166)再考:将棋の駒はなぜ五角形か

(本稿、書きかけです。後日、大きく追加変更します)


将棋の駒が五角形である理由は、将棋の起源と同じく、多くの人がわかっていると思っていたのに、まだわかっていなかったことのひとつです。一般論としては、ある程度納得のいく簡単な答えは出されているようですが、現状、将棋の起源がわかっていない以上、将棋の駒が五角形である理由を解明するのはむずかしいことです。将棋の駒が五角形である理由は、将棋の成り立ちとセットで解明されるべき事柄だからです。


以前の投稿でも書きましたとおり、多くの人は、古代日本の将棋を遊戯として捉えています。そのために、駒の形状の理由も遊戯という枠組みの中で考えられることが多いのですが、遊戯の駒として使うという前提が、すでに大きな仮定なのですから、その結果は確かなものであろうはずがありません。


では、将棋は遊戯ではないという可能性があるのか。この点については、本ブログで書いてきましたとおり、薬師如来、陰陽道、法華経、日蓮宗、呪術、といった単語の示す範疇がその候補となります。遊戯であることには違いないのですが、遊ぶことを主目的としない遊戯は、平安時代、いくつもあったわけで、たとえば、神様への奉納と関係した遊戯がそれです。陰陽道の呪術も、薬師如来への供養も、その候補であって問題はないでしょう。


さて、本稿の命題に対して、方法論がひとつあります。五角形を探し出すということです。呪術や仏教や陰陽道の中で使われていた木の五角形の何か、そういう物が存在するのかどうかということを調べるのです。本稿では、見つかったいろいろな五角形を紹介します。


出先からですので、画像がありません(掲載の申請も取らないといけませんし)。追加・修正のときにアップロードします。

一番に取り上げたい写真は、古代中央アジアの遺跡からの出土品で、木の五角形に仏像の絵が描かれているものです。以前の投稿でも書きましたとおり、玉将が薬師瑠璃光如来だとしますと、原始摩訶大将棋の玉将には、薬師如来が描かれていたかも知れません。薬師如来の駒があれば、取り囲む十二神将の駒もあるに違いないわけで、五角形には、十二神将が描かれていたのだろうと想像します(十二神将は薬師如来の眷属です)。

ところで、興福寺の板彫十二神将のことをご存知でしょうか。天皇が使うのだとすれば、将棋の駒は、たとえば、このような立派すぎる駒だったのではないかと思うのです。事実、平安時代前後では、一番の使い手は天皇ですし、正倉院の囲碁や盤双六のセットからもわかるとおり、すべてが豪華絢爛、木の五角形に文字を書いただけの駒では、どうしても不釣り合いに思えてしまいます。中央アジア出土の仏像の絵の駒が、書き駒だとすれば、こちらの方は彫り駒といっていいかも知れません。板彫十二神将は、平安時代の制作です。そして、これが古代の将棋の駒の中心地、興福寺にあるということが、この空想の重要な点です。

(本稿、まだまだあります。一番エキサイティングな空想から入りました。また後日に)