168)師子と狛犬と摩訶大将棋

かなり空いてしまいましたが、そろそろ以前のような間隔で投稿できそうです。昨日の講演会にも出かけることができました。天理大学付属の天理参考館にて、「中国の霊獣百態」という企画展が開催されていますが、「中国の霊獣ー企画展にあわせてー」という講演が土曜日にありました。


http://www.sankokan.jp/news_and_information/ex_sp/sp075.html


大変よかったです。それと、今まで全然知りませんでしたが、天理参考館はすごく大きな博物館です。


講演会へは、曖昧なままにしていた中国の獅子の件が一番の目的でした。ずっと気がかりだったのですが、詳しく聞くことができ、すっきりとしました。やはり、中国でも獅子は一対の置物だったようです。

 

中国の南北朝時代(5世紀~6世紀:隋の前の時代)には、鎮墓獣として、獣面獣身と人面獣身が一対だったようです。獣面の方が、いわゆる阿吽の阿で、人面の方が吽です。そして、人面獣身の方には、日本の狛犬(=師子とのペア)の特徴がすでにきちんと現れていました。一角だということと、尾の形の類似です。こういう一定の規則性、この綿々脈々とした流れは、どこから来るものなのでしょう。異国の地にずっと後になってもそのままで残っている、強固な規則性ということになります。

 

古代の日本では師子という字を使いますが、中国では獅子と書くんでしょうかという質問をしました。獅子と書くそうです。日本では、けもの偏が取れるわけですが、人面の方が師子? または、仏教の経典経由で来ているのかも知れませんし、そのあたり不勉強ですのでそれ以上聞けませんでした。


虎や象も霊獣だそうです。このことも知りませんでした。獅子が霊獣になったのは、虎よりもずっと後のことです。ギャラリートークのとき、三彩釉角端という名称の霊獣像の解説がありました。角端というのは、麒麟の一種だそうです(麒麟は五種あるそうです)。全体的には、牛に似ています。これで麒麟の一種とするとすれば、獏の一種としてもいいように思いました。この霊獣は、象の鼻を持っているからです。獏は日本固有の霊獣であるという論文を以前読みましたが、そうでなかったかも知れません。


虎と象が霊獣だということになると、鳥獣戯画の乙巻、動物の絵の最後の方の並び、虎、獅子、龍、象、獏は、結局、全部が霊獣だったわけです。


霊獣の展示では、私には、中国の獅子よりも麒麟の方がより霊獣らしく思えました。今まで持ってきたイメージの問題なのかも知れません。麒麟の方が躍動感があり、一方、獅子は止まっています。これは、ちょうど朱雀と鳳凰の関係と同じで、朱雀は止まっていて、鳳凰は動いています。鳳凰の方が朱雀よりも、格上であるという説明を聞きました(もっと別のすっきりした言い方だったと思いますが、うまく書けません。ともかく、鳳凰の方が上ということです)。


ところで、日本古代の将棋では、麒麟の成り駒は師子です。つまり、日本では、師子の方が上という認識だったわけです。日本の師子は、中国の鎮墓獣としての獅子ではなく、別の系統から来たものだったということかも知れません。または、麒麟という霊獣の重さが伝来元の中国とは違っていたのかも知れません。


霊獣に陰陽の区別や、ペアとして考えるべき霊獣があるのでしょうか、という質問もしました。明確にはないようです。大型将棋では、師子と狛犬、金剛と力士に見られる阿吽、麒麟と鳳凰(獣類の王、鳥類の王)がすぐに思いつきます。平安大将棋では、龍と虎がペアの霊獣として入ったのかも知れません。


以下、先月のイベント、摩訶大将棋展のパネル9のコピーです。本ブログにてこれまで見てきましたとおり、日本の師子と狛犬、中国の獅子が他に転用されるとき、一体だけでの転用は考えにくいでしょう。パネルにもありますように、師子の駒だけが単独で存在する大将棋・中将棋は、駒を追加することで作られた将棋ではなく、駒を削減することで作られた将棋だということを示しています。師子が導入された当初の将棋には、師子だけでなく、師子と狛犬の両方が揃っているはずだからです。


摩訶大将棋展のパネル9(引用)
摩訶大将棋展のパネル9(引用)