2013年

12月

22日

73)奔王は奔玉だということ

これまでは全然意識していなかったのですが、奔王の駒は、奔玉という駒だと考えていいのかも知れません。先日、幸田露伴の将棋雑話を読んでいたのですが、その第二節「王と玉と」に、次のような一節がありました(露伴随筆:岩波書店、第一冊の392ページ)。
 

・・(前略)・・ただし王と玉とはただ一点の有無によりて相分るるのみならず、王の字に点無きもまた玉と読むべく、古文は王と玉と甚だ相異(あいこと)ならざるなり。王の字の横の三画の中の一画上に近きものは帝王の王の字にして、横三画相均(あいひと)しきものは珠玉の玉の字ならば、今の将棋の馬子(こま)に、一方を玉と書して一方を王と書せるも過誤(あやまち)ならず、ただこれを玉将と呼ばずして王将と呼ぶは過誤(あやまち)なるのみ。
 

つまり、王と書いても、玉と書いても、どちらも「ぎょく」だというわけです。王と玉とは同じ字なのだから、王将も玉将も、どちらも玉将だという考え方です。この説の真偽はよく知りませんが、全文を読んでいただけると、もっと納得できるのではと思います。
 

さて、ここからが、摩訶大将棋の話しとなります。奔王の駒の行度(ききみち:露伴によれば、こう読むそうです)は、八方向に走る、ですが、これは、金将の成りが奔金、銀将の成りが奔銀というのと同じく、玉将の成りが奔玉と考えれば、当然の行度ということになります。これまでは、奔王=八方向に走る駒、という意識でいたわけですが、そうではなく、奔王(=奔玉)なのだから、当然、八方向に走らなければならない、という考え方も可能でしょう。

 

としますと、奔駒の行度として、これまで使っているルール(=歩く方向と同じ方向に走る、ただし、1目2目は駒を超す)とは整合性が取れなくなります。この点、後日に投稿したいと思いますが、奔駒の行度のルールの再検討が必要となりそうです。


また、「奔王=奔玉」説に立ちますと、奔王の駒のルーツを、奔玉の駒に求めるという考え方もあり得るかも知れません。

 

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コメント: 7
  • #1

    mizo (日曜日, 22 12月 2013 19:13)

    少し無理筋かと思います。
    「奔王」は「中将棋」の駒として出現したと思いますが、通説のようにそれ以前の「大将棋」にあったとしても、1種類だけで類似駒はありません。そして「鳳凰」が「奔王」に成ることになっています。(二中歴の「奔車」はありますが)
    「奔×」が「××」の「歩」を「走」に変えるという「摩訶大(大)将棋」のルールは、後からできたと考えるべきだと思います。
    また、「1目2目は駒を越す」というルールは根拠薄弱だと思います。

  • #2

    T_T (火曜日, 24 12月 2013 00:46)


    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    今の大型将棋の理解の現状ですが、残された古文書にその一断面だけが見えている状態だと考えています。ですので、いろいろと案を提示して、一案だけでなく、方々見張っている感じです。

    「1目2目は駒を越す」の件ですが、これは古文書(象棊纂圖部類抄)の記述そのものですので、根拠薄弱だと言われましても困ってしまいます。古文書の記述を信じるか、または写本時の間違いとみなすかの判断ということになります。これまでは、古文書の記述を信じるならば、という立場でルールを策定していました。

    奔王の採用がどこでなされたかですが、中将棋からではないだろうと考えています。中将棋の成立時期の件、私は、通説どおり、少なくとも大将棋よりは後だろうと考えていますが、実は、もっと後、泰将棋よりも後だった可能性もあると考えています。この件、数日中にブログに投稿いたします。

    投稿で意図しましたのは、奔王の行度(ききみち)が、摩訶大将棋由来かどうかはともかくとして、接頭語の「奔」の意味が、まずあったのだろうという点です。奔=歩く方向に走る、という了解が奔王(奔玉)の作成のおり、できていたのだとすると、摩訶大将棋の奔駒の行度は見直しが必要となります。つまり、写本時の間違い説に傾くことになります。この件も、いずれブログに投稿いたします。

    ところで、本稿は、摩訶大将棋的な将棋が、大将棋に先行していたかも知れないという考え方に少し関連します。この案は、可能性は低いでしょうが、しかし、それなりの理由はあります。整ったところで、ブログに投稿しますが、数年の時間スケールになるかも知れません。今は中世の日記や文献、絵巻物をゆっくり読んでいるところです。

    特に気になっているのは、次の2点です。
    1)大将棋には、なぜ師子の駒だけが入っているのか。師子と狛犬、ペアで考えるのが自然ですが、摩訶大将棋には、師子と狛犬が入っています。
    2)次第に大型化したという発展の仕方ではなく、囲碁盤利用の19×19将棋が一気にできたという可能性はあるでしょうか。

  • #3

    長さん (火曜日, 24 12月 2013 10:03)

     まあ、指される事の少ない将棋でも「王は玉だ」という方と、「上手を
    王に下手を玉にした」と言う方と、いろいろ多数の人間が介在してゲームが
    進展、発展、進化して行ったのでしょう。〇王という将棋駒も、〇玉という
    将棋駒も、どちらも、相当以前に発明はされたのでは。よって奔王について
    は、露伴の根拠とした情報とは違って、「〇王駒も独立に有りうる説」を
    取っていた、戦国時代よりかなり以前の方によって確立されたため、
    それと平行して存在した、「奔〇駒は3つ向こうに跳んでから走り」説と
    は、整合性が悪いという考えも、そう簡単には否定できないと思いました
    が、どうでしょうね。

  • #4

    mizo (金曜日, 27 12月 2013 00:51)

    くどいようですが、誤解を招きかねないので
    「1目2目は駒を越す」の件
    古文書(象棊纂圖部類抄)は性質の異なる二つの写本からなります。「曼殊院宮御所持之本」と「大将基」についての「行然和尚之本」です。
    曼殊院宮御所持之本に「摩訶大々象戯」の図と記述があり、赤で示した「奔×」の駒の能力は単純な「走」を表す直線です。
    行然和尚之本には「大将基」の図のあとに、鉤行・摩蝎(魚扁)の説明があり、次にこの文があります。
    「皆成金
    其外ノ小馬ハ皆走馬ニナル 元ノ行度ヲ違スシテ走也
    其内一目二目ヲハヲトラス皆越馬 麒麟鳳凰ノ如ニハ非ス
    踊馬走歩兵
    其外ハ驢馬二目ヲ跳ル 其外内一目ヲハヲトラス
    力士金剛ハ三目ヲトル」
    次に狛犬の説明にうつります。
    この文は行然和尚の本の「大将基」の駒の説明であって、「摩訶大々象戯」の駒の説明ではないというのが私の考えです。

  • #5

    T_T (土曜日, 28 12月 2013 00:00)


    長さんへ
    コメント#3ありがとうございます!

    「3つ向こうに跳んでから走る」という語句、使わせてもらいます。
    奔駒の「3つ向こうに跳んでから走る」というルールの拠り所ですが、現状、象棊纂圖部類抄の記述のみです(上の#4でmizoさんからも引用いただいてます)。一方、すぐ走るルール(通説)は、1)象棊纂圖部類抄の奔駒に朱で書かれている行度の直線、2)飛車、角行、香車、龍王、龍馬の行度や中将棋の走り駒の行度と、象棊纂圖部類抄の朱の直線との妥当な一致からの帰結でしょう。現状の摩訶大将棋のルールでは、「3つ向こうに跳んでから走る」を採用しているわけですが、これは微妙なバランス状態の中、わずかに、象棊纂圖部類抄の記述の方を信じたい、という判断から来ています。

    ところで、字の問題ですが、これも露伴を信じてのことですが、将棋の王の字と玉の字は、点があってもなくても同じ、ということです。ですので、ひとつを王に、ひとつを玉に、という見方そのものがありません。よって、奔王と奔玉も同一です。

    ここで、2つの考え方が可能です。奔王(=奔玉)という駒ができたとする考え方と、「奔」を接頭語とする駒ができたという考え方です。本稿で問題点にしたのは、ここの部分で、私はもともと、奔王という2文字でひとつの駒を認識していましたから、「奔-玉」という見方、つまり、玉に接頭語「奔」がついた駒が、奔王の由来である可能性に気づかずにいました。露伴の文章を読んで、そのことに考えが行ったわけです。

    ただ、奔王の駒はすでに大将棋に存在しています。大将棋が先行しているとすれば、「奔王」という固有の駒が先行ということで何も問題ありません。しかし、奔-玉という考え方に立てば、奔玉(=奔王)、奔金、奔銀、・・は皆同時にできた可能性もあり、この点から、摩訶大将棋先行仮説が出てきます。可能性は小さいものの、ストーリーとしてはあってもよさそうです。

    摩訶大将棋の駒数を減らして大将棋ができたという仮説です。名称は後世でつけられたもので、あまり問題ではありません。以前は、将棋のルールの複雑さ・面白さが徐々に付加され、大型将棋は発展していったのだろうという考え方でいましたが、そうでなくてもいいのではないか、と思い始めています。踊り駒、2回走り駒、奔駒、師子と狛犬の居喰い、法性と教王のルールが、一気に創案されて、それまであまり面白くなかった将棋に追加されたというのはどうでしょうか。鎌倉時代に天才ゲームクリエイターがいたということになります。

  • #6

    T_T (土曜日, 28 12月 2013 00:09)


    mizoさんへ
    コメント#4ありがとうございます!

    確かに、曼殊院宮御取持之本を写した後の部分に、泰将棋の初期配置図が記載されています。しかし、そのあとの駒の行度の記述は、泰将棋のものではなく、摩訶大将棋のものです。

    個人的には、泰将棋は、摩訶大将棋と大大将棋とその他少しの駒を追加して成立したものだろう、と考えています。この点については、年内に、もう少し詳しく、本ブログにて投稿予定でいます(中将棋の成立に関する話題です)。

    この考え方に立ちますと、泰将棋の駒の行度が説明されることはあり得ません。実際、泰将棋の初期配置図の後の部分に出てくる駒は、すべてが、摩訶大将棋の駒です。もし、ここで、泰将棋の駒の説明をするということであれば、大大将棋起源のもっと奇妙な動きの駒が多数あるからです。しかし、その説明は全く出てきません。鉤行、摩カツは大大将棋にもありますが、成りの記述をみると、摩訶大将棋の方ということになります。

    以前の投稿65)に書きましたとおり、泰将棋は、遊戯として指されたことはなく、延年の行事だっただろうと考えています。ですので、ひとつひとつの駒の行度は、そもそも、あまり問題にはなりません。

    大大将棋の駒の名前には中華思想が入っており、一方で、摩訶大将棋には、日本の仏教観が入っています。その両方の駒を使って並べられている泰将棋には、きちんとした世界観もなく、ボードゲームとして成立もしていなかったのではないでしょうか。もし、泰将棋が受け入れられていたとすれば、ゲームではなく、駒を並べるという行為自体や、並べ終えた駒の壮大な整列を眺めるというところにあったのではと思ってしまいます。江戸時代の古文書に、泰将棋が指されていた旨でてきますが、どういうことなのでしょう。不思議です。当初、研究室では、泰将棋から研究がスタートしたわけで、こんなふうに思うのも変ですが。。。

  • #7

    T_T (土曜日, 28 12月 2013 01:02)

    上の投稿#6の3行目に誤字がはいっています。以下、訂正です。

    誤:曼殊院宮御取持之本
    正:曼殊院宮御所持之本

    ところで、古文書のくずし字の解読に、
    くずし字用例辞典(児玉幸多 編集:東京堂出版)
    を使っているのですが、次のサイトが、現代的です。
    一覧できませんので、本の方がやはり絶対ですが。

    http://r-jiten.nabunken.go.jp/kensaku.php