162)延年大将棋を読み解く:酔象と太子が裏表でなかった頃

延年大将棋のことを教えていただいたのは、パシフィコ横浜のCEDEC2013の会場でした。もう2年がたちます。ここしばらくは、曼殊院の将碁馬寫のことばかり考えているのですが(将碁馬寫には、紙の裏にも文字が書かれています)、この本がたまたま延年大将棋と関連をもったことで、延年大将棋についてもいろいろ考えを巡らしている最中です。


実は、研究室での古典将棋の研究は、摩訶大将棋ではなく、泰将棋(=延年大将棋)から始まっています。当初は、泰将棋が指されていたという前提で、泰将棋のコンピュータ版を開発していました。古典将棋のルールは、本に書いてあるそのとおりだと思っていましたから、古典将棋の復刻は、もちろん、研究目的にはなっていません。そもそも、将棋は昔からの遊戯だと思っていましたので、駒の枚数が1年の日数、354枚である意味を考えることもありません。駒で長寿を祈願する将棋だったとは。


さて、延年大将棋の解読についてですが、最近いろいろ考えた中で、やはり、絶対そうだろうと思うことは、延年大将棋に並べられた駒は、全部が表向きの駒であって、裏返し(成駒)ではないということです。初期配置で、すでに成駒があるというのはおかしいからです。


また、延年大将棋の駒は、それまでにあったいろいろな大型将棋の駒を集めたものだったでしょう。つまり、延年大将棋のために新しく作られた駒はひとつもなかったのではないでしょうか。なぜなら、新しく駒を作ったとすれば、同時に、駒の動きも作る必要がありますが、対局のためではない将棋、延年のための将棋を作ろうとしている人が、そんな作業をするだろうかということです。


以上、箇条書きにまとめますと、次のとおりです。

1)延年大将棋の駒は、それまでにあった将棋の駒が使われている。

2)成駒(裏返し)では並べられていない。全部、表向きである。


この2点を、以下で、検討していきますが、それらの検討結果は、本ブログで提出してきました将棋の歴史に関する考え方とほとんど矛盾しません。延年大将棋の初期配置は、投稿159)を参照下さい。


まず、2)についてですが、すぐ論点になりそうなのは、そもそも、太子、飛鷲、角鷹といった成駒が存在しているではないかという点です。しかし、これらの駒が成駒だとみることはできません。つまり、同じ盤面に、酔象、龍王、龍馬が存在しているからです。表向きの駒とそれを裏返した駒が同時に存在するのはおかしいでしょう。


ところが、これらの点は大型将棋の成立順を次のとおりだと考えることで説明がつきます。

摩訶大将棋 --> 大大将棋 --> 延年大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋


たとえば、太子、飛鷲、角鷹の駒から、中将棋の成駒を連想した人には、上記2)の論点は同意し難いものかも知れません。しかし、本ブログにてくり返し書いていますとおり(たとえば、投稿112や投稿152を参照下さい)、中将棋の成立は、延年大将棋よりも遅いと考えられますので、飛鷲と角鷹が、中将棋の成駒に由来することはあり得ません。また、太子の駒ですが、これは、延年大将棋の酔象は、摩訶大将棋の酔象だとみることで解決します。この場合、酔象の成駒は王子ですので、太子があってもいいわけです。


では、太子、飛鷲、角鷹が成駒でないとすれば、どこから来たのかということですが、それは、投稿159に書きましたとおり、「まだ知られざる大型将棋X」にあった表の駒ということになります。これは、上記の箇条書き1)の内容です。


現状、大型将棋Xは、完全に空想の産物ですが、鳥獣戯画を見る限り、金鹿、銀兎、飛鷲、角鷹、猛鷲は、ありそうな駒です。それに、将棋史の文献が非常に少ない中、象棊纂圖部類抄に記載された将棋だけが過去に存在したすべての将棋だと、断言できるはずもありません。


ともかくも、以上のようなシナリオで、延年大将棋の酔象は、摩訶大将棋の酔象を並べたものだということが類推できます。その当時、太子は成り駒ではありません。王子ではなく、太子に成る酔象の駒も存在しませんでした。


なお、象棊纂圖部類抄の大将棋の注釈に、酔象成太子、鳳凰成奔王、麒麟成師子、とありますが、これは、注意喚起のためだったと見れます。つまり、大将棋以前に摩訶大将棋と大大将棋が存在していたわけですが、本来ですと、酔象成王子、鳳凰成狛犬(または、金翅)、麒麟成大龍(または、師子)です。これは、ちょうど、中将棋の箇所の、仲人や鳳凰の注釈と同じ意味あいを持ちます。以前からのルールの変更点を明示しているのです。これについては、投稿116、120、140、147に詳述しています。


大型将棋の成立順、摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋ということについての考え方は、投稿152に書きましたとおり、師子と狛犬は同時導入されたはずという歴史的観点からの説明だけで十分な根拠になり得ますが、本稿は、これを補強する材料となります。延年大将棋に並ぶ駒が、表向きの駒だけであるという前提に立てば、延年大将棋を仲介にして、摩訶大将棋 --> 延年大将棋 --> 大将棋 --> 中将棋と結論できます。


延年大将棋の件、まだまだありますが、あと1点、補足のみ書いて、本稿いったん終わります。象棊纂圖部類抄の延年大将棋の図では、玉将の位置には、自在王が並んでいます。自在王は成駒ではないのかということになりますが、大将棋畧頌の冒頭には、提婆無明玉左右となっていますので、本来の並びは、玉将と考えていいでしょう。


なぜ自在王になっているのかという件、問題ではありません。たとえば、延年大将棋を並べ終わったと想像してみて下さい。並べた人は自身は玉将です。おもむろに玉将の駒を取り、裏返して、自在王にしてみたということはありそうでしょう。なお、投稿154~投稿156に書きました薬師如来仮説に立ちますと、玉将は薬師瑠璃光如来ですが、七仏薬師には自在王がいます。玉将も自在王も同一の存在です。ちょうど、無明と法性が表裏一体であることと同じです。


ともあれ、延年大将棋の玉将には、摩訶大将棋の玉将が使われていると考えて間違いありません。