摩訶大将棋には仏教関連の駒名が多く、大型将棋の中では最も仏教色の強い将棋です。このブログの始めごろ、公卿の日記の記述から極楽往生との関わりを漠然と考えていましたが、どうもそうではないようです。摩訶大将棋には、仏教の教えが強烈なルールとして組み込まれており、仏教を味わうゲームとも言えるでしょう。
この件については、たとえば、次のWebサイトでも述べられています。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/bknk/maha.html
摩訶大将棋では、提婆(だいば)の成りである教王(きょうおう)、無明(むみょう)の成りである法性(ほっしょう)が、ひときわ重要な駒です。教王と法性は、2つの強い駒の機能を併せ持つため、さらに強く非常に強い駒となります。
教王:奔王+狛犬(正行度3目踊り)
法性:奔王+師子(不正行度2目踊り)
摩訶大将棋は、結局のところ、提婆を教王にする将棋、無明を法性にする将棋と考えていいかも知れません。終盤近く、提婆が教王に成り、無明が法性に成れば、勝ちはほぼ確実となります。また、ルール上、教王と法性は盤面から無くなることはなく、対局中、仏教(たぶん法華教だと思います)がずっと見えています。無明とは何か、法性とは何か、という問いかけでしょうか。
提婆、無明、法性、これらの語句はWebで検索するとすぐにわかります。
たとえば、無明即法性、これは法華経の中にありました。
教王の情報だけが、なかなか見つかりませんでしたが、理趣経には、次のような記述があるようです。
「此の最勝の教王を持せん者は一切の諸魔も壞すること能わず」
ここで、教王が経典を意味することを知りました。教王は、経王、ということなのでしょうか。経王=最もすぐれた経典。もし、摩訶大将棋の教王が法華経のことを指すのだとすると、鎌倉時代、日蓮宗との関連が気になります。摩訶大将棋の創生は、京都ではなく鎌倉だったのかも知れません。そして、鶴岡八幡宮から出土した鳳凰の駒(裏は奔王)は摩訶大将棋の駒なのかも知れません。
話は変わりますが、薬師経には、次のように大型将棋に関係する駒名がかなり現れます。
或有水火刀毒懸嶮惡象師子虎狼熊羆毒蛇惡蠍蜈蚣蚰蚊虻等怖。
若能至心憶念彼佛恭敬供養。一切怖畏皆得解脱。
最古の出土駒が出ている興福寺の国宝館には薬師経がありますので、その関連もあって、
これは!、と思いましたが、そうではありませんでした。調べてみると、他の経典にも、師子、虎、狼、豹、熊は結構でてきます。駒によく使われるのも納得がいきました。
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O.K. (日曜日, 23 12月 2012 12:49)
ルール上、教王と法性は盤面から無くなることはないというのは面白いです。
王将でとった場合のみは例外になるのでしょうが(おそらく自在天王に成るのだと思います)そんな状況は起こりえないでしょうね。
本年はありがとうございました。
mizo (日曜日, 23 12月 2012 23:07)
この2つの駒の成りについては、異説が多いと思います。
『象棊纂圖部類抄』の摩訶大〃象戯では、
敵の駒を取ったときに成るのは、「提婆」「無明」を取ったときだけで、その成りも本来の裏返しての成りではなく、取った駒「提婆」「無明」を裏返して「教王」「法性」として使うとなっています。
通常の成りについての特別な記載はないので、「敵陣に出入りするときに成れる。敵陣内で動いたときも成れる。不成も選べる。」というルールだったと思われます。つまり、自分の「提婆」「無明」が敵陣に入れば成れたと思います。
『諸象戯圖式』の摩羯(魚扁)太象戯では、
こちらも通常の成りについての特別な記載はないので、「敵陣に出入りするときに成れる。敵陣内で動いたときも成れる。不成も選べる。」というルールだったと思われます。
「提婆」「無明」については、特別ルールとして敵の駒を取ったときも成れる。自分で「提婆」「無明」を取り除くことができるという記述があります。この二つの駒を取った駒に対する記載はありません。
『象棋六種之圖式』の摩訶大々象棋の記載は、『象棊纂圖部類抄』の摩訶大〃象戯と同様で情報源が同じであったと思われます。
T_T (月曜日, 24 12月 2012 02:00)
O.K.さんへ
コメントありがとうございます!
法性・教王とも、玉将から2目以上離れた位置からの王手ができますので、玉将と隣接する位置への移動はないように思います。玉将の方から近づくのも無理ですし。。。
この他にも、たとえば、師子の居食いで、法性や教王をとれば、どこの位置に置くのかという問題も出てきますが、玉将の場合と同様、起こらない状況です。両取り・開き王手・読み間違いがからんだ場合、もしかして起こるのかもですが、ルールとして決めるよりは、起こったときに相談ということでいいかなと思っています。
mizoさんへ
コメントありがとうございます!
現状、成りのタイミングについては、古文書だけからの確定はむずかしいと考えています。以下、コメント前半部分について返信いたします(象棊纂圖部類抄に基づいて摩訶大将棋のルールを定めていますので)。
象棊纂圖部類抄では、駒がいつ成るかという点の記述がありません。ですので、『敵の駒を取ったときに成るのは、「提婆」「無明」を取ったときだけ・・』というのも結論できないことになります。成りについては、試験対局を重ねることで最適と思われるものを選択しました。現在は、本ブログの投稿33)に書きましたルールでさらに対局を重ねています。ルール再考もあるかも知れませんが、現ルールで非常に面白い将棋となっています。
成りのルールについての考察は、後日、ブログに投稿予定ですが、以下ひとまず、簡単にです。
1)敵陣にはいったときに不成りが選べるとしますと、摩羯・鉤行や踊り駒は、不成りしか選びませんので、古文書に記載されている成り駒の図が無意味となってしまいます。ですので、敵陣では強制成りを採用しました。
2)駒を取ったときに成るというルールは、口傳の教王・法性についての解説部分から類推しています。つまり、口傳では、駒を取ったとき=イベントのタイミング、である旨書かれています。普通の駒を取った場合は、単に成るだけ(不成りも可)、しかし、提婆・無明を取った場合は、自分固有の成りになるのではなく、教王・法性に成る、という注釈だとみなしました。
3)同じく、口傳の教王・法性のところですが、敵陣かどうかを意識した記述がなされています。敵陣へ入ったときの成りを連想させる部分です。
以上、部分的ですが。まだいくつか補足事項があります。それは、投稿にてということにいたします。
長さん (火曜日, 25 12月 2012 17:07)
この将棋の場合、法性に成る無明、教王に成る提婆は、
終盤逆転の面白さを付加する目的で、玉将の両脇に
置いたのでしょうね。従って法性、教王ができる側は、
終盤に入りかけた頃は、劣勢側だと私は考えます。
問題は、酔象・盲虎・猛豹を取った優勢側の駒が、
終盤初、劣勢側の無明や提婆で取り返されるような、
取り合いの続く将棋に、御提案のルールで、本当に
戦力調整されているのかどうかも、文献の解釈範囲
内調整法で、この将棋が簡単に調整可能なのかどう
かを、チェックするポイントではないかと思いました。
たぶん「成って弱くなる駒を認める」この将棋の
オリジナルルール群では、ちと戦力が不足するのでは
ないのかというのが、当方の予想ですが、はたして
どうでしょうかね。
T_T (水曜日, 26 12月 2012 00:56)
コメントありがとうございます!
たぶん、劣勢側の提婆と無明が、まだ玉将の両側に並んでいる場合を想定されているのだと思います。そして、直接の攻撃を、まず、2段目の盲虎・酔象・猛豹が受けるというケースだと思います。
ただ、このケースですと、想定されているような手順は起こらないと思います。つまり、提婆、無明のそばにつなぎのない駒で突っ込むと、次の手で、
教王、法性ができてしまうことがわかっていますので、もし突っ込むとしますと、つなぎの枚数で勝つ場合か、横からの空き王手があり、提婆、無明が動けない場合に限ります。
それと、玉将のそばにまで駒が近づける終盤では、左か右の4、5マスは敵駒がほとんどいない状況です。優勢側は、ここで、提婆、無明が敵陣に向け、進みはじめます。もし狛犬や鉤行の護衛があれば、教王、法性への成りはさほどむずかしくありません。いくつかの奔駒の生成も容易です。
ご指摘のとおり、逆転の望みは、提婆、無明を教王、法性にすることで叶うことが多いと思います。特に、走り駒がなくなった状況で、勝つためにはこれしか手はありません。孤立した敵の歩兵を狙って進みはじめることになります。(双方ともに教王か法性がある対局は、私はまだ未経験です)
それと、ルールの件ですが、いま採用しています象棊纂圖部類抄に記載のルール(一部、類推部分もありますが)で、非常に面白く対局できています。ときには白熱の対局となります。1592写本に残された摩訶大将棋は、つまり、ある程度の年月をかけて熟成されたものだという可能性さえ感じられます。走り駒踊り駒の全部を金成りにはせず、師子、奔王、龍王、龍馬を不成りとして、敵陣でも活躍できるようにしています。一方で、摩羯、鉤行、狛犬の威力を敵陣では消えるように。絶妙のゲームバランスです。
実はすごいゲームクリエイターが、鎌倉時代にいたというわけです。
長さん (水曜日, 26 12月 2012 09:01)
そうですか。
私の場合、ルール調整の練習は、shogi variantsで、コンピュータ
相手にした経験しか無いのですが。その際私の側は、コンピュータに
勝つ事よりも、「こんなルールのゲームは行き詰まるのだ。」という
仮想敵の立場に立ち、指すようにしました。優勢になるよりも、なる
べく、攻撃に使う走り駒等を、相討ちにして、局面を固まらせるよう
に指し、それでも駒の多さで、緊迫感が持つのかどうかというチェッ
ク法です。なお、1歩歩み駒を1歩づつ進めて、攻撃駒を作り合う
しかないような、ゆっくりとした局面は、上で言う、固まった局面
の代表なのではないかと思います。そういう将棋は、あんまり
日本将棋では起こらない、現代の日本将棋の愛好家には嫌われる
局面(昔「かったるい」と、中将棋が川柳でうたわれたような局面)
と表現できると思うのですが、局面評価値の着手微分絶対値か何かで、
なんか、定量的に評価できないものなのでしょうかね。
T_T (水曜日, 26 12月 2012 21:31)
是非、一局お手合わせいかがでしょう。
摩訶大将棋のダイナミックな対局を実感いただけると思います。
たぶんですが、shogi variantsでは不成を選べないでしょうし、奔駒の不踊1目2目、狛犬と金剛力士の踊3目も再現できていないと思います。
まだ決めていませんが、来年3月15日に慶応大学(日吉キャンパス)にて展示予定です。翌16日にも、東京のどこかで対局会を開催するかも知れません(こちらもまだ予定です)。ご都合あいましたら是非。決まりましたらこの件投稿いたします。
長さん (木曜日, 27 12月 2012 08:34)
shogi variantsでは不成は選べないですし、奔駒は御説の工夫は
無いし、狛犬と金剛力士の御説の踊3目も、当時は気が付かれてな
かったので、単なる制限走りですね。動き方のカテゴリーを増やし
出すと、ルール決定方法の任意性が膨大になるので、私は調整は、
できて当たり前とみました。つまり、特定のPCソフトを改造して、
事実上さらされたルールテキストファイルを変える範囲で調整して
みる、というのは、それ自身、「ゲーム作り遊び」としては楽しか
ったですね。