玉将の成駒、「自在王」の駒が出土したという報告はこれまでにありません。ただ、出土駒の1つにそうだとみなしても完全否定はできない駒があります。以下のサイトにその文献があります。
http://www.shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/06_miyake.pdf
8ページ目に王将/玉将の出土一覧表が掲載されています。この表の中で、大将棋と関連する可能性のある王将/玉将の駒の候補は4つあり(14世紀以前の出土駒に限定します)、その中で滋賀里遺跡から出土した王将が問題の駒で、裏面の中央に「王」という1文字が書かれています。この駒を摩訶大将棋の王将の成駒である、自在王とみることはできないでしょうか、というのが本稿の問題提起です。なお、残り3候補の駒の裏は無地のようです。
5ページ目には、滋賀里遺跡の出土駒のスケッチが載せられています。13世紀中頃の土器といっしょに出土したらしいですが、後世起源の可能性もあるとの記述があります。無地の裏面に落書きしたというレアなケースも含め、1枚だけですと、強い主張は何もできませんが。。。
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長さん (木曜日, 05 4月 2012 14:44)
おなじpdfに、両面「玉」の例が他にも書いてあるので、読んで
てこれは、さすがに苦戦と思いました。
いずれにしても、御注意誠に感謝します。
なるほど。昔は不成りの駒には、両面同じ字を入れる習慣があった
可能性もあるんですね。平泉駅西口遺跡の両面飛龍駒の話を聞いて、
いままで、両面同じ字入れるのなんでだろと、不思議に思っていま
したが。
T_T (金曜日, 06 4月 2012 23:59)
あと一歩調べずに投稿してしまいましたが、次のような事情です。
引用資料8ページ目の表の20駒のうち、次の3つが問題の駒となります。
番号3:表が「王将」、裏が「王」(上側でなく中央に王の字)
番号7:(以下参照)
番号11:(以下参照)
3つのうち、番号3のみが、鎌倉時代の駒、残り2つが後世の駒で大型将棋とは無縁とみなされます。
ところで、番号7、番号11ともに、資料の表のその他の欄には、それぞれ、『裏面も「玉将」か』、『裏面は「玉」か』、
という記述です。資料5ページ目の駒のイラストを見ますと、番号7の駒は、裏には何も書かれていないのと同然です。これが、その他の欄の『裏面も「玉将」か』の「か」の示すところです。つまり、かなりうすい字なのではないでしょうか。勝手な私見で、駒の字を消したのだと解釈しました。つまり、裏は無地です。
残る番号11の駒は、資料には載せられていません。本来は調べた上で結論すべきですが、資料には、番号11には番号7と類似の記述(「玉」か、という記述)になっています。よって、うすい字なのだろう(=一旦書いた字を消した)としました。この件、資料入手できました時点で再度コメントいたします。
それと、引用しました資料には興福寺駒(9世紀)の玉将がリストされていません。年代的に大型将棋とは無縁ですが、興福寺駒の玉将の中には、裏面にきちんと玉将と書かれている駒もあります。つまり、表=裏です。17)の投稿の注目点として、玉将の駒に裏面があり、それが玉将でない別の駒、しかも「自在王」を連想させる駒であるという点です。番号3の、裏の「王」の字が、上側に書かれていれば、書き損じの可能性大(しかも消さなかった)ですが、中央に大きく書かれている点がここでは重要です。これまでに出土された駒で、「王」という駒はなかったと思います。
自在王である可能性はまだ何とも言えません。可能性は0%ではないために、可能性小さければ小さいほど、楽しみは大きいという矛盾もあります。滋賀里遺跡の調査まだあるんでしょうか。摩訶大将棋に固有の臥龍、羅刹、古猿あたり出土されたらいいのですが。。。