136)将棋の駒を使った占い:「長秋記」再々考

このテーマについては、「長秋記」再考(投稿132)のところで、投稿済みなのですが、細かな点は書きませんでしたので、この点を含め、再々考の投稿とします。


大治四年五月廿日丁酉、新院御方有覆物御占、覆以將棊馬、其數十二也、新院如指令占御


占いの種類は、覆物の中身を当てる占いで、易占の用語では、射覆(せきふ)と呼ばれているものです。上記の文章も、古事類苑の方技部七の易占のところ、射覆の項目に掲載されています。本稿にて注目しますのは、「覆以將棊馬」と書かれているところです。ここの解釈ですが、1)將棊ノ馬ヲ以テ覆フ、と読むのではなく、2)覆ハ將棊ノ馬ヲ以テス、だろうと考えています。


1)の場合は、覆う物として(覆うために)駒を使ったという意味で、2)の場合は、占う道具として駒を使ったということになります。覆=射覆とみるわけです。易占では、たとえば、50本の筮竹を使いますが、そうでなく、鳥羽上皇は12枚の駒を使ったということになります。駒をどのように使ったかは、長秋記だけでは不明ですが、何らかの方法で64卦を決めたのでしょう。


一方、駒で覆ったと読んだ場合ですが、射覆の対象は1点でしょうから、12枚の駒で12個の何かを覆ったということはないでしょう。駒で覆ったのだとすれば、12枚の駒でひとつの何かを覆ったことになりますが、そもそも、覆う物の数は重要でしょうか。其數十二也、と明記するのは、12枚という数が重要な数だからです。


結局、「覆以將棊馬、其數十二也」のところは、

覆物の占いには、将棋の駒を使った。その数は十二。

という解釈が妥当に思えます。十二という数の明記は、十二支の十二だからこそでしょう。十二支の駒を選んで占いに使ったということになります。駒の中からいろいろと見繕って、とにかく12枚を選んだという無意味なやり方は、易占では考えにくいです。易占が天の声を聞くものだとすれば、占うための道具も神聖なものであるべきで、使う駒は天の駒、十二支の駒しかないのでは、と考えます。


その当時は、玉将、金将、銀将、桂馬、香車、歩兵の駒しかなかったのだからという理由で、12枚の中に金将、銀将を含ませるのだとすれば、まさに本末転倒です。むしろ、『射覆で十二支の駒が使われたという事実があるのだから、当時、すでに、小将棋以外の駒も存在したのだろう』、逆にこう考えた方が自然ではないでしょうか。


それに、金将、銀将は地理の駒です。このことも重要でしょう。「天の声」を聞く易占を行うときに、天の駒があるにも関わらず、地の駒を使うのだろうかということです。


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コメント: 4
  • #1

    長さん (水曜日, 21 1月 2015 07:53)

    135)狛犬と鳳凰について のコメント
    成りに基づいて、新旧が議論できそうな駒の典型例は、角行、飛車ですね。
    龍馬、龍王のような「目新しい駒(当時)」に成ったという、文献が西暦1500年頃にたまたま見つかったそうですから。(増川2013年著書)
    こういう日記的な文献で、鳳凰→奔王が、新たなルールである事を示唆する記載が有るとかいう事が無いと、やはり、「鳳凰はより以前には狛犬に成った」と、完全に断定する事は、難しいんじゃないんでしょうかねぇ。鎌倉鶴岡八幡宮の鳳凰駒の成りに、奔王の字と共に、「新ルール」とでも、書いてあればよかったのかもしれませんね。
    (135)のコメント欄が、私のPCには表示されません。それで、ここに書き込みました。)

  • #2

    長さん (水曜日, 21 1月 2015 09:15)

    136)長秋記再々考についてのコメントです。
    本文では解説には無いのですが。
    私は、「新院如二指令一占レ御」も重要部分と見ています。
    陰陽道の学者が実際には作業をしたのでしょうが。占いの方法は鳥羽上皇がきめたって事ですよね。何でこんな文を付け足したのでしょうか? 陰陽道師が正式にする仕方では、占わなかったと、言いたいのかもしれませんね。
    では、正式の仕方に比べて。鳥羽上皇の決めた占いが、レベルの高いものだったのか。簡便的でお遊び半分であったのかですね。私はずばり。「後者の疑いを晴らす根拠なし」と踏んでます。
    よって、「金将や銀将が鉱物駒であるため、御指摘の12枚の八卦駒の中には無いはず」というのは、お堅い占い師と同じ言い回しであって、この場合は、物理的に「駒の字」の選び方で、占いに支障が無いと見られるため、金・銀駒の存在についての完全否定は相当に難しいと、私は思います。
    元々お堅い陰陽道師によれば、12支は地平座標の時角の別名「12神」であって、本質的に天球座標の赤経の別名に近い、西洋星占いの黄道12宮の別名である「12(天)将」では無いため、摩訶大将棋の、老鼠、猛牛、盲虎、猫叉、臥龍、蟠蛇、驢馬、まかつ、古猿、淮鶏、悪狼、しん猪だけでは、占い辛いのではないでしょうか。陰陽道師占いの将棋駒は、ひょっとして、24枚が正式方式だったんじゃないのですか。12枚の12天将駒が、本文の御説明では、欠けているような気もするのですが。
     であるから、ミーハー的な占いの疑いがこの場合は強くて、鳥羽上皇は、「12将の将は玉将、金将、銀将の将と字が同じ」という、誤魔化しで、その12枚には、玉将、金将、銀将をやはり加えそうな感じが、私にはします。ミーハー占いだったとしたら。何でも有りでしょうから。
    よって「長秋記将棋占い、老鼠、猛牛、盲虎、猫叉、臥龍、蟠蛇・・駒説」を取られるのであれば、鳥羽上皇の占いが、並みのプロ陰陽道師の占い手法に、その霊験に於いて、勝るとも劣らないものであった事をはっきりと示す、何か根拠が一つはほしいような気が、私にはしますがどうでしょうか。

  • #3

    T_T (水曜日, 28 1月 2015 23:50)

    長さんへ
    コメントありがとうございます!

    コメント欄の件ですが、6月ぐらいまでは、コメント欄なしでと思っています。本稿は、以前の続きでしたので、コメント欄を残しました。春の前後はいつも時間なく、コメントへの対応がむずかしいということもあります。ご了承下さいませ。

  • #4

    長さん (金曜日, 30 1月 2015 09:51)

    了解しました。「136)長秋記再々考」についてのみに、議論を限ります。この鳥羽上皇の将棋駒を使った占い。実際には「はずれ」だったんじゃないんでしょうか。鳥羽上皇って、保元の乱の原因になった方ですよね。対立勢力の調整に消極的で、結果、「古代社会(貴族の時代)」の維持に失敗する事になった方では。こういう時代の変わり目の上皇は、歴代天皇・上皇の典型(主法)とは言えないのではないでしょうか。この天皇以後、摂関政治は解体し、武家の勢力が、いよいよ強くなって、以降平家の全盛時代を迎えたのですよね。ひょっとすると、長秋記記載の鳥羽上皇将棋駒12枚占いは、「占いが外れた」典型ではないのでしょうかね。そして占いが実際には外れたことから、この占いはいいかげんなものであり、「12枚の中に、ありきたりの金将等の駒が含まれる」という、根拠の一つになりませんかね。