2015年

1月

03日

132)「長秋記」再考:将棋のどの駒を使ったのか

投稿127)では、「将棋」という語句が出てくる最古の文献「新猿楽記」について検討し、新しい注目点を提示しました。本稿はこの続きとなります。「将棋」という語句が出てくる二番目に古い文献は「長秋記」ですが、大治4年(1129年)5月20日の条に、次の記述があります。長秋記は源師時の日記です。


大治四年五月廿日丁酉、新院御方有覆物御占、覆以將棊馬、其數十二也、新院如指令占御


関連する記述だけにあたる場合、長秋記そのものよりは、古事類苑の方技部を見るのが便利で、方技部七の易占のところ、497ページ(古事類苑 方技部/普及版 吉川弘文館)にこの記述があります(なお、古事類苑のデータはWebにもあります)。

 

長秋記の上の記述は、新院(=鳥羽天皇)が覆物の占いに将棋の駒を使ったという内容です。これまでの論文や書籍での解説では、占いに12枚の駒を使ったらしい、というところまではあるのですが、説明はそれだけです。では、どういう駒を使ったのでしょう。12枚だから、十二支の駒だった可能性ということも言えなくはないのですが、それでは空想にすぎません。


そこで、再度、投稿127)で取り上げた新猿楽記の文章を吟味していただきたく思います。

占覆物者如見目、推物怪者如指掌。進退十二神將、前後三十六禽。


投稿127)では、前半部(覆物の件)と後半部(十二神將と三十六禽の件)を別の項目と考えて解釈しましたが(それも可能ですが)、ひと続きの内容を表した文章と捉えるべきでした。これは、長秋記を再検討していて気づきましたが、そうすると、ひとつのことがはっきりと表れてきます。


ひと続きの内容と見た場合、後半部は、覆物の占い方の説明となります。この部分、覆物の占いには将棋の駒を使っていたという想定です。占いのときに、十二神将の駒や三十六禽の駒を動かしていたものと思われます。なお、このような解釈は、次の2点a)b)を合わせた、3点セットからの帰結です。


a)摩訶大将棋の駒には、十二神将(十二支)や三十六禽に対応した駒がある(摩訶大将棋の駒と言わず、古代の将棋の駒と言った方がいいかも知れません)。

b)覆物の占いには将棋の駒を使う(長秋記の記述)

c)陰陽師は、覆物の占いに、十二神將や三十六禽を使う(新猿楽記の記述)


覆物の占いに、十二神将や三十六禽の駒を使ったという推理ですが、いかがでしょう。この推理には、摩訶大将棋に十二支の駒があるという事実を意識しなければなりませんし、長秋記と新猿楽記を関連させて読み解かないといけません。ただ、この件、私には、知恵の輪がするりと解けた感触があります。さらに続く関連事項もあることから、覆物の占いに、少なくとも十二支の駒は使われていたものと考えています。後日の投稿となりますが、この件、象經序(投稿129)とも関連し、象戯はどうも易占として使われていたのではないかと思っています。将棋のルーツは易経ということなのでしょうか。


ともあれ、覆物の占い云々の中で重要な点は、十二支の駒や三十六禽の駒が使われていたということです。問題となる時代は、11世紀。この頃にすでに、猛豹、飛龍、悪狼、盲虎といった動物系の駒が多数あったということになってきます。このことを、皆さん、どのように思われるでしょう。この仮説の前提となる摩訶大将棋の十二支、三十六禽の駒に異論を出されるのか、または、新猿楽記の十二神将、三十六禽の解釈に異論を出されるのか、それとも、本稿に同意いただけるのか。


本稿のストーリーでいきますと、12世紀終わり頃の二中歴の将棋を、将棋の駒の種類の出発点として考えるのは、かなり危ういでしょう。また、駒の種類と連動して将棋の種類も再考が必要となります。頼長(台記)や定家(明月記)が指した大将棋は、二中歴の大将棋なのではなく、もっと本格的な大将棋、たとえば、摩訶大将棋のような将棋であったとして、少しもおかしくないだろうと考えます。


コメントをお書きください

コメント: 17
  • #1

    長さん (月曜日, 05 1月 2015 10:39)

    平安小将棋(9×9)では、「将」駒。全部で10枚であって、12枚にはならないという点が、ポイントと考えます。源師時も、典型的な、玉将合計2枚、金将合計2枚ないし4枚、銀将合計4枚の「将棋型ゲーム」以外の、なんらかのゲーム用の、「將棊馬」を持っていたのかもしれない、という事までは、推定できるのかもしれないと思いました。で、それが何なのかは、御指摘の3文献の3文を繋げても、ぼんやり状態なのではないでしょうか。
    醉象4枚、桂馬4枚、香車4枚の、「銀将排斥型将棋」でも、指したんでしょうかねぇ。ようするに、平安時代の藤原氏の将棋の記録には、「玉将」「金将」「銀将」のある普通の平安将棋と、なぜか、どこかしっくり合わない要因があるという事かと思います。
    原始平安小将棋というのは、もともと(成金貴族)藤原道長あたりを小馬鹿にして献上された、中国(北宋)商人のもたらした将棋だったと、平安時代後期の藤原一族に見られていたのではないかというのが、私の空想ですが。

  • #2

    T_T (月曜日, 05 1月 2015 18:23)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    ただ、#1のコメントには、新猿楽記の十二神将や三十六禽のことが全く考えに入っていないのではないでしょうか。本稿の件、長秋記の記述(12枚の駒を使った)だけでは、何の解決もないと考えます(従来と同じ)。長秋記と新猿楽記を組み合わせた上で、十二支の駒(十二神将の駒)、三十六禽の駒をどう見るかということになります。

    または、投稿127)の仮説は却下、という立場でしょうか。その場合、問題の箇所「十二神将を進退す」をどのように解釈されるのでしょう。

  • #3

    長さん (火曜日, 06 1月 2015 08:27)

    私の127のコメントでは。12神将は2枚ずつの、獣曹、獣吏、獣鳥、禽曹、禽吏、禽鳥にしていたと記憶します。他方「藤原氏の有力貴族は一人ひとり、一生に一度は独自の将棋を自作していた」だったと考えたかと。それからすると、基本的に「長秋記の其數十二の將棊馬は、実態は謎」で、一応論旨は合っていると思っていました。「12枚將棊馬が、醉象、桂馬、香車は絶対」では、当然ありません。とにかく内容から、「12という数は、玉、金、銀にしても、桂馬、香車と組み合わせても、歩兵だけ12枚でも、とにかく座りの悪い数」という点が、とても大切なように思えましたが。

  • #4

    mizo (木曜日, 08 1月 2015)

    12枚の駒の内訳ですが、先生のご指摘の通り、手がかりがありません。
    十二支を表す駒であった可能性もあります。

    私は、当時の将棋は『二中歴』の将棋のみであったと考えています。
    横8縦9の盤で、金将は1枚であったと思います。
    桂馬・香車は人を表さないので除くと、自陣の駒は、玉将・金将各1枚、銀将2枚、歩兵8枚で12枚です。
    12枚の隠された中から玉将を言い合てたのではないでしょうか。

  • #5

    T_T (金曜日, 09 1月 2015 02:40)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    十二神将は、十二支と対応がついています。ですので、獣曹、獣吏等の名称を想定する場合、干支との対応がつかない点が問題になります。それと、2枚づつ6種類よりは、12種類の方が十二神将らしいのではないでしょうか。

    「長秋記の其數十二の將棊馬は、実態は謎」と書かれていますが、本稿では、その部分を、新猿楽記の陰陽師のところの文章と関連づけることで、謎の一部でも解明しようという試みです。

    #2のコメントと同じになりますが、再度おうかがいいたします。
    新猿楽記にある、「進退十二神將、前後三十六禽。」のところはどのようにお考えなのでしょう。十二神將、三十六禽は、駒なのかどうか。それとも、これまでの解釈のように、鬼神や幽霊なのかという点です。ここをスキップしていただいたのでは、本稿の主旨が、伝わっておりません。

  • #6

    T_T (金曜日, 09 1月 2015 03:20)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    二中歴が1200年を過ぎた頃の編纂と考えると、どうも、記述される将棋は古すぎるのではないのかと、最近、思うようになってきました。当初の二中歴が書かれた頃、平安後期の記述が、将棋に関しては、そのまま書き換えられずに残った可能性を考えていいのかどうか、他の記述にそのような時代錯誤の例が見られるのかどうか、調べてみたくも思います。ともあれ、二中歴の将棋は、原初の将棋のひとつである可能性は高いと思われます。そして、たぶん、11世紀の将棋でしょう。だとしますと、その将棋盤は、mizoさんの推理どおり、横8縦9です。この件、まだ投稿できずにいるのですが(著作権の問題があり、現在申請準備中)、この件も、陰陽道からの傍証です(かなりきれいです)。ただし、ある程度まで、将棋と陰陽道の関係を信じていただかないといけません。この投稿、どうぞご期待のほど。

    さて、十二支の駒の件ですが、金将、銀将は、十二支の駒には相当しません。ここのところ、#3にてコメントいただいた長さんも、思い違いをしておられます。このアイデアの最初である投稿102)に書きましたとおり、十二支の駒は、天文の駒です。一方、金将、銀将・・は地理の駒です。象經序(投稿129)の続きをまだ書いていないわけですが、これは、原初の象棋を示している可能性大と、私は見ています(その正否、まだ不確定ですが)。その象經序の、十二まであるうちの一と二、一曰天文、二曰地理、は非常に重いと考えます。ですので、12枚の駒を十二支と考える限り、その12枚を金将や銀将から選ぶのはあり得ません。

    また、12枚を十二支ではないと考える場合は、投稿127)の新猿楽記の解釈は、従来のままということでしょうか。それよりも、「進退十二神將、前後三十六禽。」を、陰陽師が将棋の駒を使っている情景、と解釈すれば、いろいろなロマンが溢れてきます。この件また後日にでも。

  • #7

    長さん (金曜日, 09 1月 2015 08:46)

    「進退十二神將」は、将棋の駒っぽいですね。ただし私には、この新猿楽記にある記載から、ずばり96枚制の将棋が有ったようには思えません。よって、この12神将は、鼠、牛、虎、猫でも、山羊、水瓶、魚、牡羊でもないと考えます。初期将棋にしては、駒数が妙に多すぎ、「その仮想将棋の将棋盤を12×12升目以上にしないと、横一列に並べないため、文書の雰囲気に、単純には合わないな」という感覚です。そのため新猿楽記の将棋は、9×9升目の「小将棋系」を私はイメージし、36は9×4ですから、9列に三十六禽を並べたと、単純に想定しました。そして12神將は、6つ一組でなんとか抑えようとしたというわけです。更に、36を2で割ると18ですから。19×19の囲碁升目(総数361の暦升目)将棋に、惜しくも1列分届きませんしね。他方長秋記は、村上源氏の源師時の作ですから、藤原氏一門ほど、玉将、金将、銀将のモデルとしての私に言う「藤原氏長者等に対する皮肉」に、ピリピリする必要もないのかもしれません。占い用の12枚の駒の中に、たとえば金将が入っていても、長秋記については良いのかもしれないと考えます。つまり新猿楽記と長秋記では、作者の「氏」が違う為に、ひょっとすると別の駒を表しているのではないかというのが、私の見解です。

  • #8

    長さん (火曜日, 13 1月 2015 07:59)

    休みの間に考えたのですが。ひょっとして源師時が鳥羽上皇の占いで見た、占い用将棋駒12枚は、平安小将棋の、玉将、金将、銀将、桂馬、香車、歩兵、2枚づつの実体駒だったんじゃないんでしようかね。将棋駒は天皇家では、どれも神将だったのかもしれないと思います。トランプ占いで、一部の札だけ使うようなイメージでしょうか?

  • #9

    T_T (水曜日, 14 1月 2015 01:33)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    コメント#8の件、それはないと思います。
    十二支の駒の存在を受け入れるとすれば、金将と銀将を十二神将とみなすのは無理なシナリオでしょう。なぜなら、象棊纂圖部類抄は、天の駒と地の駒があると言います。天の駒が十二神将の駒、十二支の駒で、金将と銀将は、地の駒だからです。この件、投稿102)と投稿126)をご参照下さい。また、これと関連して、老鼠の駒がひとつの傍証でもあるとのアイデアは、長さんからではなかったでしょうか。摩訶大将棋の初期配置を眺めますと、十二支の駒が現実に浮かび上がるということもあり、十二支の件、ほぼ確定だと考えます。

    その後、新猿楽記にある十二神将(=十二支)と三十六禽の駒のことが見つかりました。ここでも、異制庭訓往来にある三十六の獣の件、長さんから教えていただき、三十六禽の駒の強い傍証となっています。象經序が象棊纂圖部類抄の元であった可能性大であることもわかり、いま、将棋の歴史は、易占にまで辿りつきました。易占は、64卦を扱いますので、駒でこれをそのまま表現した場合、多数の駒種があったことでしょう。この件、考えはもっと進んでいます。後日の投稿をお待ち下さいませ。

    このように、原初の将棋は、多数の駒数の方に傾きつつあります。13世紀初めの二中歴の小将棋にこだわることもないのではないでしょうか。長秋記は12世紀初め、新猿楽記は11世紀です。その時点で、すでに十二支の駒があったのだというのが私のスタンスです。伎楽面の駒が導入されたのも、鎌倉時代よりは早い時期ということもあり、どうも、将棋は、摩訶大将棋、大将棋、中将棋と、縮小していく時系列でほぼ間違いない感じです。この点は、投稿116)に書きました仲人の駒の動きに関する考察とも、うまく合致しています。

  • #10

    長さん (水曜日, 14 1月 2015 09:34)

    お言葉ですが。異制庭訓往来と組み合わせると、「小(少)はすなわち三十六禽の列位を象り」ですから、どうしても平安小将棋等、9×9升目将棋の系列の範疇で、私の場合はこのパターンでは考えてしまいます。異制庭訓往来の「小(少)はすなわち」を、私の場合、思考から落とせませんね。新猿楽記で12神将が出てきただけなら、確かに干支も疑われるのですが。御説の箇所では36獣や36禽と対にして表現してしまっているために、9×9升目に4列に三十六禽を置く将棋を、少なくとも私の場合、ただちに連想してしまいます。鳥羽上皇の将棋道具は、実体が有るものでしょうから。新猿楽記の藤原明衡の、私の言う仮想試作将棋(6×2枚づつ12神将)と同じの可能性は少ないのではないかと考えます。玉将、金将、銀将の「将」を鳥羽上皇は個人的に、十二神将の「将」と、字が同じなので同じ物と、抽象的にごちゃ混ぜに思考したんじゃないでしょうか。
    そもそも日本の歴代天皇は、まじめに将棋の本質を考えたのは後奈良天皇位で、将棋についての認識は総じてお付き合い程度だった、が私の持論です。ここの所が高見先生や松岡信行先生と私とで、結論がズレる根本原因ですかね。つまり、異制庭訓往来で「三十六禽」を、「中なるものは」とか「多で別のものは」とかの言い回しで、13×13升目とか19×19升目の将棋でも使ったように表現していないので、新猿楽記、長秋記の「12」は、老鼠、猛牛、盲虎、猫叉・・の事ではないと私は思います。

  • #11

    mizo (水曜日, 14 1月 2015 22:49)

    高見先生
    騰蛇、朱雀、六合、勾陳、青竜、貴人、天后、大陰、玄武、大裳、白虎、天空、といった十二天将(神将)の名称は、なぜ摩訶大将棋に使われていないのでしょう。占いに使われる言葉は一字一句ゆるがせにできないと思います。
    >8
    長さん
    玉、金、銀、桂、香、歩の6種2枚ずつでは、12枚の意味がないと思います。各種1枚で、6枚で十分です。

  • #12

    T_T (木曜日, 15 1月 2015 01:24)

    長さんへ(#10)
    コメントありがとうございます!

    わだかまりを持たれている点が、異制庭訓往来にある「三十六禽の列位」という語句の件ひとつだけでしたら、コメントの内容はさほど重要とは思えません。他方に、長さんがスキップし話題にしていない点がいくつかあり、それらが異制庭訓往来よりも重いからです。次の点です。

    1)新猿楽記にある三十六禽の駒:
    禽と表現されている以上、金将や銀将を含ませるのはむずかしいです。新猿楽記の陰陽師が使った三十六禽の駒は存在するのかしないのか、という選択となります。

    2)象經序と象棊纂圖部類抄にある地理の駒:
    金将、銀将は地理の駒です。一方、新猿楽記にある十二神将(=十二支)の駒は、天文の駒です。陰陽師が使った十二神将の駒は存在するのかしないのか、という選択になります。

    それと、最終段のコメントについてですが、異制庭訓往来の記述からは、三十六禽が小の将棋だけでなく、大きい将棋にあったとしても、おかしくないのではないでしょうか。あるいは、猛獣系の三十六禽の駒だけがずらり並ぶ小将棋も想定できるかも知れません。

    ともあれ、占いに使った12枚に金将、銀将を含めるというスタンスに立たれる場合、それと同時に、上記1)、2)の両方を却下していただかないといけません。

  • #13

    T_T (木曜日, 15 1月 2015 01:47)

    mizoさんへ(#11)
    コメントありがとうございます!

    私が読み進めている文献の範囲では、「十二天将」というキーワードは、出現がとても少ないです。そういうわけで、思索の中にも十二天将があまり絡んできません。ただ、十二天将でも十二神将でも、干支と対応しているのは事実です。十二支の駒があるということだけで、何も問題なしと考えます。つまり、摩訶大将棋に十二天将の駒が含まれていないとしても、問題点とは思えないのですが。。。

    原初の中国象棋がかなり易占の方によったものでしたので、原初の将棋も陰陽道の式占よりは易占が強いものだったのかも知れません。ともあれ、古代の制作者が使わなかった理由は、不明のままでいいのではないでしょうか。現実に十二天将の名称が揃う将棋はありませんし、他方、摩訶大将棋には、十二支がほぼ揃っているわけです。ですので、摩訶大将棋の制作者は、十二天将の名称があまり好きでなかったのだろう、という程度の考え方も可能です。

    逆に、mizoさんにおうかがいしたく思いますのは、新猿楽記の「進退十二神將、前後三十六禽」をどのように解釈されるのか、ということです。この十二神將や三十六禽を、陰陽師があやつる鬼神のようなものと読まれているのでしょうか。ここのところは、11世紀に大型将棋があったのかどうかに迫り得る大事なところと考えます。

  • #14

    長さん (木曜日, 15 1月 2015 08:16)

    1)について。新猿楽記において。36禽と12神将は別の駒と私は考えます。新猿楽(陰陽道)将棋は、私流だと48枚制。小将棋の地理駒と歩兵が、全く別の種類の36禽の駒に、平安小将棋9×9の将棋盤内でおなじ初期配列、置き場所いっしょで、置き換わったイメージ。12親将は、2段目の、平安小将棋では、金将、銀将、桂馬の前列に並ぶ、私が獣曹、禽曹・・等と適当に名づけた駒です。仮説新猿楽(陰陽道)将棋は、3列目の歩兵は平安将棋といっしょで全部有る、大砲将棋のような配列を想定しています。12神将は「禽そのもの」ではなくて、禽が人間の恰好をして、鎧兜をかぶって、並んでいる「将」ような感じの姿、が私のイメージ。従って、これは老鼠、猛牛、盲虎、猫叉・・とは違う物だと私は見ています。仮説新猿楽(陰陽道)将棋の36禽については、和将棋で鴟行、烏行、盲犬、登猿を桂馬2枚に置き換えて1列詰め、歩兵は雀歩に置き換えた物ののようなイメージです。こっちが本質的に、老鼠、猛牛、盲虎、猫叉・・の類の系統だと思います。
    2)について。プロの陰陽道師。たとえば「安倍晴明の将棋駒」については、文献が失われてしまっているので、存在の有無を判断するのは現時点で困難だと私は思います。アマチュアの占い。たとえば鳥羽上皇の占いでは、仮説としていろいろな可能性が考えられ、実証も、実際には困難と、私は見ます。

  • #15

    長さん (木曜日, 15 1月 2015 09:49)

    2)について、私の上の文面では解りにくいので補足します。プロの陰陽道師の使う12神将駒は、輸入お経の巻物の貸出整理札を使って、藤原明衡によって作られた事はあったのかもしれません。だから有るが回答ですね。でも、おしい事に、これは老鼠、猛牛、盲虎、猫叉・・の類ではないと言うのが私の考えです。12神将駒と36禽駒が別に有るのは、地平座標と天球座標とが、アマチュア占い師等とは異なり、陰陽道のプロの占い師には職業がら、きちんと区別が付いていたからだと、私は思います。

  • #16

    長さん (木曜日, 15 1月 2015 11:35)

    #15は、#7の私の解答と、考えているうちにブレてしまいましたが。ようするに、私によると12神将は、山羊、水瓶、魚、牡羊、牡牛・・と、本質的に同じ類ですね。6枚2組にならないのが難点ですが。なお、「まかつ」以外は、藤原明衡の時代には、無かったと言う事になりますね。

  • #17

    T_T (金曜日, 16 1月 2015 01:39)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    本稿の文面にもありますように、十二神将の駒がそのまま、摩訶大将棋の十二支の駒であるとは考えておりません。象棊纂圖部類抄にある摩訶大将棋は、原初の摩訶大将棋(十二支の駒、三十六禽の駒がある将棋)からは、変わっていることは確かです。そこには、無明と提婆の駒がはいっていて、その成りのルールも法華経を表現しているからです。やはり、日蓮宗が関わっていると今もまだ考えています。

    そういう意味では、最近の投稿は、摩訶大将棋というよりは、原初の摩訶大将棋を話題にしていると言うべきでしょうか。