182)桂馬と象と馬:伝来の謎 - takami-lab oecu

182)桂馬と象と馬:伝来の謎

本稿は、投稿180)からの続きです。投稿180)では、日本古代の桂馬が、前方ななめ45度の2目に進むことを示しました。この結論は、摩訶大将棋や大大将棋といった大型将棋類の知見から得られたわけですが、もしかしたら、これで多少は大型将棋が注目されるかも知れません。


ともあれ、古代の桂馬はシャトランジの象が起源だということになります。桂馬の動きが、象の動きから来ていることに疑いの余地はないでしょう。しかし、駒の名前には、象でなく馬の字が付けられているのです。本稿、この謎に迫ろうというわけです。


ひとまず、漢訳のシャトランジを図1(前稿の図1と同じ)に、平安将棋を図2に示しました。図1の伝来は、それが受け入れられたかどうかは別として、必ずあったものと思われます。シャトランジのもっと細部が伝わっているわけですから、基本形の伝来は必ずあったでしょう。


ところで、本稿の話題から少し外れますが、投稿176)にて取り上げました、将棋伝来ルートとしての東南アジア説の件に少し触れたいと思います。古代の桂馬の起源が象だとすれば、マックルック経由で将棋が伝来したという考え方は、完全になくなるのではないでしょうか。なぜなら、マックルックには「馬」があって「象」はありません。一方、中国のシャンチーには「馬」と「象」があり、平安将棋には「馬」がなく「象」があるのです。このような事実を考えると、マックルックが平安将棋に影響を与えたということは、直接的にも間接的にも(中国経由で日本に伝来)ないと考えるのが妥当です。


図2の平安将棋は、図1からの発展と考えてよいでしょう。図1のままの将棋は、古代日本では文献には残らず、残されたのは平安将棋の形でした。平安将棋の内容に関する考察は、次稿183)にて取り上げることとし、本稿では、駒の名称に注目します。


さて、古代日本における将棋駒の名称の起源の問題ですが、何の手がかりもありませんので、すべてが空想となります。ですので、この問題は議論の対象となるものではなく、正否を結論することもできないでしょう。人文科学として学会の場に現れることもありません。


ただ、駒の名称の件、空想には違いないのですが、そう空想した結果が、各研究者自身で提起した将棋史のグランドデザインへとスムーズにつながっていることが重要だと考えます。駒の名称は名称、将棋史は将棋史、ということで別個に関連なく主張されてもいいわけですが、将棋史の方はある程度の根拠とともに構築できるわけですから、名称の問題が将棋史との関連で説明できるとすれば、その方が多少の信憑性があると考えます。


この一例として、十二支の駒があります。たとえば、嗔猪の駒が加わりましたというのではなく、十二支の駒として12種類の駒が一気に加わりましたという空想の方が断然の説得力を持つでしょう。文献の記述や史実とつながるからです。また、別の一例として、師子の駒が追加されましたという空想よりは、狛犬と師子の駒がペアで導入されましたという方が強力な説になるというのも同様です。


すいません、話題がかなり外れてしまいました。ともかく、本稿、こういう考え方のもとで、シャトランジの馬がなぜ桂馬にならなかったかを空想してみようと思います。ただ、長くなりましたので、別稿にします。続きを投稿184)として書きます。


それと、今日からまたコメント欄も出します。どのような反論でもお寄せ下さいませ。すべてに回答いたします。投稿に間違った考え方や勘違いがありましたら、すぐに間違ってました訂正しますというタイプです。ただ、ときには頑固に反論をお返しすることもあるかも知れません。


摩訶大将棋に関する投稿については、それほど多くの方が興味をもつ内容ではないと思いますが、最近の本ブログの話題は、摩訶大将棋と合わせて日本将棋の起源も話題にしています。摩訶大将棋とは違って、こちらの方は将棋史の本流です。同好の士も多いのではと思っています。


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コメント: 8
  • #1

    テスト (日曜日, 06 12月 2015 22:32)

    テスト

  • #2

    mizo (水曜日, 09 12月 2015 11:13)

    コメント欄復活ありがとうございます。
    さて、『象棊纂圖部類抄』は最初に、「小象戯」縦横各九目、として現在の将棋と同じ初期配置図があげられています。これには駒の動き方を表す点や線がありません。「桂馬」の動き方は、現在と同じだろうと思います。
    次に、「中象戯」縦横各十二目、の図がありますが、「桂馬」はありません。
    次の、「大象戯」縦横各十五目、の図には、先生がおっしゃる「桂馬」について斜め上方左右に二つずつの点があります。
    先生のお考えですと、同じ「桂馬」でも「小象戯」と「大象戯」では異なる動きであったということでよろしいですか。

  • #3

    T_T (土曜日, 12 12月 2015 00:26)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    象棊纂圖部類抄の小将棋は、1443年の写本にも記載されていたもので、飛車角も配置されていた将棋ですので、この段階ではすでに現在の桂馬の動きだったと思います。

    本ブログにて問題にしたく思っていますのは、古代日本の桂馬の動きで、当時は大型将棋、小将棋(二中歴に記載された将棋)ともに、現代の動きとは違っていただろうと考えます。

    特に、大型将棋については、投稿180)にて書きましたとおり、その動きが直接に朱色の点で記載されており疑いの余地がありません。また、八方桂に類似する駒の動きが、他の将棋にもないことから、桂馬の着地点はななめ前の2目であることは確定としてよいでしょう。

    小将棋の桂馬の方ですが、確定とまではいきませんが、「かなり確か」ぐらいの言い方はできると考えます。古代・中世の文献に残る桂馬の動きは、二中歴だけにしかありません。桂馬前角超一目。この箇所は、ななめ前2目に進むとする読み方の方にかなりの分があるでしょう。これを現代の桂馬の動きとみる解釈の方法があれば、お教え下さい。

    いずれにせよ、古代の小将棋(飛車角のない小将棋)の桂馬が現代のものと同じであるとする積極的な根拠は、まだどこからも出ていないのではないでしょうか。桂馬という駒だから動きは現代の桂馬の動きだという思い込みがあって、動きについては、これまで深くは考えられていませんでした。この件、この投稿182)の続きとして、次の次の投稿184)に書く予定と本稿にも書いているのですが、投稿が遅くてすいません。その投稿で、平安将棋の桂馬の動きが、象の前方向の動きだった理由のひとつの考え方を、書く予定でいます。

  • #4

    mizo (土曜日, 12 12月 2015 02:14)

    >桂馬前角超一目。この箇所は、ななめ前2目に進むとする読み方の方にかなりの分があるでしょう。これを現代の桂馬の動きとみる解釈の方法があれば、お教え下さい。

    自説を述べるのはよくないのですが、ご依頼と考えて書きます。

    桂馬は前(まえ)の角(すみ)に一目(いちもく)超える

    前(A)の角(B)(二か所)に進み一目(A)超える(Aには止まれない)
    B_B
    _A_
    _駒_

    また、先生のお考えですと、こうなりますか?
    ①当初は象の動きしかなかった。
    ②途中で、小将棋のみ現在の桂馬の動きに変わった。

    ご研究の途中かもしれませんが、②の時期と理由について、どのようにお考えですか?

  • #5

    T_T (土曜日, 12 12月 2015 23:50)

    mizoさんへ
    コメントありがとうございます!

    上の#4で紹介していただきました「桂馬前角超一目」の解釈ですが、たぶん、間違っていると思います。(漢文の素人の私が言っても説得力はありませんが。。。)

    まず、前という漢字の意味ですが、前方という意味ではないでしょうか。たとえば、北を向いているとして、#4の解釈では、前=北だけと解釈していますが、北東も北西も北北西も前に含まれると考えます。

    同じ二中歴で飛龍の動きは、四隅超越とありますが、飛龍の着地点は4か所、前後のななめ2目であることに異論はないでしょう。四隅(=四角)のうち前の(=前方の)ふたつの角だけが桂馬の着地点となります。これを、前角超一目というふうに表現したわけです。

    チェス(西洋棋)やシャトランジ(波斯象棋)の中国語サイトでは、真っ直ぐに進む駒の説明に、「前」という言葉を使っていないことがその直接的な例となるように思います。「前」はすぐ前のマス目を表わすわけではないのです。以上の件がまず第一の難点です。

    次いで、#4の解釈を適用するとしても、一目を超すの「超」という漢字では、現代の桂馬の動き(いわゆる桂馬飛び)には不適です。前に進んで、それから角に進んだ位置に着地するという意味であれば、「飛ぶ」とするでしょう。「超」は、超す対象と着地点が一直線上にあるべきではと考えます。つまり、飛龍の動きです。ですので、「超」を使っている時点で、二中歴の小将棋の桂馬も大型将棋の桂馬の動きと同じと見ていいと考えています。

    以上の2点で十分と思いますが、さらに加えますと、仮に、上に例で、前=北のみだとしても、「前角」で、「前のマス目」に進んだ位置から「角のマス目」に進んだ位置、と解釈するのもおかしいように思います。というわけですので、#4の解釈、いろいろ難点ありです。こういうことを総合的に考えますと、#3のコメントに書きましたとおり、「この箇所は、ななめ前2目に進むとする読み方の方にかなりの分がある」ということになりませんでしょうか。

  • #6

    T_T (日曜日, 13 12月 2015 00:09)

    mizoさんへ

    #4の最後の方の1と2の件ですが、
    1)古代の桂馬は、桂馬飛びではなく、シャトランジの象の動きではないでしょうか。これは、小将棋でも大型将棋でもそうだったと考えています。

    ○小将棋(かなりの可能性で象の前方の動き)
    ◎大型将棋(確実に象の前方の動き。ただし、踊り駒かどうかはまた別問題です)

    2)どこかで変わったということになります。時期は、現代将棋が確立した時期あたりだと思います(室町時代です)。理由の方ですが、現状では、何を言っても空想になるでしょう。文献資料がありませんので。1点言えることは、小将棋が盛んになった理由として、持ち駒ルールの他、桂馬飛びの導入を加えてもいいのではと思っています。

    ここのコメントと関連する件(上の1の件です)、投稿184)にて書いています(今はまだ書いていませんが)。

  • #7

    mizo (日曜日, 13 12月 2015 02:45)

    『二中歴』該当部分についての先生のお考え、よくわかりました。

    また、「小将棋」について、「飛車/竜王」「角行/竜馬」が導入された時期(室町時代)に、「桂馬」の動きが、「象棋」の「馬」・「チェス」の「ナイト」に似た動きに変化したが、詳しい経緯は不明。といったのが、先生のお考えですね。

  • #8

    T_T (日曜日, 13 12月 2015 16:44)

    mizoさんへ

    桂馬の動きがなぜ変化したのかは、文献等の残された資料が全然ありませんので、すべて空想となります。つまり、何を言っても根拠のない話という意味では、不明と言っていいかも知れません(説はいろいろあるでしょうが)。持ち駒ルールになった理由と同じようなものでしょうか。

    しかし、桂馬の動きが今と昔とで違っていたという件は空想ではなく、根拠のある話です。将棋史の議論では、空想部分と事実の発掘部分とを混同させないことが重要と感じています。

    本文箇所にて書きましたように、桂馬の動きは、将棋伝来の件とも関わりを持ちます。マックルックと将棋との類似性を議論する場合、桂馬、象、馬の駒のことは軽視できないと考えます。

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