200)平安将棋が一番古い将棋なのかどうか

投稿200)という区切りのいい番号ですので、大きなテーマから取り上げることにしました。将棋史は平安将棋からというのが通説ですが、これにはとりたてて根拠があるわけではありません。盤のサイズと駒の種類が、シャトランジに近いということだけです。

 

平安将棋は二中歴に初期配置が記載されています。初期配置が書かれている古文書の古さという点では、もちろん、最古となるわけですが、将棋という語句だけであれば、もっと古い古文書がありますし、駒の出土も二中歴より古い時代から出ています。その出土駒に、酔象の駒も含まれますが、酔象は平安将棋では使われていません。

 

ともあれ、まず、結論を書きますと、平安将棋は最古ではないというのが本ブログの見解です。論点はいくつかありますが、ゆっくりと書いていきます。投稿198)で大型将棋の収縮について書くはずが書きかけのままでおいています。結局、大型将棋の収縮が、つまり、駒を落としてどんどんと将棋が小さくなっていったのがどこまでか、という問題になるでしょう。

 

摩訶大将棋から大将棋が作られたのは、これはもう完全に確実です。大将棋から平安大将棋へという順序もほぼ確実です(こういうことをきちんと原稿にしないといけないのですが)。大大将棋、延年大将棋、中将棋の成立順については特に問題もありませんので、大型将棋の収縮論で残る問題の将棋は、平安将棋だけということになります。

 

摩訶大将棋そのものが、将棋黎明期にあったのかどうかは何とも言えませんが(途中でいくつかの駒が置き変わったり、多少の修正もあったでしょう)、本稿では、摩訶大将棋に類似したもの、摩訶大将棋類とでも言うべきものを総称して、摩訶大将棋と呼ぶことにします。

 

摩訶大将棋の成立は、890年〜900年ごろ、または940年前後、980年前後かと考えています。数字まで出して書くと、逆に、トンデモ説と思われるかも知れませんが、とにかく10世紀が第1候補でしょう。

 

次の候補は、1100年ごろですが、可能性はずっと低いと考えます。この場合、平安将棋の方が早くに成立していたことになるわけですが、そうだとすると、私には、将棋史は完全に闇の中です。

 

(次稿に続きます)