250)平安大将棋の駒の動き:二中歴が正確な資料であることの理由

摩訶大将棋と将棋史の解明は、今年も着実に進んでおり、本ブログに書くことは10項目分ぐらいは余裕でたまっています。その都度、メモのように投稿するのがいいのかも知れませんが、その前に、まずは、摩訶大将棋起源説(大型将棋から次第に小さな将棋になっていき、最終的には二中歴の小将棋が成立したという説)があともう少し研究者の皆さんに承認をもらってからと思っている次第です。従来の説(小将棋=平安将棋がはじめに成立しており、次いで平安大将棋ができただろうという説)か、上記の新説(摩訶大将棋起源説)か、どちらかとなったとき、多数決ではそろそろ新説が優勢という感じにはなってきています(贔屓目ですいません)。

 

ところで、もうしばらくしますと、原摩訶大将棋(ひとまず仮称です)のことを発表しますが、これはルールと強く関連する話しですので、発表中にはたぶんわかってもらえません。

遊戯史はルールの情報も歴史解明の大きな鍵になる点が特徴と言えるでしょう。ルールと関連するせいで全くわかってもらえなかった発表の例を、以下、本稿に書いておいて、来月の発表のときに参照していただこうと思います。

 

なお、摩訶大将棋にはあり、原摩訶大将棋にはなかったと思われる駒は、横飛、瓦将、提婆、無明の4駒ですが、この話題は来月の発表後にまわします。以下の話題は、夏前に発表した内容、大将棋(横15マス)から、駒を減らして、平安大将棋(横13マス)になったと結論できる論拠のひとつについてです。この結論を納得してもらうためには、大将棋の駒の動きのルールを全部きちんと知っている必要があります。短い口頭発表の時間では無理で、この話題は、ポスターセッション用、展示イベント用の話題でしょう。

 

さて、大将棋から平安大将棋へと変わったとき、31枚の駒が取り除かれています。なお、摩訶大将棋から大大将棋、摩訶大将棋から大将棋、平安大将棋から平安将棋への各プロセスでも、同じ31枚の駒の取り除きがあります。この共通の31という数だけでも十分な根拠なのですが、説明にはいくつかの分野が関連するため、本ブログだけでなく学会発表もまだ済ませていません。説明のときに拾遺和歌集にあるひとつの和歌が根拠となります。双六盤も根拠となります。31枚の駒は三条天皇(976 -- 1017)に渡された可能性もあるかも知れません。平安京の街路と摩訶大将棋の関係も少し前、本ブログにて多少書きましたが、ともあれ、摩訶大将棋が古い時代の将棋だったということは確かなようです。

 

土曜日の夜で、前置きくどくどと長くなりました。以下、本題です。二中歴に書かれた駒の動きで、盲虎、銅将、鉄将、横行の動きに疑問を持たれている方は、多数おられると思います。私も1年ほど前までは、二中歴の記述は正確ではないと考えていました。ところが、実は、正しかったです。ということの説明です。以下のリンクを是非ご覧下さい。

 

まず、盲虎、銅将、鉄将の3駒からですが、以下の図は、平安大将棋の場合と、大将棋での場合の駒の動きです。かなり大きく違っています。大将棋での動きについてですが、盲虎と銅将については中将棋でもこの動きですので、大将棋でもこの動きで間違いないものと思われます。 

そうすると、二中歴の記述が間違っていたか、駒の動きが変更されたのか、このどちらかになるでしょう。結論は、駒の動きが変更されたというのが答えです。以下で、これの説明となりますが、ともあれ、駒の動きがこのように変更されたということ自体が、大将棋から、駒を取り除いて、平安大将棋が作られたことの証拠となります。もし、平安大将棋から大将棋が作られたとした場合は、このように動きが変更されたことの説明ができません。

 

さて、歩き駒だけについて考えてみましょう。大将棋から平安大将棋が作られたとした場合、取り除かれた歩き駒は、猫叉、嗔猪、悪狼、酔象、猛豹、石将の6枚です。逆に、そのまま平安大将棋にも使われた歩き駒は、今問題としている盲虎、銅将、鉄将の他は、小将棋(平安将棋)にも含まれる玉将、金将、銀将、歩兵、それと、仲人(後で話題にします)です。取り除かれた6枚の駒の動きは、以下のとおりです。

 

ここで、上のふたつの図を見比べてみて下さい。平安大将棋での盲虎、銅将、鉄将の駒の動きは、それぞれ、大将棋での猫叉、嗔猪、悪狼の動きと一致します。これはどういうことか。つまり、猫叉、嗔猪、悪狼は、駒の名称としては取り除かれたのですが、実は、駒の動きの方は、平安大将棋で使われたということです。この3つの駒の動きを残すため、盲虎、銅将、鉄将は、名称は残ったのですが、駒の動きの方が変更されたということになります。いかがでしょう、このシナリオは。

 

そこで、ではなぜこういうことをしたのか。それは、駒の動きは変更しないという規約が、将棋の呪術的な要素や陰陽五行よりも重要でなかったということなのです。時間ですので、この続きは後日にしますが、1年半前の投稿203)も参照下さい(現時点では、投稿203は一部修正すべきですが、本稿には影響しません)。十二支の駒のうち、平安大将棋にまで残った唯一の駒は盲虎、つまり、阿弥陀如来の駒です。ところが、釈迦如来の駒(嗔猪)、大日如来の駒(悪狼)も動きとして残されていたというわけです。もちろん、薬師如来の駒(玉将)も含め、摩訶大将棋から駒が順次取り除かれていく過程で、4つの如来の将棋駒は、最後まで全部残されたということになります。

 

あともう1点、陰陽五行との関係も指摘しておかないといけません。平安大将棋では、酔象の駒(盲虎と陰陽のペアを形成する)が取り除かれたため、盲虎の陰陽ペアがなくなってしまうという事情です。この点の概略は、投稿234)摩訶大将棋の陰陽五行を参照下さい。陰陽五行についても、もう少し詳細が必要ですが、まだ未投稿です。

 

ところで、横行の駒の動きも、大将棋の動きから変更となります(後ろに歩けない)。この変更は、陰陽五行の観点からです。この点、また後日の投稿ということで。ここまで書いてみてわかるのですが、この話題は、口頭発表では、まず納得してもらえないでしょう。テーブルを囲んでの研究会での1テーマです。最初の方で書きました原摩訶大将棋の話しも同じように短時間ではむずかしいだろうと思ってます。