186)大型将棋の成立順に関する考察:2016/3/09に発表

投稿の順番が前後してしまいましたが、先週、映像表現・芸術科学フォーラム2016にて、「大型将棋の成立順に関する考察」というタイトルでポスター発表をしてきました。なかなか好評だったです。4ページの論文です(映像情報メディア学会技術報告)。

ITE Technical Report Vol.40, No.11, pp.147-150, AIT2016-86(Mar, 2016)

 

以下に、当日のポスター(サイズ:A0)のpdfをそのまま載せておきます。ポスターの解説は後日投稿いたします。本ブログのこれまでの投稿したものをまとめたものになりますが、1件1件だとまだおぼろげな説も、合わせて考察すれば、すべてが連動して同じ結論を示していることを納得していただけると思います。

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コメント: 12
  • #1

    長さん (水曜日, 16 3月 2016 08:35)

    盤雙六の0のコメント欄に書いた事と関連しますが。
    「摩訶大将棋」という言葉の定義を、非常に広く解釈すると。ここの本文の内容には、「一理ある」と、私は思います。19升目×19升目盤の日本の昔の将棋で。摩訶大将棋の駒種が、部分的に幾らか含まれる将棋は。平安時代の末期、藤原頼長の時代には、制作されていたのではないかと私も思います。そういう駒数の多い「将棋」を、「摩訶大将棋」の類に入れて良いなら。ここの本文の主張は、正しいと見るのが自然です。中国では北宋の時代に、今の19×19囲碁盤使用ののシャンチー類が、試作されているという記録があるため、日本でも、誰も作ろうとしないとすれば、とても不自然だからです。

  • #2

    mizo (水曜日, 16 3月 2016 18:05)

    「大将棋」(大象戯など異称を含む)という名称は、12世紀の『台記』に登場して以来、各種文献に登場していますが、『摩訶大将棋』『大大将棋』『延年大将棋』という名称は16世紀の文献からだと思います。
    13世紀の『二中歴』の「大将棋」(13×13)は明らかに、『象戯圖』の「大将棋」とは異なります。

    「大型将棋の成立順に関する考察」は、11世紀の「新猿楽記」12世紀の「長秋記」を史料とされていますが、14世紀までの文献に現れる大型将棋は「大将棋」だけだということをどうお考えでしょうか?
    また、『二中歴』以外の「大将棋」をすべて15×15だとは言えないと思いますが、いかがでしょうか?

  • #3

    T_T (木曜日, 17 3月 2016 15:33)

    今日から学会出張ですので、短信のみにてです。

    長さんへ
    19×19の将棋の件、原典はあるのでしょうか?
    ずいぶん前に、私もいくつかの文献で読み、調べたことがあるのですが、
    どれも19×19があったらしいという記述のみです。結局、原典がありません。
    原典や出土のない話はあまり取り扱いたくはないのですが。。。

    mizoさんへ
    象戯圖の名前は、後世が勝手につけた名前ですから、
    昔は別の名前だったと思います。
    なぜ象戯圖の名前にこだわられるのでしょう。
    将棋A、B、C・・でも内容、結論は変わりません。

    それと、他の古文書に現れる大将棋という言葉は、普通名詞であり、
    固有名詞ではありません。つまり、数世紀にわたり現れる古文書の「大将棋」は、
    すべて同じひとつの将棋ではないということです(と考えています)。

  • #4

    長さん (木曜日, 17 3月 2016 17:15)

    中国の19×19路シャンチーは、少なくともweb世界では。wikipediaの、「シャンチー」の、「ルールの整備と発展」の歴史。北宋時代の晁補之の、98枚制広将棋の作成の記載だけでしょうかね。私は、この話について、どこに「原典」があるのかは知りません。晁補之は、日本でいえば、いわゆる興福寺出土駒の時代の人。藤原頼長より、半世紀前の人ですね。日本のバージョンの記録は無いです。ただし50年間。日本の、一例として13升目制大将棋指しが全員、中国の広将棋を無視し続けていたとすれば、私は奇跡だと思いますが。

  • #5

    mizo (木曜日, 17 3月 2016 18:25)

    》4
    象戯圖の名前は、後世が勝手につけた名前ですから、昔は別の名前だったと思います。
    大将棋という言葉は、普通名詞であり、固有名詞ではありません。

    ←「摩訶大将棋」(19×19)は昔は別の名前であった可能性がある。(名称は不明)
    12世紀~14世紀の文献に現れる「大将棋」の中には「摩訶大将棋」(19×19)のことについて述べたものがある可能性がある。
    したがって、12世紀~14世紀の文献に「摩訶大将棋」という言葉が無くても、19×19の将棋がなかったとは言えない。
    先生のお考えは上記であっていますか?

  • #6

    mizo (水曜日, 30 3月 2016 20:23)

    駒種の重なりについて
    今でも、成立順を考える際の根拠とされていますか?
    「将棋Aの駒が将棋Bにすべて含まれる場合は、将棋B→取捨選択→将棋Aであり、将棋A→新規追加のみ、廃止はなし→将棋Bは考えにくい」

    『二中歴』の「将棊」と「大将棊」は、「将棊」→新規追加のみ、廃止はなし→「大将棊」だと思います。これが、日本の将棋類の前後関係について明らかな唯一の例ではないでしょうか。

  • #7

    薫ん (木曜日, 07 4月 2016 11:59)

    以前youtubeで動画にコメントをした者です。いろいろ調べたのですが、ブログの中を探しても、成り駒の動きについてはっきりと書かれていないように思います。
    私は大分遠い場所に住んでいて、イベントなどに参加できず、よく知らないのですが、どこかで公開していたりしないでしょうか。
    教えて頂きたいです。
    ここと関係の無い話ですみません。
    どこでコメントをすればよいかわからず、最新のものに書かせて頂きました。

  • #8

    T_T (木曜日, 07 4月 2016 22:37)

    長さんへ(#4)
    年度末&学期始めの雑務に埋もれてまして返信大変遅くなりました。他にもコメントいただいていたかもです。

    原典がない場合、それを拠り所にした話は一切できないのではないでしょうか。ですので、無視し続ける云々や奇跡だとかの話も将棋史ではなく別のジャンルではと思います。

    長さんの言う19×19シャンチーは、吉備真備が将棋を持ち帰ったという話と同じです。原典がなく伝説だけが残っています。私は吉備真備説が好きですので、そういうのもOKなのですが、古文書の解読の話とそういう話を取り混ぜるのはどうなんでしょう。

  • #9

    T_T (木曜日, 07 4月 2016 22:42)

    mizoさんへ
    上のような事情で返信大変遅くなりました。

    (#5について)
    あっていますかというご質問の件ですが、私の文章を言い換えておられますので、困ってしまいます。ニュアンスが多少違いますという答えになるのですが。。。

    (#6について)
    駒種の重なりの図は、それ単独では根拠として重くみる必要なしと考えています。

    結論を導くために6点を挙げているのですが、そのどれもが同じ結論の方向を向いているということを重要視しています。その中でも、摩訶大将棋の歩き駒の分類からの検討はかなり強固ですので、これ1点でも根拠として耐えうるだろうと思っています。

  • #10

    T_T (木曜日, 07 4月 2016 22:55)

    薫んさんへ
    図を見ていただいた方が早いと思いますので、この件、このあと、投稿188)として新しい投稿とします。そちらの方を参照下さい。

    イベントの件、東京周辺や博多でしたら可能です。いかがでしょうか。札幌でもするかも知れません。それと、摩訶大将棋のネットワーク対局がほぼできていますので、いずれ、一局いかがでしょう。

    仲人の左右への歩き、麒麟と鳳凰の踊り等を是非味わって下さい。

  • #11

    mizo (金曜日, 08 4月 2016 09:19)

    摩訶大将棋の歩き駒の分類からの検討
    歩き駒は、①前に進めない駒は不可②左右対称、以上2点を前提とすると24種類しかできません。
    前方は、○○○、○●○、●○●の3種類
    側方は、○駒○、●駒●の2種類
    後方は、○○○、○●○、●○●、●●●の4種類
    組み合わせると、3×2×4=24種類
    摩訶大将棋では(先生のお考えでは)22種類が確認できます。
    他に左右対称でない歩き駒、提婆、無明がありますが、以下の2種がありません。
    ○●○ ●○●
    ○駒○ ○駒○
    ●●● ○●○
    これについて、どうお考えですか。駒の少ない将棋から成り行きで増加したのではなく、計画的に一気に創られたとしたら、創られなかった理由があると思います。

  • #12

    長さん (月曜日, 11 4月 2016 10:58)

    とりあえずは。
    「北宋時代に晁補之が。98枚制の広将棋を作成」までは、「」内の記載内容の、
    読むべき古文書原典が、中国にはたぶん、有るんでしょうね。
    しかし確かに12世紀に、「」内のフレーズが日本に伝わった証拠は、まだありません。
    14世紀の異制庭訓往来の、1年の日数を表す「大型将棋」が、19×19升目将棋
    や、囲碁盤の目の数との関連性を臭わせています。
    15世紀以降に編纂された将棋図に、19×19升目の摩訶大将棋が記録され。天体の
    運行・・・と序文で書かれて暦が連想され。この将棋の作成に、他の将棋種に比べて
    とりわけ力が入っていたように、感じさせます。
    17世紀の江戸時代迄には「」内のフレーズが、wikipedia以前に日本に伝来。
    荻生徂徠が「広将棋」を作成。
    なお晁補之の象棋は。wikipediaの記載を見る限り。19×19型で、98枚
    である以外、一切記録が、中国に於いても残っていないように見えます。
    正確にはこういう状態ですね。