265)二巻本色葉字類抄は将棋史解明に重要(その2)

昨日の投稿264)の続きです。現存する二巻本写本の中将棋に関する記述がどの時代になされたのかを考えてみましょう。現存の写本は、次のように連なる写本の結果ということが奥書からわかっています。

 1)二巻本原本:12世紀中頃に成立

 2三巻本原本:1177〜81年に成立

 3三巻本写本(現存):13世紀はじめ

 4二巻本写本1:1315年

 5二巻本写本2:1423年

 6二巻本写本3(現存):1565年

 

まず、二巻本と三巻本の比較を2点だけ。定説は、二巻本-->三巻本の順で成立しています。これは、将棋の駒の観点から見ても正しそうです。

ト)銅将:

二巻本には、雑物の項に、銅将(裏横行)と記載。

三巻本には記載なし。

その代わりとして、畳字の項に、銅山、銅馬、銅烏という「銅」の熟語として記載あり。

 

キ)玉将、金将、銀将:(※は推定)

二巻本には、雑物の項に、玉将、金将、銀将(※裏金または裏竪行)と記載。

三巻本には記載なし。

その代わりとして、畳字の項に、玉兎、金兎、銀漠、銀丸として記載あり。

 

二巻本では採用されていた駒名が、三巻本では削除されて、同じ漢字を含む別の熟語で補われたという形になります(このあたり、他のいろいろな例をあたるべきでしょうが、もっと時間が必要です)。

 

上記の説明を全部認めるとすれば、中将棋は12世紀半ばで成立しています。この結果は、摩訶大将棋を原初の将棋とする限り、特に問題はありません。ただ、二巻本の銅将(裏横行)という記載が、写本1〜写本3の段階で、勝手に追加されたという意見にどう答えるかという点でしょう(校正を経た写本である限り、写本=原本であるはずですが、そうでない写本も多数あります)。以下に説明します。

 

右:二巻本の記載、  左:本来あるべき記載
右:二巻本の記載、  左:本来あるべき記載

右図は、二巻本色葉字類抄の、金将と銀将の箇所のスケッチとして見て下さい(皆さんへ:二巻本色葉字類抄の画像の掲載はかなり高価ですので注意を)。図の右の列が、実際の二巻本、左の列が本来書かれるべき記載です。

 

現存する写本では、間違って写本されているようです。注釈として小さく書かれるべき飛車、竪行が、単語として捉えられた結果、ヒの飛車、シの竪行がキの箇所に入っているわけです。

 

このことから、金将、銀将の記載は、写本3(1565年)で追加されたのではないことがわかります。新しく単語を追加した人物が、中将棋を知らないはずがありません。とすると、次の3つのケースが考えられます。

 

A)写本ミスが、写本1の段階で起こった場合:

 金将、銀将の記載は、原本(12世紀半ば)にある。

 写本2では、写本1を正しく写した。

 

B)写本ミスが、写本2の段階で起こった場合:

 金将、銀将の記載は、写本1(1315年)で追加された。

 写本3では、写本2を正しく写した。

 

C)写本ミスが、写本3の段階で起こった場合:

 金将、銀将の記載は、写本2(1423年)で追加された。

 

ここで、銅将(右下に小さな字で裏横行)の記載が、本来あるべき形で、写本3には残されていることが重要な点となります。しかし、金将、銀将は間違って写本されたというわけです。今日はこのあたりで置きます。

 

私の個人的見解はA)です。中将棋は二巻本原本の成立時にはすでに存在した将棋でしょう。二巻本で考察の中心となるのは、小将棋の駒リストが原本からあったものか、それとも途中で追加されたものかという点です。中将棋以前に存在した大将棋の駒リストは、二巻本に中将棋の記載がある以上、原本からの記載と見て間違いないのですが、この結論は次の学会発表まで引きずることにします。