2015年

4月

03日

148)馬と駒:将棋史解明の材料

将棋史に関するこれまでの文献学は、「将棋」という言葉に注意を払いすぎているかも知れません。本稿では、将棋の駒の「駒」に注目してみました。現代日本で、駒というと、広い意味でボードゲームの駒ですが、では、その「駒」という言葉はどこから来たのか、それを考えてみました。


白川静の字通では、駒は、小さい馬です。右側の句という文字は、小さいという意味だと書いてあります。そのとおり、万葉集では、駒を含む歌が多くみつかり、仔馬の意味で用いられているようです。ところが、平安時代になると、駒は、仔馬という限定がなくなり、馬を指すようになります。そして、駒という表現は、歌語(和歌の中で使う優雅な言葉)だけとなるようです。その他には、駒競(こまくらべ:=競馬)の駒ぐらいしか見つかりません。参考までに、駒の入った和歌をひとつ書き留めておきます。


新古今集・冬・六七一:藤原定家

駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮 


ところで、駒(=馬)は、いつから、ボードゲームの駒の意味になったのかですが、これについては、将棋の駒が、ボードゲームの駒の語源だという可能性大です。駒という言葉は、どうやら、将棋の駒がルーツのようなのです。もし、将棋の駒が、すでに使われていた何かの「駒」から来たものだとすると、その「駒」という言葉は、平安時代以前の古い言葉でないといけません。古代日本で遊ばれたボードゲームは、まず、盤双六の駒ですが、駒ではなく棋子と呼ばれています。シャンチーの駒も棋子です。今に伝わっていない古代日本のボードゲームがあって、その駒を、そのとおり、駒と呼んでいた可能性があるかも知れませんが、それは、今しばらく問わずにおきます。


「将棋」がはじめて文献に現れるのは新猿楽記ですが、将棋の「駒」がはじめて文献に現れるのは長秋記です。投稿136)や投稿132)では、別の観点を問題にしましたが、駒が現れるのは次の部分です。


覆以將棊馬、其數十二也


ここでは、将棋の駒という表現ではなく、将棋の馬という表現になっています。これはどういうことかと言うと、たぶんですが、この時代には、まだ、ボードゲームの駒を意味する「駒」という言葉がなかったのではないでしょうか。つまり、「將棊馬」の馬は、そのとおり、馬だったかも知れません。つまり、合戦シミュレーションゲームとしての馬、将棋を合戦に模したときの馬です。将棋の駒には十二支や霊獣が含まれますから、馬は十二支の動物や霊獣を総称して馬ということでしょう。


ここで、ひとつ前の投稿147)の最後の方、二中歴の将棋が黎明期の将棋でない可能性について言及しましたが、そう考えるに至る、別の理由が本稿です。鳥羽上皇が取り扱っていた長秋記の将棋は、合戦をイメージさせるに足る多くの駒があり、かつ、馬の多い将棋だったのではないでしょうか。この場合、二中歴に登場する平安将棋では全く不適合です。平安大将棋でも、まだ駒数が少なく、馬がそれほど目立ちません。


平安時代の合戦のイメージは、平治物語絵巻や後三年合戦絵巻に見ることができますが、合戦には多くの馬が使われます。合戦シミュレーションとしての将棋には、前線の歩兵の後ろに、多くの馬が並ぶ必要があるでしょう。それらの馬は、1個の歩兵よりも十分に強力でないといけません。


さて、将棋の駒という表現が、いつごろから使われるのかは、まだきちんと調べていません。長秋記(12世紀はじめ)に将棋の馬という表現で出てきて以来、その表現は、400年以上続いていたように思います(まだ調査中です)。水無瀬兼成の駒制作のメモでも将棊馬日記(16世紀終わり頃)ですし、麒麟抄にある駒の書式の文章は、将碁馬書事(14世紀中頃)です。


ということは、駒の起源は、まとめると、次のようになるのでしょうか。

1)仔馬=駒:奈良時代

2)駒=馬(ただし、和歌の中のみ):平安時代

3)将棋馬=将棋の駒の名称(将棋は合戦シミュレーションと見られていた):12世紀~

4)将棋馬-->将棋駒(馬を優雅に表現した):江戸時代?


駒と馬の件、引き続き調べていきますが、別件で、最後に1点、鳥獣戯画の甲巻、乙巻のことなのですが、実は、どちらも馬の絵から始まるのです。甲巻は競馬、乙巻は馬と馬の戦いです。次稿、鳥獣戯画についての残りを書きますが、そこで検討します。象戯経の話、吉備真備の話も書かないといけないのですが、鳥獣戯画の件、まだ書き終わっていません。なお、ここで甲巻としましたのは、現存の甲巻ではなく、復元した甲巻です。この件も、次の投稿にて。


極端な言い方をしますと、鳥獣戯画の乙巻に描かれている絵は、すべてが馬です。つまり、将棋の駒なのです。だから、まだ見ぬ平安時代の将棋に、飛鷲と角鷹がいたのかも知れません。もちろん、それらは、乙巻に描かれている順序からは、あまり強い駒ではなかったでしょう。泰将棋に組み込まれたときにも、初期位置でいい場所をもらえませんでした。泰将棋は、既存の将棋の駒だけを集めて作られた可能性もあるでしょう。


本稿、流れに乗って書きすぎです。ひとまず途中まで信じていただいて、あとは、当たるも八卦(=易占=将棋)、当たらぬも八卦ということで。