2013年

5月

16日

56)鶴岡八幡宮の出土駒は摩訶大将棋の駒(速報)

投稿53)で書きました日蓮の直筆の件ですが、立正安国論全文のカラーコピーを入手できました。Webでの公開を申請中です。それと、鶴岡八幡宮の出土駒に関する文献も入手できました。本投稿はこの出土駒に関する検討です。次の論文です。是非ご一読下さい!


八幡宮弓道場跡地より出土の将棋の駒、宇田川正宏、鎌倉考古、No.3、17-18、1980.


後日またゆっくり詳細を投稿いたしますので、ここでは、短く結論のみ書きます。鶴岡八幡宮の3枚の出土駒が同じ将棋の駒だとしますと、将棋の種類は摩訶大将棋ということになりそうです。


Webからの情報では、駒は、鳳凰、歩兵、香車の3種類だとされていましたが、論文を読みますと、香車だとされていた駒は香車ではなく、奔駒のようです。駒の裏の、「奔」の字の上部だけがぼんやりと見えていたのだと思われます。駒の表は消えていたようです。この駒は細長く、サイズは歩兵より少し長い程度です。候補としては、仲人でしょうか。土将や石将の可能性もあり得ますが、字が消えていることから、画数の少ない駒の可能性の方が高いかも知れません。駒が細長いですので、他の奔駒や奔王の駒という可能性は非常に小さいと思います。ともかくも、奔駒は摩訶大将棋に特有ですので、摩訶大将棋の駒ということで確定となります。駒の年代ですが、13世紀後半から14世紀初頭ということで、日蓮の時代とちょうど重なっています。

 

3枚の駒は底部が厚く上部が薄くなっているのも特徴です。まだきちんと調べてはいませんが、江戸時代近くになるまで、駒は厚みが一定の板状のものばかりだったと思います。駒数の少ない将棋では、板状でも不都合はないのですが、摩訶大将棋のようにぎっしりと並ぶ将棋の場合、底の厚みと上部の厚みの差が重要な役目を果たします。私は、はじめの頃、摩訶大将棋の駒を、昔の駒のようにしようと思いましたので、板状の駒として作りました。それで気づいたのですが、前後に駒が並んでいると駒が持ちにくいのです。駒の厚みの傾斜は、駒がぎっしり並ぶ大将棋が指されたことの証明かも知れません。

 

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コメント: 3
  • #1

    長さん (金曜日, 17 5月 2013 10:02)

    御推薦の論文、簡単には入手できない状況です。
    鶴岡八幡宮の3枚将棋駒のうち、
    「香車」が「臭い」事だけは、確かなようですね。

  • #2

    mizo (日曜日, 19 5月 2013 12:19)

    昨日の遊戯史学会で、佐伯真一先生の講演がありました。「鎌倉時代の将棋倒し・追考」です。
    「おそらく一三世紀初頭までに、「将棋倒し」の語が存在し、比喩表現として軍記物語に利用されたと考えられる。」とのことです。
    「鎌倉時代には、「将棋倒し」が可能な、一定の厚みと整った形状を備えた駒が普及していたか。」とも書かれています。
    私は、底部が厚く上部が薄くなっている形状は、当初から普通であったと思います。

  • #3

    T_T (日曜日, 02 6月 2013 17:38)

    コメントありがとうございます!
    返信かなりおそくなってしまいました。

    長さんへ
    鎌倉考古ですが、国会図書館でコピーしてきました。
    論文に掲載されている図を見る限り香車ではなく、1文字目が奔であることがわかります。是非ご確認いただけたらと。

    mizoさんへ
    きちんと調べたわけではないのですが、15世紀までの出土駒では、ほとんどの駒が一定の厚みのものであるという認識でいました。底部が厚く上部の薄い駒の方が一般的だとしますと、それは、つまり、大型将棋が普通に指されていたということにもなりそうです。出土駒からは、鎌倉・室町の小将棋(中将棋も?)は、たぶん、一定の厚みの駒だったのでしょう。

    鶴岡八幡宮の出土駒が厚みの違う駒であり、もしこれが摩訶大将棋の駒だとしますと、この結果は逆にも使えそうです。たとえば、鎌倉時代の遺跡で厚みの違う出土駒が単体で見つかったとき、その駒は大型将棋の駒かも、といった類推に使えそうです。