06)摩訶大将棋はダブルスだったという仮説

 摩訶大将棋が、テニスや卓球でいうところのダブルス(2人対2人で対戦する)ではなかったかという仮説です。もちろんそんな仮説は聞いたことがありません。ただ、三条西実隆の日記(将棋Ⅱ:増川宏一)には、興味深い記述がところどころに出てきます。いずれは日記の原典にもあたってみますが、要約しますと次のような感じです。

 

Aさんのところに遊びに行った。すると、Bさんがやってきた。Cさんもやってきた。では、将棋をしよう。

 

みたいな記述です。時代は、16世紀初頭、嘉吉3年本(1443年)からほぼ50年後、水無瀬兼成写本(1592年)のほぼ100年前です。摩訶大将棋・大大将棋までが成立していた頃です。日記の短い紹介の中で、このような記述が数ヶ所出てきます。3人~5人で将棋をしたということは考えられないでしょうか。

 摩訶大将棋なら盤も大きく、駒の並びは左右ほぼ対称です。真ん中にある奔王・狛犬・師子は適宜使うという感じで、2人で玉将を守ってもいいかもです。1人が主として指す領域は片側の9マスで、ちょうど今の将棋の大きさと同じでもあります。

 大大将棋・泰将棋のダブルスもあり得るでしょうが、左右対称でない点で、可能性は大きく下がります。大将棋は左右対称ですが、マス目が横15マスですので、少し狭いかも知れません。

 

 ちょうど今日の昼からゲーム学会の合同研究部会がありますので、ちょっとこの件皆さんに聞いてみたいと思ってます。そして、とにかく、摩訶大将棋ができるようになったら一番はじめにダブルスをやってみます。

 

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コメント: 3
  • #1

    長さん (月曜日, 06 2月 2012 09:58)

    真ん中の奔王、狛犬、獅子、非対称駒の鉤行、まかつの使い方で、摩訶
    大大将棋の場合、個人の棋風が出ると個人的には思えるので、この部分
    の御説には、手放しで賛成はできないと、読んでみて思いました。

  • #2

    長さん(補足) (火曜日, 07 2月 2012 09:18)

    棋風の影響(日本将棋で言う「居飛車党」「振飛車党」)、摩訶大大将棋
    では、夜叉等多くの非対称駒にも影響が出ますね。ダブルスの相棒が握っ
    ていても、あんまり気にならない駒は、古猿、臥龍、蟠蛇、淮鶏、左車、
    右車の6枚位か。以上補足します。

  • #3

    T_T (水曜日, 08 2月 2012 10:38)

     まだダブルスはやっていないのですが、中央付近が戦場になってしまいます。端攻めも難しく、ある程度左右分離した対局はむずかしいかもです。それにしても、師子は強い!
     時間短縮のため(師子不成りでなく)、師子奮迅ルールがあったかも知れないと思いました。師子があるという点だけで中将棋は面白いかもです。
     陸上に短距離、中距離、長距離とあるように、将棋にも、本将棋、中将棋、大将棋と種目別にトーナメントがあっていいように思いました。中将棋にはたぶん名人戦のようなイベントがあったように思いますので、大将棋にも何かタイトル戦があればと。。。
     対戦時間の問題がありますので、長考なし(1手20秒以内?長考は3回まで?)の早指しルールとするのが現実的かもです。