00)盤雙六のブログを始めます

今日から始めます。皆様よろしくお願いいたします。


盤雙六は、今年が1年目の卒論テーマです。どこまでがわかっていて、どこからがわかっていないのか、私自身まだきちんと把握できていません。始めは、そういう基本的なことの整理から始めようと思っています。


摩訶大将棋のブログと同じく、たぶん、いろいろありそうですので、こちらのブログも長く続きそうです。摩訶大将棋のブログと違う点は、盤雙六が世界的な広がりを持っているという点です。この点、日本だけが対象となる将棋史の研究とは、かなりちがった様相です。


摩訶大将棋の復刻を進めていったときの経験上、1年目はかなりの思い違いをくり返すことになるだろうと思いますが、あまり気にせず、覚え書き的に、書き進めていきます。本稿、まずは、ご挨拶までにて。


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コメント: 6
  • #1

    長さん (水曜日, 30 9月 2015 14:42)

    盤雙六および、バックギャモンについて、ざっとおさらいしました。
    このブログ。
    なんで「バックギャモン史」ではなくて、盤雙六なんでしょうか。
    両者の間に、大差ないと言うのが、将棋研究家的イメージです。
    たとえばバックギャモンを現行の日本将棋に例えると。
    盤雙六には「入玉規定のルールは無いが、玉将が4段目まで
    逃げ出せば、早い方の勝ち。」というルールがある。その他
    初期配列、使う遊具、他の全般ルールは、ようするに日本将棋と
    全く同じ。
    という程度の差なんじゃないんでしょうか。
    日本将棋と大きくゲーム内容の違う、摩訶大将棋の論展開と違って。
    盤雙六のブログの場合。この先。読み手に盤雙六に注目させるため、
    具体的中身として。どんな話が、ここで展開されて行くんで
    しょうかねぇ。バックギャモンの歴史を語り、断続的にそれが
    日本にも伝来していたという話をしているのと、結局の所ほとんど
    同じになってしまうんじゃないのでしょうか。

  • #2

    T_T (土曜日, 03 10月 2015 12:24)

    長さんへ
    コメントありがとうございます。

    なぜ、バックギャモン史ではだめなのかという件ですが、それではだめなんです、というだけの返信でよろしいでしょうか。長くなる話しでもあります。

    盤雙六とバックギャモンの類似点については、もちろん検討材料として取り込むわけですが、本ブログでは、両者の差分の方にも注目しています。盤雙六のブログであることが重要なわけです。こぼれてくるものに将棋史との関連も見えるでしょう。

    まだ駆け出しで、この段階から偉そうなことは言えませんので、しばらくは盤雙六のレビューになります。現状、先行研究を全部きちんと把握している段階です。

  • #3

    長さん (月曜日, 05 10月 2015 09:46)

    御回答から、ようするに。
    「出来の悪いゲームの衰退記を。正確に考証するブログであるから」と、取りました。
    一例を挙げれば。ダブリングキューブルールは。無いよりは、有るゲームの方が、もとの
    弱点を正確に補う為。競合すると無い方が淘汰されそうだと、素人目からも見えますね。
    なお、私の前のコメントで。「玉将が4段目」は、「玉将が6段目」に訂正します。

  • #4

    T_T (月曜日, 05 10月 2015 16:40)

    長さんへ(#3)
    ご推察の件、全然違っています。盤雙六のレビューを完全に済ませてからになりますので、ずっと後になりますが、そのときにまた詳しく投稿いたします。

  • #5

    草場純 (金曜日, 04 3月 2016 00:25)

     私の考えでは、本双六はバックギャモンにひけをとらないほど面白いゲームです。もう少し厳密に言えば、似ているけれど異質な面白さがある、ということです。これを現代に蘇らせることは、文化史的に意味が深いことと考えます。貴ブログの発展を期待するとともに、僭越ながら私にお手伝いできることがあれば、大いに協力したいと考えています。

  • #6

    長さん (水曜日, 16 3月 2016 07:42)

    摩訶大将棋、大阪電気通信大学ルールと、摩訶大大将棋wikipediaルールとでは、初期配列で横飛の前の歩兵に、桂馬の紐がついていないか、いるかが違う為。序盤の戦略が大きく違います。が、この両者を、「生物種」のイメージの「種」として、互いに別種のゲームとは、普通みなしません。亜種とか変種のレベルとまで考えれば、話は別でしょうが。
    よってバックギャモンと盤雙六とで。少なくとも、それらの歴史を考証する局面で、別の名前で呼ぶことにこだわるとすれば。それに対しては、私の場合。やはり、かなりの別世界感を感じます。