2015年

5月

28日

156)平安大将棋再考:摩訶大将棋を起源とする説

後白河上皇と伎楽の話を予定していましたが、ひとつだけ先送りし、平安大将棋の成り立ちに関する一試案について書き留めておきたく思います。本稿、将棋の薬師如来仮説とも関連しますので。平安大将棋については、投稿108)~投稿111)にていろいろ考察しましたが、平安大将棋が呪術としての将棋から(たとえば、摩訶大将棋から)漏れ出てきた将棋のひとつだろうという思い込みは今も変わりません。


本題に入る前に、まず、摩訶大将棋の初期配置の意味するところを、まとめてみます。摩訶大将棋は、薬師経の教えの具現、薬師如来への供養を表現した将棋なのではないかということ、それがここしばらくの投稿内容でしたが、いかがなものでしょうか。空想を書いているつもりはありませんが、その題材上、論理と空想のぎりぎりの境目に立たざるを得ません。結局のところは、薬師如来の存在を信じるのかどうかということになるでしょう。


摩訶大将棋の玉将は、薬師瑠璃光如来(=薬師如来)を表現しています。つまり、玉将の玉は瑠璃の玉を意味しているようです。同時に、玉将は天皇を表現していたものと思われます。阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主であることに対し、薬師如来は東方瑠璃光浄土の教主ですが、東方の、日出る処の天皇=薬師如来、これは一般論のとおりです。


薬師如来の眷属は十二神将ですが、摩訶大将棋では、薬師如来(玉将)を十二神将(十二支の駒)が守護しています。玉将の左右、提婆と無明は、たぶん、薬師如来の脇侍、日光菩薩と月光菩薩に相当するものと思われます。たとえば、提婆は、デーヴァ(deva)=輝くものという意味ですから、日光菩薩と考えてもいいでしょう。ただ、当初の駒名から置き変えられた可能性があるかも知れません。無明の法性成りルールが、法華経、日蓮宗の要素として強く現れているからです。


そして、残る1点、摩訶大将棋には、薬師如来への供養として伎楽面の駒が並びます。これは、薬師経に書かれているとおりです。伎楽面の駒は、八部衆にも相当するものと思われますが、この点、本ブログではまだ議論が済んでいません。摩訶大将棋の初期配置(図1)に、以上の点を色分けで表してみました。水色が十二神将の駒、橙色が伎楽面の駒、黄緑色が日光菩薩と月光菩薩に相当します。


図1.摩訶大将棋の初期配置と薬師経に関連する駒
図1.摩訶大将棋の初期配置と薬師経に関連する駒


さて、次に確認していただきたいのは、摩訶大将棋が早い時代に成立しただろうということです。投稿152)では、狛犬と師子の駒に注目し、狛犬の起源から摩訶大将棋の古さに迫りました。また、本稿上述のとおり、摩訶大将棋は、薬師経に則り、非常に整然とした構成を持ちます。このように仕組まれた将棋が、小さな将棋から徐々に駒数を増やして完成したと考えるのは不自然でしょう。この件、投稿155)にも書きました。この2点から、摩訶大将棋は、大将棋、中将棋よりも早い時代の成立だと考えることができます。この結論は、たぶん正しいと思うのですが、異論ありましたら、研究会や展示会にて是非お願いいたします。お待ちしています。

 

したがって、将棋の起源に近いと考えられるのは、現存する文献からは、平安小将棋(二中暦)、平安大将棋(二中暦)、摩訶大将棋(象戯圖/象棊纂圖部類抄)の3つということになります。

 

前置きがまた長くなってしまいましたが、以下、本論です。平安大将棋の成り立ちについて考えてみます。結論だけ簡単に書きますと、平安大将棋は、摩訶大将棋から、1)薬師経に関連する駒(図1の水色・橙色・黄緑色の駒)を抜き、2)走り駒の列を抜き、3)瓦・石・土将を抜けば、作ることができるということです。図2が、摩訶大将棋から1)~3)の駒を抜いたところです。図1の赤字の駒は、薬師経以外の駒で抜き出される駒を表しています。


図2.図1から薬師経の駒と赤字の駒を抜いた配置。
図2.図1から薬師経の駒と赤字の駒を抜いた配置。


図2からは、飛龍と桂馬の2駒を、反車と香車の横に移動させて、あとは駒を詰めるだけで、ほぼ平安大将棋が完成します。ただし、仲人は中央にひとつだけとしました。この状態が図3です。図4が平安大将棋の初期配置ですから、残るは、うす水色の3駒(酔象1駒、猛豹2駒)となります。

図3.図2から駒を詰めた配置。仲人は中央にひとつとした。
図3.図2から駒を詰めた配置。仲人は中央にひとつとした。
図4.平安大将棋の初期配置。
図4.平安大将棋の初期配置。


図3から図4へは、空想にならざるを得ませんので、また後日としますが、注目すべきは、図3に、酔象と猛豹が残ったという点です。ここで、将棋図巧の序にある例の文章を思い出して下さい。


「吉備公、再び唐朝に聘せられ小象棋を得て帰る。其の図状を按ずるに、両営の玉将の首に酔象あり、左右の金将の首に猛豹あり。然れども其の精思を得たること莫き者なり。大江匡房、素り兵理を窮む。因りて象豹を去りて中華に伝う。」


つまり、玉将の前の酔象と、金将の前の猛豹を取り除いたというのです。図3を見れば、そのとおり、玉将の前に酔象、金将の前に猛豹があります。これらの駒を取り除き、そして、・・・。まあ、どうとでも言えるのですが、私は、摩訶大将棋の中にある薬師如来を信じるとともに、伝わるこの談話も信じています。図3の将棋は、天皇周辺にだけあった呪術としての将棋が漏れ出てきたひとつの結果だとみます。


古文書には、小将棋の盤面に、酔象と猛豹があったと書かれています。しかし、本当にそれは小将棋だったのでしょうか。そうではなくて、世にまだ出ていない大きな将棋があって、その一部だけが世に出てきた、それは、言うなれば、小将棋だったということかも知れません。


平安小将棋のことは、まだしばらく問わずに、まず、平安大将棋と摩訶大将棋だけを考えましょう。すでに結論したとおり、大将棋と中将棋は後世での成立ですから、平安大将棋と摩訶大将棋の間を結ぶ将棋は、現状、何もありません。図4からスタートして図1を作るのか、それとも、図1からスタートして図4を作るのか、問題は単純です。本ブログでは、図1から図4ができたと考えます。基本的には、薬師経の駒は、当初、ひとつも漏れ出なかったということです。瑠璃の玉将を含めて仏教の七宝がまず出たということになります。


長いですが、まだまだありますので、また、中断です。すいません。


あと1点だけを。平安大将棋が、やはり、はじめだろうと考える理由もひとつだけあります。それは、反車(奔車)と香車、飛龍と桂馬の並びです。これは、非常にきれいな配置で練られたプランなのかも知れません。つまり、香車の前には、後ろにも行ける香車(=反車)があり、同じように、桂馬の前には、後ろにも行ける桂馬(=飛龍)があるのです。桂馬は斜め前だけに進む2目の踊り駒です。そして、飛龍は、前後の斜めに進む2目の踊り駒です。二中歴の記述を読んで、飛龍を角行の動きだとする人がいますが、たぶん、間違っているのではないでしょうか。このあたり、投稿111)に書いたとおりです。


それと、古代日本の将棋の桂馬が、現代将棋の桂馬の動きでなかったことは、重要視すべきと考えます。当時は、まだシャンチーの馬が伝来していなかったのかも知れません。または、小将棋と大将棋系で、桂馬の動きが違っていたのかも知れませんが。


ともあれ、酔象、猛豹、飛龍が残ったわけですが、この3駒には、まだ何か隠された事情があるはずです。薬師経の駒ではなく、しかし、古くから存在していた駒。たとえば、猛豹は、象戯圖の注釈によれば、「猛豹博士」なのです。これをどう解釈するか。この件、また後日の続きにて。