という論文が公開されました。ありがとうございます!!!読み応えのあるいい論文でした。ためになりました。『「摩訶大将棋起源説反駁」に対する返答』みたいなタイトルで私の方からも今年中に投稿しようと思いますが、その発刊はほぼ1年後になりますので、ひとまず本ブログにてその概要を投稿しておきます。
2020/08/23記
そのまま原稿になるようにと思ってましたが、やはり時間がかかります。ざっくばらんに、ブログ的に、「摩訶大将棋起源説反駁」に対する返答の文章を挙げていくことにします。論点については、順不同ですが、実は、20ページの反駁論文にあるほぼすべての論点に説明を入れて、いいえ、そういうことではないのですが、、、と書かなければなりません。
本稿では、まず、著者の最終的な結論に対して、コメントを入れてみます。論文の最終節(まとめ:長さ1ページ半)の冒頭の文章は、「新たに提出された摩訶大将棋起源説について、定説を墨守する立場から批判的に検討した。」最後の文章は、「上記の検討結果からは、平安小将棋から各種大型将棋が誕生したという定説を変更する必要はない」となっています。
さて、将棋の起源についての定説は、現状では存在しないと考えるべきでしょう。それは、従来の説には、どの説も、きちんとした根拠が伴っていないというのが理由のひとつになります(これについては、後のリンクから詳細を読んで下さい)。が、それよりももっと決定的な理由は、従来の説では、将棋を単に「遊戯」として捉えているだけという点が大きいです。実は、日本古代の将棋は呪術です。この点を抜きにした考察からは、何も正しい結果を得ることはできません。
ですので、摩訶大将棋起源説への反駁に対しては、将棋が呪術であるという点の立証も含めて説明すべきでしょうが、できれば、その話しを抜きにして、文献学や史実だけで、大方の支持を得ることができたらと考えています。それは、摩訶大将棋起源説を示す事象が多数あるからです。将棋=呪術の件を抜きにしても、摩訶大将棋起源説は納得してもらえるだろうと見通しています(きちんと上手に説明することができるかどうかだけです)。
ところで、摩訶大将棋起源説の研究過程からは、将棋史以外にも、いくつかの成果が出ています。その最大の成果は、瀧浪先生が提唱された第一次平安京の立証です(なお、瀧浪先生の当初説からは多少の変更が入ります)。現状、第一次平安京の存在は、関連学会では、否定的に捉えられていますが、そうではない説を秋に学会発表する予定です。この説は、9世紀における摩訶大将棋の存在を前提とした方がより強力になります。ただし、摩訶大将棋を持ち出すことなく、文献だけからも説は成立しますので、逆に、第一次平安京の存在が摩訶大将棋の9世紀での存在を示すことになるでしょう。
(長くなりそうですので、続きは以下のリンクをクリックして下さい)
さて、第一次平安京は、平安京が呪術の都であったことをきっちりと示しています。平安京の条坊を呪術の観点から考察した研究は少ないのですが、すばらしい論文が1件あります(風水の話しではありません)。平安京の条坊が将棋盤であることは、何度か発表していますが、この秋の発表では、もっと緻密な成果として発表することができます。結局、大型将棋は駒も呪術、将棋盤も呪術ということになります。
摩訶大将棋-->平安京へと展開するこの話しは、さらに他分野に波及しています。第一次平安京の大極殿から、当時の物差し(古代の尺の問題)の推定が可能です(定量的に!)。私自身も本当なのかなとまだ思っているのですが、その物差しは、米田先生が提起されている法隆寺の建物に使われている物差しと一致するのです。米田先生の提起は、建物の寸法が完数(1尺単位)ではなく、技術者的な観点からは0.5尺単位でよいということに基づく仮説ですが、文献の裏付けがありません。ですが、摩訶大将棋-平安京仮説と並行的に導かれた物差しは、文献にきちんと数値が書かれているものです。
もう1点、摩訶大将棋-平安京の話しは、摩訶大将棋も平安京も呪術であるとすれば、道教の福永先生の論文と非常にきれいに論点が一致します。これは本当に非常にきれいな一致です。この話しは、天皇や天皇陵の話しであり、中国の皇帝の話しでもあります。大きな話題ですのでもう少しきちんと考察した上で発表しますが、こういう風に、摩訶大将棋の考察は、私個人の中では、もう完全に一連の流れとして定説です。ひとつひとつのパズルの破片が大きなわくにきちんとはまっていきますので、間違いのはずはないだろうというのが、正直なところです。
天上の様相を地上に写したのが古代の都城であり、将棋盤でもあります。中国象棋の盤の中央の河は、洛陽の都から見た銀河であり、東西に流れる黄河の支流です(天子南面)。これは話しても2時間以上かかりますが、ともかくも、中国象棋は日本から伝搬したと考えてもよさそうです。摩訶大将棋-->大将棋-->平安大将棋-->(中国象棋、平安小将棋)の可能性は大いにありということです。将棋盤が長安城ではなく洛陽城である点が重要かも知れません。つまり、大型将棋は北周起源ということなのでしょう(象戯圖の序文どおりに)。
(まだ、書きかけです。続きます。なかなか本論に入れません。従来の説が、いかに根拠のないまま流通しているかを書く予定でした。明日の投稿の方を参照下さい)