157)平安将棋のこと:シャトランジ起源説はいかがでしょう

先週、将棋関係の研究会にて学外発表をしてきました。参加者は6名。玉将=薬師如来説で発表するのは初めてでしたが、特に異論は出ませんでした。質問はいくつもいただき、その中で1件、平安将棋と平安大将棋との関連についての質問で、あとで思えば、別の考え方もできるかなという返答をしてしまいましたが、まあ、この点は仕方ありません。これまでは、摩訶大将棋の復刻をメインテーマとしてきましたが、摩訶大将棋が関与する局面はどんどんと拡がり、平安将棋との関連も見えつつある状況です。


摩訶大将棋の復刻は、細部の変更点がまだいくつか出てくるかも知れませんが、だいたいのところは、今の状態で確定だろうと思います。狛犬と師子の同時性(つまり、師子の駒単独での導入はない)が明確ですので、大将棋や中将棋が先行したということはないでしょう。また、その他の事実も、たとえば、伎楽の駒、十二支の駒、仲人の動き方からの観点でも、摩訶大将棋先行を裏付けます。成立順についてはかなり確度が高いのではないでしょうか。そうしますと、前稿のとおり、残るのは、平安大将棋、平安将棋ということになってきます。将棋というボードゲームに、駒の追加のくり返しでもって、徐々に大型将棋が出来上がったという可能性はほとんどなくなりました。


ところで、将棋類の日本への伝来と影響を考える際には、地理的に近い中国の将棋だけでなく、つまり、宝応将棋やシャンチーだけではなく、その他の将棋、マックルック(東南アジアの将棋)やシャトランジ(古代ペルシャの将棋、チェスのルーツ)等も検討する必要があるでしょう。


さて、唐突ではありますが、平安将棋のルーツは、宝応将棋、シャンチー、マックルックというよりは、シャトランジと言った方が、より適切だろうと考えます。類似点に注目すれば、平安将棋と一番近いのはシャトランジだからです。まず、次の類似点、将棋の歴史を追われている方は、なぜ注目しないのでしょうか。


平安将棋:敵玉一将則為勝 

シャトランジ:敵の王を詰ますか、王だけにすると勝ち


裸玉にすると勝ちというルールは、かなり特殊だと思いますが、このルールが平安将棋とシャトランジの両方にあるわけです。駒を交点ではなく、マス目の中に置くという点も、同じです。


次に駒の類似性ですが、次のように見るのはどうでしょう。中国語訳のシャトランジで書きます。後ろのコロン以降が、平安将棋です。


王:玉将

将:金将、銀将

象:(酔象)

馬:桂馬

車:香車

兵:歩兵


象と酔象の対応は、Uさん(投稿65のUさんです)の5年前の論文にも書かれています。そして、シャトランジの「将」の駒は、平安将棋では、2つの駒(金将・銀将)に拡張されたと見るのはどうでしょうか。将棋の駒名2文字のうち、2文字目は伝来してきた駒名(中国語訳)そのもので、1文字目は形容詞です。形容詞を付け加えることで、駒の拡張が可能となったわけです。


シャトランジの将(マックルックの種、シャンチーの士)との対比で、金将の駒の動きの特殊性が云々されることがあります。また、象と銀将とが対比されるのも同じことなのですが、これらの対比には意味がないと考えます。つまり、金将、銀将は、拡張された駒なのですから、もはや将でも象でもありません。むしろ、動きが違っていることから、逆に、拡張された駒だということにもなるでしょう。


さて、ここで、シャトランジとの対応を平安大将棋にまで拡げてみましょう。ただし、二中歴のものではなく、前稿156)の図3の平安大将棋別版の方です。以下、空想にすぎません。念のため。


王:玉将

将:金将、銀将、銅将、鉄将

象:酔象(読みから)、飛龍(動きから)

馬:桂馬  

車:香車、反車

兵:歩兵


動きから見れば、飛龍は象に対応します。しかし、象を形容する駒とはせず、「龍」という日本独自の駒名を、ここではじめて作ったようにも見えます。将からの派生は、さらに、銅将、鉄将が増えるわけですが、もちろん、もとの将の駒の動きとは一致させていません。車についても、いろいろ類推ができるのですが、ここは後日にします。


最後に1点書き置きたく思いますのは、前稿156)の図3に残る、猛豹の駒です。これは、どこから来たのか?


それは、シャンチーの「砲」の駒かも知れません。砲の呉音はヒョウですから、豹でいいわけで、形容詞がついて、猛豹です。摩訶大将棋は、日本での将棋の発展形に違いないと思いますが、前稿156)では、摩訶大将棋の中で薬師経起源の駒(十二神将の駒、伎楽の駒)以外で目立つ駒として、酔象、飛龍、猛豹を挙げました。


象の駒、つまり、酔象は、シャトランジ起源の古式の駒として発掘されるべくして発掘したと言えるかも知れません。大型将棋の酔象がこの時代にあったという驚きの話ではなく、伝来当初の駒とも見れるわけです。象の動き(前後のななめ2目)の特殊性が先に来るために、シャトランジの象と酔象との対応はスルーされてしまいますが、象の名前は、酔象が引き継ぎ、象の動きの方は、どうも、新しく作られた「龍」の駒、飛龍が引き継いだようです。


ともかくも、敵玉一将則為勝のルールは、見渡せば、シャトランジにしかありません。シャトランジの最盛期を7~8世紀頃と見積もれば、遠くペルシャから日本にまでシャトランジが伝わったとしても何も不思議はありません。また、その当時、ペルシャ人が日本にまで来ていた記録は、続日本紀にあります。そもそも、正倉院の瑠璃杯は、古代ペルシャから来ました。どういう形態だったのかはわかりませんが、シャトランジも届いていたでしょう。駒は残りませんでしたが、伝えられたルールは、敵玉一将則為勝、という二中歴の記述として残ったようです。