2014年

11月

01日

123)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 6

今日は、駒遊び人さんの駒作り実演のおかげで客殿にはたくさんの人が入って来られました。午後はほぼずっと対局してましたので、写真撮影、うっかりしました。明日、実演の様子を撮影し、uploadします。


今回、解説のポスターやキャプションはひとつも作らず(作れず)、文献は分野ごとに並べただけでしたが、意外と読んでいただいたように思います。ただ、将棋の歴史の本は不人気で、十二支の本や狛犬の本がよく動いていました。明日は、もっとのんびりとゆっくりとしてもらえるように、休憩スペースの充実をと思っています。


夜叉の駒ですが、駒遊び人さんが2枚目を持って来て下さいました。ありがとうございます! 受付の横に、再び、伎楽面の8枚、強い踊り駒の8枚が揃うことになりました。

伎楽面からの8駒:盤面中央部に並ぶ踊り駒8枚
伎楽面からの8駒:盤面中央部に並ぶ踊り駒8枚

3点ご注意を。復刻が進み、これまでとは見解を新たにしています(投稿114にも書いていますが)。麒麟と鳳凰は踊り駒、狛犬は不成り、鳳凰の成りは狛犬です。そういうことになりますと、摩訶大将棋の狛犬と鳳凰の駒は、現在、地面の上にあるのは、上の写真の駒だけということになります。同じ駒が地面の下にもまだ埋まっているのかどうか。なお、鶴岡八幡宮で出土の鳳凰の駒のことですが、大将棋の鳳凰だと考えます。その鳳凰は踊り駒ですが、成り先は奔王です(そもそも大将棋には狛犬がありません)。


ところで、伎楽面の8枚の駒は、興福寺の八部衆ではないかという件、まだ投稿できていませんが、後日にいずれ。さらに、空想を膨らませるとすれば、摩訶大将棋の十二支の駒は、興福寺の十二神将ということなのかも知れません(未だけは不明ですが)。だとしますと、摩訶大将棋の初期配置は、八部衆と十二神将が、中ほどにずらり並ぶという構図になっているわけです。

象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
象棊纂圖部類抄(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)

また、上図の初期配置では、師子と狛犬にも注目して下さい。師子と狛犬は左右に並んではいません。玉将の前に前後一列に並びます。これは、行道における、狛犬舞と師子舞による道祓いが現れているのではないでしょうか。獅子と狛犬の起源とも合わせて考えたとき(伎楽の行道を経て、平安・鎌倉時代、左右に並ぶ師子と狛犬像が成立したとすれば)、摩訶大将棋の初期配置は、師子と狛犬の、より古式な配置を連想させます。伎楽面の名称が並ぶこと自体、摩訶大将棋が古代の将棋だということの可能性を示すわけですが、師子と狛犬の配置からも、また古代という時代の息吹が現れるのです。


それと、師子と狛犬の歴史を辿るにつけ、師子単独での将棋への導入はあり得ないだろう、師子と狛犬は同時に将棋に導入されたに違いないという考えが強くなります。したがって、師子が導入されたのは、摩訶大将棋(師子も狛犬もある)の成立時であり、大将棋(師子だけで狛犬がない)の成立時ではないという結論に、やはり、たどり着くことになります。


空想ついでに言いますと、酔象の駒、酔の字の付いたこの駒は、踊り駒ではありませんが、伎楽面から来た名前という可能性もあります。酔胡王、酔胡従の面があるからです。


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コメント: 2
  • #1

    長さん (火曜日, 04 11月 2014 10:06)

    「中将棋や後期大将棋に、狛犬が無いのが新しい雰囲気だ」と言う件ですが。たとえて言うなら大大将棋には結構有名な四神の、玄武と朱雀が無く、白虎と青龍があり、片手落ちに見えるようなものですね。泰将棋では、四神は四隅配置で全部有るわけですけれども。だからと言って、以上のことから「泰将棋の方が大大将棋より昔から有る」との感覚は、個人的にはあんまり湧きませんが。大大将棋の蛮狐または変狐は、夜叉に成る重要な駒とは言え、やっぱり文字通り変な駒ですね。なお四神は、7世紀末から8世紀初め頃の、キトラ古墳にも描かれています。泰将棋がこれほど古いものとの話は、聞かないですが。個人的には泰将棋は、安土桃山時代の作だと見ています。更に蛇足ですが。四神。摩訶大将棋に無いですね。これが「摩訶大将棋は新しい」という証拠という訳にもならないでしょうが。19×19升目将棋で。南北朝時代に。摩訶大将棋とは別に、玄武、朱雀、白虎、青龍と全部揃った、別種の将棋が有ったと言うのは、仮説としてどうでしょうね。

  • #2

    T_T (水曜日, 05 11月 2014 01:34)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    ただ、今回のコメントの内容は、大大将棋と泰将棋だけの問題ではないでしょうか。白虎と青龍は、大大将棋と泰将棋だけにある駒で、かつ、大大将棋と泰将棋は、一番後で出来た将棋だということがほぼ確実です。ですので、早い時代の摩訶大将棋系列とは、無関係の話題のように思います。

    師子と狛犬の件、摩訶大将棋の成立時期の問題として扱っていますが、単に、師子と狛犬のことだけで、古いと主張しているわけでなく、この件、傍証のひとつにすぎません。ある件で、摩訶大将棋が古式らしいという傍証が出る、また別の件で同じく古式だという傍証が出る、また別の観点からも出る、というふうに、どうも、歴史的に確かなことは、すべての傍証が同じ方向を向くようです(歴史の素人が言ったところで何の説得力もありませんが)。

    傍証は不確かです。だから、傍証ひとつだけを根拠として、これはかくかくしかじかと言ってみても仕方ありません。傍証ふたつでも根拠とするにはむずかしいでしょう。間違った仮説の場合、関連する傍証のスピンは、ばらばらの方向に向きますので、間違いはすぐにわかります。傍証のスピンが全部ひとつの方向に向いて揃うのが、正しい仮説の候補となります。

    仮に、キトラ古墳の絵が駒の名前に現れているから泰将棋は古い、と誰かが言ったとして、でも、それを支持する別の傍証が現れないなら、説は間違いということになります。ひとつだけしかない傍証とは、わかりやすくは、こういうものではないでしょうか。たとえば、小山神鳥谷の角行がレプリカだという傍証の何らかがあったとして、でも、そのひとつしかなければ、それは、99%に近い確率で間違いでしょう。象棊纂圖部類抄は、実は意外と新しいという説が出たとして、傍証もあったとしましょう。もしその説が正しいとすれば、それを支持する傍証が次々出てくるわけですが、どうでしょう。

    以上が、素人なりの、今の私の考え方です。つまり、単発の思い込みは、たいていは正しくないだろうと考えています。説が正しい場合、いろいろな傍証が次々とその説を支持してくれる、これが、歴史学?に対する私の感触です。