122)奈良県大芸術祭:摩訶大将棋イベント 5

旧世尊院の門の外からもイベントの開催がわかるよう、アルミトラスを2mぐらいの高さに組んで、文字サイズB2のパネルを作りました。当日は、左右の足の部分に、A1サイズのポスター(夜叉版・羅刹版)も置きます。アルミトラスのわくを門と見立てるなら、金剛・力士か、師子・狛犬の阿吽ペアを置きたいところです。向こうの客殿の明かりが見えているところ、帰りがけで半分閉じていますが、そこが受付です。

天童の駒と将棋盤の場所です。右側は庭に面した廊下。この写真で見て気づくのですが、やはり、床の間に何もないのは問題かも知れません。床の間には、神様が来ます。もし書く時間あれば、ここには、「遊」の象形文字の掛け軸を置こうかと。

 

"遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。"(白川静:遊字論)

 

摩訶大将棋は陰陽道の一部だったと思います、遊戯との境界は混沌としていました、と主張したとき、では、それはどういう状態なのかきちんと説明せよ、と言われたら、まず、私は、遊字論の冒頭をお借りするでしょう。神様によって遊んでいる状態ですという答えです。駒を動かしている手は、もちろん、対局者の手ですが、その手をもっと後ろで動かして楽しんでいる/遊んでいるのが、陰陽道の神様という見方です。現状の私の、拙いながらも、これを答えとして覚え書きしておきます。

 

摩訶大将棋と陰陽道の話しは、たとえば、陰陽師を信じない人には、説明はかなりむずかしいと感じます。ですが、平安時代の人は陰陽師を信じていたわけですから、まず陰陽師を信じていただかないと、将棋の歴史の説明もできません。陰陽道の呪術に、将棋の駒を使った使わなかったということで反対をされる方もありますが、摩訶大将棋と陰陽道の話は、そういう話しではありません。

 

なお、念のためですが、私は陰陽道をしているわけではありません。面白い摩訶大将棋を楽しんで指しているだけです。

 

引き続き、コーナー10~12です。ところで、コーナーごとにパネルやキャプションを作るのは、ちょっときびしくなってきました。時間あと2晩です。

 

11)想像と幻想の世界

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画図百鬼夜行全画集、鳥山石燕、角川ソフィア文庫、2005。

Truth In Fantasy56ドラゴン、久保田悠羅、新紀元社、2002。

美術手帖2007年11月号 特集:鳥獣人物戯画絵巻、美術出版社、2007。

想像と幻想の不思議な世界、マイケル・ページほか、教育社、1989。

世界の奇書・総解説、自由国民社、1991。

 

12)漢字/白川静

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常用字解 第二版、白川静、平凡社、2012。

文字逍遥、白川静、平凡社ライブラリ、1994。

文字游心、白川静、平凡社ライブラリ、1996。

別冊太陽(白川静の世界 漢字のものがたり)、平凡社、2001。

白川静 漢字の世界観、松岡正剛、平凡社新書、2008。

シリーズ書道基本名品集 篆書編19(甲骨文/金文)、雄山閣、1986。

墨 2002年5・6月号(巻頭特集:古代文字の世界)、芸術新聞社、2002。

 

13)踊り

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民俗小事典 神事と芸能、神田より子、吉川弘文館、2010。

民俗民芸双書1(芸能)、池田弥三郎、岩崎美術社、1966。

全訳 漢辞海 第三版、三省堂、2010。

ベネッセ古語辞典、ベネッセ、1988。

 
踊り駒の踊りは、繰り返す、という意味で間違いないと考えています。ただ、一度は古語辞典や漢和辞典で調べていただこうと、コーナー13に置きました。古語辞典の用例に、「踊り駒」を入れてもいいのではないでしょうか。
 

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コメント: 2
  • #1

    長さん (金曜日, 31 10月 2014 08:23)

    陰陽道。高校生的な理解だと。とにかく5つに分けるのですよね。水星、金星、火星、木星、土星と言うように。ところで、摩訶大将棋では、5つに分ける対象物が、どれなのか。ビギナーには若干、判別が難しいのではと感じます。摩訶大将棋の中に、陰陽道がビギナーには見えにくいのは。陰陽道を信じていないと言うよりは、ひょっとして、今述べた点の難しさから来るのではないのでしょうか。

  • #2

    T_T (水曜日, 05 11月 2014 00:13)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    水金火木土の件ですが、厳密な陰陽道の枠組みや理論的背景に則れば、摩訶大将棋の中に五行思想を成立させるべきかと思います。しかし、本ブログで言うところの陰陽道は、もう少しぼんやりとした陰陽道で、五行相生、五行相剋を成立させた上での話しではありません。ビギナーも、たぶん、そういうことにはこだわっていないのではと思います。

    陰陽道という言葉を、平安時代、鎌倉時代の社会全体に漂う「陰陽道の空気」というニュアンスで使っているわけですが、たぶん、これがわかりにくい原因ではないでしょうか。この件の説明不足は、陰陽道を私自身いまだ勉強途上ということから来ています。まだあとしばらく長い目でお待ちいただけたらと。