129)象經序:象棊纂圖部類抄の序文のルーツ

本稿、もっと早く書きたかったのですが、書こうと思ってからもう3週間たっています。先月11月29日、大阪商業大学のアミューズメント産業研究所にて、将棋の研究会が行われました。N大学のN先生から、中国の将棋の歴史に関するレビューがあったのですが、摩訶大将棋一辺倒の私には、この発表、1時間少々で、2年間分ぐらいを勉強した気分です。研究会があった部屋は、つまり、龍宮城だったかも知れません。


本稿、N先生に教えてもらいました象經序を取り上げます。隋書経籍志の目録にある古文書で(象經という名称のようです)、原本は残されていないのですが、藝文類聚(624年成立)に冒頭の一部を見ることができます。以下のサイトに象經序の原文があります。ご一読下さい。

http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%97%9D%E6%96%87%E9%A1%9E%E8%81%9A/%E5%8D%B7074


ページの一番最後の項目です。皆さんもすぐ気づかれたと思いますが、私もすぐ気づきました。この文章は、たぶん、象棊纂圖部類抄の手本になった文章なのではないでしょうか。象棊纂圖部類抄の序文は、投稿126)の写真を参照下さい。象經序についてのあれこれは、後日の投稿ということになりますが、皆様、ゆっくりとご検討のほどを。


一に曰く、天文。以てその象を観る。という感じの読み下しになります。以下、原文からの抜粋です。どれも、*に曰く、**。以て**を**。という形式です。


一曰天文。以観其象。・・・

二曰地理。以法其形。・・・

三曰陰陽。以順其本。・・・

(四の箇所は、一部脱文のため不明)

五曰算数。以通其変。・・・

六曰律呂。以宣其気。・・・

七曰八卦。以定其位。・・・

八曰忠孝。以惇其教。・・・

九曰君臣。以事其禮。不可以貴凌賤。・・・不可以卑畏尊・・・

十曰文武。以成其務。武論七德。文表四教。・・

十一曰禮儀。以制其則。居上不驕。為下盡敬。・・・

十二曰観德。以考其行。・・・


上の11項目のうち、象棊纂圖部類抄には、一、二、三、六、九、十の6項目が、ほぼそのままの内容で取り込まれています。象棊纂圖部類抄の序文の前半は、象經序が原本と言ってもいいくらいです。


ところで、この対応の良さの件はともかくとして、もっと注目すべきは、象棊纂圖部類抄の序文はこの後もまだ続いている、という点です。象經序に書かれている部分(対応がついている部分)の後も、まだ続いているのです。となると、象棊纂圖部類抄の序文の後半、これがオリジナルな文章なのかどうか、この点が大きな問題となってきます。もし、オリジナルではなくて、引き続き、象經の文章をなぞったものだったとすれば、どうなるでしょうか。


象經(象經序の続きというべきでしょうか)は、原本も写本も現存していません。しかし、その内容は、象棊纂圖部類抄の序文の後半に、その面影を残している可能性があるわけです。序文の後半には、桂馬も香車も猛獣も出てきます。これは面白いことになってきました。摩訶大将棋のルーツがここまで遡るとは、当初は思いもよらなかったことです。


以上の件、後日にまた投稿します。最後に1点、隋書経籍志にある象經が、日本に伝わっていたのかどうかという点も問題になります。この件も後日にまた投稿しますが、伝わっていました、と結論だけここではお伝えします。


先を急ぐ方は、以下のサイトを参照下さい。『象戯經』の伝来というタイトルで、詳しい経緯が書かれています。

https://sites.google.com/site/2hyakka/shogi/shogikyo


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コメント: 5
  • #1

    長さん (水曜日, 17 12月 2014 08:27)

    隋書経籍志にある象經。伝わったでしょうね、当然日本にも。しかし日本では、ゲームとしてそのときの将棋は、流行らなかったんじゃないんでしょうか。輸入地と予想される大宰府の役人は、平安時代後期摂関政治時代の原始平安小将棋の扱いとは違い、その文書を所定の所に収めておしまい。その為、現在の日本の将棋は、平安時代初期伝来の将棋とは連続はしていないと私は思います。瑪瑙または翡翠、金、銀、の駒が無く、「敵陣で瑪瑙または翡翠の駒以外が、全部金に成る」という、普通唱導集が示唆する、大宰府役人、実は藤原一族末席兵士の功名心をかりたてるような「盛り上がり」が、平安初期伝来のその将棋には、無かったからではないかと私は予想します。ゲーム自体は、本質的に内容が、上記の点を除けば、原始平安小将棋と、似たり寄ったりと言えるようなものだったのだろうとは思いますが。

  • #2

    長さん (木曜日, 18 12月 2014 17:04)

    追記。このブログでは、日本将棋全般の起源ではなくて、摩訶大将棋がいつから有るのかが、議題でしたね。上の私のコメントの方向がずれてました。象經の本文に、19×19升目の囲碁升目型将棋のルール説明は、多分無いと私は思います。「二曰地理。以法其形。・・・ 」が、象棊纂圖部類抄の序文と微妙に表現が違うのではないかと。「最下段に玉。一つ跳んで金、銀、銅、鉄、瓦、石、土、端は例外」といった地理(鉱脈)駒が有ることを示唆しないと私は読みました。五行から、火を引いて地を足して、地理だと言ってますよね。この表現から、摩訶大将棋のような日本型の囲碁升目型将棋は、誘導しにくいと私は思います。なお研究者の一部には、本文に将棋類のルール説明などそもそもなく、今でいう占い、昔の天文書なのに藝文類聚が、将棋の話と、この本の序文を無理に繋げたという説もあるようですね。シャトランジの類のゲームで、「兵」が3段目に有るような、チェス類のゲームの説明が、本文である可能性も、文脈から見ると、捨てきれない感じもすると私は思います。冒頭「一曰天文。以観其象。・・・ 」の・・・部分の記載に5大惑星が現れず、「天文書」の割には、言い回しが妙に軽いですね。

  • #3

    T_T (金曜日, 26 12月 2014 02:55)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    本稿については、まだいろいろとありますので、いただきましたコメントの返信も含め、後日また投稿いたします。

    火を引いて地を足して、と書かれていますが、火はそのまま残っていると考えた方がいいと思います。原文がいろいろとあり、どれが本当なのか、私にはよくわかりませんが、火が残った文章の方が多いと思います。

  • #4

    長さん (金曜日, 26 12月 2014 08:14)

    地理の中に「火」があるというのは、火山がたくさん噴火している時代を除けば、かなりおかしいので、御紹介のサイトからたどれる中国版、電子百科事典の藝文類聚についての記載で、内容的にはおかしくないと思っていました。象経に「19路×19路の最下段に2文字将駒のある」中国象棋が、万が一記載されているとしても、摩訶大将棋とは異なり、金将と土将の他に水将と木将が有り、火将は無かったと言う事を示しているのではないでしょうか?

  • #5

    T_T (金曜日, 26 12月 2014 23:49)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    象經の内容からは、古代中国の将棋も、陰陽や易経に強い結びつきがあったのだろうということがわかります。それだけです。象經の内容が、そのまま摩訶大将棋に関連するというわけではありません。象經-->象棊纂圖部類抄へと文章が伝搬していることから、陰陽道や易経のツールとして、将棋という思想、遊戯も伝搬してきたのだろうという類推はできます。そういう思想、遊戯を、どのような形態で実装するかは、古代日本の秀才たちのオリジナルでしょう。摩訶大将棋に似たものが古代中国にもあったとする仮説も可能ですが、新たな文献が出てこない限り、空想のままです。

    それと、長さんはこだわっておられるようですが、五行説(木・火・土・金・水)の火を、火に類似したものと対応づける必要はないと思います。十二支の子(ね)が鼠と関連しなくてもいいのと同じことです。

    いろいろありますという件の具体例、1点だけ書きますと、藝文類聚では、
    一曰天文.以觀其象.天日月星.是也.二曰地理.以法其形.地水木金土.是也
    です。しかし、次のような文章の方が多いようです。

    一曰天文,以觀其象天,日月星是也。二曰地理,以法其形地,水火木金土是也。
    つまり、天と地は、前の文章の末尾につきます。詳しくは後日に投稿しますが、まず第一に、その象を天に観る、というわけです。以觀其象ではなく、以觀其象天の場合は、象棊纂圖部類抄の序文と同じになります。

    日月星是也。星というのは、たぶん当時から知られていた5つの惑星、水星、金星、火星、木星、土星のことでしょうか。一番重要なのが、太陽と月と5つの惑星だと書いています。7つです。7種類の古代シャンチーの駒と考えていいのかどうか。

    二番目の地理の方ですが、象經では、水火木金土ですが、象棊纂圖部類抄では、金銀鉄石となります。思想と遊戯形態だけが伝搬し、将棋そのものは別物だろうと考えるのは、こういうところにも見えます。他にもいろいろありますが、後日にまた。