16)唱導大将棋の存在

唱導大将棋のことを、先日のワークショップにて教えていただきました。この説は、将棋の歴史(妄想)のブログで、普通唱導集大将棋の提案として詳しく展開されています。すでに1年半前のブログです。

http://blogs.yahoo.co.jp/shoginorekisi/17367224.html

 

普通唱導集(1300年あたりに成立)の記述から、
1)飛車が最強の駒だったはず
2)したがって、奔王、龍王、龍馬、獅子等のさらに強い駒は存在しなかったはず
という推論です。詳しくは上記サイトをご参照下さい。

 

確かにそのとおりだと思いました。というわけですので、本ブログの10)の投稿で、将棋の成立順にきちんと唱導大将棋を入れねばなりません。現時点での修正版を下に示します。ところで、唱導大将棋の存在と関連して、次の点を指摘したいと思います。

 

◎ 普通唱導集が書かれた1300年よりずっと前に、鳳凰の駒(鶴岡八幡宮で出土)や、奔横(私見では、奔獏かと期待)の駒が出土している。つまり、大将棋が指されていたのは1300年よりずっと前のことです。

 

◎ 1300年当時、大将棋よりも前に成立していた唱導大将棋がまだ指されていました(でないと文献に出てきません)。

 

この説明として、次の2つの可能性を考えることができます。

a)1300年当時、大将棋はすでに廃れていたが、唱導大将棋は指し続けられていた。
b)1300年当時、唱導大将棋と大将棋(または摩訶大将棋、大大将棋の可能性も)の両方が指されていた。

 

師子や奔王等の大駒のない唱導大将棋の方だけ残った(aのケース)とは考えにくいですので、bが有望となります。15)の投稿のコメント欄にも書きましたが、普通唱導集の大将棋指しの扱いは、かなり低く、上から数えて56番目、博打打ちよりも下となっています(たぶん、大将棋指しも博打打ち相当だったのでしょう)。日記を書いていた公卿(普通唱導集では1番目の文人に相当)が、世間でそういう扱いの唱導大将棋を指していたでしょうか。公卿は唱導大将棋の発展版である大将棋や摩訶大将棋の方を指していたという考え方はどうでしょう? 2種の大将棋の並存する理由を、2つのプレイヤー層があったということで考えてみました。

 

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以下、将棋の成立順の修正版です。

1)平安大将棋:

 

2)唱導大将棋:
飛車・角行の出現
猛牛・飛龍の出現(2目踊り・正行度)
成駒??

 

P)大将棋:
成駒は3つだけ、残りはすべて不成

 

Q)中将棋:
多彩な成り

 

5)摩訶大将棋(=摩訶大大将棋)

 

ところで、成立順の問題ですが、将棋の歴史(妄想)のブログでは、2-->Q-->P(中将棋が先)の説が取られています。ただ、2-->P-->Q(大将棋が先)という説も却下できません。中将棋から駒数を増やして大将棋を作るのと、大将棋から駒数を減らして中将棋を作るのと、どちらが自然かということになります。また、成駒が唱導大将棋の段階でどうだったかという問題とも関連してきます。この件、まとまりましたら後日また投稿します。現時点では、成駒の問題が私には未解決です。

 

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コメント: 2
  • #1

    長さん (水曜日, 04 4月 2012 09:08)

    個人的には、唱導大将棋で飛車・角行が出現、
    それは後期大将棋とは別、成駒は少なくとも
    飛車・角については金(金に成る走り駒が多い)
    に賛成します。根拠として、「栃木県小山市
    神鳥谷(ひととのや)曲輪8号井戸跡」から平成
    19年春出土の「裏が金一文字角行駒(他の出土
    品からみて鎌倉時代末期~南北朝時代に製作とみ
    られる)」
    を唯一、挙げる事ができると思います。奔横駒、
    鶴岡鳳凰、同裏謎香車駒と並んで、駒数多数将棋
    の貴重な現物遺品です。というか、他は、平泉
    駅西口遺跡の、両面飛龍駒の、全部合わせても
    5枚だけですよね。鶴岡八幡宮のも、鎌倉に
    住んでいる高校の学科・地学の恩師から「発見
    者、今も生きてるよ。」と聞いてますので、全部
    発見されたの、比較的最近かと思ってましたが。

  • #2

    T_T (水曜日, 04 4月 2012 11:26)

    大きな情報ありがとうございます!
    平泉の遺跡からの出土は知っていましたが、両面が飛龍だったとは知りませんでした!

    http://www.echna.ne.jp/~imaibun/warabite/no112/pdf/07.pdf
    http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/files/pdf/2003_10.pdf

    上の資料には記載されていませんが、調べてみますと、下の資料(4ページ目)にはきちんと書かれています。両面が飛龍ということで、つまり、不成りの飛龍だったのでしょうか。大変重要な出土です。

    また、仏教関連木簡と同じ層から出土しているようで、平泉という場所との関連上、極楽往生や天台密教とのつながりが期待できます。飛龍は、平安大将棋、唱導大将棋、大将棋、摩訶大将棋、大大将棋にありますので、ここの遺跡は要注目となります。14点の駒が出土されているらしいのですが、詳細はまだ検索できていません。

    あと1件、大型将棋系の出土がありますので、後日投稿いたします。