2013年

3月

20日

45)摩訶大将棋のブログ_01:目次

1ページが長くなるのはよくないらしいです。このあたりで一区切りし、別ページに移動します。間違っている投稿、怪しい投稿、書きかけの投稿もありますので、新しいページにてコメントします。01)~44)の投稿で再検討が必要な話題ありますでしょうか。お問い合わせの欄、またはコメント欄からご連絡いただきましたら、再度投稿したいと思います。以下、目次です。

 

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摩訶大将棋のブログ_01:目次

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44)師子の居喰い:2駒同時の居喰いも可能(2013/03/04)
43)ゲーム学会とーくかふぇセッション:摩訶大将棋(2013/03/02)
42)踊一目 = 居喰い(速報)(2013/02/26)
41)摩訶大将棋 第1回プリンセスKG杯(2013/02/10)
40)大将棋の駒「石将」が出土した可能性(速報)(2013/02/03)
39)嘉吉三年写本を原本とする古文書(速報)(2013/01/02)
38)摩訶大将棋の特徴:成りのタイミング(2013/01/01)
37)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(続き)(2012/12/26)
36)摩訶大将棋の特徴:踊り駒(2012/12/24)
35)仏教を表現したボードゲーム:摩訶大将棋(2012/12/22)
34)第2回 摩訶大将棋ワークショップ(2012年12月8日)(2012/12/03)
33)第9回寝屋川囲碁将棋まつり(2012年11月23日)(2012/11/22)
32)摩訶大将棋と摩訶大大将棋: 名称について(2012/11/02)
31)摩訶大将棋の模擬対局(お知らせ)(2012/10/29)
30)気になっていた象戯圖のこと(2012/10/24)
29)水辺で楽しむ摩訶大将棋(水都大阪フェス2012)(2012/10/20)
28)仮説:平安大将棋の駒の初期配置(2012/09/21)
27)宝応象戯の伝来仮説と習書木簡の酔象(2012/09/19)
26)興福寺の習書木簡:横行の駒? 卆の駒?(2012/09/17)
25)桂馬の動き: 昔は違っていたかも知れません(2012/08/23)
24)泰将棋は箸をもって指すべし(再考)(2012/08/15)
23)摩訶大将棋の駒を作ります --8(2012/06/08)
22)摩訶大将棋の駒を作ります --7(2012/06/07)
21)泰将棋は箸を使って指すべし(2012/05/14)
20)奔獏の駒と土御門天皇(2012/04/12)
19)奔獏かもの駒:徳島県川西遺跡からの出土(2012/04/11)
18)摩訶大将棋の序盤の特徴:踊り駒(2012/04/04)
17)摩訶大将棋の駒「自在王」が出土した可能性(2012/04/04)
16)唱導大将棋の存在(2012/04/03)
15)大型将棋と脳トレ(2012/03/31)
14)デジタル摩訶大将棋(その1)(2012/03/30)
13)曼荼羅と小中大将棋: 9・12・15について(2012/03/30)
12)摩訶大将棋ワークショップ開催:2012年3月31日(土)(2012/03/30)
11)大大将棋の駒「奔獏」が出土した可能性について(2012/03/10)
10)踊りの強化が摩訶大将棋(2012/03/10)
09)摩訶大将棋の駒を作ります --6(2012/02/24)
08)摩訶大将棋の駒を作ります --5(2012/02/05)
07)摩訶大将棋の駒を作ります --4(2012/02/05)
06)摩訶大将棋はダブルスだったという仮説(2012/02/04)
05)摩訶大将棋の駒を作ります --3(2012/02/04)
04)摩訶大将棋の駒を作ります --2(2012/02/02)
03)摩訶大将棋の駒を作ります --1(2012/01/29)
02)大大将棋の通説の駒初期配置図は間違い(2012/01/26)
01)摩訶大大将棋は大大将棋よりも先にできたという説(2012/01/26)
00)摩訶大将棋のブログを始めます(2012/01/26)

 

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コメント: 3
  • #1

    長さん (木曜日, 21 3月 2013 10:37)

    摩訶大(及び大大)将棋で、不思議なのは、仏教駒が
    目立つ事だと思います。この点がやはり、大きな成立
    解明の手がかりでは。2では、確率・統計その他の
    議論も駆使して、目次の13)あたりで議論された、
    その点の議論も続けてほしいですね。
     それにしても、仏教と言えば合戦・殺傷には否定的と
    近世からの言い伝えで現代人は、一般にはそう認識して
    いるのに、仏様、どうしていつの間にか、兵隊の一部
    としてこの将棋に、「ミイラ取りがミイラ」のように取り
    込まれてしまったのでしょうね。この将棋はやはり、実際
    に、合戦を経験した僧兵のような方々の作なんでしょうね。
    仏駒が互いに対戦する将棋は生々しくて、この将棋が、
    平和な近世や、鎌倉時代に成立したとはやはり、ちょっと
    私には思えないですね。なお日本で一番、残酷な内戦が
    行われた時代は安土桃山時代と、個人的には、理解して
    いますが。

  • #2

    T_T (金曜日, 22 3月 2013 00:24)

    コメントありがとうございます!

    投稿13)は、成立の時期と状況の問題でした。この件については、その後、新しい資料もなく全く進んでいません。ただ、中将棋の成立について、数点考えたことがありますので、新しいブログの方に投稿したいと思います。

    摩訶大将棋の成立時期ですが、1443年写本より以前であることは確実です。泰将棋らしき記述のある庭訓往来(14世紀)までは遡れると思います。文献的にはここまでですが、私の場合、阿波の出土駒を「奔獏」と思いたいということもあり、としますと、13世紀、鎌倉時代ということになります。

    大将棋の語句が現れ始めるのは12世紀半ばですが、大将棋が廃れもせずそのままの形で200年も300年も残っているということはなかっただろうと思いますので、時とともに進化は見せたと考えています。摩訶大将棋の出現までに100年ほどを見積もると、鎌倉時代あたりとなります。

    摩訶大将棋特有の駒として、金剛・力士、狛犬・師子、という2つの阿吽のペアが入ってますが、その全盛期だった頃、鎌倉時代という解がここにも見えています。

    鎌倉時代の出土駒である、鶴岡八幡宮の鳳凰、神鳥谷曲輪の角行(裏が金)も、摩訶大将棋の駒と考えて、あまり矛盾ありません。もちろん、現時点では確定できないわけですが、不自然さは感じません。

    ところで、仏教と摩訶大将棋の件、いろいろ考えられますが、まだ思索中ですので、この件もまた、新しいブログの方に投稿したいと思います。仏教界が精力的に動いた鎌倉時代、やはり、この点でも鎌倉に収斂してしまいます。

  • #3

    長さん (金曜日, 22 3月 2013 08:46)

     神鳥谷遺跡駒ですが、実は江戸時代の「寺の展示品」
    だった恐れもあります。寺の縁起に関する「言い伝え」
    に基づいて、その頃の神鳥谷廃寺青蓮寺に「古将棋レプ
    リカ」が江戸時代に作られ、置いてあったという事です。
     根拠としては、「いっしょに出土した手火鉢の家紋が、
    押し印型のありきたりのものであり、手火鉢については、
    江戸時代あたりに、この寺の檀家に、寺の由緒を伝える
    ための、教育用の、寺に有ったレプリカ程度の物」との、
    「空気」が、地元市役所の研究者から説明を受けた際の、
    私の印象に有るためです。「駒数のたくさんある将棋を、
    南北朝時代のここの城主、小山義政、小山隆政は指した
    が、たとえばこんな、摩訶大将棋のような駒だ。」と、
    江戸時代の真言系の寺、青蓮寺の和尚さんが、檀家に
    説教するために作った、レプリカが、本物の南北朝時代の
    「かわらけ」に交じって、出土しているという恐れが、
    まだあるという事です。
     なお、市の資料では、この遺跡を14世紀と説明して
    いますが、現場の研究者の間には、「その後の時代の
    廃寺の遺物が、ある程度交じって出ているのではないか」
    との疑いを抱いている方が、実際おられると聞いています。
    将棋駒の年代測定がされた訳では無いこと。出土したのが
    「角」が1枚だけの不思議さ不自然さから、まだこの駒に
    ついては、研究が相当不足の状態と言えます。