2014年

1月

05日

79)大将棋の成立時期に関する考察

本稿は、中将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つの将棋の成立順についての考察です。この考察の結果・結論が、摩訶大将棋のルールにも影響を及ぼすことになりますので、かなり重要です。


古典将棋の成立順にはいろいろと説がありますが、ふつうには、大将棋が最初にあり、そこから駒数が増えて、摩訶大将棋へと発展する、そして、駒数が減って、中将棋へと発展するという考え方を取ります。つまり、
大将棋 --> 摩訶大将棋
大将棋 --> 中将棋
ということです。私もずっとこの考え方には何の異論もなかったのですが、あるとき、師子と狛犬の問題が気になりはじめ、だんだん疑問を持ち始めました。以前の投稿にも少し書きましたが、師子と狛犬の件は近日中に投稿予定です。


まず、本稿の結論を言いますと、摩訶大将棋が大将棋に先行するという説、つまり、
摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋
というもので、ふつうの考え方とは全く違います。ただ、この理由は結構ふつうですし飛躍もありません。賛同、得られますでしょうか。以下、こう考える理由です。

 

駒の種類の重なり具合を示す図。
駒の種類の重なり具合を示す図。

右図は、古典将棋の駒の種類の重なり具合を直観的に示した図です。たとえば、中将棋の駒はすべて、大将棋に含まれ、大将棋の駒はすべて、摩訶大将棋に含まれています。一方、摩訶大将棋と大大将棋では、約半分程度の駒だけが共通ですので、この2つは同心円の状態にはなりません。また、延年大将棋は、摩訶大将棋の駒も大大将棋の駒も独自の駒も含みますので、図のような描画となります。

 

摩訶大将棋 --> 大大将棋 --> 延年大将棋のように、駒が増えて発展していく場合、通常、右のような形状になるのが自然だと思われます。つまり、摩訶大将棋にある一部の駒はそのまま使用し、1)独自に新しい駒を作るとともに、2)不要な駒は除外するでしょう。たとえば、摩訶大将棋から大大将棋への発展の場合、1)にあたる駒は、天狗、大龍、前旗、南蛮といった駒で、2)にあたるのは、無明、提婆、金剛、力士といった駒です。さらに、延年大将棋を作成する際には、1)は、金鹿、銀兎、飛鷲、角鷹のような駒で、2)は、横飛、変狐、香象、方行といった駒です。別の世界観やルールでもって、これまでにない新しい将棋を作るわけですから、駒の入れ替えが生じるのは当然です。

 

一方、中将棋(21種類)、大将棋(29種類)、摩訶大将棋(50種類)の系列では、このような入れ替えが見られません(上図で、左側の図、同心円状になっている)。中将棋については、すでに投稿77)で、別観点から、その成立は摩訶大将棋よりも後であるという考え方を書きました。ただ、ここでは、中将棋も含め、仮に、中将棋 --> 大将棋 --> 摩訶大将棋というように発展していったものとして考えてみましょう。


この場合、駒は新しく作っていくのですが、すでにあった駒は全部を使うということになります。駒を全部使うという点、唯一あり得るとすれば、同一人物が、順に将棋を大きくしていったという場合ですが、これは考えにくいでしょう(この件、別稿にします)。ふつうは、落としたい駒もあるでしょうし、追加する場合も、特徴的ないいイメージの駒を創案することになります。大大将棋を作った人は、たとえば、天狗や大龍を入れたかったわけですし、延年大将棋を作った人は、金鹿や角鷹をいれたかったわけです。ところが、中将棋から、駒を増やして発展したものとした場合、何の駒も除外することなく、そして、どのような駒を追加したでしょうか。以下、考えてみましょう。


まず、将の駒ですが、はじめ、金将、銀将、銅将とあったところに、大将棋で、鉄将と石将が加わり、摩訶大将棋では、さらに、瓦将と土将が加わります。どんどん弱い駒を追加しているわけですが、このような追加は、納得できるでしょうか? むしろ、初めに、金、銀、銅、鉄、瓦、石、土と系統的に並んだ将棋ができあがっていて(つまり、摩訶大将棋です)、ここから、駒を除外していったと考えるのは、どうでしょう。瓦と土を除いて、大将棋になり、さらに、まだ良くないということで、鉄と石も除いた結果、中将棋になったというわけです。長くなるため詳しくは書きませんが、将の駒の動きに注目してみると、金銀銅鉄瓦石土-将の動きがまず作られていたと考えるのが妥当なように思われます。将の駒の動きは、その並びも考慮された、系統的な動きに設計されています。一方、金銀銅に、鉄と石の動きの追加、瓦土の動きの追加を考えるのはむずかしいです。動きは、銅と鉄がペア、瓦と石がペアになっているからです。


次に、動物系の駒についてですが、もし、中将棋がはじめだとすると、桂馬、嗔猪、猫叉等が追加されて、大将棋になり、さらに、驢馬、准鶏、老鼠、蟠蛇等が追加されて、摩訶大将棋になります。この追加についても、上記の将の駒の追加と同様、いかにも弱そうな駒が追加されているわけですが、納得できるでしょうか? 大大将棋が作られたときのように、もっと強い駒を追加してもよさそうなものです。やはり、ここでも、摩訶大将棋がはじめにあって、いろいろな動物たちが、既に盤上にいたと考えるのはどうでしょう。そして、摩訶大将棋から大将棋を作る際に、弱い動物の駒がなくなったとすれば。


この仮説の発端は、師子と狛犬の問題にあります。鎌倉時代、師子と狛犬はたいていの場合、ペアで現れます。ところが、中将棋にも大将棋にも、片方の師子だけしかいません。どうして狛犬がいないのか。たぶん、これに対するもっともらしい回答は、もともとは、師子と狛犬、どちらもいたのだという考え方です。つまり、摩訶大将棋がはじめにあって(摩訶大将棋には、師子も狛犬もいます)、そこから、狛犬が落とされたとすればどうでしょう。麒麟と鳳凰、金剛と力士、羅刹と夜叉、対の駒は多く見られます。いろいろありますので、この件は後日に投稿します。

 

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コメント: 5
  • #1

    長さん (月曜日, 06 1月 2014 15:50)

    今に残った、ほぼ江戸時代古文書中将棋、ほぼ江戸時代古文書大将棋、ほぼ江戸時代古文書摩訶大大将棋については、成立順番どちらも有りえると私も思いますね。ただし、この3タイプのゲームが成立する前、やや初期配列の美的感覚やゲームの面白み、ルールの曖昧さで、より劣る、古典多駒枚数将棋が、相当の数、別々の時代のかなりの総人数によって、考えられていた可能性も、否定しないで残しておくべきだと、本文面を読んで感じました。もともと私がが、中・大・摩訶の御指摘の将棋3種については3種とも、戦国時代後期ごろの作ではないかと、疑っているものですから・・。

  • #2

    mizo (火曜日, 07 1月 2014 08:53)

    私には理解困難です。
    そもそもの出発点、「二中歴将棋」は金将銀将のみで、「二中歴大将棋」で銅将鉄将と増加している事実はどう解釈されるのでしょう?
    また踊駒についても、「中将棋」「大将棋」には「踊」しかなく、「摩訶大大将棋」で「三踊」、「大大将棋」で「五踊」の駒が現われます。
    この順で、追加されていったと考えるのが普通ではないでしょうか?
    「鉤行」「摩蝎(魚扁)」などの強力な駒がなくなっていくというのは理解困難です。
    また、「普通唱導集」に「小将基」と「大将基」の2種のみが記載されていることをどう考えれば良いのでしょうか?

    「獅子」と「狛犬」
    私は「中将棋」創案に際して、「香車」からの最終形「奔王」と「桂馬」からの最終形「獅子」が創られたと思います。この2つが対をなしています。「麒麟」「鳳凰」という対の駒の成り先となっていることからも明らかだと思います。
    その後「摩訶大大将棋」が創られる際に「奔王」からは二度走りのアイデアが生まれ「鉤行」「摩蝎(魚扁)」が誕生し、二目に限定しない三踊のアイデアから「狛犬」が創られたと思います。

  • #3

    T_T (水曜日, 08 1月 2014 00:55)


    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    歴史に残らずに消えていった将棋も、たぶんあるだろうと思います。しかし、かつて確かに存在したとしても、口伝もなく、古文書にも残らず、出土品もない将棋は、それは存在しなかったということになるでしょう。復刻を目指す以上は、今に残ったものだけが真実だと思っています。こういうスタンスで古典将棋をみていますので、あったかも知れない将棋を組み込んで、いろいろと思索を巡らすのは、実は、賛成ではありません。つまり、理系ということなのかも知れませんが。

    それと、中将棋、大将棋、摩訶大将棋が、戦国時代後期の作ということは、絶対あり得ないと思うのですが、なぜ、そのようにお考えなのでしょうか。この3つの将棋は、1443年の写本にきちんと残されています。もし、この写本がなかったとすれば。庭訓往来と鶴岡八幡宮の鳳凰の駒だけ、そのあとが、諸象戯図式だったという世界だとすれば、その仮説はあり得ると思います。

  • #4

    T_T (水曜日, 08 1月 2014 02:50)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    二中歴大将棋は、まだきちんと検討していませんので、今回は、大将棋だけを対象としています。単純には、二中歴大将棋-->二中歴将棋でもいいですし、その逆の、二中歴将棋-->二中歴大将棋でもいいように思います。同じ人物が作ったという可能性もあります。

    普通唱導集の大将棋ですが、これは、大将棋と同様、摩訶大将棋の成立後という可能性もありと考えていますが、まだ材料不足で何とも言えません。

    踊、三踊、五踊の発展順についてですが、踊-->三踊-->五踊でもいいですし、そうでなくてもいいと考えています。つまり、踊りの数という点だけで、発展順を決めるのは無理と考えています。鉤行がなくなったことの説明も同様です。これらの点を手掛かりに解明を進めていくのはむずかしいです。また、後段の獅子と狛犬の件についても、お考えのアイデアだけからは、やはりむずかしく、プラスしてまだ何らかの古文書が必要になると考えます。

    投稿77)と投稿79)では、古典将棋の成立順を検討したわけですが、何と言えばいいでしょうか、つまり、客観性が多少残るデータや理由をまず選んだということになります。直観的には、師子と狛犬が同時に導入されないのはおかしい、と考えていますので、はじめにありきは大将棋でも中将棋でもないはず、と結論したいわけです。その証拠探しをしている感じです。

    投稿77)の件になりますが、駒のことを考えれば、延年大将棋(=泰将棋)が中将棋よりも先行しているという考え方については、いかがでしょうか?

    また、大将棋と摩訶大将棋の関係について、大将棋のすべての駒が摩訶大将棋で使われていますが、このことから、摩訶大将棋が先、大将棋が後、という可能性ありとしましたが、これについてもいかがでしょうか?

    成立順を話題にしましたのは、摩訶大将棋のルールと関連するからなのですが、近日中に、摩訶大将棋が先行という仮説で、ルールについての投稿をしたいと思います。

  • #5

    長さん (水曜日, 08 1月 2014 10:53)

    現在の摩訶大将棋が、戦国時代後期作との私の意見は、一向一揆の影響とのイメージがあるからですよ。生き物殺しちゃいけないはずの仏教駒が、獣を表す駒と一緒に戦をして、どんどん殺しているゲームだからです。そのころはたぶん、仏教の戒律とは一見矛盾しても、宗教宗派を護る戦いは、「聖戦」だったのですね。つまり一向宗が盛んだった頃、この将棋が作られた為、仏教関連駒名が目立つのではないかという着想です。ただ一向一揆自体は、1460年代に成立ですね。それなら、現在の摩訶大将棋は、「1460年代以降の成立のものでは」と言い直しておきますよ。なお、それでも私の説には、20年位矛盾が残りますね。古文書に詳しくないので良く判りません。が、写本年の記録の情報の真偽とか、内容の加筆改ざんの有無を疑う。または、室町時代前期から戦乱の多かった鎌倉等、関東地方で、摩訶大将棋が成立したため、関東鎌倉府の足利持氏の家来の、信仰に熱心な僧侶風の武士団が、それにさかのぼること20年前に摩訶大将棋を作ったので、1443年には、写本に書かれていたとか、無理にこじつける以外、私の私説は確かにやや、説明困難ではありますね。