2015年

11月

27日

181)八道行成と十六むさし:将棋史解明への手がかり

和名抄(平安時代前半の国語辞典)には、将棋という語句はリストアップされていません。したがって、将棋はこの頃まだ日本には伝来していなかった、そう考えるのは妥当な見解でしょう。しかし、本稿は、それとは逆の見解、将棋はその頃すでに日本に存在していたという可能性を論理立てるものです。

 

本稿のタイトル中にある八道行成については、以前の投稿93)(2014/06/04)にて取り上げていますが、その内容には何点もの間違いがあります。お恥ずかしい限り。しかも、googleで「八道行成」を検索してみると、一番はじめにそのWebページがかかってしまいます。困ったものです。先ほど、投稿93)の冒頭に、間違いが多く含まれますと追記しておきました。

 

八道行成は、和名抄で取り上げられているとおり、平安時代に存在した遊びです。どのような遊びなのかは、現状、全くわかっていないと言っていいでしょう。よく見かける説明は、十六むさしとよく似たボードゲームで云々という説明です。そして、その十六むさしの中身ですが、これもWeb検索しますと、どれも同じようなボードゲームがかかります。これらの情報元は、江戸時代の文献ですので、重要視は禁物でしょう。十六むさしの語句は、遊学往来(南北朝時代)にも出てきますので、ずっと昔の遊戯なのです。


本稿に関して、最も参考になったのは、日本遊戯史(酒井欣著、1933年発行)です。ここに、十六むさしの「む」についての説明があるのですが、この「む」の音は「ま」の音からの転訛だというような見方が書かれていました。さらに、八道行成の方ですが、和名抄では「やさすかり」と読むと書かれているわけですが、この「やさす」も「やすし」と見るべしと書かれています。「やすし」は八すじ、つまり、八本の道すじの意味だというのです。


日本遊戯史にはここまでしか書かれていませんが、以上のことから、次のようなエキサイティングな推測ができます。十六むさしは、よくある「十六武蔵」とするのではなく、「十六馬指し」とするのはどうでしょうか。


本稿では、この「十六馬指し」を、それと同じものと伝えられてきた「やさすかり」と合わせて考察します。以下、示しますように、辿りつく結論は、二中歴の平安将棋は横8マスではないのかということです。

 

図1.伝来当初の将棋の想像図
図1.伝来当初の将棋の想像図

図1は、shatranjがペルシアから伝来した当初の将棋の形の想像図です。駒の名前は漢訳、ルールはshatranjと同じということで異論のある方はほとんどおられないでしょう。


さて、この図を見た後で、再度、上述の「十六馬指し」と「八道行成」のことを考えますと、この2つの遊戯の中身が透けて見えるのです。それは、遊戯に付けられた漢字表現の意味そのものではなかったでしょうか。全く文献に基づかない根拠のない話しなのですが、あまりにも漢字と図との対応関係がぴったりですので、それだけで十分に納得できた気持ちになります。


十六馬指しは、王・将・象・馬・車・兵の16枚の駒ということになります。八道行成の八道は、敵陣へ向かう八つの道、つまり、shatranjの横8マスを意味しているという類推ができます。駒は敵陣に行って成るのです。ともあれ、十六むさしと八道行成は、同じような遊戯であるとの伝聞のみが伝わっているだけで、遊戯の中身は不明と言っていいでしょう。江戸時代の文献には十六むさしの図も記載されていますが、これをそのまま古代の十六むさし、八道行成と考えていいのかどうかは疑わしいでしょう。大型将棋について言えば、江戸時代の文献があまり当てにならないことをもう十分に知っています。ですので、十六むさしについても、近世の文献の鵜呑みは要注意です。


ところで、八道行成は、上で書きましたように、「やさすかり」転じて「やすし・かり」です。この内容については、投稿183)にて掘り下げたく思います。そちらの方を参照下さい。日本遊戯史にあった「やすし・かり」の指摘は、非常に役立ちました。


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コメント: 3
  • #1

    mizo (土曜日, 19 12月 2015 05:56)

    分からない点をお教えください。

    》図1は、shatranjがペルシアから伝来した当初の将棋の形の想像図です。

    shatranjがペルシアから「日本へ」伝来したとお考えですか?
    そうだとした場合、伝来したshatranjは立体駒ですか?

    》十六馬指しは、王・将・象・馬・車・兵の16枚の駒

    十六の駒という考えは、江戸時代の「十六武蔵」の説明(親ゴマ1つを子ゴマ16で捕まえる)と矛盾しないと思いますがいかがでしょう。ゲーム全体では17個ですが、非対称ゲームで、親は1個、子の方は十六個の駒を操ります。

  • #2

    T_T (土曜日, 19 12月 2015 17:52)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    shatranjの伝来は、おそらく、直接ではなく中国経由ですので、中国のフィルタを通過せざるを得ません。その過程で、駒の形や名前が本来のものから変化しただろうと考えています。もちろん、伝来当初には立体駒がペルシア語の名前で来た可能性もあるでしょうが、文献や出土の手がかりがない以上、このあたりは何も言えません。

    しかし、高い確度で言えることは、shatranjのルールが、中国のフィルタをほとんど受けなかったということです。ルールの大半はほぼ素通りで古代日本に入ってきたのではないでしょうか。駒の名前が漢訳され、立体駒が中国で平面駒になったとしても、ルールはあまり形を変えず日本まで来たようです。これとは対照的に、中国の将棋には、shatranjのルールはあまり残っていません。これは、伎楽面の伝来とよく似ています。ペルシアから来た伎楽面は、日本にのみ残っているようです。

    shatranj系列のルールの伝来では、駒の動き、成りの形態等いろいろありますが、最も重要視すべきは、ゲームの勝ち負けに関する規則です。ゲームである以上、勝ち負けの規則はゲームの本質です。勝ち負けの規則に比べれば、駒の動きが似ているとか、配置が似ている云々は、些細な点と言ってよいでしょう。

    二中歴に残された、平安将棋の勝ち負けの規則は、次のようなものです。この記述を、将棋史研究家の皆さんは軽く見すぎではないかと私は感じています。

    敵玉一将則為勝

    敵が玉将だけになれば勝ち、という意味です。文体が定型文ですので、解釈に紛れはありません。平安将棋のこのルールが、そのままshatranjにあって、シャンチーにはなくマックルックにもない以上、「将棋の起源はshatranjである」そう表現していいように考えます。

    shatranjと将棋/大型将棋との類似点については、この他にも、成りのルール、成り駒の王子の存在等、世界の他の将棋類にはない特徴点があるわけですが、第一の類似としては、「敵玉一将則為勝」の一致を挙げたいと思います。

    ひとまず、このあたりで。
    まだ、書きおく点いくつかありますが、ブログの本文として後日投稿いたします。

  • #3

    T_T (土曜日, 19 12月 2015 17:57)

    mizoさんへ(#1の後半部分に対して)

    十六むさしの件、書いていませんでした。
    十六むさしと八道行成は、合わせて考えると、突破口がありそうです。古文書にも、類似した遊戯という記述は残っています。江戸時代の文献には、十六むさしの図面が残っているわけですが、類似しているはずの八道行成を説明してくれません。ですので、個人的には、江戸時代の十六むさしは、別ゲームの可能性もあるだろうと考え、あまり重く見ていません。

    関連の件、投稿183)にて書く予定ですが、まだ書いていません。そちらの方でまたお願いします。