2014年

6月

05日

94)駒は五角形でなければならない:台形の駒がない理由

投稿92)~93)のシナリオは、まだいくつかの展開が可能です。本稿では、将棋の駒が五角形であることを取り上げます。駒が五角形の理由として、まず挙げられるのは、敵味方の区別のためにというものですが、実は、これは全く理由にはなりません。なぜなら、別の形もあり得るからです。たとえば、台形の駒です。しかも、四角形である台形の方が作りやすい。ですが、駒は五角形なのです。

 

この理由は、吉備真備が将棋を持ち帰ったのに、正倉院の文書には記載されていなかった理由と重なります(もしかして、将棋ではない別の名前で書かれているのかも知れません。確認してみます)。または、駒と盤は持ち帰らなかったかも知れませんが、とにかく、少なくともルールは持ち帰ったでしょう。ここで、ルールと書きましたが、必ずしも、遊戯のルールというだけではなく、部分的には、陰陽道とか占いとかの要素もあったものと思われます。つまり、将棋は中国の道教と関わっていた可能性が高いでしょう。だから、吉備真備は、遣唐使として、それを公にはできなかった(公にさせてもらえなかったという可能性もあります)。この件、道教の周辺を少し勉強してから後日また投稿します。

 

吉備真備が長安にいた頃、唐は最盛期、玄宗が皇帝だったときです。玄宗は道教にかなり熱心でした。吉備真備も陰陽道の書物を多数持ち帰っています。さて、神仙思想や陰陽道における「五」がいかに大切なのか、私にはわかりませんが、木火土金水の五つは重要だったはずです。駒の形としての五角形へのこだわりは、現代人の想像にかかりようがないほど大きな要求だったかも知れません。

 

将棋は持ち帰ったけれども、公にならなかった。この理由を、正確にどう表現すればいいのかまだよくわかりませんが、陰陽道との関わりという点に求めたいと思います。吉備真備は、まさに陰陽道の使い手だったわけで、持ち帰った将棋は秘術ということにもなります。

 

以上のシナリオを採用した場合、8世紀に始まった将棋は、しばらくの間、13世紀くらいまでは、天皇とその周辺のみで使われていて、市井の人々とは無縁だったでしょう。将棋が早い時期に町に広まっていたとすれば、五角形でない駒が(たとえば、もっと簡単に作ることのできる台形の駒が)、出土してもいいからです。また、このことは、将棋の伝来経路が、貿易の商人のような通常の人的な交流によるものではなく、遣唐使に限られることを意味しています。このように、五角形の駒をもつ将棋の伝来は、特殊なケースであり、他のチェス類の伝来や、宝石や布の伝来と同じように考えてはいけないということになるでしょう。

 

古代カンボジア、遣唐使、長安での出会い、717年、吉備真備、陰陽道、五角形とつなげてみましたが、どこかに破綻ありましたでしょうか。このシナリオには、まだ続きがあります。なぜシャンチーができたのか、少しわかりました。できた時期もだいたいわかりました。この件、近日中に投稿します。

 

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コメント: 6
  • #1

    長さん (木曜日, 05 6月 2014 09:16)

    まあ、将棋の類のうちの一部は、門外不出な秘術だった可能性もありますが、奈良興福寺の遺跡で出土した、現在の本将棋の直系先祖説が優勢な、「飛車・角行だけ欠けた五角形の将棋駒群」が現れた頃(西暦1058年)には現実、かなり公に晒されてしまっていた状況だったようですね。という事は結局の所、ここや、今までの関連する項で述べておられるのは、本朝俗諺志のうち、奈良時代の人、吉備真備の話は本当で、同じころ(西暦1056年)にだいたい15歳になったとされる、大江匡房の話には、将棋の父のニュアンスで表現されているという点で、誤りがあるというスタンスなんでしょうかね。本朝俗諺志、「是是非非説」の根拠が、どうも良く判らないなあと思いながら、本文を読ませて頂きましたが。

  • #2

    長さん (木曜日, 05 6月 2014 14:25)

    つまり本朝俗諺志に、「非(否)の部分もある」として論じると言うのなら、本朝俗諺志は「非非非非(否否否否)」であっても良いのではないかと言う、意地悪な解釈も、一応有りえるのではないかと、私は思っているのですが。(参考url:→えいちていていぴー://www.bunzo.jp/archives/entry/001688.html)

  • #3

    T_T (木曜日, 05 6月 2014 22:33)

    コメントありがとうございます!

    返信を書いていましたら、かなり長くなってしまいましたので、新しい投稿としました。投稿95)を見ていただけますでしょうか。

    なお、国立公文書館のWebサイトにある本朝俗諺志の解説の件ですが、中国象棋を・・・となっていますが、先入観だけで書かれているようです。古文書には、そこまでは書かれていません。

  • #4

    mizo (土曜日, 07 6月 2014 07:24)

    だんだんついていけなくなりました。
    「将棋は中国の道教と関わっていた可能性が高いでしょう」
    なにか根拠があるのでしょうか?
    また、木火土金水が、将棋の五角形と関係があるのでしょうか?
    陰陽道と将棋のかかわりが理解できません。

    マックルックの貝のかわりに木片を利用し、貝は向きで敵味方を区別したと思われることから、向きが区別できる木片を利用したというところまではわかります。そこで、台形もありうるとのことですが、長方形の板から作る場合、台形は柾目に沿って浅い角度で切る必要があり、先の部分だけ深い角度で切って五角形にするより難しいと思います。私は貿易船に常備されていた未使用の多量の同一規格の荷札から流用されたと考えています。

  • #5

    T_T (土曜日, 07 6月 2014 08:15)

    コメントありがとうございます!

    読みなおしてみましたが、確かに説明不足で、部分的に意味不明です。私自身、道教、陰陽道とも不勉強ですので、それほど詳しくは書けないという事情もありました。後日の詳しい投稿の前に、ひとまず、コメントにて短信いたします。間違いあるかも知れませんが、後日に訂正します。

    遣唐使は、道教の取入れを禁止されていたはずです(未確認)。たとえば、鑑真が密航せざるを得なかったのは、この点からだったと思います。吉備真備が新しい「将棋」という文化を持ち帰った、しかし、それは公にできなかった、その理由を道教に求めたということです。または、陰陽道の秘術だったということかも知れません。いずれにせよ、吉備真備説に立つ場合、将棋を持ち帰ったが、しばらくの期間は公にできなかった理由は必須です。

    5は、陰陽五行説の5で、つまり、木火土金水です。陰陽道や神仙思想には、いろいろと五角形が出てきます。将棋の五角形をそういうものだとみなしてはどうでしょうかという説です。広めなかった理由を秘術という点に求めたわけです。同じようなもので、秦の始皇帝の6は有名です。始皇帝は結構いろいろなものを6にしています。そういう呪術的な5です。

    後段の駒の件ですが、夜の返信にいたします。

  • #6

    T_T (日曜日, 08 6月 2014 00:30)

    mizoさんへ
    駒のついての部分への返信です。

    10世紀以前の古い駒は出ていませんので、吉備真備駒はまだ空想の域ですが、11世紀12世紀あたりの駒、日高駒、酒田駒、興福寺駒(1098年駒)、平泉飛龍あたりを見ますと、たいていの場合、側面が先に向かってわずかに(ほんとにわずかです)すぼまっています。この微妙なすぼまりは、上の山型の切り込みがあれば、必要ないわけです。なぜこの面倒をするのか。柾目に沿って浅く切るのはむずかしいのだとすると、なおさらのように思います。興福寺駒(1058年駒)については、側面加工のないものが多いようで、例外となります。

    ただ、そもそも論でいきますと、呪術的な目的の場合、切りやすい切りにくいというのは、問題とはならないのではないでしょうか。