83)大将棋系列における王子と太子(速報)

軍記物語の中に出て来る駒の名前を調べてみました。投稿80)の続きとなります。対象としたのは、次の3つの軍記物語です。かなりクリアな結果が出ましたので、細部の点検はまだですが、速報としてお知らせします。


平家物語(40万文字以上) :成立時期 1240年以前
源平盛衰記(80万文字程度):成立時期 1250年頃
太平記(60万文字以上)  :成立時期 1370年頃


総字数のカウントはおおよそですが、どれも字数はかなり多いという点を示したかっただけです。また、字数に大きな違いはありませんので(最大で2倍程度)、各物語の長い短いも考慮の必要なしです。1300年前後に成立した軍記物語があればよかったのですが、そう都合よくはいきません。ただし、結果的にはラッキーでした。1240年の平家物語と1250年の源平盛衰記の間に、多少のギャップが見られるようです。集計した結果は、最後に示しました。まず、考察事項のみ列挙します。


1)王子に対する太子の割合が、時代が進むにつれて、大きくなっている。
王子÷太子:平家物語=1.8、源平盛衰記=0.95、太平記=0.55という結果です。つまり、はじめは、王子という名称が多かったのに、太子という名称が優勢になっていったというわけです。酔象の成駒に注目しますと、摩訶大将棋は王子、大将棋と大大将棋は太子です。王子と太子、この名前の違いはこれまであまり気にしていませんでしたが、実は大きなキーポイントになりそうです。王子か太子か、これは将棋が成立した時代を反映しているのかも知れません。時代が下るほど、太子の割合が増える、つまり、酔象の成りに太子を選んだ将棋は時代が後なのです。成りに王子を選んだ摩訶大将棋は、これまでの推論どおり、大将棋よりも大大将棋よりも、先に成立したということになります。


2)左将、右将の名前が太平記だけに現れている。
左将、右将は大大将棋になって出現する駒です。大大将棋の成立時期の推定に使えそうです。少なくとも、源平盛衰記の頃、13世紀半ばには、大大将棋はなかっただろうと思われます。土御門天皇が大大将棋を指していた可能性、ほとんどないかも知れません。奔獏の駒は何だったのでしょうか。


3)金翅、香象の名前も太平記だけに現れている。
この駒も大大将棋に固有です。上と同じ結論になります。それと、駒の名前の創生についてですが、現代ではなじみの薄い名前でも、当時は、物語に使われるほどには流通していたというわけです。


4)麒麟、鳳凰の名前が平家物語には出現しない。
断言できるほどの材料ではありませんが、平家物語以後の10~20年ほどで、摩訶大将棋、大将棋の主要な駒の出現頻度がぐっと大きくなります。竜王、提婆、獅子、夜叉も増えています。摩訶大将棋が先行していたとすれば、その成立は1250年前後だった可能性もあるでしょう。さらに、摩訶大将棋が日蓮宗起源だとすれば、日蓮の弟子の創案だった可能性は小さくなり、日蓮本人だけが可能性として残ります。それと、1200年前後に明月記の定家が指した大型将棋は、摩訶大将棋でも大将棋でもなくなります。たぶん、当時は、麒麟、鳳凰、獅子、龍馬は、軍記物、つまり、戦とは関係が薄かったのでしょう。指していたのは、二中歴の大将棋でしょうか。


いくつか他にもありますので、また、この件、いろいろと後日に投稿します。将棋の駒は、軍記物語に出現しやすいでしょうから、この分野で調べるのがいちばん正確な推定ができそうですが、歴史物語や日記もいちおう調べてみたいと思います。


平家物語
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竜王:4、龍王:0、竜馬:0、龍馬:0
麒麟:0、鳳凰:0、提婆:1、無明:0、羅刹:2、夜叉:1
獅子:0、師子:4、狛犬:0
王子:29、太子:16、酔象:0、歩兵:0、香車:0


左将:0、右将:0
東夷:4、西戎:1、南蛮:0、北狄:2、天狗:7
毒蛇:0、水牛:0、奮迅:0、金翅:0、香象:0
鯨鯢:1、奇犬:0、白虎:1、白象:0


源平盛衰記
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竜王:36、龍王:1、竜馬:1、龍馬:0
麒麟:2、鳳凰:8、提婆:15、無明:2、羅刹:5、夜叉:15
獅子:6、師子:6、狛犬:1
金剛力士:4、獅子狛犬:1
王子:82、太子:86、酔象:1、歩兵:4、香車:0


左将:0、右将:0
東夷:17、西戎:9、南蛮:1、北狄:3、天狗:48
毒蛇:1、水牛:2、奮迅:1、金翅:0、香象:0
鯨鯢:0、奇犬:0、白虎:0、白象:1


太平記
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竜王:9、龍王:4、竜馬:4、龍馬:2
麒麟:3、鳳凰:2、提婆:15、無明:3、羅刹:8、夜叉:7
獅子:12、師子:34、狛犬:0
金剛力士:2
王子:26、太子:47、酔象:0、歩兵:0、香車:4
臥龍:3


左将:9、右将:4
東夷:19、西戎:3、南蛮:4、北狄:4、天狗:29
毒蛇:5、水牛:4、奮迅:3、金翅:2、香象:2
鯨鯢:1、奇犬:1、白虎:1、白象:1
 

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コメント: 2
  • #1

    長さん (木曜日, 16 1月 2014 13:57)

    平家物語と源平盛衰記の差は、作柄の差(後者は、作者が仏教関連用語を
    使って、物語を進行させるクセが有る)である疑いを否定できないのでは
    ないでしょうか。文脈で、王子をどういう意味でしばしば使っているのか
    に注意すべきかもしれないと思います。皇子の意味ではなくて、若一王子
    を指している場合が多いために、源平盛衰記では、しばしば現れるのであ
    れば、上記のように考えるのが自然かと思いました。よって4)は、
    私も断言できない、曖昧情報なのではないかと思います。また、
    太平記で太子が出やすいのは、南北朝時代の特性の一つである、皇室の
    分裂の物語表現が原因というのが、この数値だけからは、なおも疑われ
    ると思います。皇子や親王の意味で、太子を使っている等、太平記の
    「太子」も、どんな意味で、使われているかにより結論が変わるのでは。「親王」をしばしば担ぎ上げて政治的に利用し、宮方、武家方、
    あるいは足利直義が、主導権争いに凌ぎを削っているという局面の
    描写で、具体的には親王の意味で「太子」が、使われてはいないので
    しょうか。
    それとも、聖徳太子の「太子」の意味で、使っているのでしょうか。

  • #2

    T_T (金曜日, 17 1月 2014 02:55)

    コメントありがとうございます!

    跡継ぎの意味ではない、若一王子、八王子、聖徳太子を除いて再集計してみました。データが膨大な場合は、多少のノイズが入っても大丈夫だろうと思っていたことと、速報ということもあって、手抜きしていました。ご指摘ありがとうございます!

    王子のカウントですが、平家物語、源平盛衰記、太平記の順で、
    22、65、16
    です。同じく、太子のカウントですが、
    14、76、43
    となりました。

    比率は、
    1.57、0.86、0.37
    です。傾向はそのまま変わらずでした。

    王子、太子の文脈中での意味合いで、跡継ぎの意味ではないものを除くということもきちんと読んでいけばできるとは思いますが、近々にはかなりきびしいです。意味が違っても、その言葉自体が使われているという点で、時代の反映になると思いますので、速報では、このあたりで進めていこうと思っています。