284)摩訶大将棋起源説反駁3:遊戯史の観点から

平安大将棋(通説)
平安大将棋(通説)

右図は、論文や単行本によく引用される平安大将棋の初期配置と将棋盤です。この図は、論文や単行本に普通に取り上げられているわけですが、古典籍に記載された情報ではありません。つまり、皆さん、こう「思っている」だけです。前稿283で取り上げた将棋の中国伝来説とよく似た例として補足したわけですが、将棋史関連の論文にはこうした傾向が強くあります。要注意です。すべて原論文にあたり、それが論理的・実証的かを確認すべきでしょう(これは、将棋史だけでなく、チェスの欧文論文もそうです。象棋の論文はさらにひどいですので、ご注意のほど)。

 

本稿では、右の平安大将棋の図がどの程度いいかげんに扱われているかを説明しようと思います(:= つまり、二中歴がいかにいいかげんに読まれているかということを)。このいいかげんさは、結局のところ、将棋史の研究者や愛好家の皆さんが、平安大将棋をほとんど重要視していないことの現れだと言ってよいでしょう。

 

ところが、将棋史の解明には、この平安大将棋が非常に重要な役割を持ちます。もし平安大将棋が二中歴に記載されていなかったとしたら、将棋史の解明は無理だったかも知れません。以下に、この件の詳細を書きます(ある程度詳細に、ですが)。

 

以下、である調で書きます。

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上の平安大将棋の図で、何も根拠なく通説となっているのは、将棋盤の縦が13マスという点である。横が13マスという点は二中歴に記載があるため正しいが、縦のマス数は、二中歴からは不明である。縦を横と同じ13マスとするのは、象戯圖(室町時代の古文書)はじめ江戸時代の古文書に、他の大型将棋が縦横同じマスで記載されているからである。とは言え、同じく平安大将棋も縦横が同じマス数だとするのはきちんとした検討を要する問題であろう。ところが、多くの文献には、この点について何の考慮もない。

 

将棋史の研究は、歴史学や考古学の他に遊戯史学が必要される。平安大将棋の将棋盤が縦13マスであると引用した人は、実際に駒を並べ対局をしただろうか。対局すれば、縦13マスで歩兵の間が7マスも空いている将棋盤は遊戯としてあり得ないことがすぐわかるのではないかと思う。

 

仲人の動きは、摩訶大将棋の復刻までは、前後に1マス動くだけとされていた。同じように、平安大将棋の注人(仲人と考えて問題ない)も、二中歴の記載どおり、前後に1マス動くだけと考えられていた。歩兵の上に1駒だけ出ている仲人が、前後だけにしか動けないというルールは、やはり何かおかしいのである。前方に広い空きがあるというのに、一番前の仲人は前後にしか動けない、これはおかしい、という指摘は遊戯史学的なものであり、単なる歴史学からはむずかしい(※注)。

 

なぜ、歴史学(文献学というべきかも知れない)からはむずかしいかと言うと、歴史学では文献に記載されていることが、結構重要視されるためである。注人は前後に動くと書かれていると、その記載は結構威力を持つ。別稿にて取り上げるが、反駁論文では、摩訶大将棋の復刻の際、駒の動きに文献にない修正を加えていることに対して、次のように書く。「このような資料操作をおこなった結果、摩訶大将棋の駒種が陰陽のペアを基に創作されていると主張しても意味はない」もちろん、この反論は、仲人の動きの変更に対するものでもある。ただ、この考え方は全くの歴史学であって、遊戯史学の観点を欠く。

 

いろいろな考察を経て(文献からの解明も含まれる)、導かれた仲人の動きは、前と左右に動くというものである。この動きの記載は、古典籍には一切ない。しかし、遊戯史学的には可能性ありと見るべきであろう。上の平安大将棋の将棋盤をもう一度見ていただきたい。歩兵間の実際の間隔が4マスとなる盤が正しい盤ではあるが、ともあれ、仲人は横にも動くこと、前だけに動き後ろには動けないこと(歩兵もそうである)は、遊戯史学からの検証と言ってよいのである。

 

ところで、平安大将棋についての二中歴の記載には、大きな謎があった。それは、盲虎、銅将、鉄将の動きが、他の大型将棋の動きとは全く違っているということである。当初、これらの動きが誤記である可能性も含めて検討していたが(そういう時期もありました)、この動きは、実際にはそのとおりで、二中歴の記載はどうも正しいらしいことが判明している(このことは、摩訶大将棋が原初の将棋だったことのきれいに検証にもなっている)。つまり、この点においては、我々は文献学者であらねばならない。この匙加減のむずかしさ。

 

中途半端ですが、本稿、ここで閉じます。

 

※注)中将棋の仲人は前後に1マスだけ動く。この点は、中将棋が文献によってでなく遊戯そのものと伝わっているため確かである。逆に、このことから、仲人の動きは中将棋が成立した際に、動きのルール変更があったことを予想させる。これも遊戯史学的と言ってよいかも知れない。