235)宝応将棋の存在可能性:陰陽五行の観点から

宝応将棋は「玄怪録」の中の物語に登場します。将棋史に興味を持たれる方々には周知の事柄であるため詳細はWeb検索に任せますが、本ブログでも、かなり初期の段階から注目をしてきました。投稿27)投稿110)を参照下さい。以前の考えですので、ぽつぽつと間違いも見られますのでご注意のほど。

 

宝応将棋は、宝応象棋、宝応象戯と書かれることもありますが、本稿では、将棋との関連を重要視する立場ですので、宝応将棋と書きます。ところで、宝応将棋については、これが物語の中の記載であるため、歴史的事実とみることはできず、将棋史解明の資料とする根拠が薄いという指摘もあります。ただ、ごく最近、同じ唐の時代に、夢の中で盤双六を比喩した物語が見つけられており、その記述内容が、きちんと盤双六のルールの文学的表現となっていることが確認できます。やはり、盤双六のひとつひとつの駒が人に対応して話が進み、夢がさめて物語が終わるという構成です(まだ論文発行前ですので、発行後にこの詳細とりあげます)。したがって、宝応将棋も同様に、その当時存在したであろう「将棋」をなぞっている可能性が十分にあり得るのです。

 

こうした前提で、宝応将棋の記述からにじみ出る陰陽五行の話題を取り上げます。本稿、宝応将棋の存在可能性を示すひとつの根拠にできればと考えます。

 

宝応将棋の物語には、「六甲」という語句が現れますが、この六甲の解釈には諸説あります。しかし、これは、文字通りで、干支の60種類の並びのうちの6種(きのえ(甲)と十二支の組み合わせ)と考えていいのではないでしょうか。では、何が十干に対応し、何が十二支に対応するかということですが、これについては、残された物語自体が断片的ですので、ある程度は推定にならざるを得ません。本稿では、物語中から語句を拾い、語順にこだわり、ひとまずは、次のように考えてみました。もちろん、陰陽の区別は知りようもありません(字にはこだわらなくてもいいかもですが)。

 

十干: 天・金・上・輜・歩・・・・

十二支:馬・象・将・車・兵(卒)・士・・・・

 

十干と十二支の順については、ひとまず問わないとして、次の干支を作ることができるでしょう。天馬、金象、上将、輜車、歩兵、・・・

 

まあ、これだけの話しではありますが、いろいろな方向に仮想することが可能です。たとえば、十二支の語句のみ設定し、十干の名称は表には現れないとしましょう。六甲であれば、

甲馬・甲象・甲将・甲車・甲兵(卒)・甲士

という具合です。この場合、馬・象・将・・・は、隣り合って並んでいてはだめで、並びはひとつ置きである必要があります。その上で、甲という語句は表に出さず、語句を、甲馬-->天馬、甲象-->金象、甲将-->上将と置きかえていけばいいわけです。

 

しかし、なお問題は残るでしょう。上の場合、干支60種の中に現れる十二支の数、つまり、馬、象、将・・の数は、10である必要があります(六甲が6、六乙が6、六丙が・・・ですから)。ただ、本稿、そこまでの細かな話しまで入るつもりはなく(そもそも、詳細な解明ができるほどの資料もありません)、六甲と六乙で、つまり、五行のひとつひとつのグループで性質が似通っていればよしとしています。それが、前稿234)で述べた、摩訶大将棋の駒のグルーピングです。前稿では、仮にですが、五行の木のグループを人の駒、火のグループを獣の駒、土のグループを・・・とし、各グループに属する駒が非常に明解な類似性を持つことを示したわけです。結果として、このグルーピングの方法、つまり、陰陽五行に注目するという方法論の妥当性が示されたのではないでしょうか。

 

宝応将棋の物語の語句だけで陰陽五行との関連を主張しても、あまり迫力はないでしょうが、摩訶大将棋が陰陽五行に基づいて設計されていることを考えれば、宝応将棋も陰陽五行の将棋だと見ていいかも知れません。また、宝応将棋に陰陽五行が見えること自体、実際に存在した将棋であることの現れと見ていいでしょう。

 

(続きは、次の投稿にします)