2016年

9月

12日

198)TGS2016: 8)大型将棋の宇宙論: 膨張か収縮か

ひとつ前の投稿197)にて、将棋史のグランドデザインについて少しコメントしましたので、もう少し追加しておこうと思います。如何に頑固に自説を主張したとしても、文献や出土駒と矛盾している場合が、気づかずにあるかも知れません。

 

そういうことを、本ブログで展開しているシナリオ、つまり、「大型将棋の収縮宇宙論」に対して、軽く検証してみたく思います。

 

また、いわゆる、「通説」という言葉で説明してしまいがちなものについても、検証してみます。大型将棋史においては、通説というものは存在しないと言っていいでしょう。通説がこうだからああだから、だから、あなたの説は間違っていますと言われることが、ごくまれですが、あります。そう言われる方は、たぶん、通説だ一般論だというだけで、考えるのをやめてしまっているのでしょう。

 

(投稿中です。今夜書きます。)

 

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2016年

9月

11日

197)TGS2016: 7)鳳凰と麒麟の踊り:復刻の注目点

摩訶大将棋/大将棋では、鳳凰と麒麟は踊り駒です。この2駒が踊り駒だということは、象棊纂圖部類抄の解読から得られたもので、摩訶大将棋の復刻中ベスト5に入ると言えるでしょう。試験対局を経て、対局会では2年ほど前から採用していたと思います。飛龍や夜叉が踊りであるのに、格上の名前を持つ鳳凰が踊りではないというのは、明らかにおかしいわけですから。同様に、猛牛より格上の麒麟も、当然踊り駒であるべきです。

 

中将棋にも鳳凰と麒麟の駒がありますが、中将棋の方は、ジャンプするだけで踊りの機能はありません。もちろん、この動き方もこれで正しいわけです。

 

ところで、駒の名前が同じなら動きも同じであるというのが将棋の原則ですが、鳳凰と麒麟の場合、この原則からは外れます。最近の投稿193)で仲人の駒の動きが、中将棋の成立当初で変わったということを説明しましたが、鳳凰と麒麟も、このときの理由とほぼ同じ理由で、もともとの動きから変わったようです。象棊纂圖部類抄では、或説曰(或る説曰く)という言い方を用いており、中将棋の成立当初では、2つの動き方が採用されていたものと思われます。

 

少し脱線しますが、13世紀後半の鳳凰の駒が鶴岡八幡宮から出土しています。裏は奔王です。しかし、これだけの情報では、この駒が踊ったのか踊らなかったのかは不明です。ただ、少なくとも13世紀後半には、大将棋が成立していたことが確実となります。したがって、摩訶大将棋も成立していたのです。中将棋が成立していたかどうかは、これだけでは結論できませんが、中将棋という単語が日記等に現れ出すのは、15世紀前半まで待たねばなりません。中将棋は13世紀にはまだ存在しなかった可能性が高く、鶴岡八幡宮の鳳凰の駒は、たぶん「踊っていた」と思われます。

 

本ブログでは、摩訶大将棋を大型将棋の起源近くにある将棋として、将棋史のグランドデザインを描いています。文献や出土駒は、そうしたグランドデザインの正否を検証するものですが、上記の鳳凰の駒は、本ブログのシナリオに全く抵触しません。もし大将棋も摩訶大将棋も13世紀後半にはなかったというシナリオだったならば、それは完全にNG、間違いが確定するわけです。

 

象棊纂圖部類抄の解読については、以下のリンクに書きます。興味ございましたらご一読のほど。

 

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2016年

9月

09日

196)TGS2016: 6)象棊纂圖部類抄の読み方:大将棋の注釈

象棊纂圖部類抄の大将棋(15マス)の復刻について書きます。象棊纂圖部類抄は全編がパズルのような古文書ですので、そのまま素直に読んだだけでは、何も出てきません。たとえば、投稿193)で書きましたが、中将棋のところに「仲人不行傍」と書かれていることから、間接的に、大将棋の仲人は傍らに行くというルールを知ることができるのです。

 

結論からまず書きますと、大将棋も、摩訶大将棋と同様、とても面白い将棋だということがわかります。大将棋では、摩訶大将棋にあった強力な大駒が多数取り除かれていますので、戦局が落ち着き、現代将棋に近い趣きになります。どちらが面白いかという話ではなく、個人的な好みの問題でしょうか。同じ競技でも種目が違うという感じです。400m走と5000m走、平泳ぎと個人メドレー、鉄棒と床運動、そういった感じです。

 

さて、象棊纂圖部類抄の大将棋の箇所ですが、大将棋の図の後ろには、短い注釈が2行書かれているだけです。次のとおりです。

 

大象戯成馬 以上三枚

酔象成太子 鳳凰成奔王 麒麟成師子

 

ただ、この部分、文章が言葉足らずなのです。きちんと写本されなかったのだろうと考えます。そのままに読んでしまうと正しい解読はできません。この続き、次のリンクにて書きます。

 

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2016年

9月

08日

195)TGS2016: 5)明月記の大将棋:「三盤了」の謎

藤原定家の日記「明月記」、正治元年(1199年)五月十日の条に「三盤了」が出てきます。

 

自夜暁更甚雨如注、終日不休、河水大溢、依番為上格子参上、

殿下出御、於御前指将碁、国行被召合、三盤了、殿下御堂了退下

 

後鳥羽上皇の御前で定家が将棋を指したという記事です。文面の流れからも(洪水が起こり、その報告に行きました。そして、・・・という流れです)、当時の将棋が単なる遊戯でないことは明らかですが、本稿のテーマはこの件ではなく、対局数の方です。三盤了。3回も指したというのです。

 

この三盤了のことは、ずっと謎でしたが、今年7月の学会発表で、その答えの候補を提示できたものと思っています。指された将棋は、現状で既知の将棋から選ぶとすれば、大将棋か摩訶大将棋でしょう。少なくとも、指された将棋は平安将棋や平安大将棋ではありません。本稿、この点がテーマとなります。以下、次のリンクに。

 

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2016年

9月

07日

194)TGS2016: 4)仲人の駒はペルシア伝来か

Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)
Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)

将棋の伝来元としてのペルシアについては、これまでも何回か書いてきました。たとえば、投稿188)、182)、179)、176)、157)等で、古代ペルシアの将棋Shatranjとその大型系列を取り上げてきました。

 

日本の将棋の起源が議論されるとき、たいていは、中国からの伝来か、または、東南アジアからの伝来を考えるのが普通です。その際、皆さんが思い浮かべているのは、現代将棋か小将棋であって、大型将棋については全く考慮されていません。その大きな原因としては次の2点でしょう。

 

1)将棋は小さい将棋から大きい将棋へと発展していったという先入観がある。

当然、小将棋が一番始めという前提ですから、起源を考える際には、小将棋のことしか問題にされていないように思います。

 

2)大型将棋は対局された将棋ではなかっただろうという思い込みがある。

大型将棋は遊戯としては重要でないということで、考えの対象から自然に外れてしまうのかも知れません。

 

ところが、世界の将棋との類似性という観点で見てみれば、これまで無視されてきた大型将棋の方に多くの類似を見ることができるのです。詳細については、上記しましたこれまでの投稿を参照していただくとして、本稿では、思い切り踏み込んで、大型将棋と大型チェスの関係性まで空想してみたいと思います。

 

まず、冒頭の図面ですが、大英博物館のアラビア語の文献:ms7322からです。

図は、14世紀のTamerlane chess(チムール朝の将棋)から派生したShatranjの大型系列とされていますが、まだまだ不明な点は多いようです。ところで、この将棋には、pawn(歩兵)の列の上にまだあと3つの駒が並んでいます。まるで仲人の駒のようではないですか。長くなりますので、続きは、以下のリンクにて。

 

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2016年

9月

06日

193)TGS2016: 3)仲人の駒の復刻

仲人については、以前の投稿116)、140)、169)、170)にて書いていますが、TGS2016に向けて、もう一度本稿でまとめてみようと思います。これらの内容は、今年になってからも3つの学会で発表し、異論はなく概ね受け入れられている考え方です。

 

ところで、摩訶大将棋の復刻の説明は、どの場合でもそうなのですが、これまでの通説は間違っていますということの説明でもあります。ですので、どこが違うのかという点からスタートする方がわかりやすいでしょう。仲人の駒は中将棋(12×12マス)、大将棋(15×15マス)、摩訶大将棋(19×19マス)のいずれにも含まれる駒で、前後に1目だけ動く駒とされてきました。ほとんどの古文書にそう書かれていますし、そもそも遊戯自体として現代にまで伝わっている中将棋の仲人がそのように動くのですから、疑いようもありません。駒の名前が同じであれば、駒の動きも同じであるというのが将棋の原則、中将棋がそうであれば、大将棋や摩訶大将棋の仲人もそのように動くのです。

 

しかし、実際はそうではなく、仲人の動きは、中将棋と大将棋/摩訶大将棋では違っています。この点は、上記の投稿にて詳細していますので、そちらを参照いただくとして、以下、考えの流れのみまとめてみます。

 

ところで、この議論には、大型将棋の成立順が関係しています。この件も、本ブログでたびたび取り上げていますが、話を煩雑にしないため、まず大将棋と中将棋の仲人だけに絞ります。この2つの将棋の成立順については、大将棋が先に成立し、中将棋が後世にできたということで、通常、議論の余地はありません。なお、この成立順は仲人の動きの復刻とはほとんど関係しませんが、成立順も念頭に置けば、さらに納得しやすいでしょう。では、この続き、長いですが、すぐ下のリンクを。

 

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2016年

8月

26日

192)TGS2016: 2)復刻された将棋であるということ

摩訶大将棋は復刻された将棋です。私たちの研究室で対局している摩訶大将棋のルールは、

可能な限り、古文書の解読に基づいています。

 

ただ、ごくまれにではありますが、摩訶大将棋のルールはこう変えた方がいいのではないでしょうかと主張される方がおられます。しかし、私はそういう考え方に全く興味が持てません。平安時代に指されたとおりの摩訶大将棋を今そのままに指すということに意味があると考えます、昔のとおりということ自体が面白いのです。ルールを勝手に変えた摩訶大将棋、それは現代摩訶大将棋と呼ばれるべきものでしょうが、その現代摩訶大将棋を指したいとは全然思いません。

 

ところで、物事はうまくなっているもので、古文書のとおりに復刻したルールが、つまり、当時の摩訶大将棋のルールが結局一番面白いという結果になりそうです。そもそも面白くなければ、千年近く前の将棋が、古文書のくり返された写本の中に脈々と伝わることもなかったでしょう(※)。

 

今まで、摩訶大将棋は駒を並べただけのもので、対局されたことはなかっただろうと考えられていました。なぜなら、対局しても面白くなかったからです。これがルールだろうというルールでもって、研究者が対局を試み、愛好家が対局を試みたのでしょうが、面白くなかったのです。確かに面白くありません。しかし、それはルールの解釈だけの問題でした。古文書をきちんと解読すれば、これまでルールとされていたものは間違いだったと言わざるを得ません。次稿で、この具体例をいくつか示すことにします。

 

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※)こうした観点からは、平安将棋と平安大将棋についてはまだまだ考察が必要だと考えます。または、二中歴の記載が正確なのかどうかということまで考えるべきかも知れません。 

2016年

8月

26日

191)TGS2016: 1)出展に向けて

投稿189)にて速報しましたとおり、東京ゲームショー2016のインディーゲームコーナーにて、アドバンスド摩訶大将棋の展示が採択となりました。展示の要旨は以下のとおりです。今日からTGS2016が始まるまでの間、摩訶大将棋のことを本ブログにて詳しく伝えていきたいと思います。

 

直結のURLは次のとおりです。ブログのタイトルをMaka-Dai-Shogi-04とし、これまでのブログのような漢字入りのURLではなくなりました。海外からの直接のアクセスも期待できそうです。

http://www.takami-lab.jp/maka-dai-shogi-04/

 

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摩訶大将棋は、平安時代後期に創案された日本の大型将棋です。縦横19マスの将棋盤と、敵味方合わせて192枚、50種類の駒を使いますが、その駒数の多さのため、実際に対局されたことはなかっただろうと考えられてきました。4年前より私たちの研究室では、室町時代の古文書や平安時代の日記、随筆に基づいて、摩訶大将棋のルールの復刻を進め、ルールの通説(江戸時代の古文書の内容)の多くは間違いであるという結論に至りました。その結果、摩訶大将棋は実際に対局された将棋であり、非常に面白いボードゲームだということがわかっています。

 

ブースでは、この摩訶大将棋にコンピュータ支援機能とネットワーク対局機能を付けた電脳摩訶大将棋(=アドバンスド摩訶大将棋)を展示し、復刻されたルールの紹介もいたします。また、そのような復刻の元となった古文書解読のこと、駒の名称の意味、大型将棋史や将棋の伝来についても説明させていただきます。

 

摩訶大将棋はボードゲーム/遊戯であると同時に、古代の合戦や仏教の世界観、陰陽道の占いを絶妙のゲームシナリオでもって表現する将棋です。また、摩訶大将棋の駒の起源を辿れば、薬師如来、十二神将、伎楽、狛犬と師子、法華経、易占、古代ペルシアとの関連性が見えてきます。摩訶大将棋には、古代日本の文化史が盤と駒の向こう側に見え隠れしていることは確かです。

 

復刻を重ねるにつれ、摩訶大将棋のルールのもつ緻密さが明らかになり、したがって、対局されたに違いないことも明らかで、また、平安時代後期にこのようなゲームを創作したゲームクリエイターが日本にいたことにも驚かされています。私たちは摩訶大将棋の制作者ではありませんが、長らく埋もれていた摩訶大将棋の発掘者として発表させていただきたく思います。