131)摩訶大将棋の未:ブログ4年目

摩訶大将棋の未
摩訶大将棋の未

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

2012年1月から本ブログを始めていますので、今年で4年目になります。摩訶大将棋の復刻も最終段階に入った感があります。もうこれで終わりだろうと思っていたら、次の新しい発見があって、また別の新しい発見があって・・・ということのくり返しでしたが、もう大きな予想外はないだろうと思います。去年の秋に仲人の動きが解明されたことは大きかったです(投稿116、投稿120を参照下さい)。残す大きな案件は奔王の問題だけと考えています。この件、活字としての原文はわかっているのですが、原本をまだ見れずにいますので、投稿できていません。今月中には、仮説だけでも投稿します。

 

それと、当初思ってもいなかったことが、この1年でわかってきました。摩訶大将棋の復刻が、将棋そのものの歴史にもある程度の関連を持っていたということです。古代のボードゲームを、古文書の層の中から発掘している感じです。この件は、摩訶大将棋の駒の中に十二支の駒が含まれていたということが発端ですが、そういう単純な対応だけに留まらず、もっと深い事実が含まれていそうです。投稿129)に書きました象經序からの発展で、この場所には貴重な埋蔵物(文献)が続々とあります。今年は、しばらくは、この件での投稿が多くなると思います。


上図は、今年の干支、未の字です。玉将のまわりに、成り駒の王子、教王、法性、伎楽面の駒を横に7つ、斜めの線は、十二支のはじめ、子丑寅の駒と金銀銅将です。つまり、天の駒、地の駒ということです。酔象-王子、提婆-教王、無明-法性、玉将-奔王、狛犬-師子、龍王-龍馬のペアを並べて置いています。最後の1駒を猛豹にしました。猛豹は、非常に重要な駒ですから。


駒を並べたかったのですが、盤も駒も研究室に置いたまま、うっかりしていました。

 

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コメント: 4
  • #1

    mizo (日曜日, 04 1月 2015 22:57)

    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いいたします。
    さて、玉将-奔王がペアという理由は何でしょうか?
    チェスのキングとクイーンはペアですが、関係がありますか。玉将≒王将-奔王ですか?
    また、猛豹が非常に重要な駒だという根拠は何でしょうか?

  • #2

    T_T (月曜日, 05 1月 2015 01:01)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!
    今年もよろしくお願いいたします。

    ところで、玉将-奔王のペアの件と猛豹の件、どちらも、後日投稿予定で、現在検討中の題材です。詳しくはあとしばらくお待ちいただけますでしょうか。

    以下、簡単ですが。。。
    玉将-奔王のペアの件ですが、投稿73)のとおり、玉将の成りとしての奔玉=奔王という点がひとつ、あとひとつは、奔王が、王子と同様、玉将相当なのではという考え方によります。奔王が玉将相当である件、原本を探すのに手間取っていまして、まだ詰め切れていません。2月中には、途中経過を投稿予定です。

    猛豹の件ですが、先ほど、投稿133)を書いたところですが、吉備真備説を全面却下はしないというスタンスを取る限り、同じく大江匡房の話(酔象と猛豹の話)も却下できません。そうしますと、酔象も猛豹も、遅くとも12世紀はじめには存在したことになります(そのとおり、11世紀の酔象が出土しています)。この点が1点目です。あと1点は、別の古文書の猛豹で、この件、3月以降に投稿予定でいます。個人的には、こちらはかなり大きいです。

  • #3

    長さん (月曜日, 05 1月 2015 16:02)

    奔王を支点にして、図のそれより上部と、すぐ下を見ると、この将棋が確か象棋六種之図式に記載されているように、「仏門に入った者の作であるかもしれない」という説が、「そうかもしれないなあ」とウナずけますね。

  • #4

    T_T (月曜日, 05 1月 2015 18:34)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    自分でいうのもおかしいですが、
    酔象と猛豹の駒で、上下の端が引き締まりました。
    左右の端も、提婆と無明で引き締まっています。

    象棋六種之図式の著者は、たぶん、金剛や力士の駒も仏教関連だと思っているのでしょうが、この点は、違っている可能性大です。つまり、金剛、力士は、伎楽面から来た可能性大でしょう。