236)駒名が二文字である理由:陰陽五行(干支)からの帰結

前稿235)からの続きとなります。前稿では、宝応将棋が存在した可能性について書きました。自説ですから、どうしてもひいき目になりますが、次の仮説も正しいだろうと思っている次第です。将来何らかの文献学的または考古学的証拠が出てくるのかどうか。楽しみにして待ちます。

 

1)将棋の二文字の駒名は、陰陽五行の干支に由来する。

2)二文字の駒名は、日本での創生ではなく、中国が起源である可能性が高い。

3)駒名と陰陽五行との関連から、呪術としての将棋の存在が確実である(古代の将棋を遊戯という観点だけで捉えるのは間違いである)。

 

ところで、玄怪録に比喩として登場する将棋についてですが(前稿では、宝応将棋と呼びました)、どのようなサイズの将棋だとお思いでしょうか。Webや単行本で強調されているのは、たいてい、駒の動きが説明されている箇所であり、そこでは4個の駒(天馬・上将・輜車・歩兵)の動きだけが紹介されています。そのため、駒名が二文字だということも相まって、小将棋(=現代将棋)が連想されている(前提になっている)場合が多いのではないでしょうか。しかし、玄怪録の全体の文章を読めばわかるように、宝応将棋は大型将棋でなければなりません。兵士は多数いるのです。

 

兵士の数の多さは文学上の比喩だと思われる方もいるでしょう。この点は、思いようであり、結論は出ないわけですが、本ブログでは、駒の数も、きちんと表現されていると考えます。玄怪録と同じような夢物語が、盤双六についても見つかっていますと、前稿235)で少し紹介しましたが、その物語では、登場人物の数は、きちんと30人で、サイコロの比喩としての妖怪は2体です。これが、駒の動きと同様、将棋の駒の数もほぼ正しく表現されているだろうと考える理由です。

 

玄怪録には「数百人」と書かれています。想定されているのは、摩訶大将棋ぐらいの将棋か、または、もっと大きい将棋なのでしょう。しかし、多数の駒数(正確には多くの駒種)は、十干十二支の組み合わせから駒を作っていくわけですから、当然必要となります。

 

このように、起源の将棋が、陰陽道の五行と十二支に則って設計されたとするならば、それは大型将棋でなければなりません。これまで、摩訶大将棋起源説の根拠を少しづつ積み重ねていく過程で、次第に、摩訶大将棋が呪術としての将棋であることも見えてきたのですが、実は、これは当然の結果だったわけです。つまり、将棋の起源=呪術の将棋=大型将棋なのですから。