110)平安大将棋と摩訶大将棋:駒の名称の決まり方

古代の将棋駒の名称は、どのようにして決められたのでしょう、これが本稿のテーマです。駒の名称の理由については、これまでには、玉金銀桂香と酔象が発表されているぐらいです。これは、名称の決定に関連する古文書が見つかっていないからで、だから、名称の理由は、結局のところ、どれも推測でしかあり得ないのだと思います(とは言え、玉金銀桂香については、通説はかなり自然でもっともらしいですから、これは本当なのだろうと思います)。

 

ところで、摩訶大将棋に関しては、十二支というくくり、十干(または、陰陽)というくくりで駒の名称が決められたのではないか、と本ブログで発表してきました。これもまた推測と言えば推測にはちがいないのですが、当時盛んだった陰陽道との強い関連、十二支の動物や伎楽面といった実際の事物との対応がきちんとつくという点、伎楽面の駒と踊り駒が一致している点で、推測の域を脱しているのではないかとも思っています。

 

このように、摩訶大将棋の場合では、十二支や十干といったひとまとまりの駒が、集団となって取り込まれているのが特徴です。つまり、駒の名称は、1個1個ばらばらに決まっていったわけではなさそうです。実は、この点、平安大将棋にもあてはまっているかも知れません。下図に色付きマスで示した、飛龍、猛虎、銅将、鉄将の4駒が、ひとまとまりで入った可能性があります。

平安大将棋
平安大将棋

 

さて、山海経の西山経のところに、猛豹という動物が取り上げられています。山海経は、「世界の奇書・総解説」には、怪力乱神を語る古代中国の異端書と形容されています。有名な本です。中国最古の地理書ですが、おそらく、古代日本の公卿、僧侶たちも読んでいたでしょう。猛豹の記述は次のとおりです。

 

猛豹似熊而小、毛浅、有光沢、能食蛇、食銅鉄、出蜀中。豹或作虎。

(熊に似て小、毛は浅く光沢あり、能く蛇を食らひ、銅鉄を食らふ。蜀中に出づ。豹は或いは虎に作る。)

 

まず、注目すべきは、豹或作虎という記述です。或作**というのは、別名をいうときの慣用句ですから、猛豹は猛虎とも呼ばれていたということです。平安大将棋の猛虎の駒は、猛豹の駒と思っていいのではないでしょうか。大江匡房(1041年-1111年)が言及した猛豹の駒は、やはり古かったのです。同時に言及されている酔象の駒も11世紀の駒として出土していますので、象棋百番奇巧図式序にある将棋のことは、もっと重く考えるべきかも知れません。酔象は玉将の上、猛豹は金将の上、これは後世が装飾したのではなく、文面どおり、当時は、そうだったのでしょう。

 

次いで、「食銅鉄」の記述です。これを、銅将、鉄将の駒の起源と想像してみました。猛豹は銅将、鉄将より強い駒として導入されたということです。さて、猛豹、銅将、鉄将の3駒を山海経との関連で導入したものとして、もう1駒、飛龍をこのくくり(山海経関連)に付け加えたいと思います。飛龍は、山海経の応龍を想定していますが、これ以降、空想となりますので、次の投稿にまわします。陰陽道に則れば、飛龍、猛豹、銅将、鉄将、奔車の5駒で、五行相剋と五行相生が成立していそうに見えるというストーリーです。

 

ここまでのところで、本稿をまとめますと、古代の将棋の駒の導入は、この駒はこういう理由で、この駒の名前はこれこれ・・・、というふうに1個づつ決められたわけではなく、あるまとまりで、がばっ、がばっと決まっていったように思われます。古代の将棋を、平安将棋、平安大将棋、摩訶大将棋の3種として、この順で発展したものと想定するなら、次のようになっています。平安大将棋と摩訶大将棋に陰陽道が強く関わっているという前提です。

 

1:玉金銀桂香歩(平安将棋)と酔象 <-- この7駒からスタートします。

ここでは、この7駒の起源は考えません。酔象の駒だけがあまりますので、ひとまず、ここに入れました。

 

2:飛龍、猛豹、銅将、鉄将、奔車=反車、(横行)、(注人=仲人)

平安大将棋では、山海経関連で5駒がはいります。ここに五行思想が入っていそうです(次稿にて空想)。なお、1駒づつ入る横行と注人については、まだ不明です。

 

3:十二支(12種類の駒)、十干(または、八部衆:10種類または8種類)、走り駒一式、

(無明・提婆)、(瓦石土)

仮に、平安大将棋から、一気に摩訶大将棋の原型が成立していたとしても、細々とした数多くの追加があったわけではありません。3つの集団(十二支・十干と走り駒)が追加されただけです。無明・提婆・瓦将・石将・土将は、現状では不明です。無明と提婆は、摩訶大将棋が世に出た後での追加のようにも思えます。

 

なお、ここでは、平安大将棋-->摩訶大将棋の順で考えてみましたが、そうとは限らないということも想定しています。

 

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コメント: 9
  • #1

    長さん (月曜日, 08 9月 2014 15:08)

    平安大将棋において。
    猛虎・飛龍だけが、四神からの取り入れで対。1文字目の猛や飛を決める際に、山海経等が参照された可能性はあると、私も思います。他方1段目は別。平安小将棋の単なる拡張のように見えますね。なお玉・金・銀・・「既発表の説」とは「仏教の七宝」説の事ですか。
    真珠、金、銀は良いとして、桂とお香は、瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しやこ)・瑪瑙(めのう)・珊瑚(さんご)・玫瑰(まいかい)の、いったいどれと対応するのでしょうか。個人的心象ですが。これ偽説では。
    玉・金・銀・桂・お香、一まとめ説は、ここに書かれているように「発表はされている」が、明確でないのが実態かと、私は思いました。
    玉・金・銀・銅・鉄・瓦・石・土。少なくとも摩訶大将棋では、一まとめで良いんじゃないんですかね。全部2文字目は「将」で、いっしょですし。「大和『王』権を守る、キンキラキンと光り輝く藤原貴族軍団の『将』の勢揃い。」って所でしょうかね。よって摩訶大将棋では。「1段目は、主に(端を除いて)地理的・地質的・鉱脈的駒よりなっている」で、正しいように思うんですけど。平安大将棋でも、銅と鉄は、金銀からの繋がりで、銀より銅をまず連想。「器」の銅器、鉄器の並び評しから、単に鉄を足しただけのように見えますね。更に摩訶大将棋の鉄の次の瓦、石、土は、鉄より軟そうなものを、たまたまの思い付きで、日本人の手で並べただけのように見えますが。なおこの調子だと、大和王権では「王」は、平安時代には将棋に、あんまり係らなかったようですね。それで「王将」は後の時代の作か。
    ちなみに、mizoさんのブログにも書きましたが。平安小将棋等の袖駒名で起源を示しているのは、1文字目の酔・桂・お香ではなくて、2文字目の象・馬・車だと私は認識します。この2文字目「本地」説が、一般的には定説じゃないんですか。そして馬と車だけ、原始輸入品平安小将棋に、もともと有った(恐らく南詔・大理から輸入)と言うのが私の説。桂、お香は、日本人が、適当に2文字に揃えるためにした、単に思いつきでの付けたしたのだと思います。他方「象」は南詔・大理国の10世紀将棋では、たまたま名称が「銀将」に置き換えられていたため、それに等しい原始平安小将棋には無かったのでは。ただし後から、シャンチー系の駒名として、象だけ追加で、日本に入ってきたのだと思う。それにも、仏教に或る程度詳しかった日本人が、頭に「酔」の字をたまたま加えて酔象に変え、単純に2文字駒に揃えてできたというのが私の心象。つまり少なくとも、酔、桂、お香については、実は、何でもよかったのではないかと私見するのですが。この最後の点の試論に、真っ向から対立する事実というものは、今までに発見されているものなんでしょうかね。

  • #2

    T_T (月曜日, 08 9月 2014 15:44)

    早々のコメントありがとうございます!

    四神からの取り込みは考えやすいのですが、何しろ、亀が不在で、ストーリーが進展しません。それと、玉金銀桂香の件、また後日の投稿にいたします。

    摩訶大将棋の最下段の将はひとまとめ、という件は、私もその可能性を考えています。投稿中にも、平安大将棋 --> 摩訶大将棋とはかぎらない旨書いた次第です。平安大将棋は、摩訶大将棋から漏れ出てきた将棋、という考え方ができるかも知れません。摩訶大将棋から、五行思想の駒だけを取り出して、平安将棋に追加すると平安大将棋ができるという構造になっていますから。

    投稿110)では、いろいろ書いていますが、一番面白そうなのは、平安大将棋にすでに猛豹(=猛虎)が入っていた、ということです。猛豹は古い駒です。または、早くに漏れ出してきた駒です。

    投稿110)は途中で終わっていますので、投稿111)に空想部分を、書きます(たぶん、明日)。猛豹と飛龍が五行思想の中に入る説明です。飛龍の駒は、早々に登場したとして不自然ありません。龍は、そもそも、玉を守る存在だからです(手には玉を持っています)。

    ところで、東洋の龍は飛ばないのです。翼がないからです(西洋の龍にのみ、翼がある)。では、なぜ、飛龍なのか。これが、山海経に書いてあり、だから、飛龍は山海経からだろうと見た次第です。ちょうど、猛豹も山海経でしたし。これは、もう、山海経だろうということです。投稿111)にこの件書きます。

  • #3

    mizo (金曜日, 12 9月 2014 00:21)

    私も一言
    二中歴将棋(平安将棋)の駒名について、マックルック系の簡単な駒は、王将・金将・銀将にあたる駒は植物の茎を水平に切り高さの違いのみで区別します。桂馬にあたる駒は上部が斜め切(馬の顔)、香車にあたる駒は半分に縦切りして横置き(かまぼこ形)、歩兵にあたるのは貝殻です。文字駒化するに際して、高さのみで区別したものを将とし、玉・金・銀とつけたと思われます。(主な遊戯者である船員たちが理解できる船荷の荷札表現に由来)
    また、桂香も重要な積荷でなじみ深い文字であったと思います。
    以上、証拠がない話です。
    本題の二中歴大将棋(平安大将棋)の新しい駒。
    そもそも、二中歴大将棋は貴族たちが庶民とは違うゲームを創ろうとした労作だと思います。中国のシャンチーも参考にしたと思われます。シャンチーと同じ4列目に歩兵、自陣敵陣中間地帯を3等分近くにするため、まず13間というマスの数を決めたと思います。金成りの制約から、弱い駒が大量生産されます。歩兵から「注人(仲人)」という旗持ち?が、玉・金・銀に続く金属として、「銅将」「鐵将」(長さんと同じ考えです)、香車から「奔車」(より強い)「横行」(走る方向を表す)。ここまでは元の駒の名前を考慮していると思います。さて、問題の「飛龍」「猛虎」、四神というより前に進めない人間らしくない駒として、龍虎というありふれた人気のある名称が選ばれたと思います。天の龍地の虎です。

  • #4

    T_T (金曜日, 12 9月 2014 02:01)

    コメントありがとうございます!

    平安大将棋の飛龍の件、まだ投稿できていませんが、古代の将棋を、陰陽道の色めがねをかけて見ていますと、本当に全部が納得できてしまいます。飛龍の駒が山海経由来だろうと直観していますのは、そもそも東洋の龍には翼がないのですが、山海経の龍にだけ、唯一?、翼が書かれているのです。山海経では、応龍と呼ぶのですが、この龍は、日本では、飛龍と呼ばれているらしいのです(どの文献で飛龍と呼ばれたのかは調査中)。それに、ちょうど、猛豹も山海経にあります。しかも、猛豹は猛虎とも呼ばれていて、その駒が、ちょうど平安大将棋に中にある。さらに、飛龍、猛虎、銅将、鉄将、奔車の5駒で、五行相生と五行相剋が形成されているかも知れないと、ここまで来ますと、やはり、この5駒はいっしょに導入された駒だと思わざるを得ません。古代の将棋の駒には、何らかのきちんとした導入理由があったものと考えています。摩訶大将棋の駒は、その大部分が、きちんとした理由に基づいているように感じます。つまり、十二支であり、十干であり、伎楽面の名前から来ているように見えますが、平安大将棋も同じくそうだったのかということで、謎の答えを掘り当てた感が多少ともあります。

    それと、これもまだ投稿していませんが、宝応将棋にも、きちんと陰陽道(中国ですので、陰陽五行思想というべきかもです)が現れています。宝応将棋の存在可否は別にして、中国でも、将棋は陰陽道と結びついていたのでしょう。この件、宝応将棋の「六甲」という単語に現れています。六甲は干支です。甲子・甲寅・甲辰・甲午・甲申・甲戌が六甲ですので、六甲は6つの駒ということです。6つの駒を乱れなく進めよということで、ちょうど、古代の将棋の駒数と同じです。つまり、ひとつひとつの駒が、六甲のいずれかに対応しているのでしょう(十二支の子・寅・辰・午・申・戌との対応でしょう)。宝応将棋の駒は、干支と対応づけられていると、これだけを言っても説得力は小さいですが、摩訶大将棋にも、平安大将棋にも、同じように見られるわけですから、これはもう、そうだということではないでしょうか。六甲の解釈は、当初の解釈(伊東先生の解釈)でほぼ問題ないように思います。陰陽道を意識していなかっただけです。六甲の件、近々にもきちんと投稿しますが、この件、再検討お願いいたします。

  • #5

    T_T (金曜日, 12 9月 2014 02:18)

    上のコメントで1点書き違えをしました。駒数ではなく、駒の種類です。古代の将棋の駒数と同じ --> 駒の種類と同じ、です。

    ついでですので、少し書きますと、六甲(干支)=6つの駒種を、もし平安大将棋に無理やり当てはめると、次のようになるでしょうか。平安大将棋に六甲はなくてもいいですが、もしあるとしたらという話です。

    甲子:*将
    甲寅:猛虎
    甲辰:飛龍
    甲午:桂馬
    甲申:*車 <--- 申と車の字の類似!
    甲戌:歩兵

    甲申が、車の駒に対応しているということを、書いてみたかっただけかも知れません。

  • #6

    mizo (金曜日, 12 9月 2014 08:17)

    龍は、蛇、鰐、河川、水神と関連があり、竜巻に乗り昇龍となります。雨を降らせる雨雲の中にいるので、翼がないから飛ばないとはならないと思います。物理的な力で飛ぶのではなく、神秘的な力で飛びます。
    六甲という言葉は、軍師が天馬・上将・輜車の3種のそれぞれに別の指示(駒の動きを類推させます)を出したあとの、まとめとして出てきます。各2部隊、合計6個部隊と考える方が、適切だと思います。将棋の駒としてもあてはまります。歩卒は格下の存在で軍師が直接指示する相手ではありません。また、将軍(=王)は軍師の命令を承認する立場で六甲に入るの不自然です。

  • #7

    T_T (金曜日, 12 9月 2014 10:19)

    コメントありがとうございます!

    飛龍の件、六甲の件ともに、ブログ本稿に早々に投稿しますので、以下、短信ですが。

    龍の件ご指摘どおりですが、問題にしていますのは、翼があるかないかです。翼をぱたぱたさせて飛ぶ龍は、山海経の龍だけで、山海経由来としたわけです。

    六甲の件ですが、mizoさんのその解釈ですと、六甲の「六」しか見ていなくて、「甲」を無視していることになります。中国の古文献で、六甲と言うと、たぶんですが、95%以上、干支を意味するのではないでしょうか。六甲が干支であり、将棋が陰陽道と関わっているだろうという観点で、宝応将棋の件、再考すると、どうなるでしょうかと、これは、また次お会いしましたとき、直接おうかがいしたいと思います。

    六甲ですので、6個という個数ではなく、6種類の駒を意味しているはずです。そして、六甲は乱れるな、と言っているのは、陰陽道の神様です。中国だから道教の神様でしょう。将棋という遊戯の、ある部分に呪術の要素があったとして、そのあり方は、こういうものではと考えます。対局することで、天の声を聞くわけです。

  • #8

    mizo (金曜日, 12 9月 2014 23:13)

    甲は甲冑で戦闘部隊を表していると解釈しました。
    私の中国語能力は0に等しいのですが、平凡社の東洋文庫16「唐代伝奇集」(前の直彬)p90に「六軍の順序は乱れることなかれ」とあります。
    話は変わりますが、干支の順ですと次のようになります。
    甲子:*将
    甲戌:歩兵
    甲申:香車
    甲午:桂馬
    甲辰:飛龍
    甲寅:猛虎
    これをもとに、六甲=甲寅=虎を小沼先生は、主張されています。
    「銀将の祖先は虎だった」

  • #9

    T_T (土曜日, 13 9月 2014 00:39)

    コメントありがとうございます!

    私も漢文はきちんと読めませんので、好ましい結論になるよう読めて、かつ、文法上おかしくなければ、それでよしとしています。結果論としては、東洋文庫の訳「六軍の順序は・・」でいいように思いますが、六軍の六は、6種類を意味する六ということが前提です。コメント#5では、干支の順でなく、十二支の方でソートしましたが、干支の順で書いた方がよかったですね。

    それと、六甲=甲寅であるとのことですが、六甲は、甲子・甲戌・甲申・甲午・甲辰・甲寅の総称ですので、ひとつだけを指すことはありません。たとえば、六癸と言えば、癸酉も、癸未も、該当します。後日に投稿しますが、天武天皇が、六癸の日にこだわっていた記述をみつけ、宝応将棋の六甲の解釈を確信した次第です。