283)摩訶大将棋起源説反駁2:定説か通説か

投稿282:摩訶大将棋起源説反駁の続き。定説ということについてのコメントを書きます。

 

これまでの将棋史の論文には、定説は存在しないと言っていいでしょう。ただし、「通説」というのはあります。検証されていないものの、多くの人がたぶんそうではないかと思っている、そういう説が通説です。たとえば、1)大型将棋は小さい将棋から徐々に駒数が増えてできあがった将棋である、2)将棋は中国から伝来してきた、3)大型将棋は、実際には指されなかっただろう、といったような説が通説です。これらの説にはほぼ根拠がなく、したがって、定説ではありません。

 

摩訶大将棋起源説に対する反駁に返答する前に、本ブログでは、まず、通説として広まっている将棋史に関するいろいろな説が、論理的でも客観的でもなく、ほぼ思い込みだけに基づいていることを書かねばなりません。本稿では、以下で、この具体例を示します。

 

ただし、将棋史の知見は、ひとまずは、各々の研究者、愛好家の思い込みだけで積み重なっていたとしてもいいだろうと思っています。全く問題ないでしょう(少なくとも、各個人の中では、論理的なはず)。重要なことは、その次の段階で、そうした思い込みの結論をいくつも積み重ねたときに、一貫した将棋史のシナリオになっているかどうかでしょう。通説は、どれも別個な思い込みの結果であるために、相互の説明は全くついていません。

 

以下、である調で書きます。

-----------------

たとえば、平安小将棋は、歩兵が3列目に並び、2列目が空いた配置である。一方、原将棋とされる将棋は、インドのチャトランガ、あるいは、ペルシャのシャトランジである(その正否はここでは問わない)。どちらの将棋も、駒は2列に詰まって並び、途中の列が空くことはない。原将棋が、日本に到達したものとして、では、どの段階で、2列目が空いたのか、ということが問題となろう。

 

この問題を、通説はどのように説明しているか。大雑把に言えば、次の2つの説があり、違いはどこから伝来したかの違い、つまり、元になった将棋種がどこにあったのかということである。

 

1)東南アジアからの伝来とする場合、元の将棋種をタイもしくはカンボジアのマックルックとする。その理由はマックルックも、日本の将棋と同じように、3列目に歩兵相当の駒が並ぶからである。また、マックルックには銀将の動きをする駒(コーン)がある。さらには、インドのチャトランガにも銀将の動きをする駒があるとされ、インド-->東南アジア-->日本の伝来とも合致するという説明である。

 

2)中国からの伝来とする場合、元の将棋種は、もちろん、象棋(シャンチー)である。象棋は歩兵相当の駒が3列目に並ぶのではないが(4列目に並ぶ)、2列目が空いている。この場合、象棋の配置はさほど問題ではなく、とにかく、中国からの伝来を確実なものと考える。その上で、将棋と配置が類似した未知の象棋があったのだろうと想定するわけである。

 

さて、皆さんは、上の2つを「定説」と考えることができるだろうか。原論文を読まないと判断できないと言われるかも知れないが、実のところ、上の短文だけで、「根拠」とされる内容はほぼ言い尽くせていると考える(論文によっては、補足的な追加があるかも知れないが些細である)。以下、上の1)2)の説には、根拠とするほどの論理性、実証性のないことを列挙したい。

 

1)について:

○ 駒の配置や駒の動きの類似性は、日本-->東南アジアへの伝搬でも説明することができる。古代のマックルックが文献的にも考古学的にもでていない以上、マックルックは日本からの伝搬と考えるのが自然である。東南アジア-->日本への伝来を主張する場合、古代のマックルックの存在を示す必要がある。が、現状、文献もなく出土もないため、この説が定説にはなり得ず、通説相当でよいのではないだろうか(海のシルクロード、というロマンは好きですが)。

 

○ チャトランガの駒に銀将の動きをする駒がある、とされるが、これは、原論文(Murray, 1913)を読めばわかるとおり、全く学術的な帰結ではない。(この点は、桂馬の動き、銀将の動きが、反駁論文に取り上げられているため、別の投稿にて述べる)

 

2)について:

○ 中国からの伝来を考えるとき、重大な問題は、象棋の駒は交点置きであること、桂馬や香車に相当する駒がないこと、駒を取るときの砲・炮の特異な動き、駒の成りは兵・卒だけ、最前列の兵・卒が1目おきに並ぶこと等々、駒の配置や機能からは、中国からの伝来自体を始めから否定するのがごく自然であろう。ここで、中国からの伝来を支持する研究者は、たとえば、次のような説明をしている。

 a)伝来時点で、中国にもマスの中に駒を置く将棋が存在したのだろう。

 b)伝来時点で、桂馬や香車のような駒が中国にもあったのだろう。

 c)伝来時点で、最前列の歩兵相当の駒は、間隔を置かず並んでいたのだろう。

 d)中国とは交流が盛んだったから、誰かがそのような将棋を持ってきたのだろう。

と考えている(という内容が論文に書かれている)。本稿のはじめの方で、思い込みに基づく説云々と書いた一例が上記a〜dである。ただ、1)よりも2)の説が、通説としては、多数派である。多数おられる将棋史愛好家の皆さんは、こういう説明で、本当に納得しているのだろうか。あるいは、論文やきちんとした単行本に書かれているから、そのまま鵜呑みにしている、ということなのだろうか。いずれにせよ、中国からの伝来仮説は、定説となるにはまだまだ遠い。

 

2)の説明では納得いかないから(中国からの伝来には無理が多すぎる)、伝来を別ルートに求める1)の説が出てくることになる。さらに別の説として、将棋は日本からの発祥であるという説も出されており、私は、1)や2)よりもこちらの論文の方が面白く読めたし好きだった。

 

さて、本題に戻りたい。反駁論文には、2ページ目に、将棋の初期配置で歩兵3列目であること(通説では説明できないとした4点のうちの1点)への反論が書かれている。その反論の要点としては、上記1)や2)の説で十分に説明できるとの主張がなされている。その主張の根拠は、過去の論文の引用である。つまり、論文が出ていることでもって、その論文の説が正しいとしている。つまり、1)や2)の一部が正しいとするのであるが、上述したとおり、それらの論文には、論理的帰結も実証的帰結もないということ、この点を注意されたい※注)。興味ある読者は、反駁論文の参考文献リストから原論文にあたることをおすすめする。

 

つまり、歩兵が3列目にある特殊性を、象棋やマックルックと比較することに意味はなく(ここで書くのは早々にすぎるが、最終結論から言えば、将棋-->マックルックであり、将棋-->象棋なのである)、この特殊性の問題は、2列しかないチャトランガやシャトランジ、あるいはチェスと並べて論じるべきである。摩訶大将棋起源説で提示された問題は、なぜ歩兵が3列目に上がり2列目があいているのか、ということなのである。それを象棋やマックルックからの伝来だからとするのは、問題から逃げているだけであろう。同じことは、マックルックや象棋の配置にも言えるからである。チャトランガでは2列目に並んでいるのに、マックルックでは3列目にポーン相当の駒が並ぶが、なぜか! 象棋の兵・卒が4列目に並ぶのは、なぜか! もし、この答えが反駁論文に添えられていたとすれば、たとえ、上の1)や2)の伝来が思い込みから導かれたものであるとしても、将棋史の説のひとつとして成立するであろう(本稿の上の方の文面、「一貫した将棋史のシナリオになっているかどうか」というのはこのこと)。

 

※注) この点については、次の投稿にて再度取り上げたい。