこんなうわさ話が載っていて、・・・・というだけでは、もはやなく、平安時代の最高傑作、吉備大臣入唐絵巻まで含みいれて考えるべき事柄ということになりそうです。荒唐無稽な話しとしてすぐ却下されるべきものでもないでしょう。橘孝親の先祖を遡ると、吉備真備の後見人だった橘諸兄にいきつきます。橘家代々の伝承として、吉備真備のことが大江匡房まで伝わったということなのでしょう。

 

江談抄には、吉備真備が陰陽道の始祖だったと書かれているそうです(この点は未確認)。吉備真備が将棋を陰陽道のツールとして使ったという考え方も、あまり不自然でないかも知れません。陰陽道と将棋の連携は、どうも摩訶大将棋の頃まで残っていた可能性もあります。

 

摩訶大将棋の左右非対称な並び、古猿、臥龍、蟠蛇、淮鶏の4駒は物語由来なのだろうかとずっと考えていたのですが、これは、そう見るのではなく、陰陽道の十二支が由来という可能性大です。この件長くなります。また別稿とします。

 

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2014年

6月

11日

97)Reproduction of Maka Dai Shogi(投稿中)

今年秋に幕張メッセで開催の国際会議、IEEE GCCE2014に、摩訶大将棋が投稿されました。私も第3オーサーで共著者となっています。摩訶大将棋では初めての国際会議エントリーとなりました。

 

論文タイトルは、Reproduction of Maka Dai Shogiです。採択されるかどうか、よくわかりません。Consumer Electronicsの会議ですので、摩訶大将棋の復刻ですと、多少、話題から外れるところがあります。採択率は50%ぐらいです。

 

発表にはElectronicsとの関連で、コンピュータ摩訶大将棋のことが少し書かれています。ただ、このことはそれほど重要ではなく、最大の結論は、摩訶大将棋は非常に面白い将棋である、ということです。摩訶大将棋は大型将棋として作られただけ、おそらく指されたことはなかっただろう、これがこれまでの一般的な考え方だったと思いますが、事実はどうもそうではなさそうです。

 

今回、摩訶大将棋に関する英語の文献をかなり調べましたが、無茶苦茶な内容が多かったです。Webの英語版サイトや摩訶大将棋の英文マニュアルもゆっくり作っていかないといけません。チェスをしている人が、ジャイアント・チェスとしての興味を持ってくれることを期待しています。クイーンはチェスで一番強い駒ですが、摩訶大将棋だと、法性、教王、鉤行、摩かつ、師子、狛犬の次あたりの強さの駒になります、という一文もエントリーした予稿には入っています。

 

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2014年

6月

07日

96)長安の都はシャンチーの盤:将棋と陰陽道

ご存知の方もおられると思いますが、長安の都はシャンチーの盤です。たとえば、Wikipediaの図を見て下さい。Webには他にもいろいろ出ています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%89

 

南北にきちんと並んだ碁盤状の道がついています。このことは、平城京と平安京がこれに倣ったのですよと、中学か高校のとき教えてもらったような記憶もあり、たぶん有名だと思います。しかし、長安の道の区切りが、シャンチーのマスにそっくりだということは、私は最近まで知りませんでした。びっくりしました。

 

横に(東西に)全部で8マス並んでいます。北側の中央にお城がありますが、この部分は、縦横2マス(計4マス)と見ます。このお城の部分が、シャンチーの盤の九宮に相当しています。

 

果たして長安の都作りが先なのか、シャンチーの盤が先なのか、どちらにせよ、7世紀から9世紀に唐があったわけで、その後は長安のような都(シャンチーの盤を表現している都)は作られていませんので、遅くとも9世紀には、シャンチーが成立していたと考えていいでしょう(シャンチーの歴史の件、たぶん、このような観点でも議論されているはずでしょうが、Webではすぐ見つけられませんでした。正しいかどうかは、私の中ではまだ不明です。本稿では、このまま、議論を先に進めます。)

 

ところで、本稿、チャトランガからどのように派生してシャンチーに至ったかは重要でありません。本稿の論点は、シャンチーの成立の時期だけです。中国から日本への文化流入が非常に活発だったことを考えれば、日本にまだ将棋がなく、中国にシャンチーがあったなら、それは当然、渡来して、そして日本にも根付いていたに違いありません。しかし、そうはならなかった。つまり、シャンチーが成立したとき、すでに日本には将棋があったのです。シャンチーは何度も渡来してきたはずですが、将棋があったために広まらなかったのでしょう。

 

シャンチーの最も遅い成立時期が9世紀ですから、将棋の定着期間を、ある程度の期間だけ見積もるなら、将棋の成立は大雑把に8世紀でしょうか。吉備真備の持ち帰った将棋の時期とかぶるのです。つまり、吉備真備説は、それほどに荒唐無稽な説ではないかも知れません。だとすれば、江戸時代まで残ったうわさ話の、大江匡房の方も侮るべからずでしょう。

 

将棋が成立してからも、シャンチーは何度も渡来してきました。将棋がシャンチーに替わることはありませんでしたが、それでも、将棋の中身は少しずつ変化していったものと思われます。この件、また、近いうちに投稿します。

 

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2014年

6月

05日

95)駒は五角形でなければならない(補足)

前稿94)のコメントへの返信を書いていましたら、長くなりましたので、ここに補足として投稿いたします。

 

まず、11世紀の状況ですが、駒の五角形はルールの一部のようになっていて、もはや呪術の枠をはみ出ていたものと思われます。駒は五角形、それが常識として定着していたと考えたいところです。

 

陰陽道の5が、どれほどのものか、今の私にはまだ判断できず何とも言えないのですが、駒の形に5が反映されているという点、もし非常に重大だとすれば、伝来を解明する際の大きなヒントになるだろうと思います。これまで、駒の形については、敵味方の区別といった機能面の方にとらわれすぎていたかも知れません。将棋は早くに伝来していたが、すぐには広まらなかった、この理由づけを、駒の形と陰陽道との関連で考えてみたというわけです。

 

なぜ5角形かという問いよりも、長方形や台形の駒が全然見つからないのはなぜか、という問いの方が考えやすいでしょうか。最終的には、この両方の問いに答えることができないといけません。現に、チェスの駒のデザインは、地域により時代により、いろいろと多種類あるからです。チェスと同じような状況で広まっていったのだとすれば(つまり、人々の交流により広まっていった)、将棋の駒の形もいろいろとあったでしょう。この点を考えれば、駒の形は、単に形だけの問題でなく、誰が作ったかとか、伝来の様相とかと密接に関わっていそうです。

 

原初の将棋を作った人物(ルールは、すでにあったものを使ったと思います)、それと、駒の形を決めた人物はたぶん同じだったように想像します。それは、吉備真備その人だったかも知れませんし、吉備真備と親しくしていた人だったかも知れません(たとえば、阿倍仲麻呂)。ですが、伝来に関わったのは、吉備真備ということなのでしょう(阿倍仲麻呂は帰って来れませんでしたから)。

 

前稿94)のコメントにてご指摘ありました大江匡房の件ですが、投稿92)以降は、本朝俗諺志にある関連記述のところをほぼすべて是としてストーリを作っています(是々非々ではなくて)。全部をまだ書いていませんので、前後してしまいますが、象棋百番奇巧図式の序にあるとおり、大江匡房が酔象と猛豹を取り除いたということでストーリーを考えています。

 

この場合、717年に出会ったマックルックとは、形も駒の種類も動きも多少異なる将棋になるわけですが、これを、はじめに将棋として作った人物が全部したのか、時代とともにできあがったのか、その判断は現状ではつきません。ただ、10世紀後半の将棋に酔象と猛豹があったということを、まず信じてみたいと思います。象と豹、神仙思想、陰陽道そのものではないですか。

 

後日の投稿で書きますが、当初は、玉将の上に酔象という配置ではなく、相手の玉将の代わりに酔象という配置を想定しています。この件、投稿70)でよく似たことを書いています。今回の場合、

 

敵 陣は、香桂銀豹酔銀桂香

こちらは、香桂銀玉金銀桂香

 

という想定ですが、まあこのあたりにきますと、空想になりますが。出土駒を待つのみです。

 

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2014年

6月

05日

94)駒は五角形でなければならない:台形の駒がない理由

投稿92)~93)のシナリオは、まだいくつかの展開が可能です。本稿では、将棋の駒が五角形であることを取り上げます。駒が五角形の理由として、まず挙げられるのは、敵味方の区別のためにというものですが、実は、これは全く理由にはなりません。なぜなら、別の形もあり得るからです。たとえば、台形の駒です。しかも、四角形である台形の方が作りやすい。ですが、駒は五角形なのです。

 

この理由は、吉備真備が将棋を持ち帰ったのに、正倉院の文書には記載されていなかった理由と重なります(もしかして、将棋ではない別の名前で書かれているのかも知れません。確認してみます)。または、駒と盤は持ち帰らなかったかも知れませんが、とにかく、少なくともルールは持ち帰ったでしょう。ここで、ルールと書きましたが、必ずしも、遊戯のルールというだけではなく、部分的には、陰陽道とか占いとかの要素もあったものと思われます。つまり、将棋は中国の道教と関わっていた可能性が高いでしょう。だから、吉備真備は、遣唐使として、それを公にはできなかった(公にさせてもらえなかったという可能性もあります)。この件、道教の周辺を少し勉強してから後日また投稿します。

 

吉備真備が長安にいた頃、唐は最盛期、玄宗が皇帝だったときです。玄宗は道教にかなり熱心でした。吉備真備も陰陽道の書物を多数持ち帰っています。さて、神仙思想や陰陽道における「五」がいかに大切なのか、私にはわかりませんが、木火土金水の五つは重要だったはずです。駒の形としての五角形へのこだわりは、現代人の想像にかかりようがないほど大きな要求だったかも知れません。

 

将棋は持ち帰ったけれども、公にならなかった。この理由を、正確にどう表現すればいいのかまだよくわかりませんが、陰陽道との関わりという点に求めたいと思います。吉備真備は、まさに陰陽道の使い手だったわけで、持ち帰った将棋は秘術ということにもなります。

 

以上のシナリオを採用した場合、8世紀に始まった将棋は、しばらくの間、13世紀くらいまでは、天皇とその周辺のみで使われていて、市井の人々とは無縁だったでしょう。将棋が早い時期に町に広まっていたとすれば、五角形でない駒が(たとえば、もっと簡単に作ることのできる台形の駒が)、出土してもいいからです。また、このことは、将棋の伝来経路が、貿易の商人のような通常の人的な交流によるものではなく、遣唐使に限られることを意味しています。このように、五角形の駒をもつ将棋の伝来は、特殊なケースであり、他のチェス類の伝来や、宝石や布の伝来と同じように考えてはいけないということになるでしょう。

 

古代カンボジア、遣唐使、長安での出会い、717年、吉備真備、陰陽道、五角形とつなげてみましたが、どこかに破綻ありましたでしょうか。このシナリオには、まだ続きがあります。なぜシャンチーができたのか、少しわかりました。できた時期もだいたいわかりました。この件、近日中に投稿します。

 

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2014年

6月

04日

93)八道行成=マックルックの可能性:和名類聚抄

*(平成27年11月27日追記: 本稿の内容には間違いが多く含まれています。個々の訂正はしませんが、とりあえず、摩訶大将棋のブログ_03の投稿181)を参照下さい。)


前稿92)からの続きです。それでは、吉備真備による将棋伝来説を展開していきます。この場合、伝来の将棋は、原初のマックルック型であり(今のマックルックとほぼ同じかも知れませんが)、シャンチーではないという結論になります(シャンチーは8世紀にはまだ完成していないはずです)。

 

将棋が10世紀の日本にはまだ伝来していなかったという説で、一番よく引き合いに出されるのが、当時の辞書とも言うべき、和名類聚抄(938年に成立)です。和名類聚抄の語句リストには、囲碁はあるのに、将棋がでて来ない、だから、まだ伝来していないのだろうというわけです。たとえば、早稲田大学図書館のデジタルデータでは(巻第四・術芸部第九)、・・囲碁、弾碁、摴蒱、八道行成、双六・・・の順で並んでおり、確かに、将棋に類似する単語は現れていません。しかし、「八道行成」、この単語は原初マックルックの可能性があります。この件、いろいろありますので、また後日投稿しますが、八道行成がどんな遊戯なのかは不明なようです(十六むさしに相当するという記述が後世にはありますが、単に類推です)。ひとまず、ここでは、八道行成を表意文字的に解釈するなら、まさに、マックルック(8つのマス:敵陣まで進んで成る)ですね、と書くだけに留めたいと思います。中国の文献を見ると、たぶん、牽道八道行城が、八道行成に相当しそうですが、もう少し、調べないといけません。

 
ここまでを前提としますと、10世紀には、もう将棋は、日本にあったわけです。駒のことや、なぜ情報が少ないか、それはともかくとして、まず伝来の件のみ書き進めます。誰が持ってきたか。それは遣唐使だろうという思い込みが私には強くあります。物であれば、貿易をしている商人が運んでくることもできますが、将棋は物であると同時に、その面白さ(実際に対局した経験)がいっしょでないと伝わらないでしょう。ルールを知っているというだけでは、伝来は無理です。このことは、摩訶大将棋の展示会をしているとよく実感できることでもあります。将棋を伝える第一候補は、中国に長く住んでいた人物に違いありません。
 
遣唐使のうち、なぜ吉備真備なのか。ひとつの理由は、そういううわさが脈々と後世まで残っていたからですが、もし伝来した将棋がマックルックだと限定すれば、このうわさに少し信憑性を持たせることができます。
 
まず、古代カンボジア(初期のクメール王朝)から、唐への朝貢がいつだったかを調べてみました。インドは2世紀から朝貢がありますが、カンボジアの朝貢は、7世紀以降となります。その朝貢は813年が最後です。この当時、中国でも、まだ将棋はそれほどに遊ばれていなかったでしょう(出土駒がないことからもわかります)。ところで、カンボジアからの朝貢と、日本からの遣唐使が同じ年になるのが、1度だけあって、それが717年の遣唐使でした。この年が吉備真備(遣唐使1回目)だったというわけです。
 
マックルックは中国にはありません(広まったこともなかったでしょう)。しかし、カンボジアにはマックルックがありました。吉備真備は、カンボジアからの朝貢の使いに会っていたのかどうか。会って、原初のマックルックを対局したのかどうか。ドラマチックな展開をよしとしました。吉備真備と将棋伝来のうわさ、和名類聚抄に残る八道行成の言葉、717年の一致。本稿、この3点です。
 
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2014年

6月

02日

92)タイの将棋が話題になることについて:将棋伝来の件

前稿91)の続きで、将棋伝来の仮説についてのあれこれです。

 

将棋の伝来を議論するとき、マックルックはよく話題になります。ところで、マックルックが、タイの将棋という呼び方になるのはなぜなのでしょう。この点よくわかりません。伝来のことを考えているのだから、時代は10世紀前後、この頃の東南アジアは、今のタイの地域ではなく、カンボジアの地域が栄えていたわけで、そこにクメール王朝があって、アンコール遺跡があったわけです。とすれば、タイの将棋というよりも、カンボジアの将棋、またはクメール王朝の将棋という呼び方の方が合っています。現在のタイ、カンボジア、マレーシアの将棋はかなり似ているわけですが、これは、この3地域が往時のクメール王朝の一部だったためで、当然の結果とも言えます。マックルックの原型は、クメール王朝にあった可能性が高いのではないでしょうか。

 

アンコールワットの壁画には、チェスを思わせるレリーフがいくつもありますが、Webを探す限りでは、最大で7つの駒が並んでいます。横向きなので、何とも言えませんが、もし8マスなら8個並べたのも残っていてもいいのにとは思います。ともあれ、このように、古代カンボジア、クメール王朝には、チェスかチャトランガのようなものは存在していました。

 

本稿では、原初のマックルックが日本に伝来した可能性について考えてみます。想像の話しもいろいろできるわけですが、史実や古文書の記述と少しは関連していないと、議論になりませんし、説としての面白さもなくなります。ここは、解明:将棋伝来の『謎』の156ページでも取り上げられている、本朝俗諺志をスタートにします。松岡先生言うところの、火のないところに煙は立たない的な考え方は十分納得できます。説を立てる上で、面白いアプローチだと思いました。

 

吉備真備が囲碁(遣唐使1回目)と将棋(遣唐使2回目)を伝えたという説は、囲碁の方がそうではないということで、この説に信頼性なしと決めつけてしまうのが通説ですが、そう決めてしまうこともないだろうということを気づかされました。囲碁は隋書倭国伝にも出てきますので、すでに伝来していたことは確かですが、しかし、吉備真備は囲碁のことをきっといろいろ伝えた、これも事実なのでしょう。そして、将棋の方も、ある程度の真実を含んでいるかも知れないという視点で考えてみます。

 

もし吉備真備が将棋を伝えたとすれば、遣唐使1回目の方です。この後まだ長くなりそうですので、明日以降に書きます。

 

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2014年

5月

29日

91)解明:将棋伝来の『謎』

前の投稿90)にてコメントいただきました、1015年の件ですが、解明:将棋伝来の『謎』、今日早速買ってきてひととおり読み終えました。短く書きますと、1015年と確定できるわけではないですし、日本で将棋が創作されたと結論できるわけでもありませんでした。この件、後日、詳しく投稿したいと思います。

 

とは言うものの、この本は、おすすめです。文献をきちんと挙げていただいているのも有難いです。文献の解釈は人によりいろいろあるかと思いますが。

 

後一条天皇をキーポイントにされているのは、納得ができ面白かったですが、1015年の状況証拠というほどの説得力は感じませんでした。将棋伝承1000年と主張するとした場合(つまり、1015年が将棋の始まり)、北宋からクジャクといっしょに将棋も届いたのが1015年だと思いますよ、というのと結局のところあまり変わりません(証拠のなさにおいては)。ただ、著者は日本で将棋が創作されたという説ですので、クジャクの話しはなかったかもです(読み飛ばしていたらすいません)。

 

このまま全部書いていきたいほど、いろいろとあります。著者の結論には賛成できませんが、推理の過程の一部に、非常に正しい、そのとおり、と思うところもあって、だから、いろいろと自分の考えを再確認できることになりました。ですので、やはり、この本はいい本です。この本をテーマに、1日中、パネルディスカッションできるかも知れません。

 

最後の方、195ページに7つの結論(推論の行きついた先)が並べてあります。その中の1番目、以前、私が感じていたこと、将棋は物としてではなく、物語として伝わってきた(2012年9月19日の投稿:宝応象戯の伝来仮説と習書木簡の酔象)というのと、いっしょの想いだと感じました。宝応象戯のことを思うと、そう感じてしまうのが誰しも自然ということなのでしょう。

 

しかし、今の私の考えは多少違ってしまっており、やはり、将棋は物として伝わってきたのだろうと思っています。この件もまた後日に。

 

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2014年

5月

27日

90)アジアの将棋の歴史に関する研究会

今月5月のはじめ、大阪商業大学アミューズメント産業研究所で、アジアの将棋の歴史と伝承遊戯に関する研究会に参加してきました(きちんとした研究会名は、また次の投稿のときにでも書きたいと思います。手元に当日の資料が見当たりませんので)。

 

ひとつのテーマとしては、将棋はどこからやってきたのか、ということを研究するプロジェクトで、私は傍観者的な参加という感じでしたが、そういう立場とは裏腹に、面白い研究会となりました。Sさんの言われるように、海は重要かも知れません。研究会のときには、それほど強くは思わなかったのですが、その後いろいろと文献を読んでみて、知らなかったいろいろなことがわかり、陸だけじゃなくて、古代も中世も海にもっと注目すべしと思いました。

 

5月は魏志倭人伝はじめその他いろいろ読んでいます。魏志倭人伝は象棊纂圖部類抄ほどではありませんが、とても面白い文献です。読んでいる人がすごく多く、かつ、いろいろな意見があって、そして、正しいのはもちろんその中のひとつだけですから(まだ正しい説が出ていない可能性もありますが)、この点、魅力です。

 

5月のほぼ3週間だけの感想ではありますが、中国の将棋シャンチーが、朝鮮半島で止まってしまったのが何となくわかったような気でいます。クメール王朝の将棋が、もしダイレクトに伝搬してきたとしてもあまりおかしくはないのかも知れません。ただ、これに関してのいろいろな件、あまり的外れなく投稿できるようになるのは、あと1年は先のことでしょう。思えば、摩訶大将棋のことも、ブログの最初のうちは、いろいろと思い違いがありました。


 

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2014年

5月

25日

89)6月の展示予定:摩訶大将棋

またしばらく空いてしまいました。書きたいことはたくさん溜まっているのですが。。。

 

今回もまた展示のお知らせのみとなります。詳しくは、後日にまた投稿します。スケジュールが合いましたら、直接ご説明させていただきますので、メール、またはお問合わせのリンクよりご連絡いただければと思います。

 

摩訶大将棋の展示予定(日程変更の可能性もあります)

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6月04日(水)~ 22日(日)グランフロント大阪・ナレッジキャピタル

6月23日(月)~ 30日(月)ピーコックストア奈良北生駒店

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どちらも、将棋盤と駒、コンピュータ摩訶大将棋、の両方の展示となります。

 

○ 摩訶大将棋の駒木地ですが、先日、17セットを入手することができました。楓の駒です。駒のシールを貼るのが大変です。

2014/05/25

 

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2014年

4月

30日

88)摩訶大将棋の紹介と対局(国際奈良学セミナーハウス)

投稿がしばらくあいてしまいました。書くこと、たくさん溜まっていますが、とり急ぎ、今週末のイベントのお知らせです。また、いつものように、直前の案内となってしまっています。

 

摩訶大将棋を紹介するための展示・対局イベントなのですが、まだきちんと名称は決めていません。内容は、はじめての人には、摩訶大将棋の紹介を、摩訶大将棋ファンには、対局のお誘い、ということになります。どうぞ、お気軽にお越し下さいませ。

 

日時:平成26年5月2日(金)10:00~16:30

場所:国際奈良学セミナーハウス・研修室

内容:摩訶大将棋の紹介(はじめての人に)

   摩訶大将棋の対局(摩訶大将棋ファン向けに)

対局の用意:将棋盤&駒・2セット、コンピュータ摩訶大将棋・2セット

その他:

摩訶大将棋の駒のシール:現場にて印刷可能です。

摩訶大将棋カード:持っていきます。

主催:OECU 高見研究室

(OECU=大阪電気通信大学です)

 

住所:奈良市登大路町63番地

奈良国立博物館の北側です(車道を挟んで北側です)。県庁東の交差点の北東角にあります(角ではなく、もしかして、角の建物のひとつ東側かも知れません)。

 

近鉄奈良駅から徒歩10~15分です。JR奈良駅からですと、バスで「県庁東」下車となります。歩いても大丈夫ですが、30分前後かかるかと。

 

土塀沿いの木の門をあけて入っていただき(木の門は、鹿が入って来ないよう、いつも閉まっています)、正面が旧世尊院、その左側の建物がセミナーハウスの宿泊棟と研修室です。研修室へは、セミナーハウスに入り、入ってすぐ右の階段を上がって下さい(入ってすぐ左は、喫茶・待合いエリアとなっています)。

 

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2014年

2月

22日

87)摩訶大将棋の対局会&大盤解説(3月1日予定)

まだ開催の可能性100%ではありませんが、次のとおり、摩訶大将棋の対局会&談話会のようなものを開催したいと思っています。摩訶大将棋ファンの皆様、ご参加いかがでしょう。日も迫っていますので、とり急ぎにてご連絡いたします。


名称:未定です。ゲーム学会主催となります。
日時:2014年3月1日(土)午後・時間未定
会場:甲南大学・岡本キャンパス(予定)
内容:
1)プリンセス金魚杯の1回戦
2)プリンセス金魚杯の対戦を大盤解説(対局との同時進行です)
3)大盤解説をしながら、その間の時間に摩訶大将棋談話会
という感じで考えています。


いろいろなことがまだ全然わかっていません。まず、プリンセス金魚杯という名前が使えるのかどうか、です。来週、いきなり、プリンセス金魚さんの事務所に電話して、お願いしてみたいと思っています。結果、すぐお知らせします。


プリンセス金魚杯という名前がOKだったとして、次に、対戦者が集まるかどうか、です。研究室からたくさん参加しても仕方ありませんので、今回は、私を含めて、2人と考えています。未経験の人も歓迎です。アドバンスド摩訶大将棋での対局ですので、将棋を指したことがある人でしたら、対局可能です。ただ、初戦は、きっと、負けると思います(時間切れで負ける可能性大です)。摩訶大将棋を初戦で勝つ人はいませんので。


遠方の方も、大丈夫だと思います。どのようにネットワークを組むのか確認がまだできていませんが、ネットワーク対局でアドバンスド摩訶大将棋ができますので、どうぞエントリー下さい。ただ、当日の対局は、むずかしいかも知れません。会場にネットワーク接続の設備がない可能性大です。


プリンセス金魚杯はトーナメント戦でやります。参加者4人以上になれば、プリンセス金魚杯は成立と考えています。なるべく早くにご連絡いただけませんでしょうか。このWebサイトの左側に並んでいるリンクの、「お問い合わせはこちらから」のリンクをクリックし、「フォームからのお問い合わせ」をご利用下さい。または、直接に私あてにメールいただきましても大丈夫です。

 

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2014年

2月

08日

86)摩訶大将棋カード

摩訶大将棋カードを紹介します。下の画像は、表側の50種類です。左上隅から右へ順に、仲人、歩兵、飛車、左車となります。右下隅から左へ順に、玉将、無明、提婆、金将、銀将です。

 
 
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2014年

1月

23日

85)摩訶大将棋の終盤を味わう

摩訶大将棋の変則将棋を、以下に1点、紹介します。詳しくはまた後日にでも。

だいたいは30分以内に勝負がつきます。序盤、陣形を組む面白さ、中盤、戦闘の開始をうかがう緊張感は、この変則将棋では無理ですが、終盤、大駒の縦横無尽の動きで、玉を詰ます楽しさを味わって下さい。初心者が終盤にまで局面を進めることはなかなかむずかしいと思いますが、この将棋は、その終盤から始まります。

 

 

なお、この変則将棋はO君の卒論の一部です。アドバンスド摩訶大将棋にもよく合った将棋です。先日も、アドバンスドモードにて、2局続けて指しましたが、連敗でした。実は、この将棋、私は結構負け続けています。次回の摩訶大将棋ワークショップは、3月1日(土)、神戸にて予定していますので、そのときにも、紹介させていただきます。

 

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2014年

1月

18日

84)諸象戯圖式の再評価:師子と狛犬の居喰い

大型将棋の記述がある古文書のうち、最も古いのは、象棊纂圖部類抄(写本:1592年)で、次に古いのが、諸象戯圖式(原本:1696年)となります。ただし、象棊纂圖部類抄の原本のひとつは1443年の写本ですから、象棊纂圖部類抄の内容は、諸象戯圖式よりも250年以上も遡ることになります。摩訶大将棋は、15世紀後半にはすでに指されなくなっていたと思われますので、著作が成立した時代を考えますと、諸象戯圖式については、これまで、あまり評価していませんでした。


また、時代が大きく下るという点とも連動しているのでしょうが、諸象戯圖式には間違いが多く見られます。間違いは、駒のルールをより小さい将棋に倣うものとしていることから来ています。たとえば、諸象戯圖式では、大大将棋の師子の成りを奮迅(これは正しい)、そして、摩訶大将棋の師子の成りも奮迅(これは間違い)としてしまうのです。


なぜ、より小さい将棋に倣うかは明らかで、著者は、小さい将棋ほど早くに成立したと考えているのでしょう。結果として、はじめに存在していた駒のルールを引き継いでいます。


こういうわけで、本ブログでは、象棊纂圖部類抄の記述だけに基づいて、復刻を続けてきました。ところが、先日、投稿76)のコメントで話題になりましたように、諸象戯圖式の著者は、踊り駒のルールを正確に把握していたようです。そのことは、諸象戯圖式に中にある図にもきちんと表わされています。踊り駒のルールは、江戸時代になっても、きちんと伝承されていたわけです。


では、諸象戯圖式は、どれほどに信頼できるのか、まだ何とも言えませんが、再評価すべきは確かです。後日いくつか投稿していきますが、本稿では、まず、以下の記述を紹介するだけにとどめたいと思います。諸象戯圖式は、序文、諸象戯式、諸象戯圖式の3つに分かれますが、以下の記述は、諸象戯式のひとつとして挙げられています。諸象戯式は全部で14ヶ条あり、その8つ目です。禁止則を書いています。


諸象戯つながざる獅子狛犬を獅子狛犬にてとるなり
つなぎけるをとる事


少し読み違いがあるかもですが、内容的には大きくは変わりません。中将棋の獅子のルールと同じことを書いていて、つなぎ駒のある獅子と狛犬は、獅子と狛犬で取れないというルールです。狛犬にも獅子と同じルールを適用しているわけです。摩訶大将棋では、師子と同じく、狛犬も居喰いできたということなのでしょう。象棊纂圖部類抄にはない、踏み込んだ記述です。

 

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2014年

1月

15日

83)大将棋系列における王子と太子(速報)

軍記物語の中に出て来る駒の名前を調べてみました。投稿80)の続きとなります。対象としたのは、次の3つの軍記物語です。かなりクリアな結果が出ましたので、細部の点検はまだですが、速報としてお知らせします。


平家物語(40万文字以上) :成立時期 1240年以前
源平盛衰記(80万文字程度):成立時期 1250年頃
太平記(60万文字以上)  :成立時期 1370年頃


総字数のカウントはおおよそですが、どれも字数はかなり多いという点を示したかっただけです。また、字数に大きな違いはありませんので(最大で2倍程度)、各物語の長い短いも考慮の必要なしです。1300年前後に成立した軍記物語があればよかったのですが、そう都合よくはいきません。ただし、結果的にはラッキーでした。1240年の平家物語と1250年の源平盛衰記の間に、多少のギャップが見られるようです。集計した結果は、最後に示しました。まず、考察事項のみ列挙します。


1)王子に対する太子の割合が、時代が進むにつれて、大きくなっている。
王子÷太子:平家物語=1.8、源平盛衰記=0.95、太平記=0.55という結果です。つまり、はじめは、王子という名称が多かったのに、太子という名称が優勢になっていったというわけです。酔象の成駒に注目しますと、摩訶大将棋は王子、大将棋と大大将棋は太子です。王子と太子、この名前の違いはこれまであまり気にしていませんでしたが、実は大きなキーポイントになりそうです。王子か太子か、これは将棋が成立した時代を反映しているのかも知れません。時代が下るほど、太子の割合が増える、つまり、酔象の成りに太子を選んだ将棋は時代が後なのです。成りに王子を選んだ摩訶大将棋は、これまでの推論どおり、大将棋よりも大大将棋よりも、先に成立したということになります。


2)左将、右将の名前が太平記だけに現れている。
左将、右将は大大将棋になって出現する駒です。大大将棋の成立時期の推定に使えそうです。少なくとも、源平盛衰記の頃、13世紀半ばには、大大将棋はなかっただろうと思われます。土御門天皇が大大将棋を指していた可能性、ほとんどないかも知れません。奔獏の駒は何だったのでしょうか。


3)金翅、香象の名前も太平記だけに現れている。
この駒も大大将棋に固有です。上と同じ結論になります。それと、駒の名前の創生についてですが、現代ではなじみの薄い名前でも、当時は、物語に使われるほどには流通していたというわけです。


4)麒麟、鳳凰の名前が平家物語には出現しない。
断言できるほどの材料ではありませんが、平家物語以後の10~20年ほどで、摩訶大将棋、大将棋の主要な駒の出現頻度がぐっと大きくなります。竜王、提婆、獅子、夜叉も増えています。摩訶大将棋が先行していたとすれば、その成立は1250年前後だった可能性もあるでしょう。さらに、摩訶大将棋が日蓮宗起源だとすれば、日蓮の弟子の創案だった可能性は小さくなり、日蓮本人だけが可能性として残ります。それと、1200年前後に明月記の定家が指した大型将棋は、摩訶大将棋でも大将棋でもなくなります。たぶん、当時は、麒麟、鳳凰、獅子、龍馬は、軍記物、つまり、戦とは関係が薄かったのでしょう。指していたのは、二中歴の大将棋でしょうか。


いくつか他にもありますので、また、この件、いろいろと後日に投稿します。将棋の駒は、軍記物語に出現しやすいでしょうから、この分野で調べるのがいちばん正確な推定ができそうですが、歴史物語や日記もいちおう調べてみたいと思います。


平家物語
----------
竜王:4、龍王:0、竜馬:0、龍馬:0
麒麟:0、鳳凰:0、提婆:1、無明:0、羅刹:2、夜叉:1
獅子:0、師子:4、狛犬:0
王子:29、太子:16、酔象:0、歩兵:0、香車:0


左将:0、右将:0
東夷:4、西戎:1、南蛮:0、北狄:2、天狗:7
毒蛇:0、水牛:0、奮迅:0、金翅:0、香象:0
鯨鯢:1、奇犬:0、白虎:1、白象:0


源平盛衰記
----------
竜王:36、龍王:1、竜馬:1、龍馬:0
麒麟:2、鳳凰:8、提婆:15、無明:2、羅刹:5、夜叉:15
獅子:6、師子:6、狛犬:1
金剛力士:4、獅子狛犬:1
王子:82、太子:86、酔象:1、歩兵:4、香車:0


左将:0、右将:0
東夷:17、西戎:9、南蛮:1、北狄:3、天狗:48
毒蛇:1、水牛:2、奮迅:1、金翅:0、香象:0
鯨鯢:0、奇犬:0、白虎:0、白象:1


太平記
----------
竜王:9、龍王:4、竜馬:4、龍馬:2
麒麟:3、鳳凰:2、提婆:15、無明:3、羅刹:8、夜叉:7
獅子:12、師子:34、狛犬:0
金剛力士:2
王子:26、太子:47、酔象:0、歩兵:0、香車:4
臥龍:3


左将:9、右将:4
東夷:19、西戎:3、南蛮:4、北狄:4、天狗:29
毒蛇:5、水牛:4、奮迅:3、金翅:2、香象:2
鯨鯢:1、奇犬:1、白虎:1、白象:1
 

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2014年

1月

11日

82)師子の居喰い:摩訶大将棋はなぜ指されなくなったか

師子の居喰いが、いつ作られたのかははっきりしません。ただ、師子が盤上に登場した当初から居喰いができたということはどうもなさそうです。本稿は、この点について、象棊纂圖部類抄の中将棋のところ、仲人に関する記述をもとにして考えていきます。3件の記述があります。仲人に関する記述である点、ご注意を。


1)不行傍立聖目内 成酔象 (傍に行かず、聖目の内に立つ、酔象に成る)
2)或説云居喫師子許也 仲人立聖目外

(或る説云わく居喫師子許す也、仲人は聖目の外に立つ)
3)鳳凰仲人等 行度如大象戯 (鳳凰仲人等、行度は大象戯の如し)


聖目とは、中将棋の盤面にある点のことで、上下左右4マス目、全部で4つあります。聖目の内というのは、聖目よりも中央側(左右に関して)、聖目の外というのは、聖目よりも両端側(左右に関して)のことだと解釈しています。1)は聖目の内に、2)では聖目の外に立てると書いていますので、くい違っています。このくい違いを、どう解釈すればいいでしょう。むずかしい問題ですが、ここでは、ひとまず、次のように仮定して進めていきます。何かいいアイデアあれば、お教え下さい。なお、実際の中将棋では、仲人の位置は聖目の外です。内ではありません。


解釈:仲人は、聖目の内に立てる場合と、聖目の外に立てる場合があって、もし、聖目の外に立てた場合には、師子の居喰いありというルールにする。


或説云居喫師子許也、という記述の意味は、居喰いできない師子のルールもあったということでしょう。許す、という語句から類推すると、本来は、居喰いできないと見るべきです。つまり、当初は、師子の居喰いはなかったのでしょう。この点については、上記の聖目の内外の件をどう解釈しても、成りたちそうです。


ところで、この居喰いの問題は、摩訶大将棋と中将棋の成立に関する、あとかさきか問題に関連しますし、摩訶大将棋のルールにも関連します。なぜなら、象棊纂圖部類抄には、師子の居喰いについての記述は、中将棋のところにしかないからです。摩訶大将棋のところには、師子の行度についての言及はあるのですが(狛犬の行度との対比で書かれている)、それは、不正行度の二目踊りの駒であるということだけで、居喰いについては、何も書かれていません。


もし、中将棋が先に成立していたとすれば、師子は居喰いしますから、摩訶大将棋の師子も当然、居喰い可能です。一方、摩訶大将棋が先に成立していたとすれば、師子の居喰いは、摩訶大将棋のルール次第となります。しかし、摩訶大将棋口伝には、居喰いのことが一言もなく、こんな特殊なルールが口伝されないはずもないでしょうから、居喰いはなかったと考えるのが妥当です。とすれば、後になって、中将棋の師子のルールで、「或説云居喫師子許也」が出てきたのも納得がいくのです。


駒の機能の進化過程を考えると、師子という踊り駒が、はじめに師子ひとつだけで出現したということは、考えにくいのではないでしょうか。不正行度の踊り駒(師子)が出た時点で、ふつうの踊り駒(正行度の踊り駒)も出現していたと考えるのが妥当でしょう。師子の出現が中将棋からであったとする説(=中将棋の成立が大将棋や摩訶大将棋よりも前であるとする説)には、この点からも、何らかの補足説明が必要だと思われます。師子の不正行度2目踊りは、少なくとも、飛龍、猛牛の正行度2目踊りとともに出現した方が自然です。この件と関連して、師子と狛犬が同時に出現したという可能性にも言及すべきですが、後日にまわすことにします。なお、上記3)の「行度如大象戯」という記述は、大将棋が中将棋よりも先行したということを表しているものと言えそうです。


本稿、摩訶大将棋の復刻の問題に関連し、非常に重要です。摩訶大将棋の師子に居喰いはなかったかも知れません。今、私が指している摩訶大将棋は、師子と狛犬の居喰いがルールに組み込まれています(象棊纂圖部類抄にあるとおり、2駒の同時居喰いも可能です)。そして、もし、このルールをはずすと、摩訶大将棋が少し面白くなくなるのは確かでしょう。復刻と対局を、別問題にしなければならないかも知れません。つまり、昔のとおり復刻した摩訶大将棋を味わうか、または、面白くした現代摩訶大将棋を指すか、ということです。


もちろんまだまだ検討余地ありですが、摩訶大将棋のひとつの疑問が解けるのかも知れません。摩訶大将棋は、なぜ、指されなくなったのだろうかという疑問です。摩訶大将棋を実際に指してみると、これはもうはっきりとわかるのですが、とても面白い将棋なわけです。そんな面白い将棋が、後世にまで残らなかった、なぜだろう、これは私には大きな謎でした。

 

駒数の問題ではないことは確かです。たぶんルールの問題でしょう。中将棋が出現し、その中で、師子の居喰いルールが現れ、中将棋の時代となったわけですが、そのころには、もう摩訶大将棋は口伝だけの存在になっていたということです。もし、居喰い師子狛犬の摩訶大将棋がはじめからあったのだとしたら、どうなっていたでしょう。

 

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2014年

1月

10日

81)師子と狛犬の踊り:枕草子

投稿76)とmizoさんからのコメントで、「踊り」の意味がはっきりとしました。踊りとは、繰り返すことですが、この意味は古語辞典には、全く載っていません。踊り字、踊り駒。言われてみれば、気づくのですが、ずっと気がつきませんでした。踊り字という表現についても、江戸時代から使われているようですので、古語辞典に載せていい単語ではと思います。


今日は、枕草子に出てくる「踊り」について書きます。実は、枕草子では、踊りといっしょに、師子と狛犬が出て来るのです。枕草子の原文では、師子でなく獅子なのですが、本稿では、原文以外は、師子と書くことにします。


枕草子の成立は、996年~1008年ごろとのことです(世界大百科事典)。異本が多いらしいのですが、本稿では、三巻本を参照しました。「獅子・狛犬」の語句は3回登場します。以下、そのうちの2件です。


1)おはしまし着きたれば、大門のもとに高麗、唐土の楽して、獅子・狛犬をどり舞ひ、乱声の音、鼓の声にものもおぼえず。


2)還らせ給ふ御輿のさきに、獅子・狛犬など舞ひ、あはれさることのあらむ、ほととぎすうち鳴き、頃のほどさへ似るものなかりけむかし。


原文の「舞ひ」は現代で使う「舞う」と同じ意味のようです。上の1)では、「をどり舞ひ」、2)では、「をどり」はなく「舞ひ」だけです。ところで、この1)の文章は、古語辞典の「踊る」の項目のところで、よく例文として引用されている文章でもあります。意味は、文字通り、踊るです(たとえば、旺文社の古語辞典 第9版)。舞うと踊るは、厳密には違うらしいのですが、枕草子の現代語訳では、1)も2)も、結局は、踊り舞うということになっているようです。

 

ところで、本当にそうでしょうか。
「獅子・狛犬をどり舞ひ」の箇所ですが、師子狛犬が繰り返し舞う、と解釈するのはどうでしょう。踊る=繰り返す、です。そして、師子と狛犬は踊り駒。大型将棋の歴史ファンが、「師子狛犬をどり舞ひ」と聞けば、解釈はただひとつで、師子狛犬が繰り返し何度も舞う、となるでしょう。


をどり**、という表現はいろいろと多数ありますが、そのうちのいくつかは、繰り返し**する、の意味にとってもいいかも知れません。たとえば、踊り念仏という言葉も、当初は、繰り返して念仏を唱えるという意味が主体だったのではないかと思ってしまいます。念仏を繰り返すという動作が、踊りを伴っていたので、いつの間にか、「繰り返し」が、「踊り」にすり替わってしまったというのはどうでしょう。

 

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2014年

1月

09日

80)摩訶大将棋の駒の出現回数:源平盛衰記

摩訶大将棋の復刻は、今のところ、象棊纂圖部類抄だけに頼っているという状況です。一方で、古典将棋の古文書が見つかることを気長に待っています。京都か鎌倉のどこかのお寺で、まだ見ぬ将棋の図面、眠っていないでしょうか。


本稿では、摩訶大将棋に、別の方向から入っていこうと思います。源平盛衰記の手がかりを紹介します。源平盛衰記は鎌倉時代の軍記物語です。成立時期ですが、1247年から1249年の間だろうという説明が、以下の論文にあります。
http://homepage2.nifty.com/bunkyoken/71kumagai/kumagaiDtextZ10_3906.html


摩訶大将棋の駒の名前を源平盛衰記の原文から抜き出し、出現回数をカウントしてみました。以下、その結果です。


金剛力士:4、提婆:15、無明:2、鳳凰:8、麒麟:2、王子:82、歩兵:4、
獅子狛犬:1、夜叉:15、羅刹:5、酔象:1、竜馬:1、竜王:36


なお、狼、虎、熊、牛といった動物系の単語は多数出現しますが、悪狼、盲虎、盲熊、猛牛という単語では登場しません。また、車という単語も非常に多数出現しますが、飛車、香車等はもちろん見当たりません。将という単語も、大将、中将等がありますので、非常に多いわけですが、玉将、金将といった単語はありません。駒とは関係なしですが、摩訶という単語も5回出現します。

 

この結果を多いとみるかどうかですが、ともかくも、摩訶大将棋の駒は、認知された単語ではあるわけです。そして、以下、原文から一番重要なところを。


敵も御方も軍の事をば閣て、此馬をこそ誉たりけれ。獅子奮迅の振舞、竜馬酔象の有様、穆王八匹の天馬の駒、角やとぞ見えける。


「獅子奮迅の振舞、竜馬酔象の有様」、という短文の中に駒の名前が4つも出てきます。竜馬酔象の有様、という表現は、将棋の比喩ではないのでしょうか。馬や駒という単語もあります(馬は、こま、でもあります)。この箇所を読みますと、大大将棋の駒の単語もカウントしなくてはいけないと思いますが(奮迅が大大将棋の駒です)、この件はまた後日にでも。

 

獅子奮迅の振舞、竜馬酔象の有様、この文章から察するに、13世紀の中頃には、すでに、獅子も竜馬も酔象も盤上に現れていたような気がします。さらに極論するなら、上に羅列した仏教関連の駒々も現れていたかも知れません。まさに摩訶大将棋が出現していたわけです。投稿77、投稿79と、最近続けて摩訶大将棋の先行仮説を投稿しているのですが、個々の小さな状況証拠を合わせて検討していただけたらと思います。


それと、この件との関連で重要なことは、源平盛衰記が、普通唱導集よりも50年も早いということです。普通唱導集には、いくつかの大将棋関連の駒が登場しますが、強力な駒が登場しないために、多少とも初期の古典将棋として想定される傾向にあります。たぶん、この点は、注意が必要でしょう。


平家物語に対しても、本稿と同様の抽出をしてみたいと思っています。平家物語を使えば、時代をさらに20年以上遡ることができますので、後鳥羽上皇、土御門天皇も視野に入ってきます。後鳥羽上皇が、水無瀬離宮で指した将棋はどんな将棋だったでしょう。土御門天皇はあの奔獏の駒を使っていたのかどうか。

 

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2014年

1月

05日

79)大将棋の成立時期に関する考察

本稿は、中将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つの将棋の成立順についての考察です。この考察の結果・結論が、摩訶大将棋のルールにも影響を及ぼすことになりますので、かなり重要です。


古典将棋の成立順にはいろいろと説がありますが、ふつうには、大将棋が最初にあり、そこから駒数が増えて、摩訶大将棋へと発展する、そして、駒数が減って、中将棋へと発展するという考え方を取ります。つまり、
大将棋 --> 摩訶大将棋
大将棋 --> 中将棋
ということです。私もずっとこの考え方には何の異論もなかったのですが、あるとき、師子と狛犬の問題が気になりはじめ、だんだん疑問を持ち始めました。以前の投稿にも少し書きましたが、師子と狛犬の件は近日中に投稿予定です。


まず、本稿の結論を言いますと、摩訶大将棋が大将棋に先行するという説、つまり、
摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋
というもので、ふつうの考え方とは全く違います。ただ、この理由は結構ふつうですし飛躍もありません。賛同、得られますでしょうか。以下、こう考える理由です。

 

駒の種類の重なり具合を示す図。
駒の種類の重なり具合を示す図。

右図は、古典将棋の駒の種類の重なり具合を直観的に示した図です。たとえば、中将棋の駒はすべて、大将棋に含まれ、大将棋の駒はすべて、摩訶大将棋に含まれています。一方、摩訶大将棋と大大将棋では、約半分程度の駒だけが共通ですので、この2つは同心円の状態にはなりません。また、延年大将棋は、摩訶大将棋の駒も大大将棋の駒も独自の駒も含みますので、図のような描画となります。

 

摩訶大将棋 --> 大大将棋 --> 延年大将棋のように、駒が増えて発展していく場合、通常、右のような形状になるのが自然だと思われます。つまり、摩訶大将棋にある一部の駒はそのまま使用し、1)独自に新しい駒を作るとともに、2)不要な駒は除外するでしょう。たとえば、摩訶大将棋から大大将棋への発展の場合、1)にあたる駒は、天狗、大龍、前旗、南蛮といった駒で、2)にあたるのは、無明、提婆、金剛、力士といった駒です。さらに、延年大将棋を作成する際には、1)は、金鹿、銀兎、飛鷲、角鷹のような駒で、2)は、横飛、変狐、香象、方行といった駒です。別の世界観やルールでもって、これまでにない新しい将棋を作るわけですから、駒の入れ替えが生じるのは当然です。

 

一方、中将棋(21種類)、大将棋(29種類)、摩訶大将棋(50種類)の系列では、このような入れ替えが見られません(上図で、左側の図、同心円状になっている)。中将棋については、すでに投稿77)で、別観点から、その成立は摩訶大将棋よりも後であるという考え方を書きました。ただ、ここでは、中将棋も含め、仮に、中将棋 --> 大将棋 --> 摩訶大将棋というように発展していったものとして考えてみましょう。


この場合、駒は新しく作っていくのですが、すでにあった駒は全部を使うということになります。駒を全部使うという点、唯一あり得るとすれば、同一人物が、順に将棋を大きくしていったという場合ですが、これは考えにくいでしょう(この件、別稿にします)。ふつうは、落としたい駒もあるでしょうし、追加する場合も、特徴的ないいイメージの駒を創案することになります。大大将棋を作った人は、たとえば、天狗や大龍を入れたかったわけですし、延年大将棋を作った人は、金鹿や角鷹をいれたかったわけです。ところが、中将棋から、駒を増やして発展したものとした場合、何の駒も除外することなく、そして、どのような駒を追加したでしょうか。以下、考えてみましょう。


まず、将の駒ですが、はじめ、金将、銀将、銅将とあったところに、大将棋で、鉄将と石将が加わり、摩訶大将棋では、さらに、瓦将と土将が加わります。どんどん弱い駒を追加しているわけですが、このような追加は、納得できるでしょうか? むしろ、初めに、金、銀、銅、鉄、瓦、石、土と系統的に並んだ将棋ができあがっていて(つまり、摩訶大将棋です)、ここから、駒を除外していったと考えるのは、どうでしょう。瓦と土を除いて、大将棋になり、さらに、まだ良くないということで、鉄と石も除いた結果、中将棋になったというわけです。長くなるため詳しくは書きませんが、将の駒の動きに注目してみると、金銀銅鉄瓦石土-将の動きがまず作られていたと考えるのが妥当なように思われます。将の駒の動きは、その並びも考慮された、系統的な動きに設計されています。一方、金銀銅に、鉄と石の動きの追加、瓦土の動きの追加を考えるのはむずかしいです。動きは、銅と鉄がペア、瓦と石がペアになっているからです。


次に、動物系の駒についてですが、もし、中将棋がはじめだとすると、桂馬、嗔猪、猫叉等が追加されて、大将棋になり、さらに、驢馬、准鶏、老鼠、蟠蛇等が追加されて、摩訶大将棋になります。この追加についても、上記の将の駒の追加と同様、いかにも弱そうな駒が追加されているわけですが、納得できるでしょうか? 大大将棋が作られたときのように、もっと強い駒を追加してもよさそうなものです。やはり、ここでも、摩訶大将棋がはじめにあって、いろいろな動物たちが、既に盤上にいたと考えるのはどうでしょう。そして、摩訶大将棋から大将棋を作る際に、弱い動物の駒がなくなったとすれば。


この仮説の発端は、師子と狛犬の問題にあります。鎌倉時代、師子と狛犬はたいていの場合、ペアで現れます。ところが、中将棋にも大将棋にも、片方の師子だけしかいません。どうして狛犬がいないのか。たぶん、これに対するもっともらしい回答は、もともとは、師子と狛犬、どちらもいたのだという考え方です。つまり、摩訶大将棋がはじめにあって(摩訶大将棋には、師子も狛犬もいます)、そこから、狛犬が落とされたとすればどうでしょう。麒麟と鳳凰、金剛と力士、羅刹と夜叉、対の駒は多く見られます。いろいろありますので、この件は後日に投稿します。

 

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2014年

1月

04日

78)将棊馬日記について(速報)

今日は水無瀬神宮にお参りしました。そのあと、島本町立歴史文化資料館に立ち寄り、懸案となってました将棊馬日記を見てきました。いくつか確認できたことがありますので、文献やWebにはあまり流通していない情報を、速報としてお伝えします。


1)延年大将棋
本ブログで、これまで、泰将棋と呼んでいた将棋(駒数354枚)を、今後は延年大将棋と呼ぶことにします。将棊馬日記の記録では、この延年大将棋を、兼成は3面または4面作っています(1592年、1593年、1602年は確実、1601年?検討中)。象棊纂圖部類抄では、130駒の将棋も354駒の将棋もどちらも大将棊と書いており区別できませんが、将棊馬日記では、同時に枚数も書いていますので、この点は問題ありません。ところで、1602年の制作分については、大将棊ではなく、延年大将棊と書かれていました。354枚の将棋は、延年大将棊ということでいいのではないでしょうか。


2)象棊纂圖部類抄の奥書にある7面の将棋
奥書では、大将棊一面、摩訶大将棊二面、大々将棊一面、大将棊二面、中将棊一面と書かれています。以前は、この順が将棋の成立順かも知れないと思っていましたので、そのときには、大将棋-->摩訶大将棋-->大大将棋-->延年大将棋-->中将棋の順の可能性もあるかなと考えていました。つまり、奥書の一番はじめにある「大将棊一面」は130枚の大将棋、2面作ったのが延年大将棋だと思っていました。


ところが、これは完全に間違いでした。将棊馬日記によると、奥書の一番はじめの大将棊は、延年大将棋です。そして、二面作ったのが、130枚の大将棋でした。では、兼成は、なぜこの順に書きとめたのでしょう。延年大将棋(354枚)、摩訶大将棋(192枚:19マス)、大大将棋(192枚:17マス)、大将棋(130枚)、中将棋(92枚)。単に駒数の大きさの順、将棋盤のマス目の順だったのかも知れません。

 

3)調べたいと思っていること
将棊馬日記から、駒の行先(人物名)とその年度がわかりますので、まず、1590年、1592年をきちんと調べたいと思います。象棊纂圖部類抄に書かれているとおり、将棋の本を借りたと思われる年、奥書が書かれた年です。本を借りた人物にお礼に駒を贈っているかも知れません。その中に、曼殊院の関係者がいるのかどうか。


こういうことは、すでにどなたかが調査済みかも知れません。それも含めて調べてみたいと思います。

 

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2014年

1月

03日

77)中将棋の成立時期に関する考察

中将棋の成立時期について考えてきたことを書きます(たぶん異論多々あるのではと)。数少ない古文書から摩訶大将棋を読み解いていこうとすると、実は、中将棋の成立時期の問題が非常に重要になってきます。ですので、本稿は中将棋の問題ということでなく、古典将棋全体の問題でもあります。


成立順については以前にも本ブログに投稿していますが、ブログ書き始めのころということもあり、間違いが目立ちます。ともかくも、まず、結論からですが、中将棋、摩訶大将棋、大大将棋、泰将棋だけに限定するとして、この4つの成立順は、次のようになると考えています。本稿では大将棋のことは全く考えないことにします(後日の投稿にします)。


摩訶大将棋 ---> 大大将棋 ---> 泰将棋 ---> 中将棋


摩訶大将棋から大大将棋、泰将棋までの成立順については、問題点はあまりないと思いますので、以下、中将棋が泰将棋の後に成立したという点だけに絞ります。泰将棋が中将棋に先行していたという説の根拠は、以下の2点です。特に、1点目が大きいです。
A)泰将棋の駒が、中将棋で使われている(理由は後述)。
B)泰将棋の初期配置で、飛鷲と角鷹があまりいい位置ではない点


泰将棋は、延年大将棋であり、対局のためというよりは、駒を並べることに主眼を置いた将棋です(投稿65にて少し議論しています)。ところで、泰将棋は、中将棋、摩訶大将棋、大大将棋の3つの将棋から作られていると考えるのが、ふつうかと思います(新しい駒も少々ありますが)。では、まず、この考え方が不自然でだということから議論します。


泰将棋の初期配置では、駒は93種類で、内訳は次のとおりです。大大将棋の自在王は玉将と読み替えました。


摩訶大将棋と大大将棋の両方にある駒:31
摩訶大将棋だけにある駒:18(横飛は使われていない)
大大将棋だけにある駒:29(変狐、香象、白象、方行は使われていない)
泰将棋だけにある駒:9


ここまでで、87種類です。泰将棋以外には使われていない駒が9種類で、78種類は、摩訶大将棋と大大将棋から集めることができます。残り6種類(93ー87)は、白駒・飛鷲・角鷹・鯨鯢・飛牛・太子ですが、これらの駒はすべて、中将棋の成り駒に相当します。
 

この結果は、不自然ではないでしょうか?
つまり、泰将棋を作るとき、中将棋、摩訶大将棋、大大将棋から駒を集めたとして、摩訶大将棋と大大将棋からは、成り駒を全く使わなかったのに、中将棋だけからは、成り駒を使っているということになります。成り駒を使っていいというのであれば、たとえば、摩訶大将棋からは、仙鶴、山母、奔金、奔銀、法性とか使ってよかったのではないでしょうか。でも、駒の表しか使わなかったわけです。


ここで、次のような考え方があり得ます。
1)泰将棋は、摩訶大将棋と大大将棋だけから作った(ただし、全部を使ったわけではなく、使わなかった駒も5枚あります)。
2)延年大将棋を意図したため、駒の種類が不足する。そこで、15種類の新しい駒を創案。
3)泰将棋の駒の中から、中将棋の成り駒が選ばれた。


このストーリーを取りますと、泰将棋が成立した後で、中将棋ができたことになります。成り駒を表の駒の中から選ぶという、上記3)に関してですが、実は、これは、ふつうの方法です。つまり、摩訶大将棋の奔駒規則と少数の例外を除けば、成り駒は、表の駒から選ばれることが、圧倒的に多いです。もし、中将棋が先に作られたとしますと、中将棋の成り駒のうち、8種類を、新規で作らないといけません。

 

2つ目の理由は、泰将棋の初期配置での飛鷲と角鷹の位置です。泰将棋が作られたとき、すでに中将棋が存在したとしますと、飛鷲と角鷹は、非常に強い駒だということがわかっているわけです。その場合、飛鷲と角鷹には、もっといい位置を与えないといけないように思われます。


最後に、象棊纂圖部類抄の行然和尚の本に、コメントしておかないといけません。曼殊院本には、泰将棋の記述はなく、行然和尚の本に泰将棋があって、そこに朱色の行度が入っています。駒を並べる延年大将棋に。そのあとに続く、駒の表のところ、泰将棋の欄に、「右此盤の成駒は中将棋に同じ」となっています。この無茶苦茶な説明。兼成が、本にあることは重要なので、これに加えることはしない、と奥書に書いた理由は、写本の折、おかしな内容だと感じたということだったかも知れません。

 

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2014年

1月

02日

76)踊り駒の動き(再考):「踊る」の意味

しばらく書きそびれていたことを順に書いていきます。まず、「踊り」という語句の意味について進展がありました。この件からいきます。


踊り駒の存在は摩訶大将棋の大きな特徴ですので、復刻ではキーポイントのひとつになります。これまでも次の3つの投稿で取り上げました。
投稿18)摩訶大将棋の序盤の特徴:踊り駒(2012年4月4日)
投稿36)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(2012年12月24日)
投稿37)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(続き)(2012年12月26日)
今、読み返しますと、部分的によくない記述もありますが、おおよそ正しい感じだと思います。

 

投稿36)に、踊りの定義として、1手で複数個の駒を取ることができる駒と書きました。この説明は間違ってはいませんが、これは、出発点としての定義ではなく、結果的にはそう見ればいいという後付の説明です。この定義を支えていた根拠は、中将棋に残されていた師子の動き方だけでした。最近、「踊り」という語句の意味を見つけ、これをもとに、踊りを新しく定義しなおすことができました。

 

踊りについては、踊り念仏との関連から、気長に文献を読んでいたのですが、情報は全然別の所、暦のテーマの方で見つかりました。次のサイト(旧暦入門第5回)、
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt38/kyureki5.htm

の中にある、「節気の日にオドリます(同じのを繰り返す)」、 という記述がきっかけです。この文章で、踊る=繰り返す、という古語の意味を知った次第です。ただし、踊りの語源については、まだ確定していないようです。

(たとえば、http://gogen-allguide.com/o/odori.html )

 

踊る=繰り返す、であるという点を前提に、三目踊りの駒(金剛、力士)の動き、「三目踊る、一目二目をば踊らず、馬を超す」の意味を考えてみたいと思います。踊りという動きを、歩きの繰り返しとみれば、次のような解釈となります。


三目踊る:=歩きの動作を3手、繰り返す
二目を踊らず:=歩きの動作を2手繰り返すだけ、ということはない
一目を踊らず:=歩きの動作が1回だけ、ということはない
 

「三目踊る」は、踊るという言葉の意味から、連続して3手指す、という解釈で問題ないように思います。三目のマス目のうちに、敵駒がいた場合は、順次取り進むことになりますので、結果としてみれば、これまでの投稿で使った表現、jump and eat(飛び越した駒を取る)に相当します。もし、三目のうちに、味方の駒があった場合ですが、この場合は、言葉の意味だけでは判断できません(味方の駒がいるから進めないとするか、いても進むことができるとするか、この2とおりが考えられます)。しかし、この点は、現代に残る唯一の踊り駒である師子の動きを考えれば解決します。師子は二目の踊り駒ですが、味方の駒を飛び越すことができますので、味方の駒がいる場合は、それを乗り越して進むことができるという解釈になります。つまり、投稿18)の図のような動作は問題ありません。古文書では、「馬を超す」の部分で、この動作を表現したかったのでしょうが、言葉不足ではあります。

 

狛犬の動きは、「一目二目をば踊らず」ではありませんので、たとえば、二目踊りもOKです。象棊纂圖部類抄にある朱色の点点点だけを見る限り、動きのルールはあいまいでしたが、はっきりしたのではないでしょうか。


いちおう、異論多い部分のみ、まとめてみます。解釈の詳細については、投稿36)と投稿37)を参照下さい。
狛犬:上下左右ななめの一目・二目・三目のどこにでも着地可。飛び越した敵駒は取れる。
力士:ななめの一目と二目には着地不可。三目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
金剛:上下左右の一目と二目には着地不可。三目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
飛龍:一目には着地不可。ななめの二目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。
猛牛:一目には着地不可。上下左右の二目のみ着地可。飛び越した敵駒は取れる。


長くなりましたので、居喰いについての部分は、別に投稿します。居喰い=一目踊りと解釈していた、以前の投稿内容は間違いです。
 

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2014年

1月

01日

75)アドバンスド摩訶大将棋(1)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

本ブログの開始が2012年1月でしたので、早くも2年がたってしまいました。投稿の回数を調べてみますと、偶然にも、2012年、2013年とも、どちらも同じ37回です。10日で1回という投稿ペースで来ているようです。今年は本格的に摩訶大将棋に取り組む予定ですので、投稿数はたぶんかなり増えるのではと思います。

 

2014年始めての投稿ですが、アドバンスド摩訶大将棋のことは、やはり書いておかねばなりません。アドバンスド摩訶大将棋とは、人がコンピュータの力を借りて摩訶大将棋を指すという方式です。もちろん、摩訶大将棋の対局は将棋盤と駒を使うのが本来の姿であり、本当の摩訶大将棋はこれ以外にはありません。ただ、アドバンスド摩訶大将棋は、コンピュータとタッチパネルを使うことで、同じルールとは言え、全く楽に指すことができてしまいます。

 

下図がアドバンスド摩訶大将棋の盤面です。先手▲Km師子と飛んだところ、後手のOj無明の法性成りが当面の焦点です。マス目の色は次の状態を示しています。

うす緑:敵の駒だけが利いている。

うす青:味方の駒だけが利いている。

ピンク:味方の駒と敵の駒と、どちらも利いている。

白:どの駒も利いていない

青:次の手番でただ取りできる駒(うす青のマスに敵駒がいる場合)

灰色:浮き駒

駒をタッチすると、駒の行ける場所が表示されます。マス目を表示すると、そこにどの駒が利いているかがわかります。上図では、Snのマス目をタッチしており、その位置には、桂馬、反車、鉤行が利いていることがわかります(駒の下がピンクとなっている)。

 

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2013年

12月

31日

74)象棊纂圖部類抄:いくつかの疑問点

本ブログにて一番信頼を置いている古文書(写本)は象棊纂圖部類抄(1592年)なのですが、個人的には、まだいくつかの疑問点があり、解釈が果たして正しいのかどうかずっとわかっていません。古文書に詳しい方に教えていただきたく思っています。現状、以下の解釈を取っています。疑問点も合わせて書きます。


1:この写本には、2つの奥書がありますので、2つの文献を写本したものと見ていいでしょうか。
 

写本の元になったのは、
前半:曼殊院宮が所持されていた本(これも写本:1443年に写本されたもの)
後半:庚寅の年(1590年)に求め出た本


前半部は、小将棋、中将棋、大将棋、大大将棋、摩訶大将棋の順に書かれています。
奥書より、1592年4月下旬(天正壬辰清和下澣)が写本の時期です。


後半部は、1)泰将棋、2)駒の行度その他、3)泰将棋の略頌となっていますが、奥書より、この部分も写本した時期は1592年4月下旬です。


ところで、上記1)と2)は、行然和尚の本を写本させたという部分になります。3)の略頌は、その最後に1590年4月中旬(天正庚寅清和中旬:象棊纂圖部類抄が書かれた2年前)という時期と、兼成の名前が書かれています。時期に注目すると、写本元の本の中に、兼成の歌(略頌)が入っていたということになります。兼成が作った歌なのか、兼成がその歌を収集したのかはわかりませんが。


当初は、行然和尚の本から1)と2)の部分を写本し、3)の部分は、写本でなく、兼成自身の記述と思っていました。しかし、よく読みますと、1)と2)については、「令恩借写之」と書かれていますので、恩借し写させた、ということになり、この文章は兼成が書いたものではありません。前半部と同様、原本も写本であり、その本の中にこの記述があったということになります。3)の部分も、時期の問題があり、前述したとおり、1592年に兼成が書いたわけでなく、写本元に兼成の歌があったと解釈しています。

 

2:右図去庚寅年求出之本重而無加之聊
という箇所がありますが、最後の漢字は、聊、でいいでしょうか。
  

この記述は、3)の略頌の後、2つ目の奥書に相当する部分の冒頭にあります。・・本重而無加之聊、・・の本は重く加えることなし(いささかも加えることなし、という強調としての聊)と読みました。


借りた本の記述は重要なので、何も書き加えることはしなかった、というわけです。では、逆に、何を書き加えたかったのかということなのですが、それは、ひとつは、泰将棋の初期配置、最下段中央の「自在王」の駒のことでしょう。略頌では、ここは玉将ですから、行然和尚の本とは違っています。


その後、「今度以・・・」と続きます。このたび、関白秀次公より、大大将棋と泰将棋と、2つを命ぜられたと。それで、「携此図」、この図を携えてとありますが、目録として泰将棋の図が必要だったのでしょう。泰将棋の図面は曼殊院宮の本にはありませんので、庚寅(1590年)に借りた本の写しが必要でした。


水無瀬兼成の将棊馬日記では、実際、1592年に大大将棋と泰将棋を各1面づつ送り届けていることが確認できているそうです(私はまだ将棊馬日記を見ていませんが)。果たして、兼成は、自在王か玉将か、どちらの駒を選んだのでしょう。


奥書の後にも、さらに、文章が続き、翌年2月(翌年癸巳夾鐘:1593年)に、秀次に大型将棋7面を渡した旨の記載があります。将棊馬日記にも関連する記述があるようですので、是非、原本にて確認したいと思っています。7面のうち、摩訶大将棋2面、泰将棋2面ですが、大将棋、大大将棋、中将棋は1面となっています。はじめの1592年に、大大将棋と泰将棋を求めたということから、秀次は摩訶大将棋まではすでに知っていたのかも知れません。摩訶大将棋の駒も持っていたのではないでしょうか。

 

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2013年

12月

22日

73)奔王は奔玉だということ

これまでは全然意識していなかったのですが、奔王の駒は、奔玉という駒だと考えていいのかも知れません。先日、幸田露伴の将棋雑話を読んでいたのですが、その第二節「王と玉と」に、次のような一節がありました(露伴随筆:岩波書店、第一冊の392ページ)。
 

・・(前略)・・ただし王と玉とはただ一点の有無によりて相分るるのみならず、王の字に点無きもまた玉と読むべく、古文は王と玉と甚だ相異(あいこと)ならざるなり。王の字の横の三画の中の一画上に近きものは帝王の王の字にして、横三画相均(あいひと)しきものは珠玉の玉の字ならば、今の将棋の馬子(こま)に、一方を玉と書して一方を王と書せるも過誤(あやまち)ならず、ただこれを玉将と呼ばずして王将と呼ぶは過誤(あやまち)なるのみ。
 

つまり、王と書いても、玉と書いても、どちらも「ぎょく」だというわけです。王と玉とは同じ字なのだから、王将も玉将も、どちらも玉将だという考え方です。この説の真偽はよく知りませんが、全文を読んでいただけると、もっと納得できるのではと思います。
 

さて、ここからが、摩訶大将棋の話しとなります。奔王の駒の行度(ききみち:露伴によれば、こう読むそうです)は、八方向に走る、ですが、これは、金将の成りが奔金、銀将の成りが奔銀というのと同じく、玉将の成りが奔玉と考えれば、当然の行度ということになります。これまでは、奔王=八方向に走る駒、という意識でいたわけですが、そうではなく、奔王(=奔玉)なのだから、当然、八方向に走らなければならない、という考え方も可能でしょう。

 

としますと、奔駒の行度として、これまで使っているルール(=歩く方向と同じ方向に走る、ただし、1目2目は駒を超す)とは整合性が取れなくなります。この点、後日に投稿したいと思いますが、奔駒の行度のルールの再検討が必要となりそうです。


また、「奔王=奔玉」説に立ちますと、奔王の駒のルーツを、奔玉の駒に求めるという考え方もあり得るかも知れません。

 

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2013年

12月

01日

72)コンピュータ摩訶大将棋の作成と活用

今日、JPCATS 2013にて、コンピュータ摩訶大将棋の発表をしました。15分(質疑応答込み)の発表ですので、ルールについてはほとんど話しませんでした。踊りの解読、無明・法性の話し、アドバンスド摩訶大将棋という考え方の紹介(今年3月のワークショップの折、大商大のKさんに教えていただいた考え方です)、これだけを話したところで質問時間となり、質問3件にお答えしました。


これで、研究室メンバーによる発表は一巡したことになります。以下、摩訶大将棋に関する発表リストです(各発表者の最新発表のみ)。ゆっくりですが、着実に進んでいる感じはあります。


1)葛原,高見,古文書で読み解く摩訶大将棋,ゲーム学会第11回全国大会(大阪電気通信大学・駅前キャンパス:2013年3月2日).
2)大野ほか,摩訶大将棋の復刻,映像表現・芸術科学フォーラム 2013(慶応大学・日吉キャンパス:2013年3月15日).
3)田村ほか,摩訶大将棋の戦い方,ゲーム学会第11回合同研究部会(京都情報大学院大学・百万遍キャンパス:2013年7月27日).
4)甲斐ほか,摩訶大将棋の対局支援ツールの開発,第18回日本バーチャルリアリティ学会大会(グランフロント大阪 北館:2013年9月20日).
5)飯田ほか,摩訶大将棋のネットワーク対局,EC 2013(サンポートホール高松:2013年10月5日).
6)高見ほか,コンピュータ摩訶大将棋の作成と活用,JPCATS 2013(大阪国際大学・枚方キャンパス:2013年12月1日)
 

次の学会発表は、来年のゲーム学会全国大会(甲南大学:2014年3月2日)になる予定です。日程の調整がつけば、その次に、ニコニコ超会議3(幕張メッセ:2014年4月26日)が面白そうです。国際会議へは、2015年6月のBoard Game Studies(スイス)を目指しています。行けたらいいのですが。
 

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2013年

10月

31日

71)大正区ものづくりフェスタ:摩訶大将棋も出展

また直前のお知らせとなってしまいましたが、今週末に摩訶大将棋を出展します。お近くの方おられましたら、1局いかがでしょうか。どうぞお気軽にお越し下さいませ。

 

大正ものづくりフェスタ2013
日時:11月2日(土)10:00~16:00
場所:大正区役所4階区民ホール、2階さわやか広場・駐車場
主催:大正区魅力発信実行委員会、大正区役所
http://www.city.osaka.lg.jp/taisho/page/0000237059.html

 

研究室の出展作品は、摩訶大将棋の他、床の大画面タッチディスプレイとLEDテープのアミューズメントです。4階のホールで展示しています。よろしくお願いいたします。

 

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2013年

10月

25日

70)興福寺で出土の酔象:伝来当初の駒かも?

旧興福寺跡でついに酔象の駒が出土されたようです。奈良県庁の東側、バスターミナルの工事予定地からです。こういう公共工事がない限り、発掘は許可されません。どこでも好きに発掘調査ができるなら、将棋の駒はもっと日本中からざくざくでしょう。今回また「酔象」が出たということで、以前に出土の「酔象?」の字の練習書き木簡と合わせて、平安時代の酔象は確実となりました。


将棋の歴史を調べるようになってから、出土駒の報道に接したのは、今回がはじめての経験です。いいですね、リアルタイムは。今日の新聞各紙はひととおり読みましたが、記者の中に将棋の歴史ファンはいないということなのでしょう、あまりいい報道ではないように思います。


原初の将棋(二中歴の将棋よりも以前の将棋)では、敵の玉将に相当する駒は「酔象」だったという説が、すでに提出されています。将棋の歴史を始めてからまだ長くない私が知っていますので、多くの方がたぶんご存知かと思います。ところが、報道は、朝倉将棋(玉将の前に酔象)や、大将棋(玉将の前に酔象)、中将棋(玉将の横に酔象)と関連させての言及ばかりです。


むしろ、原初の将棋の酔象が出土した、と考える方が自然に思えます。二中歴の将棋は、今回の酔象の時代より100年以上あとですから、この間に、敵の酔象はなくなって、どちらも玉将になったという筋書きです。そもそも、伝来元と考えられる中国のシャンチーは、敵味方の駒の名前が違っています。


酔象が、大将棋以降で、なぜ玉将相当の駒の名前として存在したのかというと、それは、もともと酔象が玉将相当の駒だったから、という考え方です。いかがでしょうか?


二中歴よりも前の、原初の将棋では、
敵 陣は、香桂銀金酔金銀桂香
こちらは、香桂銀金玉金銀桂香
という配置だったと考えるわけですが、もっと想像をふくらましてもいいかも知れません。


以下、全く、根拠のない物語となりますが、
原初の敵陣は、シャンチーのように、駒の名前が全部違っていたとして、
大将棋の駒、飛龍、盲虎、猛豹、猫刄を持ってくるなら、


猫又・猛豹・盲虎・飛龍・酔象・飛龍・盲虎・猛豹・猫又


と並んでいたかも知れません。こちら側は、玉将・金将・銀将ですから、
つまり、人間対動物という構図です。


ところで、今回、現地説明会はないそうです。今回は南半分の調査ですが、次は北半分の調査が始まります。飛龍とか、盲虎とか、猛豹とか、出てこないでしょうか。北側の調査、とても楽しみです。

ただ、確率的には、可能性はかなり小さいです。前回の15駒(1058年)と今回の3駒(1098年)を合わせて、玉将3、酔象1、金将4、銀将1、桂馬2、歩兵7駒、と分布しています。敵陣に飛龍や盲虎がいたとすれば、すでに1個ぐらいはでているでしょうから。


それよりも、酔象という字に注目です。前回の木簡でも、今回の駒でも、報道では、「酔象」と読んでいますが、私には、酔象とはあまり読めません。「酔象」という先入観で読めば、駒で一番近いのは酔象かも知れませんが。北側にもっとはっきりした駒が埋まっていることを期待しています。

 
長くなりますが、もう1点、ありました。今回の出土で、酔象が不成りだったというのが、かなり重要です。二中歴の将棋では、玉将と金将は不成りで、それ以外は金将成りですが、このことからも、酔象は玉将相当ということになります。上述しました原初の将棋配置で、酔象の横に飛龍を想定したのは、酔象以外が全部、飛龍に成ることを考えたからです。平泉の表裏飛龍の駒を思い浮かべた次第です。

 

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2013年

10月

23日

69)摩訶大将棋の彫駒 1

先日、駒師さんに摩訶大将棋の彫駒をお願いしました。駒数も多く、字母紙を作るところから始めないといけませんので、1年以上もっとかかると思いますが、待つ楽しみも大きいです。


駒のサイズを次のように8段階に考えてみたのですが、どうでしょう。
玉将のみ、サイズ9とするのがいいでしょうか。


サイズ8(4駒):
玉将・酔象
無明・提婆


サイズ7(5駒):
鉤行・摩羯・奔王
師子・狛犬
*(摩羯の羯は、別の字で彫ります。フォントがないため、本稿ではこの字を当てます)


サイズ6(6駒):
龍王・龍馬
金剛・力士・麒麟・鳳凰

 

サイズ5(6駒):
飛車・角行・左車・右車
羅刹・夜叉

 

サイズ4(11駒):
横飛・横行・竪行
飛龍・猛牛
金将・銀将
盲虎・猛豹・盲熊・悪狼

 

サイズ3(10駒):
香車・反車
桂馬・驢馬
銅将・鉄将
古猿・臥龍・蟠蛇・淮鶏


サイズ2(7駒):
仲人・瓦将・石将・土将
猫又・嗔猪・老鼠


サイズ1(1駒):
歩兵

 

対局では、歩兵、仲人以外は全部同じ大きさの駒を使っています。デジタル摩訶大将棋の表示では、全部の駒が同じ大きさです。今あらためて駒の強さを加味しつつ、順に書いて、眺めてみましたが、いいですね。

 

駒師さんに、駒木地になる前の状態の、小さな木材を見せてもらいました。よかったです。こういう状態からひとつひとつ駒を切り出して、駒の字を彫る、無明とか、麒麟とか、悪狼とか、瓦将、古猿、臥龍、羅刹、師子と、彫る、いいなあと思いました。

 

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2013年

10月

10日

68)水都大阪フェス2013:摩訶大将棋ワークショップ

書きたいことはたくさんあるのですが、更新できない日が続いています。そんな中で、明日より4日間、水都大阪フェス2013が始まります。研究室からは公募プログラムに採択されていまして、摩訶大将棋を展示します。


水都大阪フェス2013
動く・創る・対戦する 体験型ワークショップ
---------------------
摩訶大将棋ワークショップ
甲斐誠也・中村直樹・大阪電気通信大学 高見研究室

 

日時:2013年10月11日(金)~14日(月・祝)10:00~18:00
会場:中之島公園(大阪市:中央公会堂前)

 

http://www.suito-osaka.jp/fes2013/
https://twitter.com/suitoosaka
http://www.suito-osaka.jp/fes2013/data/pdf/brochure_20131001.pdf

 

テントの場所がわかりにくいかも知れません。中之島公園内で、中央公会堂に近いところを探していただけたらと思います。明日の朝、テントを2つ設営し、対局用に6セット(駒と将棋盤:4セット、デジタル摩訶大将棋:2セット)を準備します。どうぞお気軽にお越し下さいませ。ルール説明用のパンフレットも用意しています。


摩訶大将棋ワークショップは、金・土・日・月祝、と4日間、開催します。投稿67)には、私は4日間とも中之島公園内の摩訶大将棋ブースのところにいますと書きましたが、11日(金)と12日(土)の2日間だけの参加となってしまいました。4日間とも全部入りたかったのですが。。。

 

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2013年

9月

05日

67)摩訶大将棋:秋の展示(お知らせ)

コメントいろいろいただいていますが、返信できていません(延年大将棋の件、ネパールのボードゲームの件)。それと、摩訶大将棋のネットワーク対局ももうできるはずなのですが、こちらの方も今しばらく猶予を。


摩訶大将棋の秋の展示場所と日程をお知らせします。日が近づきましたらまた詳しくお知らせいたします。将棋盤と駒はもちろん用意していますが、デジタル摩訶大将棋の方でも対局をお楽しみ下さい。


1)うめきた・グランフロント大阪「ナレッジキャピタル 」(JR大阪駅すぐ)
日時:2013年9月20日(金)
イベント名:第18回日本バーチャルリアリティ学会大会
http://conference.vrsj.org/ac2013/program/


2)サンポートホール高松(JR高松駅すぐ)
日時:2013年10月5日(土)~6日(日)
イベント名:エンタテインメントコンピューティング2013
http://ec2013.entcomp.org/program.html


3)中之島公園(大阪市:中央公会堂前)
日時:2013年10月11日(金)~14日(月・祝)
イベント名:水都大阪フェス2013
http://www.suito-osaka.jp/fes2013/


1)と2)は学会発表ですが、一般公開のデモ展示の方でもエントリーしていますので、お気軽にお越し下さいませ。どちらの学会も発表者は私ではありませんが、私のプレゼンよりはいいプレゼンだと思います。


3)は4日間とも中之島公園内の摩訶大将棋ブースのところにいます。ずっとのんびりしていると思います。どうぞお立ち寄り下さいませ。

 

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2013年

8月

22日

66)CEDEC2013の2日目

CEDEC2013の2日目も終わりました。今日もたくさんの方に見ていただきました。

ありがとうございます。


さすが、ゲーム開発者会議CEDECです。インドのチャトランガを知っている人も来られましたし、ネパールの将棋に、踊りの動作(飛び越した駒を取る)のあることを知っている人も

2人おられました。


摩訶大将棋のことを知っていた、という人はちらほらおられました。が、摩訶大将棋は指されていたはずだ、と思っていた人にはまだお会いしていません。


今日お会いした人の中で、2人、研究室まで対局に来ていただくことになりました。
楽しみにしています!

 

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2013年

8月

21日

65)延年大将棋:CEDEC2013の第1日目

CEDEC2013の第1日目が終わりました。たくさんの方に見ていただきました。また、いろいろとお話おうかがいしました。ありがとうございます。


今日は、朝に来ていただきましたUさんから、延年大将棋のことを教えていただきました。延年大将棋のことは、たぶん今回のCEDEC最大の収穫になりそうです。

ありがとうございます!


象棊纂圖部類抄の大将棊畧頌、最後の1行は次のようになっています。
軍兵三百五十四 是名延年大将棊


読み下し文は、
軍兵三百五十四アリ 是レヲ延年大将棊ト名ヅク


後世の書物の説(紛らわしいので泰将棋にした云々)を受け入れるのではなく、延年大将棊と呼ぶべきでしょう、というのがUさんの考え方です。全くそのとおりだと思いました。そもそも、はっきりと古文書の中に、延年大将棊と名付ける、こう書かれているわけで、354枚の駒を使うこの将棋の名前は、延年大将棊(えんねんだいしょうぎ)でいいのではないでしょうか。


本稿では、以下、ひとまず、泰将棋と呼ぶことにします。延年という語句がつけられていたことで、泰将棋はボードゲームというよりは、どうも長生きのお祝い、長生きのおまじない、という色彩が強かったかも知れません。太陰暦の1年(12か月)の日数354と同じ数の駒を、大将棊畧頌(だいしょうぎりゃくしょう)を吟じつつ、並べている、こういう風景をいま想像しています。


古文書はきちんと読んでいるつもりでいたのですが、あまりきちんと読めていなかったということがわかりました。大将棊畧頌は、並べ方だけだから、と重要視していませんでしたが、いま読み返してみると、冒頭には、


提婆無明玉左右(提婆ト無明トハ玉ノ左右ニアリ)


とあります。ただし、泰将棋の初期配置の図では、玉将ではなく、自在王が置かれています。どちらかが間違いということになりますが、畧頌は間違いにくいでしょうから、たぶん、初期配置の図が違うのでしょうか。

 

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2013年

8月

18日

64)摩訶大将棋の復刻:CEDEC2013にて発表します

以前の投稿でもお知らせしていますが、今週、横浜にて、摩訶大将棋を次のとおり発表します。関東では、はじめての摩訶大将棋・展示発表となります。どうぞお越し下さいませ。お待ちしています!


CEDEC2013
日時:2013年8月21日(水)~23日(金)9:45ごろ~18:00ごろ
場所:パシフィコ横浜・会議センター
セッション:インタラクティブセッション(3日間とも展示&解説をしています)


http://cedec.cesa.or.jp/2013/
http://cedec.cesa.or.jp/2013/program/INT/index.html


タイトル:摩訶大将棋の復刻
発表者:飯田 聡、上岡龍麻、高見友幸


セッションの内容(Webページから抜粋):
鎌倉時代に創案された摩訶大将棋の復刻を試みました。古文書を読み解くことで駒の動かし方や成駒のルールについて検討・検証の上、試験対局を重ねてきました。摩訶大将棋がボードゲームとして十分な面白さを持っていることは確実で、その詳細を発表します。摩訶大将棋はシミュレーションゲームの原型とも言える存在ですが、今後のゲームプランニングにも大いに参考になるものと期待します。鎌倉時代にこの絶妙なゲームシナリオを考案したゲームクリエイターを想いつつ、まずは、摩訶大将棋を味わっていただければと思っています。


展示物:
1:黄楊の大型の駒と将棋盤
2:デジタル摩訶大将棋(21インチ・タッチパネルディスプレイ)


1も2も対局用ですが、今回、私は対局する時間がなさそうです(コアタイムはたいていの時間、解説の時間になりそうです)。将棋盤はずっと置いていますので、コアタイム以外の時間も対局していただいて大丈夫です。

 

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2013年

7月

18日

63)問題1: 先手の無明は法性に成れるでしょうか?

下図は今日の夕方の指しかけの盤面、先手▲Ki金剛と前方に跳び、後手の奔王と悪狼に当てたところです。ここまで497手、途中5分ほどの休憩をはさんで1時間半ぐらい指しました。先手はHjの無明を法性に成らすことができるでしょうか?

 

どうぞ答えをお寄せ下さい。この指しかけの盤面は、後日続きを指しまして、結果をまた投稿します。たとえば、次のような展開は十分あり得るでしょう。▲Ki金剛で、以下、


△Hh師子
▲Kf金剛成り(奔王と悪狼を取る)
△同龍馬
▲Ik師子
△Gj歩兵成り(歩兵が取られる)
▲同無明・法性に成る <------------ *1


と進めると、先手だめです。この場合、最終的には後手が法性を持つことになります。つまり、以下、


△同羅刹・法性に成る
▲同羅刹・法性に成る
△同左車・法性に成る
▲同鳳凰・法性に成る
△同龍馬・法性に成る
▲同師子・法性に成る
△同師子・法性に成る
▲Fi夜叉・法性に成る
△同鉤行・法性に成る <------------ *2


無明を法性に成らせる手は(上記*1)、もちろん、最終的に法性が先手側に来ると読んだからですが、この場合、鉤行の利きを見落としていたというケースです(上記*2)。遠くの鉤行を見落とすのはよくあるケースで、特に中盤は気づきにくいものです。


先手は上記*1の手ではなく、たとえば、▲Ai飛車として、Fiの位置に1枚利かせておく手でしょうか?

 

いえ、そうではありません。もっといい手があり、先手が法性に成れます(たぶん、です。まだきちんと読んでいません)。つまり、ここまでの読み筋では、△Gj歩兵成りが時期尚早だったということになります。

 

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2013年

7月

12日

62)摩訶大将棋の詰将棋1

実戦譜からです。図は後手が法性2つと教王を作り、ほぼ勝ちの状況だったのですが、先手▲Hj悪狼と誘ったところ、後手△同龍馬と悪狼を取ってしまい、先手の大逆転勝ちとなりました。やはり玉将は守っておかないと。簡単な5手詰めです。いかがでしょうか?

▲Ka奔王、△同金将、▲同鉤行の3手で詰んだと思ってしまうかも知れません。が、

鉤行は敵陣で金将を取りますので、鉤行はKaの位置で金に成ってしまいます。

 

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2013年

7月

08日

61)鎌倉で出土している鎌倉時代の駒

先日、研究室にてお会いしましたMさんから、大内延介九段の著書「将棋の来た道」を教えていただきました。この本の42ページに出土駒の図面が2点のっています。私にとっては新しい情報でした。ありがとうございます!


詳しい検討はまだなのですが、そんなことを言ってますと、いつになっても投稿できませんので、ひとまずお知らせいたします。是非42ページをご覧いただけたらと。次の2点の図面があります。


1)投稿56)で引用しました論文には掲載されていなかったのですが、鶴岡八幡宮で出土した駒は全部で5個あるようです。42ページにそのスケッチがあります。


2)13世紀末の駒(金将)が、昭和61年に鎌倉市立御成小学校の校庭より出土しています。42ページに写真があります。


1)の件ですが、右上の図が、奔駒の「奔」の字の上側の部分のスケッチです(香車だと思われている駒です)。右下の図も興味深いスケッチです。この図は上記の論文にはのっていませんでした。字は不明瞭ですので、どちらが表か裏かはわかりませんが、一面の上部は「金」に似ています。別の面は断片すぎてわかりませんが、あえてあてはめるなら、下部が「将」の字の下側と見ることもできます。「金」の面を裏だとしますと、摩訶大将棋の走り駒か踊り駒の可能性が高く、「金」の面が表だとしますと、金将、金剛、金翅が該当しますが、逆側との関連で、表-裏を金剛-金将と見れないこともありません(ふつうに見ると何の字かわかりませんが)。


2)の件ですが、写真は「金将」の駒の表だけが掲載されています。かなりはっきりと読めますので、裏もはっきりとしているのではないでしょうか。是非とも駒の裏がどうなっているのか確認したいところです。ただ、これまでこの駒が重要視されていないことを考えますと、たぶん、裏は無地なのでしょう。裏が奔金なら摩訶大将棋、裏が飛車なら中将棋ですが、だとすれば大きく報道されているはずですので、やはり裏は無地です。この駒は、小将棋か大将棋の駒ということになります。

 

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2013年

6月

24日

60)無明で攻める:摩訶大将棋の棋譜

摩訶大将棋で無明が攻めに加わった場合、他の将棋とはかなり趣を異にします。無明は敵駒を取ってすぐ法性に成るわけですが、この法性の駒は最後まで盤面に存在します。無明/法性は、取っても取られても、その場所に法性が残るからです。このことから、無明の攻めに独特の(あるいは提婆の攻めに独特の)摩訶大将棋の戦い方というものがあります。本稿では、この点に、触れたいと思います。

 

下図は急戦の棋譜です。先手の師子と狛犬はすでにありません。後手が△Gg龍馬としたところ。ここで、先手は▲Eg歩兵と指しましたが、たぶん、最善手は▲Gi無明でしょう。このあとの▲Gh無明成り(法性に成る)を見ています。後手、1)奔豹の地点を守る、2)奔豹を逃がす、のいずれかです。

本稿では、1)についてだけ書きますが、このあと、△Ef角行、▲Dk右車、△Gf師子、▲Mn龍馬、と進み、このままでは、次の▲Gh無明成りを防ぐことができません。Ghの位置は、後手の角行、飛車、龍馬、師子の4駒が利いていますが、先手も角行2、右車、龍馬の4枚が利いており、取り合っても、最後には、先手に法性が残ります。そこで、後手は、△Mf銀将として鉤行にも守らせるという手でしょう。

 

注)デジタル版では先日からうっすらと市松模様の盤となっています。摩カツと角行の利き筋をはっきりさせるためです。

 

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2013年

6月

09日

59)摩訶大将棋の展示(お知らせ)

まだ先のことですが、今年8月に横浜で摩訶大将棋関連の2件の展示機会を持っています。詳細は日が近づきましたらまた投稿しますが、ひとまず日程のみお知らせします。


1:国際頭脳スポーツフェスティバル2013
日時:2013年8月16日(金)
場所:パシフィコ横浜・展示ホール


日本中将棋連盟のブースにて展示紹介・解説をさせていただくことになっています。日本中将棋連盟の各種イベントは8月15日(木)~17日(土)の3日間開催されますが、摩訶大将棋はその中の1日だけのイベントとなります。


2:CEDEC 2013(コンピュータエンターテインメント開発者会議)
日時:2013年8月21日(水)~23日(金)
場所:パシフィコ横浜・会議センター


主にコンピュータゲーム業界の開発者・デザイナーが集まる会議で、国内では最大規模の会議となります。摩訶大将棋の面白さ分析とデジタル摩訶大将棋への展開という観点から発表予定です。インタラクティブセッションでの発表です。

 

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2013年

6月

08日

58)摩訶大将棋のルール(暫定版)

先日より、摩訶大将棋のレーティングを暫定的に開始しています。そして、いよいよ摩訶大将棋のネットワーク対局版も完成しそうです。対局会場ではルール冊子を配布していましたが、Webにもきちんと明文化したルールを掲載する必要が出てきました。本稿では、ルールが不明瞭な部分のみをまず取り上げたいと思います。ルールは象棊纂圖部類抄を基に組み立てています。ルールの確定度合を次の3つのマークで分類しています。
◎ --> 古文書からはほぼ確定
○ --> 古文書からの類推(文面上は明らかでない)
※ --> 古文書からは類推できないが、自然だと思われるルール


a)駒の捕捉に関するもの
※ 無明と提婆は、無明・法性・提婆・教王を取ることができない。
※ 法性と教王は、無明・法性・提婆・教王を取ることができない。ただし、踊りの動きで、無明・法性・提婆・教王を飛越すことはできる(相手の無明・法性・提婆・教王によって動きが制限されることはない)。


b)駒の動きに関するもの -1
◎ 師子の居喰い:居喰いは2駒同時が可能。2駒居喰い可能な場合に1駒だけを居喰いすることも可。
※ 狛犬の居喰い:居喰いは3駒同時が可能。3駒居喰い可能な場合に1駒または2駒だけを居喰いすることも可。


c)駒の動きに関するもの -2
◎ 驢馬:左右1目歩き・前後に2目越し
◎ 桂馬:ななめ2目越し(前方向のみ)


d)駒の動きに関するもの -3
◎ 奔駒:歩くことのできる方向への走り駒となる。ただし、1目2目は飛越し、3目から走る駒となる。


e)成りに関するもの -1
※ 玉将が無明・法性・提婆・教王を取った場合の成りは、自在王である。
◎ 玉将以外の駒が無明・法性を取った場合、法性に成る(敵陣自陣を問わない)。
◎ 玉将以外の駒が提婆・教王を取った場合、教王に成る(敵陣自陣を問わない)。


f)成りに関するもの -2
◎ 不成りの駒:師子・奔王・龍王・龍馬。
○ 走り駒・踊り駒・桂馬・驢馬は、敵陣にいる駒をとれば成る。
○ 歩き駒・麒麟・鳳凰は、駒をとれば成る(敵陣にいる駒でなくても、取れば成る)。
※ 敵陣は6段目(歩兵の並んでいるところ)までとする。


g)その他
※ それ以上動けない位置にも動くことができる。このルールは歩兵・香車・石将・鉄将・奔石・奔鉄が関係する。
※ 駒の動かし間違い、成りの間違い等、気づけば指摘し指しなおす。反則負けはない。

 

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2013年

6月

02日

57)摩訶大将棋の棋譜

あとしばらくしますと別サイトで棋譜(駒のアニメーション)の閲覧もできるようになりますが、本稿では、終盤のスクリーンショットをひとつだけ紹介します。画像が大きくなるため、ブログでの紹介は不適ですので、別に棋譜専用のページを作る予定です。

後手:9二狛犬
と龍馬の利きを防いだ場面です。実戦では、ここで、
先手:9四猛牛成
と攻撃を開始したわけですが、途中で見落としもあり、勝負は少し長引いてしまいました。

ここは、たぶん、
先手:H九山母
でよかったように思います。次に、D五山母と石将を取り、D8、D9、DA、DCのどこかの位置に引く手でした。後手の守りが狛犬となっているのは、無明、提婆、酔象が攻めに加わったためです。

 

注1)棋譜は、12・・9AB・・HIJ、で横の19マスを、一二・・九ab・・jで縦の19マスを読んでいます。まだ暫定案です。

注2)山母は「やまはは」という読みでしょうが、意味は同じですので、私は「やまんば」といつも呼んでいます。

 

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2013年

5月

16日

56)鶴岡八幡宮の出土駒は摩訶大将棋の駒(速報)

投稿53)で書きました日蓮の直筆の件ですが、立正安国論全文のカラーコピーを入手できました。Webでの公開を申請中です。それと、鶴岡八幡宮の出土駒に関する文献も入手できました。本投稿はこの出土駒に関する検討です。次の論文です。是非ご一読下さい!


八幡宮弓道場跡地より出土の将棋の駒、宇田川正宏、鎌倉考古、No.3、17-18、1980.


後日またゆっくり詳細を投稿いたしますので、ここでは、短く結論のみ書きます。鶴岡八幡宮の3枚の出土駒が同じ将棋の駒だとしますと、将棋の種類は摩訶大将棋ということになりそうです。


Webからの情報では、駒は、鳳凰、歩兵、香車の3種類だとされていましたが、論文を読みますと、香車だとされていた駒は香車ではなく、奔駒のようです。駒の裏の、「奔」の字の上部だけがぼんやりと見えていたのだと思われます。駒の表は消えていたようです。この駒は細長く、サイズは歩兵より少し長い程度です。候補としては、仲人でしょうか。土将や石将の可能性もあり得ますが、字が消えていることから、画数の少ない駒の可能性の方が高いかも知れません。駒が細長いですので、他の奔駒や奔王の駒という可能性は非常に小さいと思います。ともかくも、奔駒は摩訶大将棋に特有ですので、摩訶大将棋の駒ということで確定となります。駒の年代ですが、13世紀後半から14世紀初頭ということで、日蓮の時代とちょうど重なっています。

 

3枚の駒は底部が厚く上部が薄くなっているのも特徴です。まだきちんと調べてはいませんが、江戸時代近くになるまで、駒は厚みが一定の板状のものばかりだったと思います。駒数の少ない将棋では、板状でも不都合はないのですが、摩訶大将棋のようにぎっしりと並ぶ将棋の場合、底の厚みと上部の厚みの差が重要な役目を果たします。私は、はじめの頃、摩訶大将棋の駒を、昔の駒のようにしようと思いましたので、板状の駒として作りました。それで気づいたのですが、前後に駒が並んでいると駒が持ちにくいのです。駒の厚みの傾斜は、駒がぎっしり並ぶ大将棋が指されたことの証明かも知れません。

 

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2013年

5月

04日

55)摩訶大将棋の公開対局(お知らせ)

今回も急な案内となってしまいました。次のとおり、公開対局を行います。

 

日時:2013年5月6日(月・祝)午前11時開始
場所:大阪電気通信大学 駅前キャンパス 5階506教室
(京阪電車 寝屋川市駅下車 徒歩3分)

 

持ち時間ですが、
各2時間 + 秒読み60秒3回
の予定です。今回は、いつもより長い時間設定にしていますので、中盤以降もじっくり考えて指す将棋となります(いつもは、各1時間+秒読み30秒3回です)。

午後3時くらいから秒読みが始まっていると思います。

 

どうぞお気軽にお越し下さいませ。机のレイアウトの都合上、お越しになられます場合、当日の朝までにご連絡いただけましたら幸いです。

 

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2013年

4月

30日

54)摩訶大将棋の自在王: 反則負けについて

玉将に成りがあるのは将棋の中では摩訶大将棋だけですが、その成り駒が自在王です。この名称からはいろいろな解釈ができますが、摩訶大将棋と日蓮宗の関連を考慮すると、自在王は、世自在王仏のことなのだろうかと思ってしまいます。世自在王仏は阿弥陀仏の師とされる仏だということなのですが、この点、日蓮宗と関連深いように感じました。ここのところは、機会あれば専門の方におうかがいをと思っています。ともかくも、玉将に成りが設定されており、それが自在王だということは、摩訶大将棋の大きな特徴とすべきだろうと思います。


さて、自在王の動きですが、象棊纂圖部類抄には次のような記載があります。
「越馬不正行度秤面イヅクト云コトナシ行キタキ所任意ツナギタル馬ヲバ不取之」
(なお、原著にカタカナ部分の濁点はありません)


秤面は線が引かれている面ということで将棋盤の盤面の意味なのでしょう。自在王は、その名前のとおり、盤面のどこにでも行けるという動きになっています。この動きを、越馬不正行度と表現していますが、きちんと書くとすれば、何目でも跳べるという情報を入れて、何目デモ越馬不正行度、となるのでしょうか。不正行度というのは、秤目に沿っていないということだろうと思います。つまり、進む方向が、前後左右、ななめ45度の方向ではないということでしょう。「踊」ではなく「越」ですので、間の駒を取ることはできません。


どこにでも行けるわけですが、条件がひとつあって、相手の駒が利いている場所には行くことができません。駒の利いている場所にいけば、取られてしまって負けになるわけですから、とりたててルールとする必要もなかったように思うのですが。。。


そこで、「摩訶大将棋に反則負けはない。駒の動きを間違った場合は指しなおすこととする」という考え方があったかも知れません。もし、駒の移動ミスによる反則負けがルールとしてあったとすれば、自在王の動きの記載として、「ツナギタル馬ヲバ不取之」は不要となります。つまり、駒の利いている場所に動いた場合、即負けとするなら記載は不要です。負けにしないなら、即負けになる動きを禁則ルールとした上で、ルール違反(動き間違い)は指しなおし、ということです。自在王の動きを間違ってしまったので負け、というのは考えにくいです(そもそも、利いている駒に取られて負けは確定ですので)。摩訶大将棋は駒数も多く、動きも複雑だということもあり、動き間違いは気づけば指しなおしていたのではないでしょうか。勝ち負けを、そういうところでは(駒を動き間違えたので負け、とかで)、決めたくなかったのでしょう。


なお、本稿では、自在王が動くときは駒を取りに動くという前提で書いています。記載された文面では、駒をとらないならどこへでも行くことが可能という書き方ですが。

 

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2013年

4月

24日

53)土御門天皇と日蓮:摩訶大将棋に関連して

摩訶大将棋と仏教との関連については、これまでに2件の投稿をしています。
投稿35)仏教を表現したボードゲーム:摩訶大将棋
投稿52)妙法蓮華経と摩訶大将棋


当初は、漠然と仏教との関連を思っていましたが、実はもっと限定的で、妙法蓮華経と関連する可能性が大きいようです。つまり、日蓮宗と言っていいのではないかと思うようになってきました。


仮に日蓮宗が起源だとしますと、摩訶大将棋の成立の時期は、最も早くて、1253年(日蓮宗の開宗の年)です。としますと、台記にある大将棋(1142年)、明月記に記載されている将棋(1201年:たぶん、大将棋のこと)は、どちらも摩訶大将棋ではないことが確定します。


では、日蓮宗の誰が摩訶大将棋を創案したかですが、もちろん、この件難問です。しかし、手がかりはありますので、また後日書きます。本稿では、まず日蓮本人が摩訶大将棋のクリエイターであった可能性を少し考えてみたいと思います。


はじめに、書いて置かねばなりません。阿波の国、川西遺跡で出土した、奔獏と思われる駒のことです。関連する内容は、投稿11)、投稿19)、投稿20)と3回にわたり書いています。個人的には、この出土駒が奔獏であり、阿波に流されていた土御門天皇により持ち込まれたものであり、阿波の国では大大将棋が指されていたということを信じ切っています(さして根拠なくですが)。


この仮説でいきますと、土御門天皇の崩御は1231年ですので、大大将棋の成立は最も遅くて1231年です。つまり、大大将棋の成立(~1231年)が、摩訶大将棋の成立(1253年~)よりも早かったということになってしまいます。本ブログは、ブログの一番始めに書きましたとおり、摩訶大将棋が大大将棋よりも早くに成立したということを知ったのがきっかけでした。今またその原点にもどってきました。


奔獏も仮説、日蓮宗のことも仮説にすぎません。ただ、しばらくは、このふたつの仮説を正しいものとして、本ブログを進めていきます。ですので、摩訶大将棋と大大将棋の成立順は再度検証しないといけません。なぜ摩訶大将棋が早くに成立したと、そう考えたのかを思い返してみなければ(この件、後日に)。大大将棋の方が早くに成立したという可能性はあるのでしょうか。


以下、大大将棋が摩訶大将棋よりも前に成立していたとします。ここで、突然ですが、日蓮が土御門天皇の落胤であったとの説を考えてみたいと思います(そういう説があります)。理由はまだ調べていませんが、Webを見る限り、説があることは確かなようです。1231年(土御門天皇崩御)、日蓮は9才です。まだ阿波(あわ)の国に暮らしていたのか、すでに安房(あわ)の国(日蓮誕生の地と言われているのが安房の国です)に移っていたのかはわかりません。土御門天皇が大大将棋をしている風景、それが子供だった日蓮の中にあったのかどうか。もしくは、大大将棋ではない、プレ摩訶大将棋ともいうべき、17マスの大型将棋があったのかも知れません。そういう可能性はあるでしょうか。


日蓮が摩訶大将棋のクリエイターだとした場合、いきなり摩訶大将棋を創案したというのは考えにくく、少なくとも、プレ摩訶大将棋に親しんでいなければなりません。いつ親しんだのか。青年期以降だとすると、日蓮の修業期間のことを考えるとむずかしいでしょう。それはまだ小さな子供の頃だったのではないでしょうか。


本稿、結論を急ぎたいと思います。鶴岡八幡宮で出土の鳳凰の駒ですが、これは摩訶大将棋の駒である可能性の高い駒です。その駒の字ですが、これが、日蓮の字に似ているとすると、どうでしょうか。日蓮の書いた手紙の字はさっさっと書いていますので駒の字と比べることはできませんが、立正安国論の字はきちんと書かれた字です。出土駒の鳳凰の字と、日蓮直筆の立正安国論を比べてみたいと思います。


立正安国論の直筆全編が書籍になっているのかどうかまだ調べていませんが、この結果、後日に投稿します。

 

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2013年

4月

23日

52)妙法蓮華経と摩訶大将棋

中央に最強の5駒、奔王,狛犬,師子,酔象,玉将が並ぶ。
中央に最強の5駒、奔王,狛犬,師子,酔象,玉将が並ぶ。

3月の摩訶大将棋ワークショップにて、狛犬の居喰いを実戦で始めて試しました。狛犬の居喰いについては、投稿44)に居喰い師子との関連で少し書いています。狛犬が師子と同じくらい強力な駒だったことで、摩訶大将棋はさらに面白くなりました。それと、摩訶大将棋の成立背景がぼんやり見えてきたこともうれしかったです。


摩訶大将棋特有の駒として、5つの踊り駒、羅刹・力士・狛犬・金剛・夜叉があります。中央に横5つ並ぶ、強い踊り駒の集団として今までは見ていましたが、どうもそうではないようです。右図の中央、縦に5つ並んだ、奔王・狛犬・師子・酔象・玉将の駒がひとくくりのようです。狛犬が師子と同じくらいの強さだとしますと、この縦のつながりは非常に自然です。2つの王(酔象・玉将)の上に、奔王・狛犬・師子と最強の駒が並んでいます。狛犬は思っていたよりももっと強かったわけです。


この中央の5つの駒の両側に金剛と力士の駒があります。お寺の門のところに並んでいるとおり、つまり、守護神です。そのさらに外側に、羅刹と夜叉がいます。


ここからが妙法蓮華経との関連です。
十羅刹女(10人の羅刹女:女性の鬼神)と鬼子母神(夜叉神に属す女神)は、どちらも妙法蓮華経の守護神ですが、十羅刹女が羅刹の、鬼子母神が夜叉の駒だとすると、この2駒は妙法蓮華経が起源かも知れません。金剛・力士と同じく、中央の5つの駒を守っているように見えます。5つの駒を、妙法蓮華経の5文字に見立てたという可能性もあるのでしょうか。


最近、日蓮とその弟子たちの書物を読んでいます。御義口伝という書物、日蓮の直弟子である日興が書いたものとされますが(*1)、その冒頭付近に次のような記述がありました。


「妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり」

この記述は、無明(成ると法性)の駒そのものを表現しているように思えます。また、続いて次の記述があります。

「蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり」

こちらの方は、提婆(成ると教王)の駒をあらわしているかも知れません。因果一体なり、つまり、提婆がいてこそ法華経(教王=経王)が成立したということかと。無明と提婆の2つの駒で、妙法蓮華を表しているような感じです。この一致をどう見ればいいでしょう。御義口伝が摩訶大将棋の説明のようにも思えてきます。

 

本稿、長くなりそうです。ここで一旦区切ります。日蓮の書いた文章を全部読むにはまだまだですが、少し読んだところでは、師子がよく登場します。この点も含めていろいろな点から、現時点では、摩訶大将棋は妙法蓮華経の将棋だと感じています。

 

*1)御義口伝は、1300年までには成立しているはずですが、Webで検索する限り、御義口伝が偽書である可能性がかなり高いらしく、成立は室町時代になるとのことです。ただ、摩訶大将棋との関連を考えた場合、記述の一部は、13世紀に書かれていた可能性があるかも知れません。素人の私からは何も言えませんが。仮に室町時代の成立だとすれば、摩訶大将棋が御義口伝の一節と同じ教えをすでに具現していたことになります。摩訶大将棋が先か、御義口伝が先か、いずれにせよ、摩訶大将棋は日蓮宗の高僧が作った可能性が大きそうです。もちろん、日蓮の教えを摩訶大将棋の比喩でもって広めるためです。日蓮本人が摩訶大将棋を創案した可能性もあるかもです(言いたい放題すいません)。

 

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2013年

4月

20日

51)摩訶大将棋:成りのタイミング(再考)

投稿38(2013年1月1日)にて一度取り上げた話題ですが、議論に上る機会も多く、再度取り上げたいと思います。


摩訶大将棋の成り駒は古文書に明記されており問題はありませんが、成りのタイミング(いつ成るか)については記述がありません。したがって、現状では結論は出ませんが、いくつかの手がかりはあります。それを糸口に考えていきたいと思います。


考え方としては、大別して次の2とおりとなります。以下、成りのタイミングだけを考えてみます。不成りについての考察は取り上げません。


成りのタイミング:
1)敵陣に入れば成る
2)駒を取れば成る


1)の考え方は、平安将棋(二中歴にタイミングの記述あり)、中将棋、現代将棋のルールどおりだとするものです。自然な考え方だと思いますが、難点があります。このルールで摩訶大将棋を指した場合、あまり面白くなりません。面白くないのに、そんなルールがかつて採用されていたのでしょうか。そうは思いにくいのです。投稿38)もご参照下さい。


1)の考え方には、大型将棋のルールが、中将棋、小将棋のルールと同じだっただろうという了解があるわけですが、そもそもルールは同じでなかった、という考え方も可能です。そこで、2)の考え方が出てきます。


2)の考え方は、古文書の記載としては全く残されていません。しかし、Webのwikipediaには、摩訶大将棋、大大将棋、泰将棋は、駒を取れば成る、と書いてあります。当初、私がまだ古文書を調べてもいなかった頃、駒を取れば成る、というのは伝えられてきた事実なのだろうと、そのままに信じていました。ところが、どの古文書にもそんな記述はないのです。wikipediaを書かれた方にお聞きしたいのですが、自分の考えとして書かれたのか、それとも、まだ未公表の古文書があって、その中に書かれているルールを書かれたのか、どちらなのでしょう。この件気になって仕方ありません。

 

ともかくも、現状、以下のように考えています。プリンセスKG杯では、成りのルールとして、文面上は、別個のルールを決めていますが、実質はほぼ同じです。基本的には、駒を取れば成る、です。が、条件が付いています。

 

摩訶大将棋:成りのタイミング
a)師子、奔王、龍王、龍馬: 不成
b)走り駒・踊り駒: 敵陣で駒を取れば成る
c)上記以外の駒: 敵陣自陣を問わず駒を取れば成る

 

a)は確かです。記述があります。
b)は、実は、中将棋のルールそのものです。「敵陣で」という条件がつく説明として、中将棋のルールにならうという以外に、象棊纂圖部類抄にある次の記述からも帰結できます。詳しくは、投稿38)をご参照下さい。

 

「何馬にても敵方の無明を取りたる馬を敵の内外を論ぜず、其所より取替えて法性に成りてつかふなり」

 

c)が、摩訶大将棋の成りの基本ルール、駒を取れば成る、です。ただし、これには例外ルールがあります(例外と言うよりも、むしろこれが摩訶大将棋の中心ルールなのですが)。通常、敵の駒を取ったとき、どんな駒に成れるかは、駒の裏に書かれているわけですが、無明・提婆を取ったときのみ、成り駒が決まっていて、それは特別な成り駒、つまり、法性・教王が用意されています。それを、書いたのが、上の古文書の文面です。「取替えて」という言い回しは、実質的な作業内容を表わした書き方で、次のように書いてほしかったところです。

 

『敵方の無明を取りたる馬、法性に成る』

 

発見を待つべきは、
『敵陣自陣を問わず、敵の駒を取れば成る』
という古文書の記述です。おそらく、原著者としては、このことは自明すぎたのでしょう。だから、例外事例、『無明を取りたる馬、敵陣自陣を問わず、法性に成る』と書き記したのでしょう。このとき、敵陣自陣を問わず、という語句は必須です。なぜなら、駒を取った場所が敵陣か自陣かが問題になる場合が、つまり、中将棋ルール(仮にこう呼びます)が一部の駒にあったからです。

 

中将棋は、言うなれば、絶滅した恐竜のなごりを知らせてくれるシーラカンスのような存在です。後日にまた投稿しますが、現時点では、中将棋は摩訶大将棋の後に成立したと考えています。中将棋が創案された時代、大型将棋の成りのルール(駒を取れば成る)と、小将棋の成りのルール(敵陣に入れば成る)があったわけで、中将棋の成りのルールは、その両方のルールを考慮した、ハイブリッドになったのではと考えています。

 

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2013年

4月

19日

50)桂馬の動き:昔は違っていたかも知れません(再考)

投稿25(2012年8月23日)にて一度取り上げた話題です。再度まとめてみたいと思います。まず、桂馬の動きの確認ですが、下の左が現代将棋の桂馬、右が中世の将棋の桂馬の動き、と思われるもの、です。○の位置に駒を飛び越して動くことができます。

 

ー○ー○ー   ○ーーー○

ーーーーー   ーーーーー

ーー桂ーー   ーー桂ーー  

 (現代)    (中世)

 

古文書の記載を見る限り、桂馬の動きは今とは違っていたと思わざるを得ません。以下、その手がかりを列挙しました。投稿25)もご参照下さい。 本来ですと、古文書の画像もつけるべきですが、まだ申請をしていません。すいません。


1)摩訶大将棋図(聆涛閣集古帖・戯器)
次のサイトの中ほどにあります。駒の動きが点で示されています。
http://www.rekihaku.ac.jp/publication/rekihaku/130witness.html
拡大して見て下さい。点はななめ上の方向に2つ付いています。


2)象棊纂圖部類抄(未申請ですので、図面を公開することができません)
摩訶大将棋の初期配置図に、1と同様、駒の動きが点で示されています。
この図の点については、ななめ45度でなく、多少角度が小さいのではないかという見解もいただいていますが、ななめ方向に点がついている以上、現代将棋の桂馬の動きだという解釈は難しいと思っています。古今将棊圖彙には、江戸時代の小将棋(=現代将棋)の桂馬の動きが点で記載されていますが、ひとつ目の点がななめに、二つ目の点がその上についています。現代将棋の桂馬の動きの場合、このような点のつけ方になるのではないでしょうか。


3)象棋六種之図式
原本は未確認で、復刻本での確認ですが、やはり、上の2件と同様、ななめ上に2つの点がついています。


4)二中歴の記述
桂馬の動きは、「桂馬前角超一目」と書かれています。ななめ前の2目に飛び越す動きと解釈する方が妥当に思えます。


5)普通唱導集の記述
「仲人嗔猪之合腹 昇桂馬而支得」と書かれています。
この表現がどのような盤面を表わしているのかということが、これまで書籍やWebで説明されてきましたが、現代の桂馬の動きで説明が試みられているために、どれもあまり納得のいく説明となっていません。桂馬がななめ2目に飛ぶとしますと、うまく説明可能です。この件、投稿25)を参照下さい。


以上が、古文書の記載との関連です。しかし、このことはさておき、摩訶大将棋を実際に指してみますと、桂馬がななめ2目に飛ぶのは(ナイトの動きでなく)、非常に自然です。つまり、ななめ方向に動く角行や飛龍との連携が、自然な戦法として使えます。では、桂馬の動きは、なぜ変わってしまったのでしょう。以下、書きたい放題となります。

 

将棋の流行の大雑把な流れは次のとおりと見ていいでしょう。
大型将棋 --> 中将棋 --> 小将棋(=現代将棋)

 

上の流れを見てわかるとおり、小将棋の駒(歩・香・桂・銀・金・角・飛・玉)のうち、ある期間、桂馬は将棋の駒から完全に姿を消してしまいます(中将棋に桂馬の駒はありません)。他の駒は全部残り、桂馬だけが姿を消しました。あり得る可能性として、桂馬の動きは、小将棋が新しいルールで再構築されたときに変更されたと考えるのはどうでしょうか。このとき、小将棋に持ち駒ルールも導入されたのかも知れません。

 

ともかくも、14世紀以前の古文書に、今の桂馬の動きと思われる記述は見つかっていません。今と同じなら、何より桂馬の動きは奇妙なはずで、であるのに、そのことは書かれていなさそうです。

 

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2013年

4月

03日

49)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:覚え書き2

先日のワークショップの様子がわかりやすく、かつ、詳しい紹介でWebサイトに掲載されています。すばらしいページを作っていただきましてありがとうございます!!!


以下のサイトです。アブストラクトゲーム博物館のWebサイトです。 

http://www.nakajim.net/index.php?ゲーム学会 第4回摩訶大将棋ワークショップ

 

対局風景の写真、いいですよね。ここのブログでも、もっと載せなければと思います。

 

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2013年

3月

31日

48)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:覚え書き

ご参加の皆様、本日はいろいろとディスカッションいただきありがとうございました!


後で思い返しますと、摩訶大将棋の入門者用の解説が全く不足で申し訳ありません。対局も指し掛けとなってしまいました。経験者同志の対局と未経験者への解説を兼ねて、大盤解説がよかったかも知れません。第5回ワークショップは、サブタイトルを「摩訶大将棋の大盤解説」にしようかと。。。できれば、大阪を離れて行う予定です。


それと、アドバンスド摩訶大将棋の件、かなり重要に思っていたのですが、すっかり忘れてしまいました。初心者と経験者の対局では、初心者のためのデジタル支援ツールを製作すること、次回への目標にします。以下、今回(第4回)の覚え書きです。


日時 :2013年3月31日(日)12:30~17:00
参加者:関西より6名、関東より3名(男性8名、女性1名;学外6名、学内3名)

 

設備:
将棋盤:杉1、檜1、紙1(未使用)、水平タッチディスプレイ1(未使用)
駒:天童黄楊1、ねこまどさん2、吉野杉1(未使用)
その他:対局時計1(未使用)、ノートPC1(未使用)


展示:
1)象棊纂圖部類抄のカラーコピー
2)象戯惣圖の写真画像(お見せする時間なかったです)
3)NHK大阪の摩訶大将棋の放送(お見せするタイミングなかったです)


配布:
1)摩訶大将棋のマニュアル
2)予稿別刷:古文書で読み解く摩訶大将棋(葛原一成ほか、ゲーム学会第11回全国大会、2013年3月)
3)予稿別刷:摩訶大将棋の復刻(大野峻ほか、芸術科学フォーラム2013、2013年3月)
4)CD-R:紙の将棋盤出力用の画像データ
5)CD-R:ねこまどさん摩訶大将棋駒木地の文字シールの画像データ


感想:
○ ボードゲームとしての面白さの評価を聞きたかったのですが、この件も忘れてしまいました。今日はぼおっとしていたようです。
○ 師子2駒居喰い、狛犬居喰いを実戦ではじめてルールに採用して対局しました。狛犬居喰いで何ら問題なかったです。狛犬と師子のぶつかりあいとなり、面白かったです。
○ Mさんの文脈解釈を聞きますと、奔駒は単純な走り駒である可能性の方が大きそうに感じました。この件、後日投稿します。

○ 曼殊院の古文書の件は諦めていたのですが、やはりもう一度と思いました。

 

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2013年

3月

28日

47)第4回 摩訶大将棋ワークショップ:2013年3月31日

1年前の3月31日にはじめて摩訶大将棋ワークショップを開催しましたが、ちょうど同じ日、また行うことになりました。1周年です。1年でだいぶ解明が進みました。当初よりいろいろご教授ご議論いただきました、Mさん、Hさん、ありがとうございます。

 

日時:2013年3月31日(日)12:30~16:00(予定)
場所:大阪電気通信大学 駅前キャンパス 5階506教室
参加費:無料

 

プログラム(予定)
○ 摩訶大将棋の入門者向け解説
○ 摩訶大将棋の対局
○ 摩訶大将棋に関する談話会

 

摩訶大将棋はボードゲームとして十分な面白さを持っていることは確実です。この絶妙のゲームシナリオを考案したゲームクリエイターを想いつつ、まずは鎌倉時代を味わいたいと思っています。また、今回参加予定の方から「アドバンスド将棋」という考え方を教えていただきました。もしかすると、これは現代の摩訶大将棋にぴったりの方法かも知れません。当日は、このことについても話題になればと思っています。

 

それと、先日、研究室にて、摩訶大将棋はシュミレーションゲームなのか、仏教の教えの流布をも意図したものなのか、という議論をN先生としたときにですが、多少不利な立場に立たされてしまいました。この点も、流れによっては話題にしたいと思っています。それと、もちろんですが、摩訶大将棋復刻の原点ともいうべき古文書の文脈の解釈についてもいろいろ議論お願いいたします。

 

摩訶大将棋の対局もします。天童の大駒の盤は、たぶん、真剣勝負かなと思います(そうではない可能性もありますが)。

 

準備の都合上、3月30日(土)の夕方ごろまでに、本サイトのお問い合わせ欄または直接のメールにてご連絡いただければ幸いです。

 

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2013年

3月

20日

46)摩訶大将棋のブログ_01のまとめ

この新しいページで摩訶大将棋のブログを続けていきます。以前の投稿は、摩訶大将棋のブログ_01のリンクからご参照下さい。以下、以前の投稿をマークで分類しておきたいと思います。□マークの投稿は、根拠となる資料がありませんので、個人的な思い込みです。


○:たぶん正しい
△:正しい可能性もあり/部分的に正しい
*:たぶん間違い
×:間違い・論外
~:検討中
◆:広報・お知らせ
□:意見・感想


○ 44)師子の居喰い:2駒同時の居喰いも可能
◆ 43)ゲーム学会とーくかふぇセッション:摩訶大将棋
△ 42)踊一目 = 居喰い(速報)
◆ 41)摩訶大将棋 第1回プリンセスKG杯
~ 40)大将棋の駒「石将」が出土した可能性(速報)
~ 39)嘉吉三年写本を原本とする古文書(速報)
○ 38)摩訶大将棋の特徴:成りのタイミング
○ 37)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(続き)
○ 36)摩訶大将棋の特徴:踊り駒
△ 35)仏教を表現したボードゲーム:摩訶大将棋
◆ 34)第2回 摩訶大将棋ワークショップ(2012年12月8日)
◆ 33)第9回寝屋川囲碁将棋まつり(2012年11月23日)
○ 32)摩訶大将棋と摩訶大大将棋: 名称について
◆ 31)摩訶大将棋の模擬対局(お知らせ)
~ 30)気になっていた象戯圖のこと
◆ 29)水辺で楽しむ摩訶大将棋(水都大阪フェス2012)
~ 28)仮説:平安大将棋の駒の初期配置
□ 27)宝応象戯の伝来仮説と習書木簡の酔象
~ 26)興福寺の習書木簡:横行の駒? 卆の駒?
○ 25)桂馬の動き: 昔は違っていたかも知れません
~ 24)泰将棋は箸をもって指すべし(再考)
□ 23)摩訶大将棋の駒を作ります --8
□ 22)摩訶大将棋の駒を作ります --7
* 21)泰将棋は箸を使って指すべし
△ 20)奔獏の駒と土御門天皇
○ 19)奔獏かもの駒:徳島県川西遺跡からの出土
○ 18)摩訶大将棋の序盤の特徴:踊り駒
~ 17)摩訶大将棋の駒「自在王」が出土した可能性
□ 16)唱導大将棋の存在
* 15)大型将棋と脳トレ
□ 14)デジタル摩訶大将棋(その1)
△ 13)曼荼羅と小中大将棋: 9・12・15について
◆ 12)摩訶大将棋ワークショップ開催:2012年3月31日(土)
○ 11)大大将棋の駒「奔獏」が出土した可能性について
△ 10)踊りの強化が摩訶大将棋
× 09)摩訶大将棋の駒を作ります --6
□ 08)摩訶大将棋の駒を作ります --5
□ 07)摩訶大将棋の駒を作ります --4
× 06)摩訶大将棋はダブルスだったという仮説
□ 05)摩訶大将棋の駒を作ります --3
□ 04)摩訶大将棋の駒を作ります --2
* 03)摩訶大将棋の駒を作ります --1
△ 02)大大将棋の通説の駒初期配置図は間違い
○ 01)摩訶大大将棋は大大将棋よりも先にできたという説


マークは履歴を残しつつ、随時変更していきたいと思ってます。

 

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