202)摩訶大将棋にある4つの如来の駒

投稿200)からの続きです。「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その2」となります。まず、以下のA)大将棋、B)中将棋、C)平安大将棋、D)平安将棋の初期配置の図をじっくり眺めていただくのがいいかも知れません。摩訶大将棋の初期配置については、投稿201)の図を参照下さい。

 

本ブログでは、各将棋の成立順について、

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> B)中将棋

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という説を取っています。学会発表だけでなく、摩訶大将棋展等の活動で広くこの考え方を紹介していますが、このあたりまでは反論はほぼありません。今回、一連の投稿で提出する説は、この説をさらに発展した次の説です。これも、最近のミーティング、展示会、研究会で、部分的に紹介しつつあります。

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> C)平安大将棋 --> D)平安将棋

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A)--> B)と、A)--> C)は、中将棋が原中将棋(成りのみ別ルール)だとすれば、同時代に進行した可能性もあり得ますが、中将棋への流れについては、また後日の投稿とし、しばらくは、メインテーマである平安将棋への発展に絞りたく思います。

 

ところで、一般的な説は、本ブログの説とはほぼ正反対であり、

D)平安将棋 --> C)平安大将棋 --> A)大将棋 --> 摩訶大将棋

というものです。つまり、小さい将棋から、徐々に駒数が増えて、大型化していったと考えます。ただ、この考え方は説というのではなく、暗黙の了解というべきかも知れません。大型化していったという根拠がきちんと示されたことがないからです。ゲームの進化とはそういうものであるという直観や思い込みのせいかと思われます。

 

なお、本稿では、摩訶大将棋-->大将棋-->中将棋へと至る過程で現れる、以下の考え方については、了解されているものとして説明を始めます。

1)踊り駒の定義(象戯圖の解読より)

2)摩訶大将棋、大将棋では仲人は横にも動く。

3)摩訶大将棋、大将棋では麒麟と鳳凰は踊り駒である。

4)摩訶大将棋には十二支の駒が意図的に組み込まれている。

5)狛犬は不成りである。また、狛犬は師子と同様、居喰いの機能を持つ。

6)摩訶大将棋の鳳凰の成りは狛犬である。

7)摩訶大将棋、大将棋の桂馬の動きは、現代将棋の桂馬の動きとは異なる。

8)摩訶大将棋の玉将は薬師如来に相当した駒である。

 

8)については、再度の説明が必要と思いますので、どこかの稿で詳細します。 

では、以下の「続きを読む」のリンクから、初期配置の図と4つの如来の話となります。

 

 

上図で右側の図a)b)c)d)には、大きな将棋から小さな将棋になっていく際、どの駒が落とされたかをうす緑の表示で示しています。左側の初期配置の図A)B)C)D)の色分けは、投稿201)と同じで、

青=走り駒  赤=踊り駒  緑=歩き駒(動物)  黒=歩き駒(人)

を示します。また、平安大将棋では、注人を仲人、奔車を反車、猛虎を盲虎と、大将棋のままに並べました。

 

各将棋について考える際、実際に駒を並べていただけたらと思います。歴史学と文献学からだけでなく、ゲームクリエイターでの立場からも検討を加えることになって、より正確な考察になるのではないでしょうか。ある程度にはゲームクリエーター的な感覚に基づく類推も必要だろうと考えます。このあとの一連の投稿にて、いろいろな観点から成立順に迫っていくわけですが、本稿で1点だけ事例を挙げます。

 

たとえば、D) --> C)なのか、C) --> D)なのかを問題にしているとしましょう。桂馬と飛龍、香車と反車に注目することにします。ともに類似のペアであり、飛龍は後ろにも動ける桂馬、反車は後ろにも動ける香車です。

 

さて、ゲームクリエーターとして考えた場合、平安大将棋と平安将棋、どちらが先にできた将棋でしょう。平安将棋にある香車と桂馬がかなり不自然ではというのが、私の感覚です。原将棋と想定されるシャトランジでは、歩兵以外はすべて前後左右対称の動きの駒です。これは、金将や銀将についても言えることなのですが、一番始めの将棋を作るにあたって、このような基本的でない動きの駒を導入するだろうかということがあります。

 

平安将棋から平安大将棋を作ったとしましょう。その段階で、香車の上に反車を置き、桂馬の上に飛龍を置くことになるわけですが、ではなぜ、平安将棋のときに、反車と飛龍の動きをする駒を使わなかったのでしょう。こういう点からの考察を含め、次の投稿ということにします。

 

投稿が長くなりすぎていますので、如来の話、少しだけ書きます。詳細はこれも次稿にて。

4つの如来の駒は、次のとおりです。

玉将:薬師如来

盲虎:阿弥陀如来

悪狼:大日如来

嗔猪:釈迦如来

根拠なしではトンデモ説かと思われる可能性大ですので、以下短く説明を残します。なお、如来の駒の話は、摩訶大将棋から大将棋ができる過程で、かなり重大な知見だと考えています。

 

摩訶大将棋の十二支の駒は、それぞれが、玉将(薬師如来)を守護する十二神将に対応しています。また、十二神将にはそれぞれ本地仏があります。十二支の寅(盲虎)、戌(悪狼)、亥(嗔猪)に対応する十二神将の本地仏は、上記のとおり、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来です。

 

ところで、摩訶大将棋から十二支の駒がいくつか落とされて大将棋になったとき、盲虎、悪狼、嗔猪は落とされず残されています。ですので、摩訶大将棋の4つの如来の駒は大将棋でもそのままです。実は、大将棋には、阿弥陀如来の2つの脇侍(勢至菩薩と観音菩薩)、釈迦如来の2つの脇侍(普賢菩薩と文殊菩薩)も残っています。さらに、阿弥陀如来の駒、盲虎は中将棋にまで残ることになります。

 

(次稿に続きます)