188)Ancient Japanese Big Chess Reproduction

(書きかけです。2,3日中に書きます。)

 

2016年8月12日 追記

2、3日中に書きますと言って、もう4ヶ月以上すぎてしまいました。すいません、いろいろ事情がありまして。

 

以下の2つの図面は、先月、中国で開催された国際会議の予稿に掲載したものです。発表者はもちろん私ではなく、研究室の大学院生が発表しています。本稿のタイトル、Ancient Japanese Big Chess Reproductionはそのときの発表タイトルです。

 

大型将棋の起源についてどうお考えですかということを、たぶん、多数来られるであろう中国の研究者に聞いてみたかったということがあります。ただ、中国で開催された割には、中国の人は少なかったということでこの件の議論は実現しませんでした。

 

議論になった場合、一番の話題は,ペルシアからの大型将棋の伝来をどうみるのかということです。もしくは、可能性はかなり小さいとは思いますが、ペルシアへの大型将棋の伝来をどうみるのかということです。このことについては、まだ学会発表はしていませんので予稿もありませんが、資料が整えばすることになるでしょう。本ブログできちんと書いたのかどうかあやふやなのですが、論点は次の点です。

 

1)ペルシアにも日本にも、成ると王子(Prince)になる駒が存在する。この駒ができた場合、たとえ玉将(King)が取られたとしても負けではない。相手が勝つためには、王子と玉将の両方を取らねばならない。

 

2)ペルシアにも日本にも、最前列の歩兵(Pawn)の前にぽつんと飛び出した駒が存在する。摩訶大将棋で言えば、仲人の駒である。

 

上記の2点は、両方とも、世界の他の将棋類には見られない特徴であり、ペルシアの将棋と日本の将棋の密接な関係性を暗示しています。将棋の起源を探る糸口でもあり、後日、本ブログにてきちんと投稿します。


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コメント: 6
  • #1

    長さん (火曜日, 26 4月 2016 16:13)

    他の日本の古い駒数の多い将棋群と、ことさらに違いを際立たせるとしたら。
    英語駒名略記号で、「王子」を「Pr」ではなくて、Childの略記。
    「Ch」にするというのは、どうでしょうか? 「太子」ではなくて「王子」
    つまり、「童子」の別名に、この将棋種だけしているという意味の強調です。
    個人的には「太子(釈迦)」と「王子(若王子)」は、どちらも仏教系統の単語で。
    意味が、上記のカッコ内のように違うと、解釈しています。
    これが、玉将の成りを。この将棋では、自在王という「世」を頭に付ければ
    阿弥陀如来の、先達の名前を示唆する駒名としている事と相まって。
    この将棋と西暦1532年という年号との、何らかのつながりを示唆している
    という訳です。たとえば、この将棋種が、それ以前から有ったとしても。
    たとえば曼珠院の僧侶により、酔象の裏が、釈迦の意の太子から、若王子の王子に。
    忌んで変更された等を臭わせるというわけです。何せ、お釈迦様は、殺生や戦争が
    大嫌いですからね。つまり。
    西暦1532年に。阿弥陀如来への信仰の厚い、浄土真宗関連の宗派の一向一揆が
    奈良の興福寺等へ攻撃を仕掛けた事件との関連性を、この将棋は臭わせていると
    言う訳ですね。つまりは。
    既に有力視される説の一つとなっているように、この将棋種は。摩訶大将棋連盟の
    活動の一大拠点。奈良県奈良市の興福寺付近で。創作された可能性が。おおいに
    あるのではないかと、私も常々疑っていると言う事です。

  • #2

    薫ん (月曜日, 13 6月 2016 21:55)

    わざわざありがとうございます。
    一つ疑問に思ったのですが,他の歩き駒は
    「歩けた方向に走れるようになる」
    と言う成り方で統一されているのに,
    歩兵だけ「奔兵」などと成らずに金将に成るのでしょうか。
    統一性という意味では,奔兵の方が納得出来ると思ったのですが。

  • #3

    T_T (火曜日, 14 6月 2016 09:03)

    薫んさんへ
    本稿、図を載せたきり途中で中断し長らく書けずにいます。あとしばらくお待ち下さいませ。
    ご質問の件も、特に問題なくお答えできます。

  • #4

    長さん (木曜日, 18 8月 2016 14:30)

    加筆文中、「中国で開催の国際会議」が何を指すのかよく判りませんが、検索してヒット
    する「CCG EXPO 上海(第12届中国国际动漫游戏博览会)」を指しているかもしれ
    ないと思われます。その国際会議の内容から、遊戯史研究家の参加は、少ないように
    イメージされます。博物館の学芸員というより、コンピュータプログラマーの会議だっ
    たのではないのでしょうか。よって、文化史的博物館の学芸員系の研究者の集まりで
    再度、「大型将棋の起源についてどうお考えですか」と問いかける事は、きわめて重大
    かつ有意義である事だと私は思います。
    「北宋の時代に、中国人が『広象戯』として発明」との答えが、返ってくるのではない
    かというのが私の予想。摩訶大将棋という19×19升目の大型将棋は。北宋の時代に
    晁補之が公案したとされる、仔細不明の中国起源の大型将棋に、最も関連の深いゲーム
    と考えて、良いのではないかと私は思いますが。

  • #5

    T_T (水曜日, 07 9月 2016 09:26)

    薫んさんへ(#2)
    歩兵が金になるのは、伝来元の将棋(たとえば、Shatranj)の影響が強いからと考えます。
    Pawn(歩兵)がGeneral(金将相当)に成るということが、将棋ルールの根底にあったのではないでしょうか。

  • #6

    T_T (水曜日, 07 9月 2016 09:33)

    長さんへ(#4)
    広象戯云々の答えは、学会の場では出てこないと思います。そういう文献はないからです。
    空想は空想として、また別の話になるのではと。

    私も空想は好きですが、摩訶大将棋の復刻については、文献と出土だけでと思っています。
    あまり空想は入れたくありません。