2018年

10月

20日

250)平安大将棋の駒の動き:二中歴が正確な資料であることの理由

摩訶大将棋と将棋史の解明は、今年も着実に進んでおり、本ブログに書くことは10項目分ぐらいは余裕でたまっています。その都度、メモのように投稿するのがいいのかも知れませんが、その前に、まずは、摩訶大将棋起源説(大型将棋から次第に小さな将棋になっていき、最終的には二中歴の小将棋が成立したという説)があともう少し研究者の皆さんに承認をもらってからと思っている次第です。従来の説(小将棋=平安将棋がはじめに成立しており、次いで平安大将棋ができただろうという説)か、上記の新説(摩訶大将棋起源説)か、どちらかとなったとき、多数決ではそろそろ新説が優勢という感じにはなってきています(贔屓目ですいません)。

 

ところで、もうしばらくしますと、原摩訶大将棋(ひとまず仮称です)のことを発表しますが、これはルールと強く関連する話しですので、発表中にはたぶんわかってもらえません。

遊戯史はルールの情報も歴史解明の大きな鍵になる点が特徴と言えるでしょう。ルールと関連するせいで全くわかってもらえなかった発表の例を、以下、本稿に書いておいて、来月の発表のときに参照していただこうと思います。

 

なお、摩訶大将棋にはあり、原摩訶大将棋にはなかったと思われる駒は、横飛、瓦将、提婆、無明の4駒ですが、この話題は来月の発表後にまわします。以下の話題は、夏前に発表した内容、大将棋(横15マス)から、駒を減らして、平安大将棋(横13マス)になったと結論できる論拠のひとつについてです。この結論を納得してもらうためには、大将棋の駒の動きのルールを全部きちんと知っている必要があります。短い口頭発表の時間では無理で、この話題は、ポスターセッション用、展示イベント用の話題でしょう。

 

さて、大将棋から平安大将棋へと変わったとき、31枚の駒が取り除かれています。なお、摩訶大将棋から大大将棋、摩訶大将棋から大将棋、平安大将棋から平安将棋への各プロセスでも、同じ31枚の駒の取り除きがあります。この共通の31という数だけでも十分な根拠なのですが、説明にはいくつかの分野が関連するため、本ブログだけでなく学会発表もまだ済ませていません。説明のときに拾遺和歌集にあるひとつの和歌が根拠となります。双六盤も根拠となります。31枚の駒は三条天皇(976 -- 1017)に渡された可能性もあるかも知れません。平安京の街路と摩訶大将棋の関係も少し前、本ブログにて多少書きましたが、ともあれ、摩訶大将棋が古い時代の将棋だったということは確かなようです。

 

土曜日の夜で、前置きくどくどと長くなりました。以下、本題です。二中歴に書かれた駒の動きで、盲虎、銅将、鉄将、横行の動きに疑問を持たれている方は、多数おられると思います。私も1年ほど前までは、二中歴の記述は正確ではないと考えていました。ところが、実は、正しかったです。ということの説明です。以下のリンクを是非ご覧下さい。

 

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2018年

8月

25日

249)ある空想2:原初の摩訶大将棋が交点置きだった可能性

中国の象棋が交点置きなのに、平安将棋がそうでない理由(マス目の中に置く理由)については、これまで様々に議論されてきたように思います。しかし、それらは、いったんご破算と考えるべきではないでしょうか。平安将棋が将棋の起源だったと考えるよりも、摩訶大将棋を起源だとする方が、いろいろな点で合理的、納得がいく多くの結果が出ているからです。

 

ところで、実は、摩訶大将棋が交点置きだったという可能性があります。個人的には、残念ながら、という気持ちが強いのですが、仕方ありません。摩訶大将棋は将棋の起源だと思われますが、さらに、大型将棋そのものも、日本が発祥ではなく中国起源だという可能性もあるでしょう。摩訶大将棋が交点置きだったとなれば、その傍証になるかも知れません。もちろん、交点置きだったとしても、大型将棋が日本独自という可能性もありますが、宝応将棋が多数駒を暗示している以上、むずかしいと考えます(宝応将棋の件についても、後日きちんと投稿します)。

 

さて、投稿246)では、大大将棋が交点置きだったという可能性について書きました。では、なぜ大大将棋だけが特殊で、交点置きなのかと思われた方もおられたかと思います。この点については、平安京についてのある学説が正しいとするならば、大大将棋だけでなく、摩訶大将棋も交点置きだったことを導くことができます。

 

平安京は、開設当初は、今伝えられている街路よりも、南北方向にひとつだけ少なかったという説があります。つまり、途中で、ひとつ増やされたというわけです。平安京はどんどんと衰退してその領域が狭まっていったのにもかかわらず、大路が北側にひとつ増やされたらしいのです。この説が関連の学会でどの程度支持を受けているのかは今論文を読みつつ情報収集中です。

 

この説に従えば、9世紀の後半までは、北は土御門大路(これが一条大路に相当)までしかなかったそうです。つまり、大内裏は、道ひとつ分だけ南北方向に短くなっています。そして、この場合、大大将棋の初期配置の理由づけが、投稿246)の図で説明したものよりも、さらに明解になります。ですので、私は、この説は本当なのだろうと思っています。逆に、大大将棋の初期配置が、この説のひとつの傍証にもなりそうです。

 

一番下に、9世紀前半の平安京と大大将棋の初期配置の一部を置きます。大内裏から南の方を見ています。歩兵が大内裏(宮城)の外側に並び、象棋と同じ配置になることを確認下さい(投稿246では、大内裏の端の位置に並んでいます)。また、前旗の駒の位置が、ちょうど朱雀門の位置と一致します。前旗が朱雀門にあるというのは、まさにそのとおりなのではないでしょうか。

 

ところで、この説のとおりだとすれば、南北方向にマス目がひとつ少なくなりますので、投稿245に示されたように、19マスの長さの摩訶大将棋の将棋盤を取ることはできません。しかし、もし、摩訶大将棋が交点置きの将棋だったとすれば、交点はちょうど19、つまり、この場合でも、摩訶大将棋の将棋盤は平安京の中に存在しているのです。そして、平安京の道がひとつ増えたとき、摩訶大将棋は、交点置きからマス目の中に置く将棋となった、そう考えるわけです。この考えによれば、摩訶大将棋は、道が増えた時期には、すでに存在していたと結論できます。「9世紀後半には、摩訶大将棋は存在していた」ということですが、いかがでしょう。ひとまず、「ある空想2」としておきます。

 

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2018年

8月

25日

248)ある空想1:近江八幡にある摩訶大将棋の将棋盤

少し前の投稿で、摩訶大将棋の将棋盤は、平安京の碁盤目を模したものだろうという考えを紹介しました(投稿245:将棋盤と平安京を参照下さい)。同じように、長安の碁盤目が象棋の将棋盤を、大大将棋の将棋盤も平安京を模したように見えます。これらは、単なる一致にすぎないと見るかどうか。むしろ、仕組まれたものとする方が自然ではないでしょうか。陰陽道に基づいた平安京と、陰陽道の神事である摩訶大将棋の盤がそっくりだったとしても、それほどおかしくはありません。

 

一方で、摩訶大将棋は、天変地異を鎮める呪術だったわけですが(たとえば、投稿208)大地震と摩訶大将棋投稿237)天変地異と摩訶大将棋)、おそらくは、大地震や洪水を鎮めるための遊戯だったのでしょう。摩訶大将棋の成立の時期、それと、再登場の時期も、大地震の時期と平安京と碁盤目から推定してみようという試みが、本投稿の主旨です。詳しくは、かなり広い分野と関係し長くなりますので、本稿では、まず、近江八幡の碁盤目のことから書いていきます。

 

平安京の碁盤目と一番よく似ている碁盤目の町は、近江八幡です。下の図をご覧下さい。何をもってよく似ているかということですが、それは、摩訶大将棋の将棋盤が浮かび上がっているという点においてです。北方に位置する八幡山城(大内裏に相当)が朱雀大路相当の道を見通しており、南北方向の区画数はちょうど19です。

 

さて、この碁盤目を設計したのは、秀吉か秀次でしょう。1585年11月に八幡山城の建設が始まり、1587年9月に城下町(つまり、碁盤目)が完成したそうです。秀吉は、これ以前にも、長浜の城下町を作っていますが、長浜は、平安京の碁盤目とは全然似ていません。長浜と近江八幡の重要な違いは、近江八幡が天正大地震(1586年1月)の直後に作られた町だということです。近々の投稿でゆっくりと書いていきますが、秀吉が天正大地震の直後から作り始めたものは、この他に、京都の大仏と聚楽第があります。それが、摩訶大将棋とどんな関係があるのかと思われるかも知れませんが、本稿、このあたりで置きます。

 

以下、近江八幡の碁盤目です。ご参考まで。近江八幡の碁盤目、京都の大仏、聚楽第が作られた理由は、通常の学説どおりかも知れませんが、そうではなく、この3つは全部同じ理由で建設が開始されたのかも知れません。つまり、「地震を鎮めるための呪術」です。本稿では、ひとまず、「ある空想1」としておきます。詳細また後日の投稿で続けます。

(西暦が間違っているとのご指摘をいただきました。ありがとうございました! 年の箇所、3箇所を修正しました:2018年8月31日)

 

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2018年

8月

14日

247)大型将棋の歩兵の間隔は4マス

投稿243)と投稿245)で、摩訶大将棋の将棋盤のサイズを横19マス縦16マスと書きましたが、説明の方をまだきちんとしていませんでした。本稿にて書きます。試遊をくり返していますが、19×19より19×16の方がゲームとしてもよさそうです(序盤が短くなりますが、これをどう見るかによります)。摩訶大将棋の以前の将棋盤は3盤作ってもらったのですが、また新しく発注を考えないといけません。

 

ともあれ、象戯圖にはきちんと「縦横各十九目」という文言が記載され、残っているわけですから、縦16マス説については、それなりの明解な根拠が必要となるでしょう。私としては、主観的には、長安から象棋の盤、平安京から摩訶大将棋の盤、大大将棋の盤が作られており、どれも定量的に一致しているということ、しかも、宮城と大内裏の位置と大きさも取り入れられているということ、それだけで十分なのですが、話しをしていて感じる限り、将棋史に無関心な人には十分でなさそうです。大大将棋の特殊性までがわかっていないと、根拠3点でなく、根拠2点だけとなるからです。

 

むしろ、はじめに挙げる理由としては、世界の大型将棋類からの、次の知見を挙げた方がいいのかも知れません。実は、今知られている世界の大型チェス、大型シャトランジのすべては、歩兵タイプの駒は、初期配置で4マスの間隔で並んでいます。図は示しませんが(Web検索にてすぐ確認可能)、次の将棋です。

 ・ドイツのCourier chess(横12マス・縦8マス)

 ・スペインのGrant Acedrex(横12マス・縦12マス)

 ・ペルシアのTamerlane chess(横11マス・縦10マス)

どれも、歩兵タイプの駒は、ちょうど4マスだけ間隔をあけて並んでいます。なお、Tamerlane chessには、仲人タイプの駒を加えたバージョンも存在しますが、この場合も、盤のサイズは変わらず、歩兵タイプは4マス間隔、仲人タイプは2マス間隔です。この間隔を、言わば、将棋類の世界標準と見るのです。なお、大型将棋類ではありませんが、

 ・中国の象棋(横9路・縦10路) ---> 歩兵タイプの間隔:2路

 ・ペルシアのシャトランジ(横8マス・縦8マス) ---> 歩兵タイプの間隔:4マス

であり、状況は変わりません。

 

象戯圖の摩訶大将棋を見れば、歩兵の間隔は7マス。大大将棋と大将棋は5マスで、平安大将棋は、縦横同数のマスだとすれば、7マスとなります。最前列の歩兵の間隔は、非常に重要なゲーム要素ですが、それを、将棋の進展に伴い変化させるのかという点、ご一考下さい。

 

そこで、摩訶大将棋の歩兵の間隔が、世界の大型将棋類と同じで、実は、4マスだったと考えます。すると、盤は縦16マスでなければなりません。摩訶大将棋の横19マス、縦16マスの将棋盤はこうして出来上がるのですが、その将棋盤は、平安京の街路のマス目とぴったり同じだったというわけです。投稿245)の図を参照下さい。

 

摩訶大将棋の将棋盤が、平安京を模したものだと見ると、次の点が、明解となります。

1)摩訶大将棋の成立した時期

2)将棋盤のサイズが順次小さくなっていった理由

これらの点、また別稿として投稿します。

 

ところで、中将棋は、歩兵の間隔は4マスで、かつ、盤は12×12の縦横同数となります。中世後半まで残った、この中将棋の正方形の盤が、他のおぼろげだった大型将棋の盤も正方形だとする間違いを生んだのかも知れません。大型将棋の横のサイズは伝えられた初期配置でわかりますが、盤の縦のサイズは伝えられなかったのでしょう。

 

 

2018年

8月

13日

246)大大将棋の将棋盤:平安京の街路を象棋風に使う

前稿245)将棋盤と平安京の補足です。まず、唐の長安の街路と象棋(シャンチー)のことを書かねばなりません。下の方に、長安の街路と象棋の盤の対応を示しています。いかがでしょう、このきれいな対応。実は、この件、もう4年前(2014年6月)になりますが、

投稿96)長安の都はシャンチーの盤:将棋と陰陽道

にて投稿しています。この頃は考察がまだあまり進んでいなかったようです。

 

同じ頃、平安京の碁盤目状と将棋の対応も考えていました。実際、

ラウンドテーブル「将棋の歴史について考える」

の発表のときに、将棋史関連の皆さんの前で、平安京の図面も見せたのですが、私含めて全員が、前稿245)の考えには行けませんでした。それは、平安京が長方形だからです。将棋盤は正方形という先入観がたぶん強すぎたのでしょう。

 

象棋の場合、街路と盤との対応は、河界で隔てられた部分までです。しかし、横9路と敵陣の縦5路の対応はぴったりです。また、象棋の将と士は、斜線のつけられた上部中央の領域(九宮)から出ることはできませんが、長安の宮城の領域が、ちょうど象棋の九宮に対応していることもわかります。象棋の盤は、全体で横9路、縦10路なのですが、敵陣と自陣、縦5路を、河界を隔ててつなぎ合わせたものになります。

 

さて、大大将棋の将棋盤と平安京の対応を、長安の図の下におきました。摩訶大将棋は、平安京の東西の端を最下段として使いますが、大大将棋では、南北の端を最下段として使っています。そう判断できる理由は、大大将棋の盤が大内裏(天皇、大臣、官僚がいる場所です)の領域を意識して使っているからです。このことは、将の駒の並び方からわかります。なぜ大大将棋だけ、将の駒が最下段にずらりと並ばなかったのか、答えは平安京にあったというわけです。また、駒は横に17枚並びますから、マス目(16マス)に置くのではなく、交点(17路)に置かねばなりません。

 

図では、駒を丸い形にしましたが、単にイメージです(まだ検討が必要)。天子のいる場所(宮城・大内裏)を意識している点では、象棋風と言えるでしょう。大大将棋には、東夷・西戎・南蛮・北狄といった中華思想を表す駒も含まれており、これもまた日本風ではありません。さらには、中国の向こう、ペルシアの将棋との繋がりを一番強く持つのも大大将棋なのです(この点は、また後日に)。では、大大将棋の将棋盤、一番下に置きました。

 

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2018年

8月

12日

245)将棋盤と平安京:摩訶大将棋起源説の傍証

摩訶大将棋が原初の将棋であることは、本ブログにていろいろな観点から書いてきましたが、今年になってからも、多くの進展がありました。その中でも、将棋盤のサイズの問題は、影響が大きい問題です。最近になって、本稿を強力に支持する材料も揃いましたし、先日の学会にてその件の発表も終わり、いちおうのスクリーニングも済みました(特に問題なしです)。本来は、強力な支持材料の方から投稿すべきですが、ひとつひとつが非常に長い話で、投稿に時間がかかります。それで、まず、投稿243)の将棋盤の件、直接的な根拠を書きます。平安京の町並み自体が摩訶大将棋の将棋盤であったという考え方です。

 

この考え方は、古代の将棋が呪術だったということを前提にしています。ですので、将棋を遊戯の観点から考えておられる方にとっては、すぐ賛同してもらえないかも知れません。これだけだと、偶然だろうと思われるかも知れませんが、実は、中国の将棋(象棋:シャンチー)も、将棋盤のサイズは、長安の都の町並みから来ているのです。どうして、こういう単純なことが今まで無視されてきたのだろうか不思議ですが、それは、文献に引きずられているということなのでしょう。摩訶大将棋は19×19マス、大将棋は15×15マスとはっきり書いてある、だから、それでOKと思っているだけです。しかし、どうも、象戯圖の記述は間違いです(間違いは多々あります。ご注意を)。

 

以下に、平安京の町並みの図を作りました。いかがでしょう。摩訶大将棋の将棋盤そのものと見れるかどうかが第一関門となります。横19マス縦16マスです。歩兵と歩兵の間隔は4マス、仲人と仲人の間隔は2マスで、世界の将棋類に共通です。この説明に加え、長安の都とシャンチーの関係も同じですということを挙げれば十分だと思っていたところ、先日の学会では、大型将棋を全くご存知ない方から、それだけでは無理というコメントをもらいました。ですので、この結論を納得してもらうためには、

1)摩訶大将棋起源説

2)将棋は神事であり呪術であること

の方を先に納得してもらわないといけないのだろうと思います。これまでの発表や論文で十分納得いただけると個人的には思いますが、まだ論文にしていない部分も、今後少しずつ投稿し、強力な援軍にしたく思います。31枚の謎や二中歴の解読は、呪術を説明する上で非常に大きいのですが、先日の発表では、駒の動きをきちんと把握している人でない限り、全くついて来てもらえませんでした。

 

ですので、本稿では、まず、大大将棋の将棋盤の話しから入ることにします。下の図(と長安の図も必要です)を見ていただくとわかるのですが、大大将棋の将の駒が最下段に並ばない理由がはっきりします。それと、大大将棋は、摩訶大将棋はじめその他の大型将棋とは違い、南北に対局者が座ります(摩訶大将棋は東西に座る)。つまり、古代の中国風です。たぶん、大大将棋の駒は交点に置かれているでしょう。一部の駒は一文字だったかも知れません。兵の出土駒などはその可能性があります。

 

本稿については、最終的には、31枚の話、二中歴の話、宝応将棋の話、摩訶大将棋の成りの話やルールの話しを順に聞いていただくことになります。実は、将棋盤が変わったこの機会に他のルールも改変しています。象戯圖の序文は、全然関係のない文章に思えても、実は将棋の駒のことやルールのことが書かれています。なかば暗号のような文章と言えます。

 

長く書くつもりはなかったのですが、長くなりました(説明を全然せずに)。ともあれ、下の図面をどうぞお楽しみ下さい。図は、きちんと設計された、当初の平安京の町並みです。ただ、平安京は、造営されて早々に、右京や下京の方から寂れていきます。平安京を模した将棋盤も、だから、次第に小さくなっていったわけです。説明少なくすいません。この件、また別に投稿します。

 

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2018年

7月

26日

244)大型将棋の縮小化:31枚の意味するもの

日本古代の将棋は、原初の摩訶大将棋から31枚単位で駒が減っていきます。下図に示されるとおりです。したがって、摩訶大将棋よりも小型の将棋では、古文書で伝わった将棋の他には、まだ見ぬ将棋、幻の将棋といったものは存在しないでしょう。では、31枚とは何なのか。これは、将棋の持つ呪術性から説明することができます。

 

なお、大大将棋は摩訶大将棋よりも後で成立しますが、駒の数は同数です。しかし、摩訶大将棋から31枚の駒を取り除き、31枚の新しい駒を追加していることに注意して下さい(猛虎等、同じ発音の駒は同じものとしてカウント)。問題は、最後の段階の平安将棋ですが、やはり、31枚を取り除いたのだろうと思います。つまり、平安将棋の駒数は37枚だった可能性もあるでしょう。その1枚だけあぶれた駒を、盤の上に置いたのかどうかです。その駒は酔象です。

 

以上の件は、もちろん、前稿243)で書きました大型将棋の将棋盤のサイズの問題とも関連しています。ここまできちんとしたシナリオのもとに、将棋が発展していったとは思いもよりませんでした。

 

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2018年

7月

24日

243)摩訶大将棋の将棋盤

摩訶大将棋の初期配置(横19マス・縦16マス)
摩訶大将棋の初期配置(横19マス・縦16マス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

摩訶大将棋の将棋盤のサイズについて、最近、新しい発見がありました。前稿では、19×19ではない可能性ありと書きましたが、可能性というよりはもっと断言していいものと思われます。摩訶大将棋の復刻は、もうこれで終わりこれで終わりと何度も思ってきましたが、また、今回、こういうことが起こりました。将棋盤も作り直さないといけません。コンピュータ摩訶大将棋も修正が必要です。上図はスクリーンショットから作っただけの図ですので、格子模様がずれています。つまり、筋違い角、筋違いマカツになります。これまでの摩訶大将棋の打ち方とは少し違ってきますので、ご注意のほど。

 

いちおう、各大型将棋の将棋盤のサイズは、以下のとおりです(もう、断言でいきます)。

 摩訶大将棋:19マス×16マス

 大将棋  :15マス×14マス

 平安大将棋:13マス×10マス

なお、平安将棋は、 たぶん、9マス× 8マスだろうと考えます。

 

この結論は、将棋の成立順や摩訶大将棋の成立時期とも連動しており、次のようになります。

将棋の成立順: 摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 平安大将棋 --> 平安将棋

摩訶大将棋の成立時期:9世紀後半(専門文献をまだきちんと当たっていませんが、10世紀よりも前だと思われます)

 

この件で発端となる論拠は歴史学からの1点のみですが、傍証が複数あり、それぞれが結論を支持していますので、これで間違いないだろうと考えます。そうだとしますと、大型将棋が次第に小さくなっていった理由は、当時の社会情勢が主な原因で、遊戯とは無関係だということになり、個人的にはがっかりしています。一方で、大型将棋のペルシアへの伝来問題、つまり、クイーンの起源の問題にとっては朗報です。

 

なお、象戯圖の摩訶大将棋の項には、縦横各19目と記されていますが、これは間違って伝わったものでしょう。研究当初は、古文書の記述を絶対的と考えていましたが、記述の間違いが多数あることもわかってきました。古文書の少ない遊戯の遊戯史研究では、文献学第一は問題かも知れません。ただ、これとは真逆な例になりますが、二中歴の大将棋の記述は、きちんと正しかったです。盲虎や鉄将や銅将の動きをあのように書いている資料は、さほど重要視しなくてもいいだろうと考えていましたが、全く間違いでした。あの動きで問題ありません。一方如此行方准之の箇所も解読できたかもです。

 

今週末の発表、何か楽しみです。どういう質疑応答になるのでしょう。

 

2018年

7月

21日

242)古代日本の将棋について(ご案内)

久しぶりの投稿となります。いただいていますお問い合わせメールにも未返信のままで申し訳ありません! 明日以降順次返信させていただきます。

 

以下、講演のご案内です。上手なトークになるかどうかわかりませんが、内容は最新の内容です。55分間の短い発表ですし、3000円の参加費もかかりますが、それでも、是非お越し下さいませ! と書かせていただきます。

 

ゲーム学会 第16回合同研究会

平成30年7月28日(土)12:30受付開始

13:00- 研究発表

15:35- 企画講演「古代日本の将棋について:遊戯とは何かを考える」 <--- これです。

場所:大阪電気通信大学 駅前キャンパス 1階 101室

https://www.gameamusementsociety.org/article.php?story=JRC_16

 

内容:次の3点をメインの話題にします。

1) やはり、摩訶大将棋が原初の将棋で、駒が順次落とされて平安将棋ができたようです。これまでにもいくつか根拠を提示してきましたが、これが決定打です。酔象が出土している理由もわかりました。

 

2) 平安将棋ができるひとつ前の段階は、平安大将棋ですが、ここに盲虎がある理由がわかりました。以前一度、二中歴はB級資料かも知れませんと書いたことがありましたが、そうではありませんでした。すごいと思いました。

 

3) 摩訶大将棋の将棋盤は19×19ではなかった可能性があります。

 

今作成中のスライドは、冒頭で、万葉集 --> 王梵志 --> 拾遺和歌集 --> ・・

と続きます。将棋とは関係のない無駄話のように思われるかも知れませんが、今回ここが必須で、拾遺和歌集のその歌がなければ、将棋史の解明は少し遅れたでしょう。なお、本発表は文学の話ではなく(むしろ文学以前というべき)、あくまでも学術的なスタンスです。空想は入っていません。

 

お待ちしております!

 

2018年

3月

31日

241)摩訶大将棋の駒は榧の彫駒

古代の出土駒は、今のところ、書き駒ばかりですが、摩訶大将棋の駒は彫駒だった可能性もあります。それと、駒の樹種は、榧だったのでは。そういう話を書きます。

 

(本稿、また後ほど書きます)

 

2018年

3月

30日

240)ボードゲームとしての Maka Dai Shogi

 

なにはともあれ、ひとまずアップロードしておきます。もちろん、研究室でデザインしたものではありません。ボードゲームクリエイターのNさんの作品です。今日、横浜の税関まで取りに行ってきました。盤、駒ともにアクリル製です。なお、上の写真では、盲虎と猛牛を他の駒で代用しています。摩訶大将棋のボードゲームの部分だけを抽出したものですが、呪術としての摩訶大将棋も十分感じとれるのでは。

 

もう1点、大きい写真も、下に置きます。

 

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2018年

3月

27日

239)桂馬と香車の由来:どう考えればよいか

日本における将棋の起源を平安将棋とみなした場合、いろいろな問題点があぶり出てきます。これについては、以前の投稿にて何回か取り上げてきました。たとえば、次の投稿にあります。217)将棋の起源に関する話題2017年12月1日

 

平安将棋に関する疑問点のひとつに、桂馬と香車の由来に関する問題があります。これらの駒に見られる、前後非対称な動き、弱い動きは、世界の将棋類から見ればかなり奇妙な動きなのです。他の将棋類には見当たりません。とは言え、日本で創生された独自の動きとも言い難いでしょう。

 

研究者諸氏は、この問題をどのように納得しているのかと言うと、よく知られている考え方は、「弱い駒」が伝来してきたのだろうという考え方です。たとえば、シャトランジ(古代ペルシャの将棋)には、八方桂に相当する駒、飛車に相当する駒があるのですが、もっと以前の時代には、そのような強い駒はなく、弱い駒が存在していたとするのです。その弱い駒が日本に伝来してきたのだろう、その弱い駒が桂馬(前にしか行けない八方桂)であり、香車(前にしか行けない飛車)だとするわけです。

 

そういう駒が伝来してきたのだから、桂馬や香車があっても疑問ではないとするですが、この考え方は疑問が生じる場所を日本から別の場所に移しているだけです。桂馬や香車と同じ動きをする駒が、古代世界のどこかにあったとする古文書はないからです(と言うのも、このような主張をする論文には、弱い駒が存在したという文献の引用がありません)。もともと桂馬や香車の動きをする駒があった、そう考えることにしましょう、だから、平安将棋に桂馬や香車の動きがあっても問題ない、こういう論理です。

 

上の論理がひとつの説だとすれば、以下の説は、もっと有力な説と言えるでしょう。平安将棋ができる以前に摩訶大将棋があった(摩訶大将棋起源説)ことを前提に考えれば、問題はなくなります。

 

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2018年

3月

25日

238)研究発表(呪術としての摩訶大将棋:陰陽五行との関連)

直前にアナウンスしてもとは思いますが、

ゲーム学会「ゲームと数理」研究部会 第2回研究会が

今日・日曜日、東京、五反田駅近くで開催されます。

www.gameamusementsociety.org/article.php?story=GameMath_2

 

ゲーム学会「ゲームと数理」研究部会 第2回研究会

日時:2018年3月25日(日)13:00〜15:00

会場:株式会社アーヴァイン・システムズ

 

数理というジャンルではありませんが、将棋史の発表もプログラムに入れてもらいました。

タイトルは、

呪術としての摩訶大将棋:陰陽五行との関連

私の発表時間は、13:30からの30分です。

研究会は2時間で、発表は4件あります。

 

聴講は自由です。会費も不要です。

以下に、発表概要の部分のスライドを置きます。

 

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2018年

3月

14日

237)天変地異と摩訶大将棋:隕石と玉と将棋と薬師如来

今年の1月、呪術としての摩訶大将棋のことを学会発表しています。そのとき、たいへん貴重な情報を教えてもらいました。このことは是非書いておかねばです。

 

古典籍文理融合シンポジウム

日時:2018年1月30日(火)~1月31日(水)

場所:国立極地研究所・国文学研究資料館 2階大会議室

主催:「天変地異と人間社会の変遷:言葉の在り方と世界の在り方」(2017年度 総研大 学融合推進センター センター長裁量支援研究)

https://aurora4d.jp/workshop/614/

 

「天変地異と摩訶大将棋 ―明月記と象戯圖の解読から―」

というタイトルで発表しましたが、発表のppt画面は、後日公開されることになっています。ただ、古文書の画像が多数含まれるため、まだ手続きがとれておらず、アップロードできていません。

 

発表は、時間も短かったですので、摩訶大将棋の復刻や大型将棋の成立順をほぼ省略し、摩訶大将棋に現れる呪術の部分、つまり、玉将=薬師如来説からはじめ、そこから、天皇の薬師悔過、天変地異を鎮める薬師如来のことを発表しました。類似の内容は、本ブログでも、断片的に投稿しています。たとえば、

214)洪水の発生と古代の将棋(2017年4月20日)、

210)薬師如来の呪力の一例:洪水を封じる(2017年3月18日)

208)大地震と摩訶大将棋:金銀銅鉄石土の駒ができた理由(2017年3月15日)

220)摩訶大将棋の地理の駒(2017年12月4日)、

204)将棋の桂馬と香車:薬師如来への供養(2017年2月7日)、

などを参照下さい。

 

さて、本題ですが、教えてもらった貴重な情報は、隕石落下に関する江戸時代の古文書に書かれた次の記述です。

 

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2018年

3月

13日

236)駒名が二文字である理由:陰陽五行(干支)からの帰結

前稿235)からの続きとなります。前稿では、宝応将棋が存在した可能性について書きました。自説ですから、どうしてもひいき目になりますが、次の仮説も正しいだろうと思っている次第です。将来何らかの文献学的または考古学的証拠が出てくるのかどうか。楽しみにして待ちます。

 

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2018年

3月

13日

235)宝応将棋の存在可能性:陰陽五行の観点から

宝応将棋は「玄怪録」の中の物語に登場します。将棋史に興味を持たれる方々には周知の事柄であるため詳細はWeb検索に任せますが、本ブログでも、かなり初期の段階から注目をしてきました。投稿27)投稿110)を参照下さい。以前の考えですので、ぽつぽつと間違いも見られますのでご注意のほど。

 

宝応将棋は、宝応象棋、宝応象戯と書かれることもありますが、本稿では、将棋との関連を重要視する立場ですので、宝応将棋と書きます。ところで、宝応将棋については、これが物語の中の記載であるため、歴史的事実とみることはできず、将棋史解明の資料とする根拠が薄いという指摘もあります。ただ、ごく最近、同じ唐の時代に、夢の中で盤双六を比喩した物語が見つけられており、その記述内容が、きちんと盤双六のルールの文学的表現となっていることが確認できます。やはり、盤双六のひとつひとつの駒が人に対応して話が進み、夢がさめて物語が終わるという構成です(まだ論文発行前ですので、発行後にこの詳細とりあげます)。したがって、宝応将棋も同様に、その当時存在したであろう「将棋」をなぞっている可能性が十分にあり得るのです。

 

こうした前提で、宝応将棋の記述からにじみ出る陰陽五行の話題を取り上げます。本稿、宝応将棋の存在可能性を示すひとつの根拠にできればと考えます。

 

宝応将棋の物語には、「六甲」という語句が現れますが、この六甲の解釈には諸説あります。しかし、これは、文字通りで、干支の60種類の並びのうちの6種(きのえ(甲)と十二支の組み合わせ)と考えていいのではないでしょうか。では、何が十干に対応し、何が十二支に対応するかということですが、これについては、残された物語自体が断片的ですので、ある程度は推定にならざるを得ません。本稿では、物語中から語句を拾い、語順にこだわり、ひとまずは、次のように考えてみました。もちろん、陰陽の区別は知りようもありません(字にはこだわらなくてもいいかもですが)。

 

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2018年

3月

11日

234)摩訶大将棋の陰陽五行:駒のグルーピング

陰陽五行に対応させた駒のグルーピング(一例)
陰陽五行に対応させた駒のグルーピング(一例)

右の図は、駒のグルーピングの一例です。ただ、実際どうであったのかを知るのはたぶん無理です。

 

摩訶大将棋の駒(表)の種類は50種類、成り駒(裏)は24種類あります(成金も1種類とカウント)。干支として60種類を選ぶことになりますが、その選び方はいくつかあり得ます。

 

駒(表)を、次のように、人の駒、獣の駒、踊り駒、走り駒に分けた場合、駒の種類は、それぞれ、12、12、12、14種類となります。

◎人の駒(12種類)

玉将・金将・将・将・将・将・将・・提婆・無明・仲人・歩兵

獣の駒(12種類)

酔象・盲虎・盲熊・猛豹・臥龍・古猿・蟠蛇・淮鶏。猫又・嗔猪・悪狼・老鼠

踊り駒(12種類)

師子・狛犬・鳳凰・麒麟・力士・金剛・羅刹・夜叉・飛龍・猛牛・桂馬・驢馬

走り駒(14種類)

奔王・摩𩹄・鉤行・龍馬・龍王・角行・飛車・竪行・横行・左車・右車・横飛・反車・香車

 

上図では、走り駒14種類のうち12種類を選んでいますが(横飛・反車を不採用)、走り駒を選ばずに、人の駒・獣の駒・踊り駒・人の駒(成り)・獣の駒(成り)を5グループに選んだ場合は、60種類の干支をきっちり揃えることができます。このあたり、結論は決まりません。しかし、陰陽五行の仕組みで持って、摩訶大将棋が設計されていることは感じていただけるのではないでしょうか。

 

念のための説明となりますが、陰陽五行と駒との対応については、以下のように考えています。

 

1)上図で、五行1〜5が、木火土金水のいずれかに対応することになります。たとえば、五行1が木だとすれば、陽の列の6駒が甲(きのえ)、陰の列の6駒が乙(きのと)に対応します。したがって、このように想定した場合、六甲に対応する駒は、玉将・金将・銅将・瓦将・仲人・無明ということになります。六乙は、歩兵、銀将、鉄将、石将、土将、提婆となります。

 

2)五行への駒の分類は、駒の名称(人の駒、獣の駒)または、駒の機能(歩き駒、踊り駒、走り駒)によっていますが、各五行での陰陽の割り振りは、駒が動く方向に注目します。個々の説明は、長くなりますから、次の3例のみ挙げておきます。

◎ 駒の動きが上下反転:金将と銀将、蟠蛇と淮鶏、臥龍と古猿、等で陰陽のペアとなる。

◎ 駒の動きが竪横と斜め:嗔猪と猫又、力士と金剛、飛車と角行、等で陰陽のペアとなる。

◎ 後ろへの動きの有無:銅将と鉄将、瓦将と石将、等で陰陽のペアとなる。

その他いろいろな対比パターンが考えられますが、単に陰陽に割り振っただけというのでもいいかも知れません。

 

以下、銀将、臥龍、嗔猪、老鼠、仲人の動きの変更についての考え方を書きます。ただ、陰陽五行からのアプローチだけで、動きの変更を確定させるのはむずかしいでしょう。この5駒の中では、銀将と臥龍については、変更してもOKだろうという程度です(つまり、駒の動き2018春版のところまでは変更してもOKではないか、ということです)。

 

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2018年

3月

11日

233)陰陽五行からのアプローチ:摩訶大将棋の復刻の方法論

摩訶大将棋の駒の動き方(陰陽五行を考慮した場合)
摩訶大将棋の駒の動き方(陰陽五行を考慮した場合)

 

上図は、陰陽五行を考慮した場合の駒の動きで、2018春版からは、さらに、仲人、嗔猪、老鼠が変更されています。この変更の理由は、前稿232)で挙げた銀将、臥龍の変更と同じ理由です。しかし、上図を2018春版として採用しなかったのは、摩訶大将棋の復刻のキーポイントとなった仲人の変更があるからです。もうかなり長い間、仲人は前後左右に歩く駒として対局をしてきました。それと、もっと重要な1点、文献学からのきちんとしたフォローがまだ見つかっていないという点も大きいでしょう(多少はあるのですが)。ともあれ、16日からの摩訶大将棋展2018では、この摩訶大将棋に仕組まれた陰陽五行のことは大きな話題のひとつでもあります。納得していただけるのかどうか。

 

呪術としての将棋を考慮していない将棋史の研究などあり得ないと最近は思っています。将棋を遊戯としてだけ捉えている限り、将棋史の解明は無理ではないでしょうか。

 

十二支があるのに、十干がなく、なぜだろうとずっと考えていました。しかし、実は、木火土金水の駒がそれぞれ12枚ずつ含まれています。その12枚の駒は、6枚ずつ陰陽2つのグループに分かれます。まさに「律呂」です。象戯圖の冒頭の序文を思い返してみて下さい。まず、天文の駒のことが書かれ、次に地理の駒のことが書かれ、その次に、陰陽、律呂のことが書かれています。象戯圖は、言うなれば、呪術の秘密を書いた巻物ですから、読み解けば、全部の文脈が意味を持っているのかも知れません。

 

陰陽は名称ではなく駒の動きで示されています。五行を形成するそれぞれの駒を、陰陽に分け、十干とし、十二支と組み合わす。このように、摩訶大将棋はいちからきちんと設計された将棋であるということが明らかです。そのことは、摩訶大将棋が小さな将棋から徐々に進化して出来上がった将棋ではないことを示しています。

 

最後に1点。歩兵と同じで、後ろに戻れない仲人、まだ試していませんが、遊戯としてもこちらの方が。

 

(もう少し書くかもです。とりあえずいったん置きます。)

 

2018年

3月

10日

232)摩訶大将棋の駒の動き方:2018春版

摩訶大将棋の駒の動き方(2018春版)
摩訶大将棋の駒の動き方(2018春版)

 

同じ話題は、投稿227)にて投稿していますが、中途半端な投稿になっています。それで、かなりだぶりますが、別観点も含めつつ、再度ある程度きちんと書くことにしました。上図は、投稿227)で2018冬版とした図と同じ図です。

 

参考とするのは、基本的には、象戯圖の摩訶大将棋の図ですが、延年大将棋の図も重要視するというのが発見のきっかけとなりました。延年大将棋の図の方を正しいとすることで、これまで持っていた疑問点がなくなり、摩訶大将棋に仕組まれた陰陽五行を見ることができます。ここしばらくは、この点について、きちんと説明していきます。

 

2014秋版からの変更点は次のとおりです(新しい解明がありましたのでルールも変更されていますが、本稿では、駒の動きの変更だけに議論を限定します。)。

1)蟠蛇(摩訶大将棋の図よりも延年大将棋の図を信頼)

2)提婆・無明(同じく、摩訶大将棋の図よりも延年大将棋の図を信頼

3)淮鶏(使用可能な歩き駒パターンから妥当な動きを選択)

4)銀将・臥龍(陰陽五行からのアプローチ) <--- 別稿にて後日解説します。

 

なお、2018春版では、4)までを取り入れていますが、コンピュータ摩訶大将棋には採用していません。対局にはほとんど影響しないということもありますが、十分に周知されている銀将の動きの変更を多少とも気にかけたということです(桂馬の動きが、現代将棋と大型将棋で違いますので、それほど気にすることもないのですが)。また、陰陽五行の観点からアプローチすることで、あと3駒、動きが変更となりそうですので、この変更を合わせて行いたいということもあります。(摩訶大将棋にまだ復刻の余地が残っていたとは思っていませんでした。)

 

まず、上記1)と2)から説明します。以下に置きました、2014秋版と上の2018春版の動きの全体を比べてみて下さい。

 

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2018年

3月

09日

231)プリンセス金魚杯予選:摩訶大将棋展2018 Spring

準備が大変遅くなってしまいました。

予選に参加いただける皆様、対局希望日時をお知らせ下さい。念のため、90分の時間確保をお願いします。ネットワーク対局の体験版をお送りします(接続のIPアドレスは、対局の直前にお知らせします)。

 

プリンセス金魚杯予選

日程: 予選:3月10日・11日・12日・13日・14日

R8:15日・16日  準決勝:17日  決勝:18日13:30(予定)

時間:平日は18:00〜23:00の時間帯。土日は12:00〜23:00の時間帯。

持ち時間:20分・秒読み30秒3回(数秒の時間誤差を見込んで下さい。秒読み20秒と考えていただいたら確実です)

参加費:無料

動作環境:adobe AIRのランタイム最新版がインストールされていること。

お問い合わせ先:takami@maka-dai-shogi.jp

 

今回、時間がなく、インストールのマニュアルが用意できていません。adobe AIRのランタイムや、インストール時のトラブルについては個別対応ができない状況です。どうぞご了承下さいませ。次回のトーナメント戦までには作ります。

 

ルール:

仲人:居喰いでしか取れません。

提婆・無明・教王・法性:互いに取り合いはできません。

玉将を取る他に、「奔王を出して勝」ルールも採用します(奔王が敵陣最下段から敵陣4段目までの間に入れば勝ち。ただし、敵駒の利きがないこと)。

 

とり急ぎ投稿します。(本稿、まだ追加・修正します)

 

 

 

2018年

2月

12日

230)摩訶大将棋展2018 Spring:2018年3月16日〜18日

摩訶大将棋展2018 Springのお知らせです。ひとまず、日程と場所を投稿します。

内容は、順次ここに書き加えていきます。

 

日時: 2018年3月16日(金)13:00〜18:00(初日は午後1時からです)

         3月17日(土)11:00〜18:00

         3月18日(日)11:00〜18:00

 

場所: 「ならまち村」ギャラリー(奈良市南市町14-1)

入場料: 無料

 

主催: 日本摩訶大将棋連盟

後援: ゲーム学会

協力: 大阪電気通信大学 高見研究室

お問い合わせ先: takami@maka-dai-shogi.jp

 

ポスター展示&解説:

 今回は3日間の展示です。時間は十分ありますので、学術的な解説もカバーできそうです。取り扱うテーマは、将棋の起源、大型将棋史、摩訶大将棋の復刻、呪術と摩訶大将棋、玉将=薬師如来説、大将棋の復刻です。

 解説の資料および題材として、将棋史に関するすべての論文(日本で出版された論文のみ)を揃えておきます。加えて、ほぼすべての将棋史関連書籍、ほぼすべての古文書(将棋史関連のみ)、出土駒に関する資料も持って行きます。資料のリストは、後日、本稿からのリンクにて論文名、書名等を一覧します。

 ポスター展示で興味を持たれる話題には、関連する論文や書籍を、その場ですぐ読んでいただけます。できれば、資料の全部を机の上に並べておきたいのですが、対局会もありますし、スペースが足りません。たぶん、いくつかの箱の中に入れておいて、その都度、スタッフの方からお渡しする形になると思います。

 

対局会:

 体験対局コーナーのほか、トーナメント戦(プリンセス金魚杯)の準決勝、決勝を行う予定です。準々決勝までは、ネットワーク対局(今回、はじめて採用)も取り混ぜて実施します。予選ができればいいかも知れません。勝ち上がりは、たぶん、関西在住のメンバーになると思いますが、もし、遠方の方が残る場合、準決勝、決勝もネットワーク対局で対応したく思います(来ていただくのも大歓迎です)。後日、本ブログにて日程をアナウンスさせていただきますが、摩訶大将棋をやり始めの皆様も是非ご参加下さい。

 

摩訶大将棋の駒将棋盤

 1)天童の駒師さんに書いていただいた黄楊の駒 & 杉の将棋盤

 2)コンピュータ摩訶大将棋 & 水平ディスプレイ

 

次の最近の話題も展示する予定です。次のブログリンクを参照下さい。

233)陰陽五行からのアプローチ:摩訶大将棋の復刻の方法論

234)摩訶大将棋の陰陽五行:駒のグルーピング

235)宝応将棋の存在可能性:陰陽五行の観点から

236)駒名が二文字である理由:陰陽五行(干支)からの帰結

237)天変地異と摩訶大将棋:隕石と玉と将棋と薬師如来

 

(更新履歴)

2018-02-16 開催時間を3日間とも18:00までに変更

2018-03-09 資料一覧の項(書籍・古文書)を追加(まだ追加します) 

2018-03-13 資料一覧の項(論文)を一部追加(まだ追加します) 

2018-03-14 最近の話題の項を追加 

 

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2018年

1月

20日

229)摩訶大将棋のイベント2(JR大阪駅前:グランフロント大阪)

前稿からの続きです。

 

対局エリア(摩訶大将棋:5対局、五目将棋摩訶:3対局)について

 

五目将棋摩訶は、将棋に近い、五目並べだと思って下さい。面白いです。摩訶大将棋がはじめての方は、走り駒の動きを覚えるために、はじめに五目将棋摩訶(19枚だけ駒を使います)を2回ほどしてから、摩訶大将棋の対局をされたらいかがでしょう。

 

摩訶大将棋の対局のルール

基本的なことは、会場で聞いていただくとして、以下、これまでに対局経験のある方に対してです。

 

○ 持ち時間20分、秒読み30秒3回。はじめての方は、20分だけ体験すると思っていただけたらと思います。たいていは、時間切れ負けになります。

 

○ 仲人は、居喰いでしか取れません。つまり、仲人がいるマスには、他の駒は進めません。

仲人が駒を取り、奔人に成った場合は、取ってよい駒となります。

 

○ 淮鶏、蟠蛇、無明、提婆の動きが変更となっています。対局にはほとんど影響ありませんが、お知らせです。

 

○ 麒麟と鳳凰は踊り駒です。3年ぶりで対局される方おられましたらご注意下さい。中将棋を知っているという人もご注意を。

 

○ 師子は居喰い(隣接するマスにいる敵駒を動かずに取る)で、2枚の駒を同時に取ることができます。狛犬は3枚同時の居喰いができるというルールにしています。この点、疑問をお持ちでしたらお尋ね下さい。

 

○ 無明、法性、提婆、教王は、互いに取ることができません。

 

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2018年

1月

20日

228)摩訶大将棋のイベント1(JR大阪駅前:グランフロント大阪)

直前での紹介になってしまいましたが、明日出かける直前に確認される方もおられるかも知れませんので、概略を投稿します。アナウンスがいつも遅くてすいません。

 

展示エリアでの解説(パネル15枚、古文書2点、天童の駒師さんに書いていただいた摩訶大将棋の駒を用意しています)

解説の要点は次のとおりです。私が対局中でしたら、30分〜40分ほどお待ちいただけますでしょうか。

○ 摩訶大将棋の復刻について:

実例の紹介、古文書の読み解きを解説いたします。非常に多く、時間もかかりますが、興味をお持ちでしたら全部説明いたします。遠慮なくお声がけ下さい。

 

○ 将棋の起源について:

大型将棋、小将棋(平安将棋)を含めて、成立順を検討します。結果は、摩訶大将棋がどうも最初に作られたようです。たいていの人には賛同してもらえていますので、論理的に妥当なのだろうと思います。絶対の根拠というのは、きちんとした文献がありませんので、むずかしいですが、小さな根拠が多数あり、それらが全部、同じ結論(=摩訶大将棋が起源)の方を向いていますので、たぶん、この結論が逆転することはないのではという予想です。

 

このテーマ、反論はまだどなたからも出されていません。これは、これまでの仮説(平安将棋が起源)が、何かの根拠に基づいたものではないということによります。まず、これまでなぜ、小将棋が起源だと思われてきたのかを説明した後、その説明をひとつづつ崩していきます。会場にて、直接にディスカッションいただけるのもとても有難いです。最近、古文書だけでなく、出土駒からのアプローチも始めていますが、こちらの方も、矛盾がでていません。はっきりとした結論はまだ無理だとしても、大型将棋は、将棋の起源や伝来の考察の際、無視してはいけない、というのは確かな結論でしょう。

 

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2018年

1月

20日

227)摩訶大将棋の駒の動き方:2018冬版

摩訶大将棋の駒の動きについては、投稿117)にて、2014秋版ということで投稿されています。本稿の2018冬版では、6つの歩き駒が変更されています(正しい動きに変更しました、ということです)。次の駒です。

 蟠蛇、淮鶏、提婆、無明、臥龍、銀将

現時点では、このうち、臥龍と銀将を除く4駒の変更が、アドバンスド摩訶大将棋でも使われています。対局観は、2014秋版と2018冬版とで全く変化なしと言ってよいでしょう。摩訶大将棋では、強い走り駒、踊り駒が多数ありますので、歩き駒の動きがいくつか変わったぐらいでは、全く影響ありません。

 

それよりも、正しく復刻されたことによって、大型将棋の起源=摩訶大将棋であることが、より明瞭になったと思います。駒の動きは、次のとおりです。2014秋版と比べて見て下さい。

 

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2018年

1月

19日

226)平安将棋の銀将の動き

前稿の補足です。右図のペア5組を、陰陽五行の駒としているわけではありません。

 

右図のペア5組は、前後の動きが逆になるもの4組、左右の動きが逆になるもの1組です。これらのペア5組は、初期位置の並びから、動きを知ることができます。たとえば、淮鶏と蟠蛇、臥龍と古猿、これらの横並びの駒は、ペアの動きとなるように仕組まれています。

 

横並びの金将と銀将、金将はななめ後ろに進めませんが、銀将はその逆で、ななめ前には進めません。さて、とある二中歴の写本が見つかり、「銀将不行左右上」と書かれていることがあったりするでしょうか、どうでしょう。

 

古代日本の将棋では、桂馬の動きが今とは違うわけですが、さらに、銀将の動きも違っていた可能性がありそうです。

 

2018年

1月

18日

225)摩訶大将棋の陰陽五行

短くですが、書きます。

摩訶大将棋が起源の将棋であること、将棋の成立順のこと(摩訶大将棋-->大将棋-->平安大将棋-->平安将棋)が、固まりつつあるわけですが、かなり長い間、1点だけ、解けずにいた疑問がありました。摩訶大将棋に含まれる陰陽五行のことです。摩訶大将棋が、古代日本の呪術である限り、十二支と同じように、陰陽五行が含まれないと、おかしいわけですが、何がそれに相当するのかというのがわからずにいました。

 

今週末、グランフロント大阪で、摩訶大将棋の展示・対局会をするのですが、ネットワーク対局版の配布と並ぶ、大きな発表はこの陰陽五行のことです。ただ、パネルが間に合うのかどうか。。。

 

いちおう、図面だけ付けておきます。いくつか歩き駒の動き(淮鶏、臥龍、無明とかです)が違うと気づく人は、20人ほどしかいない思います。ただ、動きはこれで確かです。理由は長くなりますので、後日書きます。そういう人でも、銀将の動きの方は、間違っていると言うでしょう。が、正しいと思います。この件、陰陽五行の副産物です。

 

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2017年

12月

10日

224)仲人は取ることのできない駒(3)

今日も引用です。

 

------(以下、引用)

図2に,摩訶大将棋の中盤の盤面例を,コンピュータ摩訶大将棋の盤面を使って示した。仲人は師子や狛犬が近傍にいない限り取られることはないため,図の盤面では,先手の仲人が積極的に前方に進んでいる。仲人は,主に,敵の走り駒の動きを制限するために使われることになる。仲人のルールが新しく追加された結果,摩訶大将棋がより豊かな面白さを獲得するのか,または,逆に面白さを減らすことになるのかは,実際の対局によってのみ知ることができる。

 

図は,先手Sf桂馬と進めた場面であるが,これは先手の失着であり,後手Sf 無明成り(法性に成る)とすれば,後手の法性が確定する。

 

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2017年

12月

07日

223)仲人は取ることのできない駒(2)

また引用です。

 

------(以下、引用)

仲人は取ることができない駒である。これは,我々が提案した新しいルールなのではなく,古文書の解読から得られたルール,大型将棋の復刻の結果である。平安時代では,そのようなルールで対局されていたと見る。ただし,このような駒は,現代将棋にも世界の他の将棋類にも見当たらない。見当たらないという点では,飛び越した敵駒を取ることができる「踊り」や,動かずに敵駒を取ることのできる「居喰い」も同様で,世界のどの将棋類にもない,独特の機能なのである。古代日本の大型将棋は,日本において独自の発展を遂げたものと考えてよいであろう。

 

「仲人は取ることができない」というルールのもとで,数カ月間試験対局をくり返し,検討を重ねた。その上で,遊戯という観点からも妥当なルールであると判断した次第である。なお,仲人のこのルールは,摩訶大将棋の戦法の幅を大きく広げる結果となったことも付記しておきたい。

 

2017年

12月

06日

222)仲人は取ることのできない駒(1)

今日も引用です。ただ、本ブログでも、次の投稿で関連の考察をしています。

172)再考:仲人の駒の謎2015年11月3日

初期の頃の考察です。さらにご興味おありの方は、次の投稿も参照下さい。3年前の投稿、センチメンタルかも知れません。この頃が初出です。

 

116)仲人の駒の謎:象棊纂圖部類抄より2014年10月20日

117)摩訶大将棋の駒の動き方:2014秋版2014年10月24日

 

最近の投稿(218:詰め大将棋)でも書きましたが、今は、摩訶大将棋、大将棋とも、仲人は居喰い以外では取ることができないルールで対局がなされています。

 

------(以下、引用)

象戯圖の中将棋の記述箇所,仲人の項に,次の注釈が書かれている。

  不行傍立聖目内

  或説云居喫師子許也

  鳳凰仲人等行度如大象戯

文献[4]では,この注釈部の解読から,仲人の動きが復刻された。その要点を述べると,象戯圖の中将棋の記述箇所は,中将棋のルールの中で注意すべき点だけを列挙したものだと考える点である。

 

さて,本稿において注目するのは,「或説云居喫師子許也」の記述である。「ある説によれば,師子で(仲人を)居喰いすることが可能」,と書かれている。「或説云」という記述は,ある説以外の説が主流であるという前提でなければならない。つまり,「居喫師子許也」の意味としては,通常では,師子は(仲人を)居喰いができないが,ある説によると,居喰いができると言っているのである。

 

師子が居喰いできるのは当然のことで,では,なぜこのような記述がなされているのか。問題は師子ではなく,仲人の方にあると考えればよい。

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2017年

12月

05日

221)奔*の駒:鶴岡八幡宮からの出土

今日もまた引用となります。投稿215)で書きかけのまま続きを書いていなかった話題です。それから半年もたってしまいました。奔*の駒が、なぜ大将棋の復刻の正当性を裏付けるのかは、また後日に書きます。長くなる話です。

 

------(以下、引用)

表2で奔*と記載した駒は、駒の上部に「奔」の字の上部3分の1ほどが残されていた駒である.ただし,将棋史に関するすべての論文や単行本で,この駒は香車だと考えられている.出土駒の資料集[6]には写真とスケッチの掲載があるが,不明瞭のため判別はできない.原論文[7]に明瞭なスケッチがあり,これから香でなく奔と解読すべきことがわかる.この駒がなぜ香車とされてきたかについては不明であるが,その理由としては,1)駒の形状が細長いこと,2)奔と香の字体の類似,3)当初中将棋の駒とされ,大将棋は候補から除外された点等が挙げられる.形状と大きさからは,奔王と見ることはできず,成り駒の「奔*」の上部が残されたのであろう.この出土駒は,大型将棋の成立順およびそれから導かれた大将棋の復刻[4]の正当性を裏付けるものだと考える.

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2017年

12月

04日

220)摩訶大将棋の地理の駒

引き続き、また引用です。本稿は今日書いたものではありません。地理の駒の話ですが、以前の投稿208)投稿209)投稿210)でも取り上げています。

 

------(以下、引用)

摩訶大将棋を将棋の起源とする考え方で,直観的に最もわかりやすいのは,各将棋の最下段に注目することである.図1に示されるとおり,各将棋の最下段の右側の並びは次のとおりである.

 

玉無金銀銅鉄香: 摩訶大将棋

玉金銀銅鉄桂香:   大将棋

玉金銀銅鉄桂香:    平安大将棋

玉金銀桂香:      平安将棋

 

平安将棋が起源であり,玉金銀が財宝あるいは仏教由来だとするのであれば,将棋が大きいサイズへと順次発展していったときに,銅と鉄を加え,石を加え,瓦と土を加えるという発展の仕方は考えにくい.当初の趣旨とは異なる駒名を追加し,しかも,より弱い駒を追加することで新しい将棋を作っていることになる.逆に,原初の将棋にはもともと,玉金銀銅鉄瓦石土の駒,つまり,地面の下の駒がずらりと並んでいる方が自然であろう.象戯圖の序文冒頭では,これらを上段にある天文の駒と対比させて,地理の駒と称している.

 

では,原初の将棋に地理の駒を並べた理由は何だったのか.この答えに,将棋が呪術であったことの一端が見える.地理の駒は地面を鎮めるための呪具,将棋を用いて大地震鎮圧を祈り,洪水を鎮めようとしたのである.

 

2017年

12月

03日

219)摩訶大将棋の展示・対局会:2018年1月21日(日)    (JR大阪駅前:グランフロント大阪にて開催)

少し早いですが、摩訶大将棋の展示・対局会のお知らせです。ひとまず、日程と場所を投稿します。内容は、順次ここに書き加えていきます。

 

日時:

2018年1月21日(日)11:00〜18:00

場所:グランフロント大阪ナレッジキャピタル アクティブスタジオ(北館2F)

 

展示:

摩訶大将棋の復刻に関するパネル・将棋の起源に関するパネル

詳しくは、投稿228)を参照下さい。将棋史マニアの方にも、将棋史をはじめての方にもおすすめです。将棋史のパネルを作ることができませんでしたが、パネルなしで説明いたします。

 

対局会:

詳しくは、投稿229)を参照下さい。) 

アドバンスド摩訶大将棋:4セット

将棋盤と駒:1セット

五目将棋摩訶:3セット

 

 

2017年

12月

02日

218)詰め大将棋

本投稿も書き下ろしではありません。学会の論文集からの引用です。大将棋の復刻を解説せずに、先に大将棋の詰め将棋を投稿するのは順序として逆ですが、ルールについては、たとえば、以前の投稿196)や投稿197)、投稿172)を参照下さい。現時点では、大型将棋の復刻は、摩訶大将棋と大将棋についてはほぼ完了と考えています。

 

------(以下、引用です)

作品例を以下の図に示した.作品1(左図)では,初手▲Cc師子として仲人を取ることはできない.仲人を取る手段は師子の居喰いだけであることに注意されたい.初手▲Cb師子または▲Cd師子は,奔金が利いているため成立しない.初手▲Dd師子居喰い(仲人を居喰い)が正解である.仲人が取られることで横行の横の走りが利いて,空き王手となる.

 

作品2(右図)にもあるように,大将棋では,鳳凰は奔王に成る.一方,摩訶大将棋の鳳凰は狛犬に成ることに注意したい.摩訶大将棋では,麒麟-鳳凰の一対の駒は,それぞれ,師子-狛犬といった一対の駒に成る.大将棋でこうした対応が崩れていることは,大将棋が摩訶大将棋から駒を落として作られた将棋であることを示すものである.大将棋では,師子のペアだった狛犬が落とされたため,鳳凰の成り先が奔王に変更された.

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2017年

12月

01日

217)将棋の起源に関する話題

だいぶ日が開いてしまいました。以下、書き下ろしではありませんが、投稿します。

先月の学会発表分の予稿から、一部をそのままコピーしたものです。

 

------(以下、引用です)

図1に日本の古代から中世にかけて存在した5つの将棋を示した(この他にも,大大将棋,延年大将棋等が知られている).このうち,中将棋は他の4つの将棋よりも後に成立した将棋であるというのが通説で異論もほとんど出ていない.しかしながら,残る4つの将棋については,現状,その成立順についての考え方が大きく2分している.つまり、将棋の成立順については,

 A)平安将棋→平安大将棋→大将棋→摩訶大将棋

 B)摩訶大将棋→大将棋→平安大将棋→平安将棋

という2つの説がある.Aは起源となる将棋が平安将棋であることを,Bは起源となる将棋が摩訶大将棋であることを主張する.ここでは,仮に,Aを平安将棋起源説(以下,A説),Bを摩訶大将棋起源説(以下,B説)と呼ぶことにする.我々の研究グループはB説の立場に立っており,これまでいくつかの学会発表,論文発表を重ねてきた.本稿では,対立するA説の妥当性および疑問点をまず要約した上で本論に入っていきたい.

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2017年

7月

02日

216)摩訶大将棋展2017summer:札幌(お知らせ)

前稿215の続きをまだ書いていませんが、1件とり急ぎ、お知らせの投稿です。

摩訶大将棋の展示会を北海道で初めて開催します。次のとおりです。

 

摩訶大将棋展2017summer:札幌

日時:7月6日(木)14:00-20:00

主催:日本摩訶大将棋連盟  後援:ゲーム学会

場所:わくわくホリデーホール(札幌市民ホール)2階第6会議室

札幌市中央区北1条西1丁目

地下鉄大通駅下車・31番出口正面

http://www.sapporo-shiminhall.org/access/

お問い合わせ先:takami@maka-dai-shogi.jp

 

概要:摩訶大将棋の将棋盤と駒、コンピュータ摩訶大将棋、大型将棋史の解説パネルを展示します。摩訶大将棋は古代日本で創案された大型将棋のルーツですが、最近では、現代将棋のルーツである可能性も検討され始めています。摩訶大将棋の対局体験コーナーも設けていますので、ご自由にお楽しみ下さい。

 

初めての北海道開催ですので何人ぐらいの入場者となるのか見通しがつきません。前日までに会場に来られる時間をご連絡いただきましたら、その時間に直接私がご対応・ご説明させていただきます。なお、翌日にも将棋史の談話会的な集まりを予定しています。将棋史愛好家の皆様とより詳しい意見交換を持てればと思っています。次のとおりです。

 

ゲーム学会ゲームとーくかふぇ「将棋の歴史を考える」

日時:7月7日(金)16:30-18:30

場所:札幌駅前ビジネススペース ミーティングルーム:2G

札幌市中央区北5条西6丁目1-23  第二北海道通信ビル2階

JR札幌駅西口・徒歩5分

http://sebs.pw/access.html

 

概要:日本将棋の起源と伝来についていろいろと談話できればと思っています。将棋史愛好家の皆様とのんびりとしたミーティングの場を設けました。どうぞお気軽にお越し下さいませ。次の資料2点を用意しています。

 1)象棊纂図部類抄(1592年)、諸象戯図式(1696年)

 2)資料集:天童の将棋駒と全国遺跡出土駒

 

2017年

5月

20日

215)大型将棋の成立順:考古学からの検証

大型将棋の成立順については、本ブログの投稿では、ほぼ全部が文献学、歴史学の観点からの考察となっています。しかし、得られた結論は、考古学の知見と照らし合わせても矛盾はありません。この点、一度まとめておかないといけませんので、本稿、これをテーマに書きます。物理学で言えば、理論を実験で検証するというプロセスです。

 

本ブログで得られた最重要の帰結は、摩訶大将棋が薬師信仰に基づく呪術としての将棋であるということです(※1)。だとすれば、摩訶大将棋は、天皇あるいは上皇の薬師悔過の際に用いられた将棋である可能性が高いと考えます(※2)。これらの結論は、ここまでの投稿にて何度も議論されてきたとおり、将棋の駒の名称や配置、機能によく現れています。また、薬師信仰が将棋の中にきちんと反映されていること自体、摩訶大将棋が起源の古い将棋であることを示していると言えるでしょう(※3)。

 

以上のことを前提にすれば、平安将棋や平安大将棋も、摩訶大将棋よりも後に作られた将棋であると考えるのが非常に自然です。私自身も当初は、そういうことを予期してはいなかったのですが、投稿212)で列挙したキラークエッションは、いつも疑問点として残っていました。それらのキラークエッションは、従来のどの説からも答えを導くことはできませんが、摩訶大将棋を日本将棋の起源と考えたときには、ほぼ説明がついてしまいます。この際、各クエッションに対して個別に、別個な考え方から答えが出せるのではなく、全部に統一的に、ひとつの仮説だけから答えを提示できるという点に注目して下さい。

 

金将や銀将が変な動きのルールをもつ理由と、金将銀将の由来は、同じところから来ています。それどころか、最古の出土駒の中に酔象が存在すること、桂馬や香車の由来、歩兵が3列目に並ぶこと、成りのルールの理由等、やはりすべて同じところから説明可能です。これ以外にも、いろいろな点が、すべて同じ結論(=摩訶大将棋が最初の将棋であるということ)へと向かうため、本ブログの考え方でたぶんいいのだろうという気がしています。賛同していただける方も増えてきました。一方で、答えに窮する反論はまだひとつもありません。

 

前置きが長くなりました。本題ですが、考古学からの検証としては、まず、鶴岡八幡宮の出土駒を挙げねばなりません。この出土駒については、ほぼ3年前の投稿になりますが、投稿56と投稿61(摩訶大将棋のブログ_02)にて話題にしています。当時の投稿は、ある点は正しくある点は間違っています。本ブログは、研究室で摩訶大将棋をテーマにした最初のときから書いていますので、後から読み返せば、はじめの頃は単純な間違いも多いのですが、古文書の解読で1点づつ掘り起こすたびに、正しい方向へと軌道修正されています。大筋はあまり変わっていません。

 

※1)薬師如来の駒、十二神将の駒、供養の駒、呪術関連の駒の存在からです。

※2)天変地異の鎮圧を祈願する将棋ということになります。

※3)阿弥陀信仰が広まる9世紀後半までに成立した可能性大です。

 

すいません。少し長くなりすぎましたので、また明日、続きを書きます。

 

(2017.05.20 23:30) 

2017年

4月

20日

214)洪水の発生と古代の将棋

日本将棋の起源には諸説があり、まだ結論には到っていません。もちろん、本ブログの説も諸説の中のひとつであるわけですが、個人的には、この説の方向で大きな間違いはないだろうと考えています。

 

つまり、二中歴の平安将棋以前に、すでに大型将棋(摩訶大将棋、または摩訶大将棋に類似の将棋)が存在していたという考え方です。この考え方の根本には、

 1)玉将は薬師如来

 2)大型将棋の対局は遊戯神通

という2点が大きな位置を占めています。古代の将棋が薬師信仰に基づく呪術であると同時に遊戯でもあったということ。本ブログの説の可否は、これを受け入れるかどうかだけです。

 

投稿212)にて、将棋の起源に関するキラークエッションのいくつかを挙げましたが、関連していくつかの問い合わせをいただきました。去年の秋の東京ゲームショウでの問い合わせにも返事を出せていない状況ですので、きちんと返信はできていないのですが、いただきましたご意見は議論の開始点が大きく違っているように思います、というのが感想です。

 

大型将棋を考慮しない議論の中で、はたして日本将棋の起源考・伝来考があり得るのだろうかという点が、まずあります。また、古代の将棋を遊戯としてだけ捉えて、遊戯の観点だけから古代将棋史の議論を進めていくのも問題だろうと考えます。

 

さて、明月記の将棋の記述箇所(正治元年五月)で、同じ月に京都で洪水が起こっていたこと、この件については、投稿208)や投稿210)に書きました。本稿にて、もう1点指摘しておきたく思います。実は、台記に記述されている大将棋が対局された月(康治元年九月)にも、やはり京都で大きな洪水が起こっています。この2つの将棋の対局は、後鳥羽上皇、崇徳上皇の薬師悔過であったと考えます。洪水鎮圧という薬師如来の将棋が持つ威力に頼ったことの現れでしょう。洪水と薬師悔過については、投稿210)の文献を参照下さい。

 

(2017.04.20 23:50)

2017年

4月

15日

213)摩訶大将棋の論文

あとしばらくで別刷が届きます。次の展示から配布予定です。最後のまとめの節(第9節)だけ以下に紹介します。タイトルは摩訶大将棋の復刻、18ページの論文です。

 

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9.まとめ

 摩訶大将棋は,平安時代に創案された日本独自の大型将棋である.摩訶大将棋を現代にまで伝えたのは,1592年に写本された象戯圖であり,象戯圖がなければ,摩訶大将棋の復刻は不可能だったと言える.しかし,象戯圖には,摩訶大将棋のルールが明確に書かれているわけではない.本稿で詳述したとおり,象戯圖に書かれている情報は少なくかつ断片的である.ただ,幸運なことに,情報は少ないものの復刻するにはぎりぎり足りていて,まるでパズルを解くように摩訶大将棋の復刻ができた次第である.

 

 本論文では,象戯圖の記述に基づき,遊戯としての摩訶大将棋の復刻を試みた.復刻により掘り起こされたルールは,その都度,試験対局に附し,その妥当性を確認した上で採否を決定している.成りのタイミング等,部分的にはまだ明確でないところもあって,復刻は今も続けられているが,現段階の復刻でも十分に摩訶大将棋は再現できているものと思われる.それは,摩訶大将棋の対局が非常に面白いということからも言えるのである.面白くなければ,長い年月を古文書に残されて綿々と伝わることもなかっただろう.

 

 対局時間の長さが問題視されることも多いが,最近よく使われる持ち時間設定(持ち時間:20分,秒読み:30秒3回)では,1時間以内で勝負が決まる.一般に想像されているよりも実際の対局時間はずっと短い.この点は強調しておきたい.摩訶大将棋には,現代将棋では考えられないような強い駒,鉤行や摩羯,師子や狛犬,法性や教王があるため,攻めも早く豪快である.盤面が大きいために,致命的な悪手を気づかず指して早々に負けてしまうことも少なくない.対局時間の予想外の短さはこうした要因による.

 

 最後に,本稿ではほとんど取り上げなかったが,遊戯ではない摩訶大将棋のことも書いておかねばならない.古代日本では,たいていの遊戯は,遊戯であるとともに神事でもあった.したがって,摩訶大将棋の復刻は,遊戯の部分だけでなく,遊戯ではない部分の復刻が必然的に付いてくる.そして,摩訶大将棋の場合,この遊戯ではない部分もまた非常に興味深い内容を持っている.これについては,次の論文に譲りたい.

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(2017.04.15 16:30)

2017年

3月

30日

212)将棋の起源に関するキラークエッション

キラーアプリケーションという言葉があります。決め手となる重要なアプリケーションのことですが、同じような意味合いでキラークエッション(決め手となる重要な質問)と呼んでみました。

 

将棋の起源を論じる際、キラークエッションに対してどのような答えを返すことができるかで、それぞれの仮説の正否や論理性がある程度は判断できるだろうと思います。以下に、平安将棋を題材としたキラークエッションを並べてみました。自説をお持ちの皆様、いかがでしょうか。

 

1:世界の将棋類を見れば、玉将に相当する駒は、たいていの場合、king(王)である。平安将棋では、玉将という名称が採用されている。どう説明するか。

 

2:金将、銀将、桂馬、香車の名前の由来は何か。

 

3:歩兵はなぜ3列目に並ぶのか。世界の将棋類では、歩兵相当の駒は2列目に並ぶことが多い。

 

4:酔象の駒が、11世紀に出土している。一方、二中歴(12〜13世紀)に記載される将棋には、酔象の駒は登場しない。この点をどう説明するか。

 

5:世界の将棋類では、駒の動きは、前後にも左右にも対称の動きをする。ところが、平安将棋の金、銀、桂、香は前後非対称の動きである。たとえば、ななめの4方向だけに動く駒が、平安将棋にはない。創案当初の将棋にこのような基本的な動きの駒がない理由をどう説明するか。

 

6:世界の将棋類との比較では、平安将棋の成りは特異である。歩兵、香車、桂馬、銀将は、敵陣に入った時点で、金に成る。このルールが成立した経緯をどう説明するか。

 

ところで、本ブログでは、将棋の起源は摩訶大将棋であるとの立場です。仏様神様が将棋を遊戯神通するわけですが、その道具立てが摩訶大将棋の盤と駒ということになります。このとき、玉将の駒は薬師如来に相当し、将棋を遊ぶことは、たとえば、天変地異鎮圧の呪力を引き出すための祈願に相当しています(と考えています)。遊戯神通については投稿207)を、薬師如来と摩訶大将棋の関連については、最近の投稿からでは投稿201)〜206)を参照下さい。

 

玉将=薬師如来説をとる場合、上記6つのキラークエッションは、同じわく組みの中で答えを提示することができます。中心となる仮説は、平安将棋が始めにあるのではなく、摩訶大将棋から平安将棋ができたというシナリオです。このシナリオに基づくことで、キラークエッションの答えが自然と浮かび上がってきます。

 

通説のとおり平安将棋が始めだと見た場合には、それが伝来したものであっても日本創案のものであっても、6つのキラークエッションに統一的に答えるのはむずかしいのではないでしょうか。

 

(2017.03.30 14:10)

 

2017年

3月

19日

211)将棋史の2択:摩訶大将棋と平安将棋、どちらが先か

中世以前に限れば、古文書(二中歴と象戯圖)で存在が確かな古典将棋は次の7種です。 

 平安将棋(縦横9マス) <-- 異論もあり得ますが、いちおう9マスとしておきます。

 中将棋(縦横12マス)

 平安大将棋(縦横13マス)

 大将棋(縦横15マス)

 大大将棋(縦横17マス)

 摩訶大将棋(縦横19マス)

 延年大将棋(縦横25マス

 

ところで、上記7種の将棋の成立順について、本ブログでは、いちおう以下のように考えています。ただ、去年の夏ごろまでは、平安将棋と平安大将棋は除外し、発表や展示をしていました。いろいろと論拠が固まってきましたので、去年の秋以降は、平安将棋まで含めて発表し始めています。

 

ほとんど異論が出ないのは、次の2つの流れです。ですので、本稿では話題にしません。

○ 摩訶大将棋 --> 大大将棋 --> 延年大将棋        ○ 大将棋 --> 中将棋

 

検討されるべきは、次の2つの説です。

A説(本ブログの説)  :摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 平安大将棋 --> 平安将棋

B説(一般的な説・通説):平安将棋 --> 平安大将棋 --> 大将棋 --> 摩訶大将棋 

 

A説の可否は、一言で言えば、摩訶大将棋の玉将を薬師如来と見るのかどうかということだけです。玉将=薬師如来を納得していただいている場合、関連する問題点もほぼすべて納得ということかと思います。つまり、守護する十二神将の駒、供養としての伎楽面の駒(踊り駒)、供養としての桂と香、大地を鎮める地理の駒の存在、歩き駒の動きのパターン、狛犬師子のこと、仲人が横に歩くこと、麒麟鳳凰が踊ること、法性がなくならないこと等々、いろいろなことが、互いに関連しあって矛盾することがありません。

 

一方で、B説の論拠ですが、実は、論文、単行本含め、どこにもきちんとした説明がなされていないのではないでしょうか。将棋は小さいものから大きいものに発展していくものだという暗黙の了解だけが理由のように思います。平安将棋が、文献学的にも考古学的にも最古だということがありますが、しかし、これは将棋の成立順までを規定するものではありません。

 

摩訶大将棋は文献的には最古でなく、確実な出土駒もありません。しかし、摩訶大将棋が、平安将棋(文献学・考古学的には11世紀前半)よりも古い将棋らしいことは、摩訶大将棋そのものの中に現れています。下の「続きを読む」のリンクを参照下さい。

 

(2017.03.19 23:55)

 

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2017年

3月

18日

210)薬師如来の呪力の一例:洪水を封じる

本稿、直接には、摩訶大将棋には関連しません。しかし、投稿208)の短文だけで、薬師如来が大地震を封じる呪力を持つということを信じてもらえるのかどうか。この点たいへん気がかりです。薬師如来がそういう強大な呪力を持つからこそ、将棋全体が薬師信仰である摩訶大将棋も、遊戯神通という修法をもって、大地震を鎮めることができることになります。遊戯神通については、投稿207)を参照下さい。

 

前提として、まず、薬師如来には天変地異を鎮めるほどの呪力があるのだということを信じてもらわないといけません。薬師如来のもつ呪力を信じてもらった上で、はじめて、投稿208)の内容も納得してもらえるでしょう。

 

本稿、薬師如来の呪力の一例として、洪水を封じる力について書きます。古代日本では、薬師如来は本当にそういう大きな呪力を持っていました。

 

たとえば、次の文献を参照下さい。本稿で取り上げたい件がたくさん書かれています。

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中野玄三、木津川流域の薬師悔過とその仏像、國華 第1348号、5-21、2008.

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この文献で取り上げられている中で、1件だけ、阿弥陀寺の薬師如来を例として取り上げます。阿弥陀寺は京都府城陽市にあります。阿弥陀寺の紹介ですが、たとえば、次のWebサイトを参照下さい。

kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

 

阿弥陀寺の位置(木津川のそばです)や周辺の様子も重要ですので、下に地図を置きました。上の文献にも詳しく書かれていますが、木津川の洪水要注意点にあります。ちょうど、木津川が流れを南北から東西方向に変える場所です。

 

(2017.03.18 23:55) 

 

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2017年

3月

16日

209)将棋の金将と銀将:ルーツは摩訶大将棋の地理の駒か

前稿208)の続きとなります。

地理の駒という言葉を使いましたが、これは、象戯圖の序文の次の記述からです。

 

下象其形於地理列以金銀鉄石之名

(下は其の形を地理にかたどって、列するに金銀鉄石の名を以ってす)

 

地理の駒というよりも、地面の駒という方がわかりやすいかも知れませんが、象戯圖の序文では、天文の駒(十二支の駒)と地理の駒(金銀銅鉄・・の駒)が対になっていますので、地理の駒としておきます。

 

いずれにせよ、この地面の駒が、地面の揺れを鎮める呪力を持つものとして、摩訶大将棋に並んだのではないでしょうか。ところで、将棋の成立順を考える際、摩訶大将棋-->大将棋では、始めは揃っていた十二支の駒が、駒が取り除かれた結果として大将棋(十二支の一部だけがある)ができたと考えたわけです。この件、本ブログではいろいろなところで書いていますが、たとえば、投稿177)、投稿152)あたりをご参照下さい。

 

本稿でも同様の考え方を適用することができます。金銀銅鉄・・の駒がきちんと並んだ将棋から、地理の駒が順次落とされていき、最終的に金と銀だけが残ったと見ました。この逆を考えるのはかなり不自然な感じとなります。つまり、はじめに、財宝としての金と銀の駒があった。そのあと、地理の駒が順次追加され、金銀銅鉄石土と揃う。十二支の駒のときもそうですが、意図された駒のグループは始めからそのグループとして存在していたのであって、いろいろと追加された結果、揃うというものではないでしょう。

 

さて、この帰結は、地理の駒という観点からではなく、実は、別の考え方からも辿りつくことができます。手がかりは、駒の動きです。この件については「続きを読む」をクリックして下さい。

 

(2017.03.16 23:20)

 

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2017年

3月

15日

208)大地震と摩訶大将棋:金銀銅鉄石土の駒ができた理由

タイトルに大地震と入れましたが、これは、正確には、天変地異のことです。ですので、大地震の他、大雨やその結果としての洪水等の大きな自然災害を含みます。

 

ところで、非常に極端な書き方をすれば、摩訶大将棋は、大地震を鎮めるための将棋です。金銀銅鉄石土の将の駒、つまり、地理の駒は、地面を鎮めるためだったと考えることができます。

 

将棋が神事であり修法であることは、前稿207)で少し書いたとおりで、供養具や法具を並べてお経をあげるのと、将棋で遊戯するのは、同じです。将棋の駒を供養具、法具と見立てて下さい。

 

薬師如来は、病気を治すということで知られているわけですが、それと並んで、天変地異を鎮める、国全体を護るというような国家鎮護の仏様でもあります。個人が祈願するのは病気のことですが、天変地異を鎮めるというような大きなことは天皇が祈願しています。天皇が行う薬師悔過については、現時点ではまだきちんとは書けませんので、後日ということにさせて下さい。

 

さて、本稿の仮説についてですが、金銀銅鉄・・という地理の駒が並ぶから大地震と関係があるのだろう、という単純な連想をしているわけではありません。

 

根底には、摩訶大将棋と薬師如来、薬師信仰が密接に関係しているという事実があります。本ブログでは、2年ほど前から、摩訶大将棋と薬師如来の結びつきについて断片的に投稿していますが、そろそろ固まってきていますので、きちんとまとめる段階に入りつつあります。先週の学会発表では、「摩訶大将棋と薬師如来:序報」というタイトルでの発表になっています。

 

摩訶大将棋 --> 薬師如来 --> 天変地異を鎮める --> 金銀銅鉄石土の駒が並ぶ

という展開です。ところで、関連するひとつの傍証があります。明月記の正治元年五月十日の条です。

 

自夜暁更甚雨如注、終日不休、河水大溢、依番為上格子参上、

殿下出御、於御前指将碁、国行被召合、三盤了、殿下御堂了退下

 

洪水が起こり、その報告に行きました。そして、将棋を・・・という文章です。この記述は、投稿195)でも話題にしており、「三盤了」の解釈についてはそこで書いています。この文章は、大将棋に関する記載例としてよく引用されるのですが、その際、将棋を指した云々の前の記述、つまり、洪水が起こったという件は、これまで問題にされたことがありません。しかし、ここで、洪水と将棋をセットにして捉えるのはどうなんでしょうか。洪水が起こったから、後鳥羽上皇は将棋(摩訶大将棋まはた大将棋)を指すように命じたとみるわけです。洪水を鎮めるための修法のようなものです。

 

地理の駒は最下段に並んでいますが、天変地異の「天」と結びつく駒は十二支の駒で、盤の上の位置に並んでいます。

 

本稿の考え方、いかがでしょうか。そういうこともあり得ると思われた方は、さらに、あと1点、関連する説明ができますので、下のリンクから続きを読んで下さい。

 

(2017.03.15 23:45)

 

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2017年

3月

08日

207)遊戯神通如来:如来が摩訶大将棋を遊ぶ

本稿のタイトルを、遊戯神通如来としましたが、

法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえ ゆげじんづうにょらい)

がきちんとした名称です。遊戯神通(ゆげじんづう)を強調するために、少し短く、遊戯神通如来と書きました。薬師瑠璃光如来を薬師如来と呼ぶのに倣ったわけですが、このようにしてよいものかどうかはわかりません。

 

突然ですが、次の投稿を一読していただけるでしょうか。2014年8月の投稿です。その投稿から、今日がちょうど100回目の投稿となります。

 

摩訶大将棋のブログ_02

107)摩訶大将棋を遊ぶということ:白川静「文字逍遥」

 

当時からすでに摩訶大将棋の対局が神事だということは確信していましたが、では、なぜ遊戯が神事たり得るのかが、実感としてはあまりよくわかっていませんでした。そんなとき、白川静の遊字論を読み、そこに探していた答えのようなもの、答えかも知れないものが書いてあったわけです。投稿107)を参照下さい。

 

さて、摩訶大将棋と薬師如来の話ですが、薬師如来が登場する以上、摩訶大将棋は薬師信仰に基づいたものであるはずです。ところで、七仏薬師注1の存在をご存知でしょうか。薬師如来を主体として如来7体を並べて祈るのですが、その如来の最後7番目が薬師瑠璃光如来、そして、6番目が、本稿のタイトル、遊戯神通如来です。

 

織田仏教大辞典で「遊戯神通」を引くと次のようにあります。

「仏菩薩神通に遊んで人を化して以て自ら娯楽するを遊戯と云う」

つまり、将棋を指すのは対局する人なのですが、実際は、薬師如来が将棋を遊んでいます。摩訶大将棋を奉納するということはこういうことなのではないでしょうか。

 

遊字論と全く同じです。「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。・・・・

それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。・・・」

 

神仏習合、神は薬師如来でもあります。私の思い描く神事としての摩訶大将棋、修法としての摩訶大将棋は、自分の言葉ではまだ表現できていませんが、織田仏教大辞典と遊字論の文章を借りるなら上述のようになります。

 

もちろん、一方で、摩訶大将棋は非常に面白い将棋です。というよりも、摩訶大将棋は面白くなければならないと言った方が正しいでしょう。なにしろ神様が遊ぶ将棋なのですから、面白くない将棋では神前に奉納することができません。面白いからこそ遊戯神通できる将棋となり得ます。

 

薬師信仰のツールとして将棋という遊戯が用いられたのは、七仏薬師の遊戯神通如来から来ているのかも知れません。薬師経や薬師信仰については勉強中です。この件また後日に取り上げます。

 

なお、七仏薬師の2番目の如来は、自在王如来(注2)です。玉将の成り、自在王はこの如来を表現したものだと思われます。

 

注1:七仏が薬師如来の分身かどうかは見解が分かれているそうです。

注2:正しくは、宝月智厳光音自在王如来(ほうげつちごんこうおん じざいおうにょらい)です。

(2017.03.08 22:00)

2017年

3月

07日

206)将棋史に関する疑問:平安将棋の謎

以下に質問だけ置きます。原初の将棋だと考えられている平安将棋(二中歴に記載されている将棋)に関する質問です。どの質問にも、これまできちんとした答えは出ていません。

 

ところで、前稿で紹介したシナリオに沿えばある程度の説明ができます。その際、ひとつだけのシナリオで全部を説明可能という点が重要です。1)についてはこうこう、2)についてはこうこう、3)については・・・、というような個別の答えはこれまでにもありましたが、全部をまとめて説明できるシナリオがあるとすれば、そのシナリオの方が正しいのではないかと現状考えています。

 

1)なぜ歩が3列目に並んでいるのか(シャトランジもチェスも2列目に並ぶ)。

 

2)平安将棋が将棋の起源だとすれば、なぜ基本的な動き(前後左右に動く・ななめだけに動く)の駒がないのか。金将や銀将は前後非対称の動き。桂馬や香車の動きも同じく前後非対称。一方、シャトランジやチェスではすべての駒が前後対称かつ左右対称に動く。

 

3)玉金銀桂香の駒名の由来は何か。従来の説では根拠が希薄であるし、また、その説では、上の1・2の質問の答えとも全くリンクしない。

 

4)二中歴に書かれている「玉将だけにすれば勝ち」というルールはどこから来たのか。世界の将棋類は、通常、玉将相当の駒を取れば勝つというルール。

 

( 2017.03.07 15:30 )

2017年

3月

06日

205)はじめに摩訶大将棋があったという可能性

本稿のタイトルとは違いますが、先週末、東京にて、同じ主旨の発表をしてきました。予稿を全部ここに置くことはできませんので、とりあえず、冒頭の要約の文章のみ、紹介します。ゲーム学会の研究会「ゲームと数理」での30 分の発表です(少し時間オーバーだったかも知れません)。

 

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摩訶大将棋と薬師如来:序報

高見友幸

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要約: 

 平安時代から室町時代にかけては,小将棋(駒数36枚〜42枚)の他,さらに駒数の多い大型将棋(68枚〜354枚)が存在していた.我々の研究グループでは,大型将棋のひとつである摩訶大将棋復刻の試みを続けてきたが,その研究からは摩訶大将棋は大型将棋の起源だった可能性が高いという結論が得られている.さらには,摩訶大将棋が小将棋の起源だった可能性もある.これらを検討するためのいくつかの知見を提供した上で,新たな将棋史について議論するのが本発表の目的である.

 摩訶大将棋が将棋史の始めに成立したとする根拠は,摩訶大将棋の駒種とルールに見られるあまりにも整然とした構成にある.玉将が薬師如来に相当する駒だと想定すれば,それと連動して,薬師如来の脇侍である日光菩薩と月光菩薩,守護神である十二神将,供養として並ぶお香,伎楽,瓔珞に相当する駒を見つけることができる.一方で,玉将は天皇(=薬師如来)であり,チェスの駒で言えばキングに相当する.すぐ前に王子の駒があり,その前に道祓いの狛犬舞,師子舞の駒が配置される.摩訶大将棋の対局は薬師悔過の実践であり,対局は天皇自らが取り仕切る.それ故,対局は国の危機に対するものであり,たとえば,薬師如来による天変地異の鎮静を祈願したのである.摩訶大将棋に天の駒(十二支の駒)と地の駒(金銀銅鉄石瓦土の駒)が並ぶのはそのためだと考える.

 

2017年

2月

07日

204)将棋の桂馬と香車:薬師如来への供養

「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その4」となります。本稿、桂馬と香車の意味について議論しますが、これが、古代の将棋の成立順と関係しています。

 

桂馬と香車は、どういう意図から、将棋の駒になったのでしょうか。桂馬の桂は肉桂(ニッキ)のことで、香車の香(お香)と結びつくのだとして、当時、香料は金銀と同様、貴重品だったからというのが一般的な説明です。しかし、この問いの答えは、平安将棋(最下段は現代の将棋と同じ)だけを見ている限り見つけることはできません。

 

桂馬と香車の2駒が導入されたのは、平安将棋が作られたときではなく、実は、摩訶大将棋が作られたときだったようです。そう考えれば、桂馬と香車の意味を説明することができます。つまり、摩訶大将棋がはじめに作られ、後になってできた平安将棋に、その桂馬と香車が受け継がれているという考え方からの帰結です(本ブログでは、摩訶大将棋から大将棋、平安大将棋を経て平安将棋が作られていると考えています)。

 

以下に、摩訶大将棋の初期配置を示しました。摩訶大将棋の玉将は「薬師如来の駒」でもあります。摩訶大将棋のブログを、今ここではじめて読まれている方がいれば、これを聞いてどう思われていることか。ただし、薬師如来の根拠は、以下のとおり、結構いくつもあって、さほど荒唐無稽な話しでもありません。

 

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2017年

2月

06日

203)平安大将棋の盲虎:阿弥陀如来の駒

摩訶大将棋の駒と十二神将の本地仏の対応
摩訶大将棋の駒と十二神将の本地仏の対応

本稿は、前稿の「摩訶大将棋にある4つの如来の駒」の続きとなります。また、「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その3」でもあります。

 

前稿の最後の方で、摩訶大将棋の十二神将の駒の本地仏として4つの如来の駒を紹介しましたが、右の表に十二神将の駒と本地仏の対応を示しました。丑・卯・午・未の駒の欄を空けていますが、これは、十二支の駒をどのように見るかで異なるからです。投稿201)のA)とC)で示したとおり、十二支の駒のグループとして、次の2つの候補を挙げることができるでしょう。青文字の駒は、摩訶大将棋から大将棋が作られたとき、落とされずに残った駒です。

 

 

A)老鼠・猛牛盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼嗔猪

C)老鼠・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・古猿・淮鶏・悪狼嗔猪猛豹酔象猫又

 

A、Cいずれのグループにせよ、3つの如来の駒、阿弥陀如来(盲虎)、大日如来(悪狼)、釈迦如来(嗔猪)は大将棋に全部残っています。ここで、さらに、大将棋から平安大将棋が作られた、また、大将棋から中将棋も作られたものとして考えを進めてみましょう。このとき、摩訶大将棋にあった十二支の駒はさらに落とされ少なくなります。十二支の駒のうち、平安大将棋、中将棋まで残るのは次の駒です。

 

A)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎・桂馬  中将棋まで残る駒:盲虎

C)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎     中将棋まで残る駒:盲虎・猛豹・酔象

 

このように、摩訶大将棋の盲虎、つまり、阿弥陀如来の駒は最後まで残ることになります。阿弥陀如来の駒が将棋が変わっても残り続けることは、しかし、とても納得がいくことではあります。

 

摩訶大将棋は薬師如来の将棋とも言えますが(この件、近々に詳細投稿します)、薬師如来の信仰は、平安時代の中頃から、阿弥陀如来の信仰へと変わっていきます。摩訶大将棋の十二神将がどんどんとなくなる一方で、阿弥陀如来が残るのはこのような現れとみることもできるのです。

 

平安大将棋の盲虎をこうした視点から見直してみるのはいかがでしょう。ところで、本稿とは逆に、平安大将棋が大型将棋の出発点だったとすれば(通説はこの考え方です)、平安将棋をもとに平安大将棋が作られたとき、盲虎の追加をどのように説明できるのでしょう。なお、本稿では、平安大将棋の猛虎を盲虎としています。

 

同じようなことは、桂馬や香車についても言えます。平安将棋が将棋の起源だったとすれば、桂馬や香車はどのような意味をもつのでしょうか。玉将、金将、銀将についてもそうですが、桂馬と香車がなぜ将棋の駒にあるのかという納得のいく説明は、これまで、なされたことがありません。

 

ところが、摩訶大将棋から、将棋が次第に小さくなっていったとすれば、桂馬と香車の意味は明解です。次稿は、この件について書きます。

( 2017.02.06 22:50 )

 

2017年

2月

05日

202)摩訶大将棋にある4つの如来の駒

投稿200)からの続きです。「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その2」となります。まず、以下のA)大将棋、B)中将棋、C)平安大将棋、D)平安将棋の初期配置の図をじっくり眺めていただくのがいいかも知れません。摩訶大将棋の初期配置については、投稿201)の図を参照下さい。

 

本ブログでは、各将棋の成立順について、

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> B)中将棋

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という説を取っています。学会発表だけでなく、摩訶大将棋展等の活動で広くこの考え方を紹介していますが、このあたりまでは反論はほぼありません。今回、一連の投稿で提出する説は、この説をさらに発展した次の説です。これも、最近のミーティング、展示会、研究会で、部分的に紹介しつつあります。

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> C)平安大将棋 --> D)平安将棋

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A)--> B)と、A)--> C)は、中将棋が原中将棋(成りのみ別ルール)だとすれば、同時代に進行した可能性もあり得ますが、中将棋への流れについては、また後日の投稿とし、しばらくは、メインテーマである平安将棋への発展に絞りたく思います。

 

ところで、一般的な説は、本ブログの説とはほぼ正反対であり、

D)平安将棋 --> C)平安大将棋 --> A)大将棋 --> 摩訶大将棋

というものです。つまり、小さい将棋から、徐々に駒数が増えて、大型化していったと考えます。ただ、この考え方は説というのではなく、暗黙の了解というべきかも知れません。大型化していったという根拠がきちんと示されたことがないからです。ゲームの進化とはそういうものであるという直観や思い込みのせいかと思われます。

 

なお、本稿では、摩訶大将棋-->大将棋-->中将棋へと至る過程で現れる、以下の考え方については、了解されているものとして説明を始めます。

1)踊り駒の定義(象戯圖の解読より)

2)摩訶大将棋、大将棋では仲人は横にも動く。

3)摩訶大将棋、大将棋では麒麟と鳳凰は踊り駒である。

4)摩訶大将棋には十二支の駒が意図的に組み込まれている。

5)狛犬は不成りである。また、狛犬は師子と同様、居喰いの機能を持つ。

6)摩訶大将棋の鳳凰の成りは狛犬である。

7)摩訶大将棋、大将棋の桂馬の動きは、現代将棋の桂馬の動きとは異なる。

8)摩訶大将棋の玉将は薬師如来に相当した駒である。

 

8)については、再度の説明が必要と思いますので、どこかの稿で詳細します。 

では、以下の「続きを読む」のリンクから、初期配置の図と4つの如来の話となります。

 

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2017年

2月

05日

201)十二支の駒について

前稿からの続きを書く前に、まず摩訶大将棋の十二支の駒について書いておかねばなりません。十二支の駒については、本ブログにて何度か投稿していますし、次の論文の中でも解説があります。

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大型将棋の成立順に関する考察: 高見友幸、中根康之、原久子

映情学技報,vol.40,no.11,AIT2016-86,pp.147-150,2016.

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十二支の駒は、鳥羽上皇が十二枚の駒を使って占いをしたこと(1129年)や、大型将棋の成立順の解明とも関連し、大型将棋史では、非常に重要な観点となります。ところで、本ブログで投稿した範囲内では、摩訶大将棋の十二支の駒は、十二支の順に、

(A)老鼠・猛牛・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪

としていました。驢馬は「ウサギウマ」ですから卯に割り当てています。未に相当する駒のみ対応がつきません(何らかの理由があったのでしょう)。念のため、下図に、摩訶大将棋の初期配置を示します。

 

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2017年

2月

03日

200)平安将棋が一番古い将棋なのかどうか

投稿200)という区切りのいい番号ですので、大きなテーマから取り上げることにしました。将棋史は平安将棋からというのが通説ですが、これにはとりたてて根拠があるわけではありません。盤のサイズと駒の種類が、シャトランジに近いということだけです。

 

平安将棋は二中歴に初期配置が記載されています。初期配置が書かれている古文書の古さという点では、もちろん、最古となるわけですが、将棋という語句だけであれば、もっと古い古文書がありますし、駒の出土も二中歴より古い時代から出ています。その出土駒に、酔象の駒も含まれますが、酔象は平安将棋では使われていません。

 

ともあれ、まず、結論を書きますと、平安将棋は最古ではないというのが本ブログの見解です。論点はいくつかありますが、ゆっくりと書いていきます。投稿198)で大型将棋の収縮について書くはずが書きかけのままでおいています。結局、大型将棋の収縮が、つまり、駒を落としてどんどんと将棋が小さくなっていったのがどこまでか、という問題になるでしょう。

 

摩訶大将棋から大将棋が作られたのは、これはもう完全に確実です。大将棋から平安大将棋へという順序もほぼ確実です(こういうことをきちんと原稿にしないといけないのですが)。大大将棋、延年大将棋、中将棋の成立順については特に問題もありませんので、大型将棋の収縮論で残る問題の将棋は、平安将棋だけということになります。

 

摩訶大将棋そのものが、将棋黎明期にあったのかどうかは何とも言えませんが(途中でいくつかの駒が置き変わったり、多少の修正もあったでしょう)、本稿では、摩訶大将棋に類似したもの、摩訶大将棋類とでも言うべきものを総称して、摩訶大将棋と呼ぶことにします。

 

摩訶大将棋の成立は、890年〜900年ごろ、または940年前後、980年前後かと考えています。数字まで出して書くと、逆に、トンデモ説と思われるかも知れませんが、とにかく10世紀が第1候補でしょう。

 

次の候補は、1100年ごろですが、可能性はずっと低いと考えます。この場合、平安将棋の方が早くに成立していたことになるわけですが、そうだとすると、私には、将棋史は完全に闇の中です。

 

(次稿に続きます)

 

2017年

2月

02日

199)お問い合わせありがとうございました

いろいろありまして投稿がだいぶ空いてしまいました。TGS2016での出展についてたくさんのお問い合わせをいただきました。ありがとうございます。しかし、ほとんどすべてがまだ返信できていない状態です。申し訳ございません。

 

ソースコードの配布という件を何件かいただいていますが、まだコンピュータ摩訶大将棋が卒論のテーマで続いていますので、当分の間は配布せずということでご了解のほど。

 

麒麟鳳凰が踊り駒だというルールがかなり以前からわかっていた旨お知らせいただきました。このことは知りませんでした。復刻は研究室で独立して進めていますが、結果が一致したことを喜んでいます。踊り駒の定義も一致しているのかが気がかりです。

 

アドバンスド摩訶大将棋の配布の件も、1ヶ月というお約束でしたが、まだお送りできておりません。あとしばらくお待ち下さいませ。タイミングを削いでしまうことになりました。この件も申し訳ございません。

 

去年は本ブログへの投稿が少なくなりましたが、また投稿を始めていきます。短い投稿でいきたく思います。

2016年

9月

12日

198)TGS2016: 8)大型将棋の宇宙論: 膨張か収縮か

ひとつ前の投稿197)にて、将棋史のグランドデザインについて少しコメントしましたので、もう少し追加しておこうと思います。如何に頑固に自説を主張したとしても、文献や出土駒と矛盾している場合が、気づかずにあるかも知れません。

 

そういうことを、本ブログで展開しているシナリオ、つまり、「大型将棋の収縮宇宙論」に対して、軽く検証してみたく思います。

 

また、いわゆる、「通説」という言葉で説明してしまいがちなものについても、検証してみます。大型将棋史においては、通説というものは存在しないと言っていいでしょう。通説がこうだからああだから、だから、あなたの説は間違っていますと言われることが、ごくまれですが、あります。そう言われる方は、たぶん、通説だ一般論だというだけで、考えるのをやめてしまっているのでしょう。

 

(投稿中です。今夜書きます。)

 

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2016年

9月

11日

197)TGS2016: 7)鳳凰と麒麟の踊り:復刻の注目点

摩訶大将棋/大将棋では、鳳凰と麒麟は踊り駒です。この2駒が踊り駒だということは、象棊纂圖部類抄の解読から得られたもので、摩訶大将棋の復刻中ベスト5に入ると言えるでしょう。試験対局を経て、対局会では2年ほど前から採用していたと思います。飛龍や夜叉が踊りであるのに、格上の名前を持つ鳳凰が踊りではないというのは、明らかにおかしいわけですから。同様に、猛牛より格上の麒麟も、当然踊り駒であるべきです。

 

中将棋にも鳳凰と麒麟の駒がありますが、中将棋の方は、ジャンプするだけで踊りの機能はありません。もちろん、この動き方もこれで正しいわけです。

 

ところで、駒の名前が同じなら動きも同じであるというのが将棋の原則ですが、鳳凰と麒麟の場合、この原則からは外れます。最近の投稿193)で仲人の駒の動きが、中将棋の成立当初で変わったということを説明しましたが、鳳凰と麒麟も、このときの理由とほぼ同じ理由で、もともとの動きから変わったようです。象棊纂圖部類抄では、或説曰(或る説曰く)という言い方を用いており、中将棋の成立当初では、2つの動き方が採用されていたものと思われます。

 

少し脱線しますが、13世紀後半の鳳凰の駒が鶴岡八幡宮から出土しています。裏は奔王です。しかし、これだけの情報では、この駒が踊ったのか踊らなかったのかは不明です。ただ、少なくとも13世紀後半には、大将棋が成立していたことが確実となります。したがって、摩訶大将棋も成立していたのです。中将棋が成立していたかどうかは、これだけでは結論できませんが、中将棋という単語が日記等に現れ出すのは、15世紀前半まで待たねばなりません。中将棋は13世紀にはまだ存在しなかった可能性が高く、鶴岡八幡宮の鳳凰の駒は、たぶん「踊っていた」と思われます。

 

本ブログでは、摩訶大将棋を大型将棋の起源近くにある将棋として、将棋史のグランドデザインを描いています。文献や出土駒は、そうしたグランドデザインの正否を検証するものですが、上記の鳳凰の駒は、本ブログのシナリオに全く抵触しません。もし大将棋も摩訶大将棋も13世紀後半にはなかったというシナリオだったならば、それは完全にNG、間違いが確定するわけです。

 

象棊纂圖部類抄の解読については、以下のリンクに書きます。興味ございましたらご一読のほど。

 

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2016年

9月

09日

196)TGS2016: 6)象棊纂圖部類抄の読み方:大将棋の注釈

象棊纂圖部類抄の大将棋(15マス)の復刻について書きます。象棊纂圖部類抄は全編がパズルのような古文書ですので、そのまま素直に読んだだけでは、何も出てきません。たとえば、投稿193)で書きましたが、中将棋のところに「仲人不行傍」と書かれていることから、間接的に、大将棋の仲人は傍らに行くというルールを知ることができるのです。

 

結論からまず書きますと、大将棋も、摩訶大将棋と同様、とても面白い将棋だということがわかります。大将棋では、摩訶大将棋にあった強力な大駒が多数取り除かれていますので、戦局が落ち着き、現代将棋に近い趣きになります。どちらが面白いかという話ではなく、個人的な好みの問題でしょうか。同じ競技でも種目が違うという感じです。400m走と5000m走、平泳ぎと個人メドレー、鉄棒と床運動、そういった感じです。

 

さて、象棊纂圖部類抄の大将棋の箇所ですが、大将棋の図の後ろには、短い注釈が2行書かれているだけです。次のとおりです。

 

大象戯成馬 以上三枚

酔象成太子 鳳凰成奔王 麒麟成師子

 

ただ、この部分、文章が言葉足らずなのです。きちんと写本されなかったのだろうと考えます。そのままに読んでしまうと正しい解読はできません。この続き、次のリンクにて書きます。

 

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2016年

9月

08日

195)TGS2016: 5)明月記の大将棋:「三盤了」の謎

藤原定家の日記「明月記」、正治元年(1199年)五月十日の条に「三盤了」が出てきます。

 

自夜暁更甚雨如注、終日不休、河水大溢、依番為上格子参上、

殿下出御、於御前指将碁、国行被召合、三盤了、殿下御堂了退下

 

後鳥羽上皇の御前で定家が将棋を指したという記事です。文面の流れからも(洪水が起こり、その報告に行きました。そして、・・・という流れです)、当時の将棋が単なる遊戯でないことは明らかですが、本稿のテーマはこの件ではなく、対局数の方です。三盤了。3回も指したというのです。

 

この三盤了のことは、ずっと謎でしたが、今年7月の学会発表で、その答えの候補を提示できたものと思っています。指された将棋は、現状で既知の将棋から選ぶとすれば、大将棋か摩訶大将棋でしょう。少なくとも、指された将棋は平安将棋や平安大将棋ではありません。本稿、この点がテーマとなります。以下、次のリンクに。

 

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2016年

9月

07日

194)TGS2016: 4)仲人の駒はペルシア伝来か

Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)
Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)

将棋の伝来元としてのペルシアについては、これまでも何回か書いてきました。たとえば、投稿188)、182)、179)、176)、157)等で、古代ペルシアの将棋Shatranjとその大型系列を取り上げてきました。

 

日本の将棋の起源が議論されるとき、たいていは、中国からの伝来か、または、東南アジアからの伝来を考えるのが普通です。その際、皆さんが思い浮かべているのは、現代将棋か小将棋であって、大型将棋については全く考慮されていません。その大きな原因としては次の2点でしょう。

 

1)将棋は小さい将棋から大きい将棋へと発展していったという先入観がある。

当然、小将棋が一番始めという前提ですから、起源を考える際には、小将棋のことしか問題にされていないように思います。

 

2)大型将棋は対局された将棋ではなかっただろうという思い込みがある。

大型将棋は遊戯としては重要でないということで、考えの対象から自然に外れてしまうのかも知れません。

 

ところが、世界の将棋との類似性という観点で見てみれば、これまで無視されてきた大型将棋の方に多くの類似を見ることができるのです。詳細については、上記しましたこれまでの投稿を参照していただくとして、本稿では、思い切り踏み込んで、大型将棋と大型チェスの関係性まで空想してみたいと思います。

 

まず、冒頭の図面ですが、大英博物館のアラビア語の文献:ms7322からです。

図は、14世紀のTamerlane chess(チムール朝の将棋)から派生したShatranjの大型系列とされていますが、まだまだ不明な点は多いようです。ところで、この将棋には、pawn(歩兵)の列の上にまだあと3つの駒が並んでいます。まるで仲人の駒のようではないですか。長くなりますので、続きは、以下のリンクにて。

 

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2016年

9月

06日

193)TGS2016: 3)仲人の駒の復刻

仲人については、以前の投稿116)、140)、169)、170)にて書いていますが、TGS2016に向けて、もう一度本稿でまとめてみようと思います。これらの内容は、今年になってからも3つの学会で発表し、異論はなく概ね受け入れられている考え方です。

 

ところで、摩訶大将棋の復刻の説明は、どの場合でもそうなのですが、これまでの通説は間違っていますということの説明でもあります。ですので、どこが違うのかという点からスタートする方がわかりやすいでしょう。仲人の駒は中将棋(12×12マス)、大将棋(15×15マス)、摩訶大将棋(19×19マス)のいずれにも含まれる駒で、前後に1目だけ動く駒とされてきました。ほとんどの古文書にそう書かれていますし、そもそも遊戯自体として現代にまで伝わっている中将棋の仲人がそのように動くのですから、疑いようもありません。駒の名前が同じであれば、駒の動きも同じであるというのが将棋の原則、中将棋がそうであれば、大将棋や摩訶大将棋の仲人もそのように動くのです。

 

しかし、実際はそうではなく、仲人の動きは、中将棋と大将棋/摩訶大将棋では違っています。この点は、上記の投稿にて詳細していますので、そちらを参照いただくとして、以下、考えの流れのみまとめてみます。

 

ところで、この議論には、大型将棋の成立順が関係しています。この件も、本ブログでたびたび取り上げていますが、話を煩雑にしないため、まず大将棋と中将棋の仲人だけに絞ります。この2つの将棋の成立順については、大将棋が先に成立し、中将棋が後世にできたということで、通常、議論の余地はありません。なお、この成立順は仲人の動きの復刻とはほとんど関係しませんが、成立順も念頭に置けば、さらに納得しやすいでしょう。では、この続き、長いですが、すぐ下のリンクを。

 

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2016年

8月

26日

192)TGS2016: 2)復刻された将棋であるということ

摩訶大将棋は復刻された将棋です。私たちの研究室で対局している摩訶大将棋のルールは、

可能な限り、古文書の解読に基づいています。

 

ただ、ごくまれにではありますが、摩訶大将棋のルールはこう変えた方がいいのではないでしょうかと主張される方がおられます。しかし、私はそういう考え方に全く興味が持てません。平安時代に指されたとおりの摩訶大将棋を今そのままに指すということに意味があると考えます、昔のとおりということ自体が面白いのです。ルールを勝手に変えた摩訶大将棋、それは現代摩訶大将棋と呼ばれるべきものでしょうが、その現代摩訶大将棋を指したいとは全然思いません。

 

ところで、物事はうまくなっているもので、古文書のとおりに復刻したルールが、つまり、当時の摩訶大将棋のルールが結局一番面白いという結果になりそうです。そもそも面白くなければ、千年近く前の将棋が、古文書のくり返された写本の中に脈々と伝わることもなかったでしょう(※)。

 

今まで、摩訶大将棋は駒を並べただけのもので、対局されたことはなかっただろうと考えられていました。なぜなら、対局しても面白くなかったからです。これがルールだろうというルールでもって、研究者が対局を試み、愛好家が対局を試みたのでしょうが、面白くなかったのです。確かに面白くありません。しかし、それはルールの解釈だけの問題でした。古文書をきちんと解読すれば、これまでルールとされていたものは間違いだったと言わざるを得ません。次稿で、この具体例をいくつか示すことにします。

 

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※)こうした観点からは、平安将棋と平安大将棋についてはまだまだ考察が必要だと考えます。または、二中歴の記載が正確なのかどうかということまで考えるべきかも知れません。 

2016年

8月

26日

191)TGS2016: 1)出展に向けて

投稿189)にて速報しましたとおり、東京ゲームショー2016のインディーゲームコーナーにて、アドバンスド摩訶大将棋の展示が採択となりました。展示の要旨は以下のとおりです。今日からTGS2016が始まるまでの間、摩訶大将棋のことを本ブログにて詳しく伝えていきたいと思います。

 

直結のURLは次のとおりです。ブログのタイトルをMaka-Dai-Shogi-04とし、これまでのブログのような漢字入りのURLではなくなりました。海外からの直接のアクセスも期待できそうです。

http://www.takami-lab.jp/maka-dai-shogi-04/

 

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摩訶大将棋は、平安時代後期に創案された日本の大型将棋です。縦横19マスの将棋盤と、敵味方合わせて192枚、50種類の駒を使いますが、その駒数の多さのため、実際に対局されたことはなかっただろうと考えられてきました。4年前より私たちの研究室では、室町時代の古文書や平安時代の日記、随筆に基づいて、摩訶大将棋のルールの復刻を進め、ルールの通説(江戸時代の古文書の内容)の多くは間違いであるという結論に至りました。その結果、摩訶大将棋は実際に対局された将棋であり、非常に面白いボードゲームだということがわかっています。

 

ブースでは、この摩訶大将棋にコンピュータ支援機能とネットワーク対局機能を付けた電脳摩訶大将棋(=アドバンスド摩訶大将棋)を展示し、復刻されたルールの紹介もいたします。また、そのような復刻の元となった古文書解読のこと、駒の名称の意味、大型将棋史や将棋の伝来についても説明させていただきます。

 

摩訶大将棋はボードゲーム/遊戯であると同時に、古代の合戦や仏教の世界観、陰陽道の占いを絶妙のゲームシナリオでもって表現する将棋です。また、摩訶大将棋の駒の起源を辿れば、薬師如来、十二神将、伎楽、狛犬と師子、法華経、易占、古代ペルシアとの関連性が見えてきます。摩訶大将棋には、古代日本の文化史が盤と駒の向こう側に見え隠れしていることは確かです。

 

復刻を重ねるにつれ、摩訶大将棋のルールのもつ緻密さが明らかになり、したがって、対局されたに違いないことも明らかで、また、平安時代後期にこのようなゲームを創作したゲームクリエイターが日本にいたことにも驚かされています。私たちは摩訶大将棋の制作者ではありませんが、長らく埋もれていた摩訶大将棋の発掘者として発表させていただきたく思います。