2013年

6月

24日

60)無明で攻める:摩訶大将棋の棋譜

摩訶大将棋で無明が攻めに加わった場合、他の将棋とはかなり趣を異にします。無明は敵駒を取ってすぐ法性に成るわけですが、この法性の駒は最後まで盤面に存在します。無明/法性は、取っても取られても、その場所に法性が残るからです。このことから、無明の攻めに独特の(あるいは提婆の攻めに独特の)摩訶大将棋の戦い方というものがあります。本稿では、この点に、触れたいと思います。

 

下図は急戦の棋譜です。先手の師子と狛犬はすでにありません。後手が△Gg龍馬としたところ。ここで、先手は▲Eg歩兵と指しましたが、たぶん、最善手は▲Gi無明でしょう。このあとの▲Gh無明成り(法性に成る)を見ています。後手、1)奔豹の地点を守る、2)奔豹を逃がす、のいずれかです。

本稿では、1)についてだけ書きますが、このあと、△Ef角行、▲Dk右車、△Gf師子、▲Mn龍馬、と進み、このままでは、次の▲Gh無明成りを防ぐことができません。Ghの位置は、後手の角行、飛車、龍馬、師子の4駒が利いていますが、先手も角行2、右車、龍馬の4枚が利いており、取り合っても、最後には、先手に法性が残ります。そこで、後手は、△Mf銀将として鉤行にも守らせるという手でしょう。

 

注)デジタル版では先日からうっすらと市松模様の盤となっています。摩カツと角行の利き筋をはっきりさせるためです。

 

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コメント: 8
  • #1

    長さん (月曜日, 24 6月 2013 08:48)

    ▲Gi無明では、私は余裕で奔豹切るでしょうね。△Cl奔豹と、
    横行を殺しておくでしょうか? とりあえずは駒損ですが、
    ここで後手が、主導権を取り続けるのは、大きいかもですね。
    先手Kl位置の角に、奔駒に成れる駒のひもが付いていないうちに、
    △Kl右車もしたいですしね。このあと後手にだけ、獅子等が
    残っているのを、最大限生かしたい局面ですかね。

  • #2

    長さん (月曜日, 24 6月 2013 15:48)

    追記:▲Gi無明△Jk奔豹で角取っても、あんまり悪くないですかね。
    ▲Ji金剛不成△同飛車▲Kh力士不成△同銀将成なら、後手良いですね。

  • #3

    T_T (火曜日, 25 6月 2013 12:05)

    コメントありがとうございます!

    そうなんです。奔豹に飛び込まれると(後ろには逃げ場所はありません)、先手あまりよくありません。まぎれの多い▲Gi無明、△Jk奔豹の方を追いますと、以下、▲Ji金剛、△同飛車、▲Gh無明、△Gf師子、▲Lm龍馬、△Fg師子と進み、後手の師子の居喰いをうまく避けることができません。後手のFgの位置には、力士、横飛、龍馬、歩兵と4駒が利いており、先手は角行と龍馬の2駒のみ。2駒の差です(全然だめです)。仮に後手の麒麟の位置が奔駒だとして、▲Gg鳳凰、△同金将成りと進めても、Fgの位置は、まだ後手が1駒分多く、最終的な法性は後手のものになります。つまり、Fgの位置では、▲無明が法性成り、△歩兵が法性成り、▲角行が法性成り、△横飛が法性成り、▲龍馬が法性成り、△力士が法性成り、です。

    ただ、上のこの棋譜、実は、摩訶大将棋をとてもよく表しています。普通の駒が次々と法性になっていく、つまり成仏です、将棋の中に成仏を表現するという意図が含まれていたのかも知れません。しかも、盤面上のいまここで起こっているわけで、言うなれば、現世での成仏、日蓮の説いたところなのではないでしょうか(書物からの知識にすぎず正確でないかも知れません。この点ご了承のほど)。いずれにせよ、はるか鎌倉時代、双六と囲碁しかゲームのなかった頃に、摩訶大将棋という独特のゲームシナリオが創案されていました。

  • #4

    mizo (水曜日, 26 6月 2013 19:45)

    水を差すようですが、
    文献には、「無明」を取った駒が、駒を取り替えて「法性」になるとの記述はありますが、「法性」を取った駒については、何の指示もないと思います。
    取っても取られてもその場所に法性が残るということはないと思います。
    創作将棋であれば問題はないのですが…。

  • #5

    T_T (金曜日, 28 6月 2013 01:35)

    コメントありがとうございます!

    この件、古文書の解釈の問題ではないでしょうか。象棊纂圖部類抄の文面どおりを読みますと、ご指摘のとおり、無明を取ったときのみ法性に成ります。

    ただ、古文書の文面だけに頼って何の推理も入れないとしますと、現状、成りのタイミングも、踊りの意味も、全く不明です。

    古文書の記述一辺倒でもなく、また、こう思うからこうですという主観論でもなく、その中間あたりが私のポジションです。mizoさんはどのあたりでしょうか。

    さて、本題ですが、無明と同様、法性を取ったときにも、法性に成ると考えています。その理由として、次の点が一番大きいです。

    ○ 摩訶大将棋は法華経または日蓮宗が起源である可能性が高いと考えています。そうだとしますと、無明即法性、という言葉は重大です。摩訶止観にも、無明即法性法性即無明、とあります。つまり、無明も法性も同じ、法性の駒は無明の駒とみなしていいのではないでしょうか(解釈が正確でないかもですが、この点はご容赦のほど)。

    また、理由にはなりませんが、法性をいつまでも残すというルールが、摩訶大将棋の作者のオリジナルなゲームシナリオであったとして、だとすれば、それはすごいなという個人的な思いがあります。

    持ち駒ルールもそうですが、法性ルールは、伝来してきた将棋に日本のオリジナルが付加された結果です。これは、踊り駒や居喰いについても同様、そう言えるのではないでしょうか。世界のどの将棋にもないルールが鎌倉時代の将棋にあった、そのことに何か気持ち良さを感じます。

    なお、研究室では、摩訶大将棋の復刻(鎌倉時代に指されたとおりの摩訶大将棋)だけを目指していますので、新しい将棋を創作しようという方向はありません。この点は、本ブログの原点です。

  • #6

    長さん (金曜日, 28 6月 2013 10:44)

    昨日net上で発見したのですが。
    Wikipediaの、「シャンチーの歴史>ルールの整備と発展」の
    中に、次の記載がありますね。

    >11・12世紀のころには、正確な競技方法は不明ながら、さまざまな
    >ルールの異なる象棋が指されていたらしく、李清照の『打馬図経序』
    >(1134)には「大小象戯」という語が見える。また、晁補之
    >「広象戯図序」(『雞肋集』所収)では、当時指されていた象棋が
    >縦横11路で、駒は34枚だったと記している(晁補之自身は、囲碁と
    >同じ19路で、駒が98枚の「広象戯」を考案している)。

    晁補之は、平安大将棋より前の、日本では平安時代後期の方ですね。
    私はこれを読むまで、「平安大将棋は日本人の独創」のイメージが
    強かったのですが。鎌倉草創期のシャンチーは、平安大小将棋に近い
    ものであり、従来は余り強調されなかった、中国(宋)と、日本との
    交流関係を意識して、遊戯史を組み立てる必要があるのかもですね。

    晁補之の(中国)広象戯の影響も受けて、鎌倉時代末期には、
    駒総数100枚程度、升目も元々の13×13から、最大で、
    19×19(361升目)程度までの将棋が、異制庭訓往来
    の記載通り、日本に有っても、少しもおかしくないような気がして
    きましたねぇ。驚きました。

    証拠となる多数升目将棋用の将棋盤が、鎌倉時代や南北朝時代の
    遺跡から、やがて、発掘される事を心より祈りたいものですね。

  • #7

    T_T (土曜日, 29 6月 2013 02:04)

    コメントありがとうございます!

    19マスのシャンチーについては、存在したらしい、という文章しかありません(たぶん)。そのため、摩訶大将棋の原型が直接伝来したという仮説は追いませんでしたが、これをあるときのワークショップで話題にしたところ、チェスも各国いろいろ大型のがありますよ、というコメントをいただきました。チェスもそうだったということは知りませんでしたが、結局、大型化路線はどこでも同じようです。チェスの大型化の件いまも未調査のままです。

    大型化については、独創云々よりは自然な流れと見るべきかも知れません。ボードゲーム作者は、どこの国でもそういう傾向があるのでしょう。独創性は、ルールに求めた方がと思っています。もちろん、持ち駒ルールがこれに相当する第一です。続いて、居喰い、法性ルールがオリジナル性豊かな気がします。チェスのいろいろな歴史的ルールを調べてみたいとは思いますが、時間的にそこまでは、なかなかです。

    それと、鶴岡八幡宮の鳳凰と奔駒の出土の件、長さんは、まだあまり確信されていないんですね。私はほぼ完全に摩訶大将棋の駒だと、楽観的に考えています。

  • #8

    長さん (月曜日, 01 7月 2013 08:28)

    コメントありがとうございます。なお、独創性・
    従属性の根拠ですが。
    2つ前の文で、引用からは、はずれているのですが、
    シャンチーでは、「王宮」の発明が、進化の別れと
    理解しています。