172)再考:仲人の駒の謎

仲人の動きを前後左右1目歩くというルールに変更したのは、去年の11月頃だったと思います。このときは、同時に、麒麟と鳳凰を踊り駒にしました。もうこれで、復刻は終わり、ルールの変更もないだろうと思っていたら、また1件気がかりな点が現れ、この件でしばらく試験対局を重ねているところです。象戯圖/象棊纂圖部類抄には、ルールに関連する文章はほんの少ししかないのですが、その短い中に、いろいろなことが隠されていました。まるで暗号文のような古文書です。キーとなるのは中将棋の後にある仲人の注釈です。次の箇所です。


或説云居喫師子許也

 

ここで、居喫は居喰いのことです。上記の記述については、以前の投稿でも議論に挙がった箇所で、いろいろな解釈が出されましたが、きちんとした結論には至りませんでした。そのときに「空想ですが」という但し書きで書いた思いつきが、どうも一番もっともらしい考え方ではないかと最近は思っています。次のような説です。


投稿169)の後半の方でも書きましたが、或説云(ある説曰く)というのは、ある説以外の説が主流であるというのが前提です。ですので、居喫師子許也は、ふつうは、仲人に対しては、師子は居喰いができないということを意味します。しかし、ある説によれば、仲人に対しても居喰いができると言っているわけです。

 

師子の居喰いができるとかできないとか、何ともおかしな話しです。師子はいつでも居喰いできるに決まっているのですから。とすれば、問題は師子の方ではなく、仲人の方にあるでしょう。妥当な解釈としては、仲人のいるマス目には、敵駒は進めなかったということではないでしょうか。つまり、仲人は取ることのできない駒だったということです。敵駒はその位置に進めないというルールだったとすれば、必然的に取ることもできません。

 

しかし、師子のみ仲人を取ることができたのです。仲人の位置に進まずに仲人を取る方法、居喰いがあるからです。ある説は、このことを言っているのではないでしょうか。つまり、仲人はふつうは取れない駒ですが、師子の居喰を使うなら取ることができるということを、或説云居喫師子許也で表したという解釈です。

 

もしこの解釈が本当だとすれば、仲人は、将棋の駒の中で一番ユニークな駒です。王子に成る酔象以上にユニークでしょう。ところで、この解釈を支持する何か他の理由づけはあるでしょうか。以下、N先生からの情報です。

 

摩訶大将棋を合戦シミュレーションとみた場合、歩兵のさらに前、陣の先頭にいる仲人は、全軍の進む方向を決める旗持ちのような存在ということになるでしょう。この存在は、兵とは見なされず、したがって、攻められることもなかったそうです。このことは、将棋という戦いの中で、仲人は取ることができないというルールで表現されています。また、仲人の動きについても、前後に進み左右にも進むという自在さが旗持ちの動きをよく表現しているのです。中将棋の仲人のように、前後にしか動かないという限定された動きでは、軍を導くことはできないでしょう。中将棋の段階にまでなると、将棋を合戦に見立てるという考え方は消えていたのかも知れません。


師子以外では取られることのない仲人が盤面に存在することで、摩訶大将棋の戦いの様相はかなり違ってくるでしょう。その結果、摩訶大将棋がより豊かな面白さを獲得するのか、または、逆に面白さを減らすことになるのか、それを今検証している最中です。


仲人という言葉の由来はまだ突き止められていません。仲は中ということを意味しますので、中立の立場の人というような意味なのでしょうか。摩訶大将棋の仲人は、大大将棋では奇犬の駒に対応しますので、奇犬という言葉も手がかりになるのかも知れません。