154)摩訶大将棋の十二神将:薬師経と伎楽からのアプローチ 1)

本稿のタイトルを、たとえば、「摩訶大将棋の薬師如来」という感じのもっと極端なものでもよかったかも知れません。一般にこういうタイトルの場合、たいていは、読んでも無駄な文章なのですが、本稿、そういう先入観なしにご一読下さい。


前稿153)にて、1)もし十二神将が摩訶大将棋の駒だったとすれば、2)十二神将は薬師如来の眷属なので、3)摩訶大将棋には薬師如来がいるのだろう云々と書きましたが、この部分、はじめの1)のところで、多くの人が足踏みされるのだろうと思います。しかし、このシナリオは、4)薬師経が伎楽と関連すること、5)その伎楽の駒も摩訶大将棋に入っていること、までを考えると、十分にあり得るシナリオでしょう。


個人的には、摩訶大将棋に薬師如来が関連してきたことで、伎楽面の駒の仮説は、もはや仮説ではなくなったと考えています。それと同時に、伎楽という古い時代の影響が摩訶大将棋に反映していることの疑問、つまり、将棋が成立した時代と伎楽の時代がずれていることへの疑問が、完全に解決しました。伎楽面の駒は、どうも、薬師経に説かれているとおり、供養のひとつで、摩訶大将棋全体が、薬師如来への奉納の意味あいを持っていたのではないでしょうか。


以上の件、思いつきや空想で話しているわけではなく、摩訶大将棋に十二神将や薬師如来がいるのかどうか、これを解くのに、鳥獣戯画、後白河上皇、伎楽に関連するいろいろな事実/文献を挙げていきたいと思います。


まず、上で番号づけした項目の理由を整理しておきます。

1)仮説:新猿楽記の記述からです(たとえば、投稿127)投稿132)を参照下さい)

2)事実

3)十二神将がいるのだから、そこには守るべき薬師如来もいるはず

4)事実:薬師経に説かれています

5)仮説:伎楽面の名前と駒の名前が一致します。また、伎楽面の駒が全部踊り駒という対応関係もあります(たとえば、投稿108)を参照下さい)


薬師経、伎楽、後白河上皇の話に入る前に、鳥獣戯画の絵のことで、1点書いておかないといけないことがあります。まず、この点を。


鳥獣戯画乙巻に登場するいろいろな動物の絵が、醍醐寺の十二神将図像に描かれている動物と非常に似ています。この解説については、以下の論文を参照下さい。十二神将図像もこの論文にあります(挿図26-1~挿図26-12)。


中野玄三、密教図像と鳥獣戯画、学叢 第2号(京都国立博物館)、1980年3月

http://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/gaiyou/gakusou/2/002_ronbun_a.pdf


鳥獣戯画が将棋を表現しているという仮説は、本稿の主題ではありませんので、後日に回しますが、ともあれ、鳥獣戯画は、十二神将あるいは薬師如来と深い関係をもつという点に注目下さい。十二神将は、薬師如来の眷属であり、薬師如来を守る存在です。


それと、鳥獣戯画の制作が後白河上皇のもとで行われたかどうかについても、本稿の主題ではなく、後日に回すのですが、次のとおり、相互の関連性に注目下さい。

将棋 <---> 十二神将/薬師如来 <---> 鳥獣戯画 <---> 後白河上皇


本稿、いったん、ここで切ります。このあと、薬師経からの引用、梁塵秘抄からの引用がありますので、まだまだ続きます。