2014年

1月

04日

78)将棊馬日記について(速報)

今日は水無瀬神宮にお参りしました。そのあと、島本町立歴史文化資料館に立ち寄り、懸案となってました将棊馬日記を見てきました。いくつか確認できたことがありますので、文献やWebにはあまり流通していない情報を、速報としてお伝えします。


1)延年大将棋
本ブログで、これまで、泰将棋と呼んでいた将棋(駒数354枚)を、今後は延年大将棋と呼ぶことにします。将棊馬日記の記録では、この延年大将棋を、兼成は3面または4面作っています(1592年、1593年、1602年は確実、1601年?検討中)。象棊纂圖部類抄では、130駒の将棋も354駒の将棋もどちらも大将棊と書いており区別できませんが、将棊馬日記では、同時に枚数も書いていますので、この点は問題ありません。ところで、1602年の制作分については、大将棊ではなく、延年大将棊と書かれていました。354枚の将棋は、延年大将棊ということでいいのではないでしょうか。


2)象棊纂圖部類抄の奥書にある7面の将棋
奥書では、大将棊一面、摩訶大将棊二面、大々将棊一面、大将棊二面、中将棊一面と書かれています。以前は、この順が将棋の成立順かも知れないと思っていましたので、そのときには、大将棋-->摩訶大将棋-->大大将棋-->延年大将棋-->中将棋の順の可能性もあるかなと考えていました。つまり、奥書の一番はじめにある「大将棊一面」は130枚の大将棋、2面作ったのが延年大将棋だと思っていました。


ところが、これは完全に間違いでした。将棊馬日記によると、奥書の一番はじめの大将棊は、延年大将棋です。そして、二面作ったのが、130枚の大将棋でした。では、兼成は、なぜこの順に書きとめたのでしょう。延年大将棋(354枚)、摩訶大将棋(192枚:19マス)、大大将棋(192枚:17マス)、大将棋(130枚)、中将棋(92枚)。単に駒数の大きさの順、将棋盤のマス目の順だったのかも知れません。

 

3)調べたいと思っていること
将棊馬日記から、駒の行先(人物名)とその年度がわかりますので、まず、1590年、1592年をきちんと調べたいと思います。象棊纂圖部類抄に書かれているとおり、将棋の本を借りたと思われる年、奥書が書かれた年です。本を借りた人物にお礼に駒を贈っているかも知れません。その中に、曼殊院の関係者がいるのかどうか。


こういうことは、すでにどなたかが調査済みかも知れません。それも含めて調べてみたいと思います。

 

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コメント: 2
  • #1

    長さん (月曜日, 06 1月 2014 15:35)

    なるほど。延年大将棋の作者が万が一、水無瀬兼成自身だとすると、行然という人物には、盤駒を贈って居ない等、何か判る可能性もあるのですね。

  • #2

    T_T (水曜日, 08 1月 2014 00:10)

    行然和尚は、たぶん、もっと以前の人ではないかと思っています。1443年(曼殊院宮が持っていた写本の奥書の年)よりは後だと思いますが。