201)十二支の駒について

前稿からの続きを書く前に、まず摩訶大将棋の十二支の駒について書いておかねばなりません。十二支の駒については、本ブログにて何度か投稿していますし、次の論文の中でも解説があります。

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大型将棋の成立順に関する考察: 高見友幸、中根康之、原久子

映情学技報,vol.40,no.11,AIT2016-86,pp.147-150,2016.

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十二支の駒は、鳥羽上皇が十二枚の駒を使って占いをしたこと(1129年)や、大型将棋の成立順の解明とも関連し、大型将棋史では、非常に重要な観点となります。ところで、本ブログで投稿した範囲内では、摩訶大将棋の十二支の駒は、十二支の順に、

(A)老鼠・猛牛・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪

としていました。驢馬は「ウサギウマ」ですから卯に割り当てています。未に相当する駒のみ対応がつきません(何らかの理由があったのでしょう)。念のため、下図に、摩訶大将棋の初期配置を示します。

 

摩訶大将棋の初期配置。走り駒:青、踊り駒:赤、動物の歩き駒:緑、人の歩き駒:黒。
摩訶大将棋の初期配置。走り駒:青、踊り駒:赤、動物の歩き駒:緑、人の歩き駒:黒。

 

本稿で補足しておきたいのは、十二支の駒は、必ずしも子・丑・寅・・・という対応そのものでなくてもいいのではないかということです。もちろん、摩訶大将棋の駒名からは、鼠、ウサギ、蛇、鶏、猿といった合戦向きではない駒が取り入れられていますので、これらの駒が十二支を意図していることは明らかです。

 

ただ、その一方で、十二支と直接の関連ではないが、ちょうど12種類になる駒グループが存在しています。それは、摩訶大将棋の場合、以下のとおりです。

 

(B)踊り駒:12種類(上図で赤色に表示)

師子・狛犬・麒麟・鳳凰・力士・金剛・羅刹・夜叉・飛龍・猛牛・桂馬・驢馬

 

(C)歩き駒のうち、動物の駒:12種類(上図で緑色に表示)

老鼠・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪・猛豹・酔象・猫又

 

(D)歩き駒のうち、人の駒:12種類(上図では黒色)

玉将・金将・銀将・銅将・鉄将・瓦将・石将・土将・無明・提婆・仲人・歩兵

 

易占を行うにあたっては12種類の区分が必要ですが、それを上のA)のように、十二支の名称そのものを使うのではなく、B)C)D)のように、干支の名称の代用として12種類の駒名を使っていたかも知れません。一種の符号として12の方位、12の時刻や日を表現できれば十分ですので、たとえば、師子・狛犬・麒麟・・・を、子丑寅・・・と対応させればいいわけです。

 

摩訶大将棋の駒は初期配置では50種類ありますが、その内訳は、上のB)C)D)の各12種類と走り駒14種類の、計50種類(=12+12+12+14)となります。なお、C)は、十二支の駒A)と9種類が共通で、猛豹、酔象、猫又の3駒が入れ替わっています。

 

いったん、ここで置きますが、延年大将棋(93種類)も本稿と類似の分類をしますと、動物の歩き駒は36種類あります。つまり、新猿楽記(11世紀中頃という推定)の三十六禽の駒ということでしょうか。この件は後日また投稿します。

 

ともかくも、1129年に鳥羽上皇が使った12枚の駒、この時代にすでに12種類の駒グループがあったことは、将棋史にとって重要です。平安将棋の駒は、酔象を加えても7種類、平安大将棋でも13種類ですが、この13種類の中からひとくくりの駒グループを作っていたとみるかどうかは、将棋史のシナリオの描き方次第でしょう。本ブログでは、平安大将棋を易占の将棋、呪術の将棋、神事の将棋とは見ていません。12枚の駒グループを作る作れないという問題以前に、平安大将棋が、日本の国の何かを祈願した将棋、神事として上皇が指した将棋だとは、思いようもありません。これは、盤に駒を並べてみたときの実感からです。

 

つい長く書いてしまいましたが、次稿でまた平安将棋の問題にもどります。次稿では、本稿のD)の歩き駒、12種類の人の駒が重要な糸口となります。