2014年

8月

24日

107)摩訶大将棋を遊ぶということ:白川静「文字逍遥」

十二支の駒があることから、摩訶大将棋が陰陽道と関わっていたことは確実でしょう。十二支は、単に年を決めているだけでなく、月や日や時間と対応し、さらに方角とも結びついています。当時は、物事をどの日に実行すればよいか、どの時間に出発すればよいか、どの方向に向かえばよいか、といったことを陰陽師に聞いていたわけです。国家の運営に関わるかなり重要なことでさえ陰陽道に頼っていたようで、この点、陰陽道の「占い」や「おまじない」を現代の語感で判断しないという注意が必要になります。

 

ただ、本ブログでは、駒による占いという観点にはあまり興味を持っていません。あくまでも、摩訶大将棋が対局されているということが前提で、その対局自体の中に陰陽道がどのように関わっているのだろう、ということを考えています。遊びには違いないが、純粋な遊びではなく、遊び以外の何かがあったという遊び、それはどういうものだったのか。天皇とその周辺だけが持っていた陰陽道のツールだった可能性も高く、その「遊び」は誰でもが遊べたというわけでなかったことは、日記に示されているとおりです。早くに伝来していたにも関わらず、朝廷の秘術として使われていたために、文献に現れることもなかったのでしょう。

 

摩訶大将棋を遊ぶというイメージを伝えるために、白川静の「文字逍遥」から引用したいと思います。以下、その冒頭の遊字論の、はじめの段落の全文です(白川静、文字逍遥、平凡社ライブラリーより)。

 

「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。」

 
遊字論は、平凡社ライブラリーでは、37ページの文章です。遊の古代文字からスタートして、その成りたちから、遊という漢字のもつ意味が書かれています。遊字論と摩訶大将棋には何の関連もないと思いますが、偶然にも、遊字論の冒頭は、陰陽道としての摩訶大将棋の対局をそのとおりに表現しているように思えてきます。
 
神様に奉納するような感じでしょうか。舞楽、相撲、流鏑馬(やぶさめ)がそうですが、神様の前で、芸能や競技を見せるわけです。摩訶大将棋の対局も、同じくそのようなものであった可能性があるかも知れません。ただ、舞楽や相撲と違うのは、奉納と同時に、陰陽道を、つまり、何かの占いやおまじないをあわせ持ったのではないでしょうか。朝廷内の狭い範囲にだけ限定された秘術でしたから、舞楽や相撲のように、公開されることはなかったでしょう。
 

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コメント: 2
  • #1

    長さん (月曜日, 25 8月 2014 11:46)

    本文の御説の通りだとすると、少なくとも盤が19×19、囲碁升目将棋の扱いに関しては、内容に大きな隔たりが有るのか、日本は中国を見習わなかったようですね。北宋時代の晁補之は、囲碁と同じ19路で、駒が98枚の「広象戯」の考案をほぼ、考案した時代に公開しているようですし。

  • #2

    T_T (火曜日, 26 8月 2014 23:40)

    コメントありがとうございます!!

    白川静の遊字論は、かなり広い範囲での文章です。人と神様との関わりを、神事や芸能について論じているのですが、そんな中に、摩訶大将棋の対局を含めたとしても、さほど不自然を感じません。摩訶大将棋を指しているのはもちろん対局者自身なわけですが、そこに神様が介在していると見ることで、陰陽道が成立しているのかも知れません。遊戯は神様と通信するひとつの方法だったでしょうか。ともかくも、まずは、狛犬舞と師子舞が前を行くという道祓いの儀、これを実感できないことにはと思っています。