281)玉金銀銅香とならぶ小将棋の存在:色葉字類抄から

平安将棋と中国象棋、この2方向への分岐を議論する際、問題となるのは平安将棋の初期配置である。二中歴に記載されている平安将棋の初期配置は本当に確かなのだろうか。本稿では、議論の前提として、別の「平安将棋」が存在したという考え方をとる。

 

そう考える理由は、二巻本色葉字類抄の記載内容である。二巻本色葉字類抄が示す平安将棋その2を下図に示した。玉金銀銅香という並びである。二巻本色葉字類抄は12世紀半ばの成立で、二中歴よりも早い。むしろ、平安将棋その1というべきなのかも知れない。玉金銀銅香だとする理由は以下のとおり。

 

 

色葉字類抄に記載されている将棋の駒名(*注1)には、飛車、竪行、白駒もあるが、これらの駒名は誤写であり(成り駒が書かれているだけ)、実は、駒名としては、「ト」の項にのる銅将と、「キ」の項にのる玉将、金将、銀将、香車の計5枚だけである。歩兵はないが、自然な考え方として、当時の市中に存在した将棋の駒名すべてが、辞書(色葉字類抄)に記載されたであろう。その将棋とは、小将棋であり、歩兵以外の駒は5種である。当然、大型将棋も存在していたが、それは広く市中に溢れる将棋ではなかった(大型将棋は、極端に言えば、天皇の将棋である)。

 

大型将棋を知らない人は、なぜ飛車や竪行が成り駒なのかと疑問に思うだろうが、飛車は金将の成り、竪行は銀将の成りである。ただし、これを中将棋の成りと思ってはいけない(中将棋はこの頃まだ存在していない)。金将が飛車になるのは、平安将棋の成立時にそうなったのであり、この記憶が、中将棋成立時まで残っていた。

 

色葉字類抄の中に桂馬がないことは非常に重要である。もし、上図の平安将棋その2が存在していたのだとすれば、当時の辞書には、必ず桂馬が入っただろう(結論から言えば、桂馬は中国象棋の方に入っているのである)。それに、何よりも、玉将、金将、銀将、銅将という並び方の自然さ。

 

本稿、まだまだ長く続くが、平安大将棋から中国象棋が作られたという説(第3話)、ひとまず、ここで置きたい。成り駒がどのようなルールで作られたのかやその他もろもろは次回以降にて。

 

*注1)大将棋駒名、小将棋駒名という駒名一覧が、「ヲ」の項の一番後ろに付けられているが、これは後の時代の追加と見る。