たとえば、大大将棋の最下行、王将の近くを見てみますと、
・・・奔王・左将・王将・右将・奔獏・・・
というのが通説です。これは、象棊纂図部類抄(1592年)に書かれている駒の配置図を、たぶん、その後の文献がそのまま書き写したことによっています。ところが、象棊纂図部類抄の大大将棋の図には、次のような短いコメントがついています。
右者前之左也
右ハ前コレ左ナリ(右図は、前の方が左です)、と読みました(間違っていたらすいません)。巻き物ですので、右から左に書かれています。つまり、駒は図のとおり見たままに並べるのではなく、左右反転しないといけません。
・・・奔獏・右将・王将・左将・奔王・・・
が正しい並びとなります。将棋の歴史(妄想)のブログでも指摘されていますが、通説の配置では、左将が左にあると王将を守ることができません(左将は左横に動けないため)。右将についても同じです。左車、右車の動きも通説の配置ではおかしいのですが、左右反転することで、左将・右将・左車・右車の位置が合理的になります。
また、麒麟と鳳凰の初期配置についての疑問も解決します。
中将棋、大将棋、摩訶大大将棋、泰将棋で
麒麟(左側)、鳳凰(右側)ですが、
大大将棋だけが
麒麟(右側)、鳳凰(左側)となっています。
大大将棋もやはり、麒麟と鳳凰が左と右に並んでいたわけです。
コメントをお書きください
溝口 和彦 (火曜日, 31 1月 2012 07:49)
興味深く読ませていただきました。
「大大将棋」の初期配置図が左右逆転とすると、「摩訶大将棋」「無上泰将棋」の初期配置図はどうなるのでしょうか?
私は「右」「左」というのは、配置を表したものだと思います。これを性能と誤解した記述が混乱の原因だと思います。傍証として「大局将棋」では「右車」は左前に走ります。
T_T (水曜日, 01 2月 2012 02:41)
コメントありがとうございます!
ご指摘の点、再考しまして、また後日ゆっくり返信させていただきます。
江戸時代の文献の情報のルーツは、たぶん、1591/1592年の象戯図/その写しにあると思われますので、象戯図を最重要視すべきと考えています。
結果、
摩訶大将棋:通説 = 象戯図と同じ
大大将棋:通説を左右反転にする = 象戯図と同じ
泰将棋は、書くと長くなりますので、また後日にいたします。象戯図にある、泰将棋の箇所は、有名な嘉吉3年の写しではなく、行然和尚の本からの写しです。
泰将棋=摩訶大将棋+大大将棋(通説版)
みたいな作り方ですが、つまり、泰将棋の作者も、大大将棋の配置を
通説版と見ていたことになります。
・・・来週以降にいたします。
長さん (金曜日, 03 2月 2012 15:42)
大大将棋が指せるようになろうと、初期配列を暗記した経験からは、
大大将棋の配列って、段によって部分的に、左右反対に伝承されて
いるのではと思う事が在ると言うのは事実ですね。昔日本では、左
の方にやや偉い方を配置したり、縦横動きが右で斜め動きが左だと
いう傾向があるはずとの先入観で覚えようとすると、逆の段があっ
たりしますから。国立公文書館で展示されていた古文書で、仲人の
位置や、星の位置が記載間違いだとわかる将棋があったように記憶
します。正しく伝承されていないのではないかと御疑いの立場は御
立派。解明は、私が生きている時間の長さでは無理と思ってますが。