前稿160)の1文字の字の件ですが、「駒」ではありません。正しくは、「将」です。なぜ駒と思ってしまったのか。お恥ずかしい限りです。よくわかりませんが、駒という思い込みのまま、投稿となりました。訂正します。
以前、諸象戯圖式を解読したときに書いたノートを見ますと、ここには、将の字を当てはめていました。打歩にて大将をつむる事、というメモ書きがあります。今日、くずし字辞典ですぐ調べましたら、そのとおり、将のくずし字です。先日集まった曼殊院の一室でも、その場で問題になっていて、「将」でしょうという意見が出ています。私もすぐ、諸象戯圖式の将に似ているということで、賛成していたわけですが、なぜか変わってしまった次第です。たぶん、思無邪に引っ張られたのでしょう。思いよこしま無しという心持ちと、詩経の駉篇、馬、駒がきれいに関連したせいかも知れません。
打歩にて大将をつむる事、という文言から、これの参照元は、関ヶ原の戦いの前、秀吉の時代ということになります。御湯殿上日記の、王将を改めて大将に直され候へ、を思い出させるからです。ただし、追記された可能性もあるでしょう。諸象戯式の14カ条全部が、同じ時代に書かれたものだと想定しますと、狛犬の駒については、口伝にのみ現れる昔の記憶というよりも、当時の対局に現れるほど生々しくなければいけません。狛犬の記述が、かなり具体的に書かれています。
将棋の歴史が記された古文書の系統は、16世紀には、少なくとも2系統あったものと思われます。ひとつは曼殊院の写本から水無瀬神宮の象戯圖への系統、もうひとつが諸象戯式の記述のもとになった本です。諸象戯圖式全体を読めば、この本の著者は、直接には大型将棋を知らなかったようですので、元禄時代には、将棋を伝える写本の断片がまだ残っていたのでしょう。ともかくも、諸象戯圖式には(特に、諸象戯式の箇所には)、象戯圖にない情報が含まれています。