127)「新猿楽記」再考:摩訶大将棋の記述?

新猿楽記(11世紀中頃の成立とされています)は、将棋という語句が初めて出てきた文献、つまり将棋に関連する最古の文献として知られています。その記述は、「十一の君」の節に、次のとおり出てきます(面倒ですので、現代の漢字で書きました)。


・・・(前略)・尺八・囲碁・双六・将棋・弾碁・小弓・包丁・(後略)・・・


ある人物が上手にできる事を順に書いている箇所があるのですが、この中に将棋という語句が出てきます。語句だけです。将棋の説明はありません。しかし、ともあれ、新猿楽記が書かれた頃に将棋があったのは確実、ということになります。将棋の歴史に関連して新猿楽記が引用されるのは、これまでは、しかし、この1点だけでした。


本稿では、摩訶大将棋が陰陽道と関連しているという点、摩訶大将棋に十二支の駒があるという点を意識しつつ、新猿楽記を再検討してみました。問題となるのは、「十の君の夫」の節で、ここでは、ある陰陽師のことが取り上げられています。その一節に、摩訶大将棋のことかも知れない記述があるのです。以下の箇所です。是非ご検討を。


占覆物者如見目、推物怪者如指掌。進退十二神將、前後三十六禽。


原文の全部は、たとえば、次のサイトにあります。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/kanbun/n_sarugo.htm


読み下しは次のとおりです。

覆物ヲ占ウコトハ目ニ見ルガ如シ、物怪ヲ推スルコトハ掌ヲ指スガ如シ。

十二神將ヲ進退シ、三十六禽ヲ前後スル。


陰陽師がどういうものかということを説明している箇所なのですが、意味は次のような感じでしょうか。

覆物を占うとまるで目が見えているようにきちんと当てる。

もののけを占うと手のひらを指すように、これまたきちんと当てる。

十二神将を進め、三十六禽を前後する。


さて、問題としたいのは、十二神將と三十六禽の箇所です。ここは、平凡社の東洋文庫「新猿楽記」では、十二神將ヲ進退シ、三十六禽ヲ前後ニスル、と読み下し、陰陽師が自分のまわりに十二神将と三十六禽を従わせているという解釈です。陰陽師は、式神だけでなく、十二神将も三十六禽も、意のままに使うのだというわけです。なお、三十六禽というのは、十二支と類似した考え方で、十二支にそれぞれ3つの動物、全部で三十六の動物を当てはめたものです。詳しくは、google検索にてお願いします。


以下、空想です。

この時代、陰陽師は摩訶大将棋を使っていたものと考えてみて下さい。十二神将は十二支と対応づけられてもいますので、十二神将も三十六禽も、実は、摩訶大将棋の駒ではないのかという可能性が出てくるのです。


十二神将を進め、三十六禽を前後する。この文章の意味は、十二神将の駒、三十六禽の駒を動かしている、という解釈です。つまり、陰陽師の仕事の風景です。この前段で覆物の占いのことが書かれていますが、これも、将棋の駒を使います。


新猿楽記は、SF小説のようなものではありません。枕草子と同じく日常をそのままに書いたエッセイです。それが、陰陽師のことだとは言え、十二神将も三十六禽も従えていると、そういう空想的な話しをこの箇所に限って書くのだろうかということです。ここは、実際に起こっている話、現実どおりを書いたと見るべきではないでしょうか。「十の君の夫」の節では、この記述以外は、すべて現実を書いていますし、その他の節でも、現実の話ばかりです。


式神の記述はどうなのか、と聞かれるかも知れません。これに対しては、当時の人は、式神は人間だということを知っていただろうという立場をとりたく思います。式神は人間だという件、N先生から教えてもらいました。安倍晴明が一条戻り橋の下に式神を隠していたというのは、つまりは、忍者かスパイのような人たちです。安倍晴明の仕事を陰でいっしょにしていたというわけです。こう考えれば、式神に関する記述も、やはり、ありのままということになります。


残る問題は、駒に三十六禽があるのかということなのですが、きちんと三十六の動物がいます。ブラボー!です。次のとおりです。


驢馬2、老鼠2、猫又2、嗔猪2、猛牛2、盲熊2、悪狼2、盲虎2、

淮鶏、蟠蛇、臥龍、古猿、

蝙蝠2、奔猫2、奔猪2、奔熊2、奔狼2、奔虎2

仙鶴、奔蛇、奔龍、山母


たとえば、左の猛牛と右の猛牛は、別々に数えて下さい。上記の36駒が、摩訶大将棋の三十六禽ということになります。なお、飛龍、猛豹が、除外されているのは、十二支の駒の選択基準と同じです。平安大将棋にも出現しているように、より古式の駒か、または、十二支の駒よりは、特殊な駒と見ています。この件、別稿にていずれ書きます。十二神将を十二支の駒そのものと見ればいいのか、または、強い踊り駒8、龍王2、龍馬2とすればいいのかはわかりませんが、三十六禽が揃うことでよしとしたく思います。


「三十六禽を前後する」、つまり、陰陽師が、秘術「摩訶大将棋」を使っている風景と見ました。時代は、11世紀半ば、タイミングとしては、まあいい具合です。本稿、空想ではありますが、古文書の記述を読み解くという点、三十六禽がぴたり揃うという点で、客観的に議論可能な空想とみなしていただければ幸いです。


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コメント: 6
  • #1

    長さん (木曜日, 27 11月 2014 08:26)

    ぱっと見には。駒の数48枚制、9×9升目の取り捨て将棋で、「平安和将棋」とでもいうべきゲームを、藤原明衡あたりが考えていた事を、↑は意味しているのかもしれないと思います。
    「三十六禽」で思い出すのが、異制庭訓往来の「小さい将棋」です。後者を異制庭訓往来小将棋と言う事にするとすれば。この36枚制将棋。鎌倉後期の持ち駒タイプ(?)平安小将棋と、同じと見てはいけないかもですね。玉将、金将、銀将、香車、歩兵は、「獣」や「禽(鳥)」じゃないですから。
    平安時代には。特に玉、金、銀、は異国文化であって、「獣」「禽」駒に、直そうという動きが、少なくとも藤原一族には、有ったんじゃないんでしょうね。だから小将棋にも、藤原一族作のいろいろな試作品があっても、おかしくないような気が、私にはします。異制庭訓往来小将棋は、その痕跡の記載かもしれないと、私は思います。
    そう考えると、藤原一族の一人である藤原明衡もまた、新作の将棋ゲームの一つや2つ、考えていてもおかしくはないのでは。
    残念ながら詳細は残っていないため定かではありませんが。新猿楽記の「将棋」は、平安小将棋のことではなくて、藤原の仲間が作成していた「各種将棋の群」の意味で書いているのかもしれません。そして自分が、48枚制新猿楽小将棋の発明者だったため、そのヒントを、陰陽師にかこつけて書いているのかもですね。
    江戸時代和将棋をヒントとすれば。たとえば、そのゲームというのは大方。
    中央に靏玉。隣りに猛狼、(銀将動き)醉象、桂馬、(香車動き)前牛。2段目左金の上に、獣曹(後ろに行けない大局将棋の白象)、そこから端に向かって、獣吏(後ろに行けない狛犬)、獣鳥(奔銀+金将)。右金の上に禽曹(後ろに行けない大局将棋の白象)、禽吏(後ろに行けない狛犬)、禽鳥(奔銀+金将)。3段目に雀歩という感じでしょうかね。そのうちの12神が、後の大局将棋に取り入れられ、他方オリジナルの猿楽小将棋の方は忘れ去られたのかもしれないですね。

  • #2

    長さん (木曜日, 27 11月 2014 08:49)

    ↑は、固有名詞が乱れてました。
    「平安和将棋」は、「新猿楽小将棋」に統一します。
    「(香車動き)前牛」は、「(香車動き)牛車」の間違いですね。
    なお、敵陣成りなんでしょうが。成りは和将棋に合わせるとすれば、
    猛狼は熊目、(銀将動き)醉象は行猪、桂馬は右が禽鳥、左が獣鳥、(香車動き)牛車が前牛。獣曹が獣吏、獣吏が獣鳥、獣鳥は不成り。禽曹が禽吏、禽吏が禽鳥、禽鳥は不成り。雀歩が金鳥ですかね。

  • #3

    T_T (金曜日, 28 11月 2014 00:37)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    いただきましたコメント、とても重大なように思います。ご指摘ありがとうございます。三十六禽という単語が、庭訓往来の将棋の記述にもあるのは知っていましたが、特に気にはとめていませんでした。しかし、この三十六禽、ただの三十六枚ということでなく、新猿楽記と同じように、将棋と陰陽道との密接な関わりを示すものと考えていいのかも知れません。

    新猿楽記:陰陽師 ---> 三十六禽を前後する
    庭訓往来:将棋 ---> 三十六禽の列位を象り

    それと、弓と陰陽道との関わりで、地の三十六禽、九曜、天の二十八宿ということが言われていますが、36+9+28=73(=摩訶大将棋の駒の種類)ですね。偶然なのかも知れませんが。

  • #4

    mizo (土曜日, 29 11月 2014 06:12)

    水を差すようで申し訳ありませんが、
    驢馬2、老鼠2、猫又2、嗔猪2、猛牛2、盲熊2、悪狼2、盲虎2、
    淮鶏、蟠蛇、臥龍、古猿
    ここまでで、20枚です。
    驢馬2と猛牛2は、金成りなので除いて、残りの駒の成りが
    蝙蝠2、奔猫2、奔猪2、奔熊2、奔狼2、奔虎2、
    仙鶴、奔蛇、奔龍、山母
    以上16枚です。
    一枚の駒の裏表になるので、駒は20枚しかないと思われます。
    なぜ、三十六禽の名称をそのまま使用しなかったのでしょう?

  • #5

    T_T (土曜日, 29 11月 2014 09:59)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    その理由はわかりませんが、いろいろと挙げることはできます。将棋の駒としては、表裏を別物とみなしたということではないでしょうか。ですので、36種ということになります。占術として使うときにも、表は表だけ、裏は裏だけで使い、駒を裏返すようなことがなかったということだと思います。名称のカウントでなく、駒そのものをカウントしたとしても、たとえば、mizoさんの20枚に加え、あと16枚を、横行2、横飛2、竪行2、角行2、飛龍2、猛豹2、桂馬2、酔象2というふうに、どのようなセットを三十六禽とみなすかは、いろいろあり得るとは思います。

    本稿、三十六禽を確定できるかどうかは、さほど重要でないと考えます。36種が揃えば、話しとしての彩りにできるという程度です。ここでは、地の三十六禽が将棋の中に仕組まれていたどうか、その可能性が焦点になります。新猿楽記に覆物という駒を使った占いの記述があって、その後に、十二神将、三十六禽と続くのですが、著書のこの部分だけが、空想の中のSF的な文章とみなしてしまうかどうかということです。これも駒のことではないのかと。庭訓往来の将棋のところの記述にも、また、三十六禽という表現があるわけです。弓道では、三十六禽を、弓に巻く数の36として、実際に36が現れているようです。

    ここでの三十六禽の話しは、その以前に、摩訶大将棋には十二支をかたどった駒があり、古文書の序文冒頭に日月星辰、律呂と、陰陽道との関連が強く示唆されており、伎楽面の名前が駒に反映されてしまう頃、つまり、陰陽道がまだ社会全般に幅を利かせていた頃の話であるという、その一連の流れの中で、三十六禽を思索しています。そうであれば、13世紀以降の二中歴や普通唱導集の記述は何なのかということです。新猿楽記は11世紀、その時分に、いろいろな駒がすでに存在したのだすれば、どういう解釈になるのかということを考えています。

  • #6

    長さん (月曜日, 01 12月 2014 08:29)

    私のコメントの新猿楽小将棋のルールで、獣鳥と禽鳥を「奔銀+金将」から、「横に3升目、後ろに2升目行く奔銀(普通の獣鳥と禽鳥)」に変更します。実際に指してみると、この2枚。一般に言われている程度の強さで、バランスが取れています。持ち駒無だと、成桂馬も含めて攻め大駒8枚程度で、9×9升目侍従駒4枚制将棋は、オフェンス、ディフェンスのバランスがほぼ取れるんですね。4枚づつで12日神、または12月神で数のつじつまの合う、大局将棋の「曹」「史」「鳥」駒。やはり、なんらかの小将棋起源なんじゃないんでしょうか。