2017年

7月

02日

216)摩訶大将棋展2017summer:札幌(お知らせ)

前稿215の続きをまだ書いていませんが、1件とり急ぎ、お知らせの投稿です。

摩訶大将棋の展示会を北海道で初めて開催します。次のとおりです。

 

摩訶大将棋展2017summer:札幌

日時:7月6日(木)14:00-20:00

主催:日本摩訶大将棋連盟  後援:ゲーム学会

場所:わくわくホリデーホール(札幌市民ホール)2階第6会議室

札幌市中央区北1条西1丁目

地下鉄大通駅下車・31番出口正面

http://www.sapporo-shiminhall.org/access/

お問い合わせ先:takami@maka-dai-shogi.jp

 

概要:摩訶大将棋の将棋盤と駒、コンピュータ摩訶大将棋、大型将棋史の解説パネルを展示します。摩訶大将棋は古代日本で創案された大型将棋のルーツですが、最近では、現代将棋のルーツである可能性も検討され始めています。摩訶大将棋の対局体験コーナーも設けていますので、ご自由にお楽しみ下さい。

 

初めての北海道開催ですので何人ぐらいの入場者となるのか見通しがつきません。前日までに会場に来られる時間をご連絡いただきましたら、その時間に直接私がご対応・ご説明させていただきます。なお、翌日にも将棋史の談話会的な集まりを予定しています。将棋史愛好家の皆様とより詳しい意見交換を持てればと思っています。次のとおりです。

 

ゲーム学会ゲームとーくかふぇ「将棋の歴史を考える」

日時:7月7日(金)16:30-18:30

場所:札幌駅前ビジネススペース ミーティングルーム:2G

札幌市中央区北5条西6丁目1-23  第二北海道通信ビル2階

JR札幌駅西口・徒歩5分

http://sebs.pw/access.html

 

概要:日本将棋の起源と伝来についていろいろと談話できればと思っています。将棋史愛好家の皆様とのんびりとしたミーティングの場を設けました。どうぞお気軽にお越し下さいませ。次の資料2点を用意しています。

 1)象棊纂図部類抄(1592年)、諸象戯図式(1696年)

 2)資料集:天童の将棋駒と全国遺跡出土駒

 

2017年

5月

20日

215)大型将棋の成立順:考古学からの検証

大型将棋の成立順については、本ブログの投稿では、ほぼ全部が文献学、歴史学の観点からの考察となっています。しかし、得られた結論は、考古学の知見と照らし合わせても矛盾はありません。この点、一度まとめておかないといけませんので、本稿、これをテーマに書きます。物理学で言えば、理論を実験で検証するというプロセスです。

 

本ブログで得られた最重要の帰結は、摩訶大将棋が薬師信仰に基づく呪術としての将棋であるということです(※1)。だとすれば、摩訶大将棋は、天皇あるいは上皇の薬師悔過の際に用いられた将棋である可能性が高いと考えます(※2)。これらの結論は、ここまでの投稿にて何度も議論されてきたとおり、将棋の駒の名称や配置、機能によく現れています。また、薬師信仰が将棋の中にきちんと反映されていること自体、摩訶大将棋が起源の古い将棋であることを示していると言えるでしょう(※3)。

 

以上のことを前提にすれば、平安将棋や平安大将棋も、摩訶大将棋よりも後に作られた将棋であると考えるのが非常に自然です。私自身も当初は、そういうことを予期してはいなかったのですが、投稿212)で列挙したキラークエッションは、いつも疑問点として残っていました。それらのキラークエッションは、従来のどの説からも答えを導くことはできませんが、摩訶大将棋を日本将棋の起源と考えたときには、ほぼ説明がついてしまいます。この際、各クエッションに対して個別に、別個な考え方から答えが出せるのではなく、全部に統一的に、ひとつの仮説だけから答えを提示できるという点に注目して下さい。

 

金将や銀将が変な動きのルールをもつ理由と、金将銀将の由来は、同じところから来ています。それどころか、最古の出土駒の中に酔象が存在すること、桂馬や香車の由来、歩兵が3列目に並ぶこと、成りのルールの理由等、やはりすべて同じところから説明可能です。これ以外にも、いろいろな点が、すべて同じ結論(=摩訶大将棋が最初の将棋であるということ)へと向かうため、本ブログの考え方でたぶんいいのだろうという気がしています。賛同していただける方も増えてきました。一方で、答えに窮する反論はまだひとつもありません。

 

前置きが長くなりました。本題ですが、考古学からの検証としては、まず、鶴岡八幡宮の出土駒を挙げねばなりません。この出土駒については、ほぼ3年前の投稿になりますが、投稿56と投稿61(摩訶大将棋のブログ_02)にて話題にしています。当時の投稿は、ある点は正しくある点は間違っています。本ブログは、研究室で摩訶大将棋をテーマにした最初のときから書いていますので、後から読み返せば、はじめの頃は単純な間違いも多いのですが、古文書の解読で1点づつ掘り起こすたびに、正しい方向へと軌道修正されています。大筋はあまり変わっていません。

 

※1)薬師如来の駒、十二神将の駒、供養の駒、呪術関連の駒の存在からです。

※2)天変地異の鎮圧を祈願する将棋ということになります。

※3)阿弥陀信仰が広まる9世紀後半までに成立した可能性大です。

 

すいません。少し長くなりすぎましたので、また明日、続きを書きます。

 

(2017.05.20 23:30) 

2017年

4月

20日

214)洪水の発生と古代の将棋

日本将棋の起源には諸説があり、まだ結論には到っていません。もちろん、本ブログの説も諸説の中のひとつであるわけですが、個人的には、この説の方向で大きな間違いはないだろうと考えています。

 

つまり、二中歴の平安将棋以前に、すでに大型将棋(摩訶大将棋、または摩訶大将棋に類似の将棋)が存在していたという考え方です。この考え方の根本には、

 1)玉将は薬師如来

 2)大型将棋の対局は遊戯神通

という2点が大きな位置を占めています。古代の将棋が薬師信仰に基づく呪術であると同時に遊戯でもあったということ。本ブログの説の可否は、これを受け入れるかどうかだけです。

 

投稿212)にて、将棋の起源に関するキラークエッションのいくつかを挙げましたが、関連していくつかの問い合わせをいただきました。去年の秋の東京ゲームショウでの問い合わせにも返事を出せていない状況ですので、きちんと返信はできていないのですが、いただきましたご意見は議論の開始点が大きく違っているように思います、というのが感想です。

 

大型将棋を考慮しない議論の中で、はたして日本将棋の起源考・伝来考があり得るのだろうかという点が、まずあります。また、古代の将棋を遊戯としてだけ捉えて、遊戯の観点だけから古代将棋史の議論を進めていくのも問題だろうと考えます。

 

さて、明月記の将棋の記述箇所(正治元年五月)で、同じ月に京都で洪水が起こっていたこと、この件については、投稿208)や投稿210)に書きました。本稿にて、もう1点指摘しておきたく思います。実は、台記に記述されている大将棋が対局された月(康治元年九月)にも、やはり京都で大きな洪水が起こっています。この2つの将棋の対局は、後鳥羽上皇、崇徳上皇の薬師悔過であったと考えます。洪水鎮圧という薬師如来の将棋が持つ威力に頼ったことの現れでしょう。洪水と薬師悔過については、投稿210)の文献を参照下さい。

 

(2017.04.20 23:50)

2017年

4月

15日

213)摩訶大将棋の論文

あとしばらくで別刷が届きます。次の展示から配布予定です。最後のまとめの節(第9節)だけ以下に紹介します。タイトルは摩訶大将棋の復刻、18ページの論文です。

 

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9.まとめ

 摩訶大将棋は,平安時代に創案された日本独自の大型将棋である.摩訶大将棋を現代にまで伝えたのは,1592年に写本された象戯圖であり,象戯圖がなければ,摩訶大将棋の復刻は不可能だったと言える.しかし,象戯圖には,摩訶大将棋のルールが明確に書かれているわけではない.本稿で詳述したとおり,象戯圖に書かれている情報は少なくかつ断片的である.ただ,幸運なことに,情報は少ないものの復刻するにはぎりぎり足りていて,まるでパズルを解くように摩訶大将棋の復刻ができた次第である.

 

 本論文では,象戯圖の記述に基づき,遊戯としての摩訶大将棋の復刻を試みた.復刻により掘り起こされたルールは,その都度,試験対局に附し,その妥当性を確認した上で採否を決定している.成りのタイミング等,部分的にはまだ明確でないところもあって,復刻は今も続けられているが,現段階の復刻でも十分に摩訶大将棋は再現できているものと思われる.それは,摩訶大将棋の対局が非常に面白いということからも言えるのである.面白くなければ,長い年月を古文書に残されて綿々と伝わることもなかっただろう.

 

 対局時間の長さが問題視されることも多いが,最近よく使われる持ち時間設定(持ち時間:20分,秒読み:30秒3回)では,1時間以内で勝負が決まる.一般に想像されているよりも実際の対局時間はずっと短い.この点は強調しておきたい.摩訶大将棋には,現代将棋では考えられないような強い駒,鉤行や摩羯,師子や狛犬,法性や教王があるため,攻めも早く豪快である.盤面が大きいために,致命的な悪手を気づかず指して早々に負けてしまうことも少なくない.対局時間の予想外の短さはこうした要因による.

 

 最後に,本稿ではほとんど取り上げなかったが,遊戯ではない摩訶大将棋のことも書いておかねばならない.古代日本では,たいていの遊戯は,遊戯であるとともに神事でもあった.したがって,摩訶大将棋の復刻は,遊戯の部分だけでなく,遊戯ではない部分の復刻が必然的に付いてくる.そして,摩訶大将棋の場合,この遊戯ではない部分もまた非常に興味深い内容を持っている.これについては,次の論文に譲りたい.

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(2017.04.15 16:30)

2017年

3月

30日

212)将棋の起源に関するキラークエッション

キラーアプリケーションという言葉があります。決め手となる重要なアプリケーションのことですが、同じような意味合いでキラークエッション(決め手となる重要な質問)と呼んでみました。

 

将棋の起源を論じる際、キラークエッションに対してどのような答えを返すことができるかで、それぞれの仮説の正否や論理性がある程度は判断できるだろうと思います。以下に、平安将棋を題材としたキラークエッションを並べてみました。自説をお持ちの皆様、いかがでしょうか。

 

1:世界の将棋類を見れば、玉将に相当する駒は、たいていの場合、king(王)である。平安将棋では、玉将という名称が採用されている。どう説明するか。

 

2:金将、銀将、桂馬、香車の名前の由来は何か。

 

3:歩兵はなぜ3列目に並ぶのか。世界の将棋類では、歩兵相当の駒は2列目に並ぶことが多い。

 

4:酔象の駒が、11世紀に出土している。一方、二中歴(12〜13世紀)に記載される将棋には、酔象の駒は登場しない。この点をどう説明するか。

 

5:世界の将棋類では、駒の動きは、前後にも左右にも対称の動きをする。ところが、平安将棋の金、銀、桂、香は前後非対称の動きである。たとえば、ななめの4方向だけに動く駒が、平安将棋にはない。創案当初の将棋にこのような基本的な動きの駒がない理由をどう説明するか。

 

6:世界の将棋類との比較では、平安将棋の成りは特異である。歩兵、香車、桂馬、銀将は、敵陣に入った時点で、金に成る。このルールが成立した経緯をどう説明するか。

 

ところで、本ブログでは、将棋の起源は摩訶大将棋であるとの立場です。仏様神様が将棋を遊戯神通するわけですが、その道具立てが摩訶大将棋の盤と駒ということになります。このとき、玉将の駒は薬師如来に相当し、将棋を遊ぶことは、たとえば、天変地異鎮圧の呪力を引き出すための祈願に相当しています(と考えています)。遊戯神通については投稿207)を、薬師如来と摩訶大将棋の関連については、最近の投稿からでは投稿201)〜206)を参照下さい。

 

玉将=薬師如来説をとる場合、上記6つのキラークエッションは、同じわく組みの中で答えを提示することができます。中心となる仮説は、平安将棋が始めにあるのではなく、摩訶大将棋から平安将棋ができたというシナリオです。このシナリオに基づくことで、キラークエッションの答えが自然と浮かび上がってきます。

 

通説のとおり平安将棋が始めだと見た場合には、それが伝来したものであっても日本創案のものであっても、6つのキラークエッションに統一的に答えるのはむずかしいのではないでしょうか。

 

(2017.03.30 14:10)

 

2017年

3月

19日

211)将棋史の2択:摩訶大将棋と平安将棋、どちらが先か

中世以前に限れば、古文書(二中歴と象戯圖)で存在が確かな古典将棋は次の7種です。 

 平安将棋(縦横9マス) <-- 異論もあり得ますが、いちおう9マスとしておきます。

 中将棋(縦横12マス)

 平安大将棋(縦横13マス)

 大将棋(縦横15マス)

 大大将棋(縦横17マス)

 摩訶大将棋(縦横19マス)

 延年大将棋(縦横25マス

 

ところで、上記7種の将棋の成立順について、本ブログでは、いちおう以下のように考えています。ただ、去年の夏ごろまでは、平安将棋と平安大将棋は除外し、発表や展示をしていました。いろいろと論拠が固まってきましたので、去年の秋以降は、平安将棋まで含めて発表し始めています。

 

ほとんど異論が出ないのは、次の2つの流れです。ですので、本稿では話題にしません。

○ 摩訶大将棋 --> 大大将棋 --> 延年大将棋        ○ 大将棋 --> 中将棋

 

検討されるべきは、次の2つの説です。

A説(本ブログの説)  :摩訶大将棋 --> 大将棋 --> 平安大将棋 --> 平安将棋

B説(一般的な説・通説):平安将棋 --> 平安大将棋 --> 大将棋 --> 摩訶大将棋 

 

A説の可否は、一言で言えば、摩訶大将棋の玉将を薬師如来と見るのかどうかということだけです。玉将=薬師如来を納得していただいている場合、関連する問題点もほぼすべて納得ということかと思います。つまり、守護する十二神将の駒、供養としての伎楽面の駒(踊り駒)、供養としての桂と香、大地を鎮める地理の駒の存在、歩き駒の動きのパターン、狛犬師子のこと、仲人が横に歩くこと、麒麟鳳凰が踊ること、法性がなくならないこと等々、いろいろなことが、互いに関連しあって矛盾することがありません。

 

一方で、B説の論拠ですが、実は、論文、単行本含め、どこにもきちんとした説明がなされていないのではないでしょうか。将棋は小さいものから大きいものに発展していくものだという暗黙の了解だけが理由のように思います。平安将棋が、文献学的にも考古学的にも最古だということがありますが、しかし、これは将棋の成立順までを規定するものではありません。

 

摩訶大将棋は文献的には最古でなく、確実な出土駒もありません。しかし、摩訶大将棋が、平安将棋(文献学・考古学的には11世紀前半)よりも古い将棋らしいことは、摩訶大将棋そのものの中に現れています。下の「続きを読む」のリンクを参照下さい。

 

(2017.03.19 23:55)

 

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2017年

3月

18日

210)薬師如来の呪力の一例:洪水を封じる

本稿、直接には、摩訶大将棋には関連しません。しかし、投稿208)の短文だけで、薬師如来が大地震を封じる呪力を持つということを信じてもらえるのかどうか。この点たいへん気がかりです。薬師如来がそういう強大な呪力を持つからこそ、将棋全体が薬師信仰である摩訶大将棋も、遊戯神通という修法をもって、大地震を鎮めることができることになります。遊戯神通については、投稿207)を参照下さい。

 

前提として、まず、薬師如来には天変地異を鎮めるほどの呪力があるのだということを信じてもらわないといけません。薬師如来のもつ呪力を信じてもらった上で、はじめて、投稿208)の内容も納得してもらえるでしょう。

 

本稿、薬師如来の呪力の一例として、洪水を封じる力について書きます。古代日本では、薬師如来は本当にそういう大きな呪力を持っていました。

 

たとえば、次の文献を参照下さい。本稿で取り上げたい件がたくさん書かれています。

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中野玄三、木津川流域の薬師悔過とその仏像、國華 第1348号、5-21、2008.

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この文献で取り上げられている中で、1件だけ、阿弥陀寺の薬師如来を例として取り上げます。阿弥陀寺は京都府城陽市にあります。阿弥陀寺の紹介ですが、たとえば、次のWebサイトを参照下さい。

kanagawabunkaken.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

 

阿弥陀寺の位置(木津川のそばです)や周辺の様子も重要ですので、下に地図を置きました。上の文献にも詳しく書かれていますが、木津川の洪水要注意点にあります。ちょうど、木津川が流れを南北から東西方向に変える場所です。

 

(2017.03.18 23:55) 

 

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2017年

3月

16日

209)将棋の金将と銀将:ルーツは摩訶大将棋の地理の駒か

前稿208)の続きとなります。

地理の駒という言葉を使いましたが、これは、象戯圖の序文の次の記述からです。

 

下象其形於地理列以金銀鉄石之名

(下は其の形を地理にかたどって、列するに金銀鉄石の名を以ってす)

 

地理の駒というよりも、地面の駒という方がわかりやすいかも知れませんが、象戯圖の序文では、天文の駒(十二支の駒)と地理の駒(金銀銅鉄・・の駒)が対になっていますので、地理の駒としておきます。

 

いずれにせよ、この地面の駒が、地面の揺れを鎮める呪力を持つものとして、摩訶大将棋に並んだのではないでしょうか。ところで、将棋の成立順を考える際、摩訶大将棋-->大将棋では、始めは揃っていた十二支の駒が、駒が取り除かれた結果として大将棋(十二支の一部だけがある)ができたと考えたわけです。この件、本ブログではいろいろなところで書いていますが、たとえば、投稿177)、投稿152)あたりをご参照下さい。

 

本稿でも同様の考え方を適用することができます。金銀銅鉄・・の駒がきちんと並んだ将棋から、地理の駒が順次落とされていき、最終的に金と銀だけが残ったと見ました。この逆を考えるのはかなり不自然な感じとなります。つまり、はじめに、財宝としての金と銀の駒があった。そのあと、地理の駒が順次追加され、金銀銅鉄石土と揃う。十二支の駒のときもそうですが、意図された駒のグループは始めからそのグループとして存在していたのであって、いろいろと追加された結果、揃うというものではないでしょう。

 

さて、この帰結は、地理の駒という観点からではなく、実は、別の考え方からも辿りつくことができます。手がかりは、駒の動きです。この件については「続きを読む」をクリックして下さい。

 

(2017.03.16 23:20)

 

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2017年

3月

15日

208)大地震と摩訶大将棋:金銀銅鉄石土の駒ができた理由

タイトルに大地震と入れましたが、これは、正確には、天変地異のことです。ですので、大地震の他、大雨やその結果としての洪水等の大きな自然災害を含みます。

 

ところで、非常に極端な書き方をすれば、摩訶大将棋は、大地震を鎮めるための将棋です。金銀銅鉄石土の将の駒、つまり、地理の駒は、地面を鎮めるためだったと考えることができます。

 

将棋が神事であり修法であることは、前稿207)で少し書いたとおりで、供養具や法具を並べてお経をあげるのと、将棋で遊戯するのは、同じです。将棋の駒を供養具、法具と見立てて下さい。

 

薬師如来は、病気を治すということで知られているわけですが、それと並んで、天変地異を鎮める、国全体を護るというような国家鎮護の仏様でもあります。個人が祈願するのは病気のことですが、天変地異を鎮めるというような大きなことは天皇が祈願しています。天皇が行う薬師悔過については、現時点ではまだきちんとは書けませんので、後日ということにさせて下さい。

 

さて、本稿の仮説についてですが、金銀銅鉄・・という地理の駒が並ぶから大地震と関係があるのだろう、という単純な連想をしているわけではありません。

 

根底には、摩訶大将棋と薬師如来、薬師信仰が密接に関係しているという事実があります。本ブログでは、2年ほど前から、摩訶大将棋と薬師如来の結びつきについて断片的に投稿していますが、そろそろ固まってきていますので、きちんとまとめる段階に入りつつあります。先週の学会発表では、「摩訶大将棋と薬師如来:序報」というタイトルでの発表になっています。

 

摩訶大将棋 --> 薬師如来 --> 天変地異を鎮める --> 金銀銅鉄石土の駒が並ぶ

という展開です。ところで、関連するひとつの傍証があります。明月記の正治元年五月十日の条です。

 

自夜暁更甚雨如注、終日不休、河水大溢、依番為上格子参上、

殿下出御、於御前指将碁、国行被召合、三盤了、殿下御堂了退下

 

洪水が起こり、その報告に行きました。そして、将棋を・・・という文章です。この記述は、投稿195)でも話題にしており、「三盤了」の解釈についてはそこで書いています。この文章は、大将棋に関する記載例としてよく引用されるのですが、その際、将棋を指した云々の前の記述、つまり、洪水が起こったという件は、これまで問題にされたことがありません。しかし、ここで、洪水と将棋をセットにして捉えるのはどうなんでしょうか。洪水が起こったから、後鳥羽上皇は将棋(摩訶大将棋まはた大将棋)を指すように命じたとみるわけです。洪水を鎮めるための修法のようなものです。

 

地理の駒は最下段に並んでいますが、天変地異の「天」と結びつく駒は十二支の駒で、盤の上の位置に並んでいます。

 

本稿の考え方、いかがでしょうか。そういうこともあり得ると思われた方は、さらに、あと1点、関連する説明ができますので、下のリンクから続きを読んで下さい。

 

(2017.03.15 23:45)

 

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2017年

3月

08日

207)遊戯神通如来:如来が摩訶大将棋を遊ぶ

本稿のタイトルを、遊戯神通如来としましたが、

法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえ ゆげじんづうにょらい)

がきちんとした名称です。遊戯神通(ゆげじんづう)を強調するために、少し短く、遊戯神通如来と書きました。薬師瑠璃光如来を薬師如来と呼ぶのに倣ったわけですが、このようにしてよいものかどうかはわかりません。

 

突然ですが、次の投稿を一読していただけるでしょうか。2014年8月の投稿です。その投稿から、今日がちょうど100回目の投稿となります。

 

摩訶大将棋のブログ_02

107)摩訶大将棋を遊ぶということ:白川静「文字逍遥」

 

当時からすでに摩訶大将棋の対局が神事だということは確信していましたが、では、なぜ遊戯が神事たり得るのかが、実感としてはあまりよくわかっていませんでした。そんなとき、白川静の遊字論を読み、そこに探していた答えのようなもの、答えかも知れないものが書いてあったわけです。投稿107)を参照下さい。

 

さて、摩訶大将棋と薬師如来の話ですが、薬師如来が登場する以上、摩訶大将棋は薬師信仰に基づいたものであるはずです。ところで、七仏薬師注1の存在をご存知でしょうか。薬師如来を主体として如来7体を並べて祈るのですが、その如来の最後7番目が薬師瑠璃光如来、そして、6番目が、本稿のタイトル、遊戯神通如来です。

 

織田仏教大辞典で「遊戯神通」を引くと次のようにあります。

「仏菩薩神通に遊んで人を化して以て自ら娯楽するを遊戯と云う」

つまり、将棋を指すのは対局する人なのですが、実際は、薬師如来が将棋を遊んでいます。摩訶大将棋を奉納するということはこういうことなのではないでしょうか。

 

遊字論と全く同じです。「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。・・・・

それは神の世界に外ならない。この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかも知れない。・・・」

 

神仏習合、神は薬師如来でもあります。私の思い描く神事としての摩訶大将棋、修法としての摩訶大将棋は、自分の言葉ではまだ表現できていませんが、織田仏教大辞典と遊字論の文章を借りるなら上述のようになります。

 

もちろん、一方で、摩訶大将棋は非常に面白い将棋です。というよりも、摩訶大将棋は面白くなければならないと言った方が正しいでしょう。なにしろ神様が遊ぶ将棋なのですから、面白くない将棋では神前に奉納することができません。面白いからこそ遊戯神通できる将棋となり得ます。

 

薬師信仰のツールとして将棋という遊戯が用いられたのは、七仏薬師の遊戯神通如来から来ているのかも知れません。薬師経や薬師信仰については勉強中です。この件また後日に取り上げます。

 

なお、七仏薬師の2番目の如来は、自在王如来(注2)です。玉将の成り、自在王はこの如来を表現したものだと思われます。

 

注1:七仏が薬師如来の分身かどうかは見解が分かれているそうです。

注2:正しくは、宝月智厳光音自在王如来(ほうげつちごんこうおん じざいおうにょらい)です。

(2017.03.08 22:00)

2017年

3月

07日

206)将棋史に関する疑問:平安将棋の謎

以下に質問だけ置きます。原初の将棋だと考えられている平安将棋(二中歴に記載されている将棋)に関する質問です。どの質問にも、これまできちんとした答えは出ていません。

 

ところで、前稿で紹介したシナリオに沿えばある程度の説明ができます。その際、ひとつだけのシナリオで全部を説明可能という点が重要です。1)についてはこうこう、2)についてはこうこう、3)については・・・、というような個別の答えはこれまでにもありましたが、全部をまとめて説明できるシナリオがあるとすれば、そのシナリオの方が正しいのではないかと現状考えています。

 

1)なぜ歩が3列目に並んでいるのか(シャトランジもチェスも2列目に並ぶ)。

 

2)平安将棋が将棋の起源だとすれば、なぜ基本的な動き(前後左右に動く・ななめだけに動く)の駒がないのか。金将や銀将は前後非対称の動き。桂馬や香車の動きも同じく前後非対称。一方、シャトランジやチェスではすべての駒が前後対称かつ左右対称に動く。

 

3)玉金銀桂香の駒名の由来は何か。従来の説では根拠が希薄であるし、また、その説では、上の1・2の質問の答えとも全くリンクしない。

 

4)二中歴に書かれている「玉将だけにすれば勝ち」というルールはどこから来たのか。世界の将棋類は、通常、玉将相当の駒を取れば勝つというルール。

 

( 2017.03.07 15:30 )

2017年

3月

06日

205)はじめに摩訶大将棋があったという可能性

本稿のタイトルとは違いますが、先週末、東京にて、同じ主旨の発表をしてきました。予稿を全部ここに置くことはできませんので、とりあえず、冒頭の要約の文章のみ、紹介します。ゲーム学会の研究会「ゲームと数理」での30 分の発表です(少し時間オーバーだったかも知れません)。

 

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摩訶大将棋と薬師如来:序報

高見友幸

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要約: 

 平安時代から室町時代にかけては,小将棋(駒数36枚〜42枚)の他,さらに駒数の多い大型将棋(68枚〜354枚)が存在していた.我々の研究グループでは,大型将棋のひとつである摩訶大将棋復刻の試みを続けてきたが,その研究からは摩訶大将棋は大型将棋の起源だった可能性が高いという結論が得られている.さらには,摩訶大将棋が小将棋の起源だった可能性もある.これらを検討するためのいくつかの知見を提供した上で,新たな将棋史について議論するのが本発表の目的である.

 摩訶大将棋が将棋史の始めに成立したとする根拠は,摩訶大将棋の駒種とルールに見られるあまりにも整然とした構成にある.玉将が薬師如来に相当する駒だと想定すれば,それと連動して,薬師如来の脇侍である日光菩薩と月光菩薩,守護神である十二神将,供養として並ぶお香,伎楽,瓔珞に相当する駒を見つけることができる.一方で,玉将は天皇(=薬師如来)であり,チェスの駒で言えばキングに相当する.すぐ前に王子の駒があり,その前に道祓いの狛犬舞,師子舞の駒が配置される.摩訶大将棋の対局は薬師悔過の実践であり,対局は天皇自らが取り仕切る.それ故,対局は国の危機に対するものであり,たとえば,薬師如来による天変地異の鎮静を祈願したのである.摩訶大将棋に天の駒(十二支の駒)と地の駒(金銀銅鉄石瓦土の駒)が並ぶのはそのためだと考える.

 

2017年

2月

07日

204)将棋の桂馬と香車:薬師如来への供養

「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その4」となります。本稿、桂馬と香車の意味について議論しますが、これが、古代の将棋の成立順と関係しています。

 

桂馬と香車は、どういう意図から、将棋の駒になったのでしょうか。桂馬の桂は肉桂(ニッキ)のことで、香車の香(お香)と結びつくのだとして、当時、香料は金銀と同様、貴重品だったからというのが一般的な説明です。しかし、この問いの答えは、平安将棋(最下段は現代の将棋と同じ)だけを見ている限り見つけることはできません。

 

桂馬と香車の2駒が導入されたのは、平安将棋が作られたときではなく、実は、摩訶大将棋が作られたときだったようです。そう考えれば、桂馬と香車の意味を説明することができます。つまり、摩訶大将棋がはじめに作られ、後になってできた平安将棋に、その桂馬と香車が受け継がれているという考え方からの帰結です(本ブログでは、摩訶大将棋から大将棋、平安大将棋を経て平安将棋が作られていると考えています)。

 

以下に、摩訶大将棋の初期配置を示しました。摩訶大将棋の玉将は「薬師如来の駒」でもあります。摩訶大将棋のブログを、今ここではじめて読まれている方がいれば、これを聞いてどう思われていることか。ただし、薬師如来の根拠は、以下のとおり、結構いくつもあって、さほど荒唐無稽な話しでもありません。

 

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2017年

2月

06日

203)平安大将棋の盲虎:阿弥陀如来の駒

摩訶大将棋の駒と十二神将の本地仏の対応
摩訶大将棋の駒と十二神将の本地仏の対応

本稿は、前稿の「摩訶大将棋にある4つの如来の駒」の続きとなります。また、「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その3」でもあります。

 

前稿の最後の方で、摩訶大将棋の十二神将の駒の本地仏として4つの如来の駒を紹介しましたが、右の表に十二神将の駒と本地仏の対応を示しました。丑・卯・午・未の駒の欄を空けていますが、これは、十二支の駒をどのように見るかで異なるからです。投稿201)のA)とC)で示したとおり、十二支の駒のグループとして、次の2つの候補を挙げることができるでしょう。青文字の駒は、摩訶大将棋から大将棋が作られたとき、落とされずに残った駒です。

 

 

A)老鼠・猛牛盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼嗔猪

C)老鼠・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・古猿・淮鶏・悪狼嗔猪猛豹酔象猫又

 

A、Cいずれのグループにせよ、3つの如来の駒、阿弥陀如来(盲虎)、大日如来(悪狼)、釈迦如来(嗔猪)は大将棋に全部残っています。ここで、さらに、大将棋から平安大将棋が作られた、また、大将棋から中将棋も作られたものとして考えを進めてみましょう。このとき、摩訶大将棋にあった十二支の駒はさらに落とされ少なくなります。十二支の駒のうち、平安大将棋、中将棋まで残るのは次の駒です。

 

A)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎・桂馬  中将棋まで残る駒:盲虎

C)の場合 平安大将棋まで残る駒:盲虎     中将棋まで残る駒:盲虎・猛豹・酔象

 

このように、摩訶大将棋の盲虎、つまり、阿弥陀如来の駒は最後まで残ることになります。阿弥陀如来の駒が将棋が変わっても残り続けることは、しかし、とても納得がいくことではあります。

 

摩訶大将棋は薬師如来の将棋とも言えますが(この件、近々に詳細投稿します)、薬師如来の信仰は、平安時代の中頃から、阿弥陀如来の信仰へと変わっていきます。摩訶大将棋の十二神将がどんどんとなくなる一方で、阿弥陀如来が残るのはこのような現れとみることもできるのです。

 

平安大将棋の盲虎をこうした視点から見直してみるのはいかがでしょう。ところで、本稿とは逆に、平安大将棋が大型将棋の出発点だったとすれば(通説はこの考え方です)、平安将棋をもとに平安大将棋が作られたとき、盲虎の追加をどのように説明できるのでしょう。なお、本稿では、平安大将棋の猛虎を盲虎としています。

 

同じようなことは、桂馬や香車についても言えます。平安将棋が将棋の起源だったとすれば、桂馬や香車はどのような意味をもつのでしょうか。玉将、金将、銀将についてもそうですが、桂馬と香車がなぜ将棋の駒にあるのかという納得のいく説明は、これまで、なされたことがありません。

 

ところが、摩訶大将棋から、将棋が次第に小さくなっていったとすれば、桂馬と香車の意味は明解です。次稿は、この件について書きます。

( 2017.02.06 22:50 )

 

2017年

2月

05日

202)摩訶大将棋にある4つの如来の駒

投稿200)からの続きです。「平安将棋が一番古い将棋なのかどうか:その2」となります。まず、以下のA)大将棋、B)中将棋、C)平安大将棋、D)平安将棋の初期配置の図をじっくり眺めていただくのがいいかも知れません。摩訶大将棋の初期配置については、投稿201)の図を参照下さい。

 

本ブログでは、各将棋の成立順について、

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> B)中将棋

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という説を取っています。学会発表だけでなく、摩訶大将棋展等の活動で広くこの考え方を紹介していますが、このあたりまでは反論はほぼありません。今回、一連の投稿で提出する説は、この説をさらに発展した次の説です。これも、最近のミーティング、展示会、研究会で、部分的に紹介しつつあります。

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摩訶大将棋 --> A)大将棋 --> C)平安大将棋 --> D)平安将棋

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A)--> B)と、A)--> C)は、中将棋が原中将棋(成りのみ別ルール)だとすれば、同時代に進行した可能性もあり得ますが、中将棋への流れについては、また後日の投稿とし、しばらくは、メインテーマである平安将棋への発展に絞りたく思います。

 

ところで、一般的な説は、本ブログの説とはほぼ正反対であり、

D)平安将棋 --> C)平安大将棋 --> A)大将棋 --> 摩訶大将棋

というものです。つまり、小さい将棋から、徐々に駒数が増えて、大型化していったと考えます。ただ、この考え方は説というのではなく、暗黙の了解というべきかも知れません。大型化していったという根拠がきちんと示されたことがないからです。ゲームの進化とはそういうものであるという直観や思い込みのせいかと思われます。

 

なお、本稿では、摩訶大将棋-->大将棋-->中将棋へと至る過程で現れる、以下の考え方については、了解されているものとして説明を始めます。

1)踊り駒の定義(象戯圖の解読より)

2)摩訶大将棋、大将棋では仲人は横にも動く。

3)摩訶大将棋、大将棋では麒麟と鳳凰は踊り駒である。

4)摩訶大将棋には十二支の駒が意図的に組み込まれている。

5)狛犬は不成りである。また、狛犬は師子と同様、居喰いの機能を持つ。

6)摩訶大将棋の鳳凰の成りは狛犬である。

7)摩訶大将棋、大将棋の桂馬の動きは、現代将棋の桂馬の動きとは異なる。

8)摩訶大将棋の玉将は薬師如来に相当した駒である。

 

8)については、再度の説明が必要と思いますので、どこかの稿で詳細します。 

では、以下の「続きを読む」のリンクから、初期配置の図と4つの如来の話となります。

 

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2017年

2月

05日

201)十二支の駒について

前稿からの続きを書く前に、まず摩訶大将棋の十二支の駒について書いておかねばなりません。十二支の駒については、本ブログにて何度か投稿していますし、次の論文の中でも解説があります。

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大型将棋の成立順に関する考察: 高見友幸、中根康之、原久子

映情学技報,vol.40,no.11,AIT2016-86,pp.147-150,2016.

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十二支の駒は、鳥羽上皇が十二枚の駒を使って占いをしたこと(1129年)や、大型将棋の成立順の解明とも関連し、大型将棋史では、非常に重要な観点となります。ところで、本ブログで投稿した範囲内では、摩訶大将棋の十二支の駒は、十二支の順に、

(A)老鼠・猛牛・盲虎・驢馬・臥龍・蟠蛇・桂馬・(未)・古猿・淮鶏・悪狼・嗔猪

としていました。驢馬は「ウサギウマ」ですから卯に割り当てています。未に相当する駒のみ対応がつきません(何らかの理由があったのでしょう)。念のため、下図に、摩訶大将棋の初期配置を示します。

 

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2017年

2月

03日

200)平安将棋が一番古い将棋なのかどうか

投稿200)という区切りのいい番号ですので、大きなテーマから取り上げることにしました。将棋史は平安将棋からというのが通説ですが、これにはとりたてて根拠があるわけではありません。盤のサイズと駒の種類が、シャトランジに近いということだけです。

 

平安将棋は二中歴に初期配置が記載されています。初期配置が書かれている古文書の古さという点では、もちろん、最古となるわけですが、将棋という語句だけであれば、もっと古い古文書がありますし、駒の出土も二中歴より古い時代から出ています。その出土駒に、酔象の駒も含まれますが、酔象は平安将棋では使われていません。

 

ともあれ、まず、結論を書きますと、平安将棋は最古ではないというのが本ブログの見解です。論点はいくつかありますが、ゆっくりと書いていきます。投稿198)で大型将棋の収縮について書くはずが書きかけのままでおいています。結局、大型将棋の収縮が、つまり、駒を落としてどんどんと将棋が小さくなっていったのがどこまでか、という問題になるでしょう。

 

摩訶大将棋から大将棋が作られたのは、これはもう完全に確実です。大将棋から平安大将棋へという順序もほぼ確実です(こういうことをきちんと原稿にしないといけないのですが)。大大将棋、延年大将棋、中将棋の成立順については特に問題もありませんので、大型将棋の収縮論で残る問題の将棋は、平安将棋だけということになります。

 

摩訶大将棋そのものが、将棋黎明期にあったのかどうかは何とも言えませんが(途中でいくつかの駒が置き変わったり、多少の修正もあったでしょう)、本稿では、摩訶大将棋に類似したもの、摩訶大将棋類とでも言うべきものを総称して、摩訶大将棋と呼ぶことにします。

 

摩訶大将棋の成立は、890年〜900年ごろ、または940年前後、980年前後かと考えています。数字まで出して書くと、逆に、トンデモ説と思われるかも知れませんが、とにかく10世紀が第1候補でしょう。

 

次の候補は、1100年ごろですが、可能性はずっと低いと考えます。この場合、平安将棋の方が早くに成立していたことになるわけですが、そうだとすると、私には、将棋史は完全に闇の中です。

 

(次稿に続きます)

 

2017年

2月

02日

199)お問い合わせありがとうございました

いろいろありまして投稿がだいぶ空いてしまいました。TGS2016での出展についてたくさんのお問い合わせをいただきました。ありがとうございます。しかし、ほとんどすべてがまだ返信できていない状態です。申し訳ございません。

 

ソースコードの配布という件を何件かいただいていますが、まだコンピュータ摩訶大将棋が卒論のテーマで続いていますので、当分の間は配布せずということでご了解のほど。

 

麒麟鳳凰が踊り駒だというルールがかなり以前からわかっていた旨お知らせいただきました。このことは知りませんでした。復刻は研究室で独立して進めていますが、結果が一致したことを喜んでいます。踊り駒の定義も一致しているのかが気がかりです。

 

アドバンスド摩訶大将棋の配布の件も、1ヶ月というお約束でしたが、まだお送りできておりません。あとしばらくお待ち下さいませ。タイミングを削いでしまうことになりました。この件も申し訳ございません。

 

去年は本ブログへの投稿が少なくなりましたが、また投稿を始めていきます。短い投稿でいきたく思います。

2016年

9月

12日

198)TGS2016: 8)大型将棋の宇宙論: 膨張か収縮か

ひとつ前の投稿197)にて、将棋史のグランドデザインについて少しコメントしましたので、もう少し追加しておこうと思います。如何に頑固に自説を主張したとしても、文献や出土駒と矛盾している場合が、気づかずにあるかも知れません。

 

そういうことを、本ブログで展開しているシナリオ、つまり、「大型将棋の収縮宇宙論」に対して、軽く検証してみたく思います。

 

また、いわゆる、「通説」という言葉で説明してしまいがちなものについても、検証してみます。大型将棋史においては、通説というものは存在しないと言っていいでしょう。通説がこうだからああだから、だから、あなたの説は間違っていますと言われることが、ごくまれですが、あります。そう言われる方は、たぶん、通説だ一般論だというだけで、考えるのをやめてしまっているのでしょう。

 

(投稿中です。今夜書きます。)

 

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2016年

9月

11日

197)TGS2016: 7)鳳凰と麒麟の踊り:復刻の注目点

摩訶大将棋/大将棋では、鳳凰と麒麟は踊り駒です。この2駒が踊り駒だということは、象棊纂圖部類抄の解読から得られたもので、摩訶大将棋の復刻中ベスト5に入ると言えるでしょう。試験対局を経て、対局会では2年ほど前から採用していたと思います。飛龍や夜叉が踊りであるのに、格上の名前を持つ鳳凰が踊りではないというのは、明らかにおかしいわけですから。同様に、猛牛より格上の麒麟も、当然踊り駒であるべきです。

 

中将棋にも鳳凰と麒麟の駒がありますが、中将棋の方は、ジャンプするだけで踊りの機能はありません。もちろん、この動き方もこれで正しいわけです。

 

ところで、駒の名前が同じなら動きも同じであるというのが将棋の原則ですが、鳳凰と麒麟の場合、この原則からは外れます。最近の投稿193)で仲人の駒の動きが、中将棋の成立当初で変わったということを説明しましたが、鳳凰と麒麟も、このときの理由とほぼ同じ理由で、もともとの動きから変わったようです。象棊纂圖部類抄では、或説曰(或る説曰く)という言い方を用いており、中将棋の成立当初では、2つの動き方が採用されていたものと思われます。

 

少し脱線しますが、13世紀後半の鳳凰の駒が鶴岡八幡宮から出土しています。裏は奔王です。しかし、これだけの情報では、この駒が踊ったのか踊らなかったのかは不明です。ただ、少なくとも13世紀後半には、大将棋が成立していたことが確実となります。したがって、摩訶大将棋も成立していたのです。中将棋が成立していたかどうかは、これだけでは結論できませんが、中将棋という単語が日記等に現れ出すのは、15世紀前半まで待たねばなりません。中将棋は13世紀にはまだ存在しなかった可能性が高く、鶴岡八幡宮の鳳凰の駒は、たぶん「踊っていた」と思われます。

 

本ブログでは、摩訶大将棋を大型将棋の起源近くにある将棋として、将棋史のグランドデザインを描いています。文献や出土駒は、そうしたグランドデザインの正否を検証するものですが、上記の鳳凰の駒は、本ブログのシナリオに全く抵触しません。もし大将棋も摩訶大将棋も13世紀後半にはなかったというシナリオだったならば、それは完全にNG、間違いが確定するわけです。

 

象棊纂圖部類抄の解読については、以下のリンクに書きます。興味ございましたらご一読のほど。

 

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2016年

9月

09日

196)TGS2016: 6)象棊纂圖部類抄の読み方:大将棋の注釈

象棊纂圖部類抄の大将棋(15マス)の復刻について書きます。象棊纂圖部類抄は全編がパズルのような古文書ですので、そのまま素直に読んだだけでは、何も出てきません。たとえば、投稿193)で書きましたが、中将棋のところに「仲人不行傍」と書かれていることから、間接的に、大将棋の仲人は傍らに行くというルールを知ることができるのです。

 

結論からまず書きますと、大将棋も、摩訶大将棋と同様、とても面白い将棋だということがわかります。大将棋では、摩訶大将棋にあった強力な大駒が多数取り除かれていますので、戦局が落ち着き、現代将棋に近い趣きになります。どちらが面白いかという話ではなく、個人的な好みの問題でしょうか。同じ競技でも種目が違うという感じです。400m走と5000m走、平泳ぎと個人メドレー、鉄棒と床運動、そういった感じです。

 

さて、象棊纂圖部類抄の大将棋の箇所ですが、大将棋の図の後ろには、短い注釈が2行書かれているだけです。次のとおりです。

 

大象戯成馬 以上三枚

酔象成太子 鳳凰成奔王 麒麟成師子

 

ただ、この部分、文章が言葉足らずなのです。きちんと写本されなかったのだろうと考えます。そのままに読んでしまうと正しい解読はできません。この続き、次のリンクにて書きます。

 

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2016年

9月

08日

195)TGS2016: 5)明月記の大将棋:「三盤了」の謎

藤原定家の日記「明月記」、正治元年(1199年)五月十日の条に「三盤了」が出てきます。

 

自夜暁更甚雨如注、終日不休、河水大溢、依番為上格子参上、

殿下出御、於御前指将碁、国行被召合、三盤了、殿下御堂了退下

 

後鳥羽上皇の御前で定家が将棋を指したという記事です。文面の流れからも(洪水が起こり、その報告に行きました。そして、・・・という流れです)、当時の将棋が単なる遊戯でないことは明らかですが、本稿のテーマはこの件ではなく、対局数の方です。三盤了。3回も指したというのです。

 

この三盤了のことは、ずっと謎でしたが、今年7月の学会発表で、その答えの候補を提示できたものと思っています。指された将棋は、現状で既知の将棋から選ぶとすれば、大将棋か摩訶大将棋でしょう。少なくとも、指された将棋は平安将棋や平安大将棋ではありません。本稿、この点がテーマとなります。以下、次のリンクに。

 

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2016年

9月

07日

194)TGS2016: 4)仲人の駒はペルシア伝来か

Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)
Tamerlane chessの別バージョン(アラビア語の文献)

将棋の伝来元としてのペルシアについては、これまでも何回か書いてきました。たとえば、投稿188)、182)、179)、176)、157)等で、古代ペルシアの将棋Shatranjとその大型系列を取り上げてきました。

 

日本の将棋の起源が議論されるとき、たいていは、中国からの伝来か、または、東南アジアからの伝来を考えるのが普通です。その際、皆さんが思い浮かべているのは、現代将棋か小将棋であって、大型将棋については全く考慮されていません。その大きな原因としては次の2点でしょう。

 

1)将棋は小さい将棋から大きい将棋へと発展していったという先入観がある。

当然、小将棋が一番始めという前提ですから、起源を考える際には、小将棋のことしか問題にされていないように思います。

 

2)大型将棋は対局された将棋ではなかっただろうという思い込みがある。

大型将棋は遊戯としては重要でないということで、考えの対象から自然に外れてしまうのかも知れません。

 

ところが、世界の将棋との類似性という観点で見てみれば、これまで無視されてきた大型将棋の方に多くの類似を見ることができるのです。詳細については、上記しましたこれまでの投稿を参照していただくとして、本稿では、思い切り踏み込んで、大型将棋と大型チェスの関係性まで空想してみたいと思います。

 

まず、冒頭の図面ですが、大英博物館のアラビア語の文献:ms7322からです。

図は、14世紀のTamerlane chess(チムール朝の将棋)から派生したShatranjの大型系列とされていますが、まだまだ不明な点は多いようです。ところで、この将棋には、pawn(歩兵)の列の上にまだあと3つの駒が並んでいます。まるで仲人の駒のようではないですか。長くなりますので、続きは、以下のリンクにて。

 

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2016年

9月

06日

193)TGS2016: 3)仲人の駒の復刻

仲人については、以前の投稿116)、140)、169)、170)にて書いていますが、TGS2016に向けて、もう一度本稿でまとめてみようと思います。これらの内容は、今年になってからも3つの学会で発表し、異論はなく概ね受け入れられている考え方です。

 

ところで、摩訶大将棋の復刻の説明は、どの場合でもそうなのですが、これまでの通説は間違っていますということの説明でもあります。ですので、どこが違うのかという点からスタートする方がわかりやすいでしょう。仲人の駒は中将棋(12×12マス)、大将棋(15×15マス)、摩訶大将棋(19×19マス)のいずれにも含まれる駒で、前後に1目だけ動く駒とされてきました。ほとんどの古文書にそう書かれていますし、そもそも遊戯自体として現代にまで伝わっている中将棋の仲人がそのように動くのですから、疑いようもありません。駒の名前が同じであれば、駒の動きも同じであるというのが将棋の原則、中将棋がそうであれば、大将棋や摩訶大将棋の仲人もそのように動くのです。

 

しかし、実際はそうではなく、仲人の動きは、中将棋と大将棋/摩訶大将棋では違っています。この点は、上記の投稿にて詳細していますので、そちらを参照いただくとして、以下、考えの流れのみまとめてみます。

 

ところで、この議論には、大型将棋の成立順が関係しています。この件も、本ブログでたびたび取り上げていますが、話を煩雑にしないため、まず大将棋と中将棋の仲人だけに絞ります。この2つの将棋の成立順については、大将棋が先に成立し、中将棋が後世にできたということで、通常、議論の余地はありません。なお、この成立順は仲人の動きの復刻とはほとんど関係しませんが、成立順も念頭に置けば、さらに納得しやすいでしょう。では、この続き、長いですが、すぐ下のリンクを。

 

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2016年

8月

26日

192)TGS2016: 2)復刻された将棋であるということ

摩訶大将棋は復刻された将棋です。私たちの研究室で対局している摩訶大将棋のルールは、

可能な限り、古文書の解読に基づいています。

 

ただ、ごくまれにではありますが、摩訶大将棋のルールはこう変えた方がいいのではないでしょうかと主張される方がおられます。しかし、私はそういう考え方に全く興味が持てません。平安時代に指されたとおりの摩訶大将棋を今そのままに指すということに意味があると考えます、昔のとおりということ自体が面白いのです。ルールを勝手に変えた摩訶大将棋、それは現代摩訶大将棋と呼ばれるべきものでしょうが、その現代摩訶大将棋を指したいとは全然思いません。

 

ところで、物事はうまくなっているもので、古文書のとおりに復刻したルールが、つまり、当時の摩訶大将棋のルールが結局一番面白いという結果になりそうです。そもそも面白くなければ、千年近く前の将棋が、古文書のくり返された写本の中に脈々と伝わることもなかったでしょう(※)。

 

今まで、摩訶大将棋は駒を並べただけのもので、対局されたことはなかっただろうと考えられていました。なぜなら、対局しても面白くなかったからです。これがルールだろうというルールでもって、研究者が対局を試み、愛好家が対局を試みたのでしょうが、面白くなかったのです。確かに面白くありません。しかし、それはルールの解釈だけの問題でした。古文書をきちんと解読すれば、これまでルールとされていたものは間違いだったと言わざるを得ません。次稿で、この具体例をいくつか示すことにします。

 

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※)こうした観点からは、平安将棋と平安大将棋についてはまだまだ考察が必要だと考えます。または、二中歴の記載が正確なのかどうかということまで考えるべきかも知れません。 

2016年

8月

26日

191)TGS2016: 1)出展に向けて

投稿189)にて速報しましたとおり、東京ゲームショー2016のインディーゲームコーナーにて、アドバンスド摩訶大将棋の展示が採択となりました。展示の要旨は以下のとおりです。今日からTGS2016が始まるまでの間、摩訶大将棋のことを本ブログにて詳しく伝えていきたいと思います。

 

直結のURLは次のとおりです。ブログのタイトルをMaka-Dai-Shogi-04とし、これまでのブログのような漢字入りのURLではなくなりました。海外からの直接のアクセスも期待できそうです。

http://www.takami-lab.jp/maka-dai-shogi-04/

 

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摩訶大将棋は、平安時代後期に創案された日本の大型将棋です。縦横19マスの将棋盤と、敵味方合わせて192枚、50種類の駒を使いますが、その駒数の多さのため、実際に対局されたことはなかっただろうと考えられてきました。4年前より私たちの研究室では、室町時代の古文書や平安時代の日記、随筆に基づいて、摩訶大将棋のルールの復刻を進め、ルールの通説(江戸時代の古文書の内容)の多くは間違いであるという結論に至りました。その結果、摩訶大将棋は実際に対局された将棋であり、非常に面白いボードゲームだということがわかっています。

 

ブースでは、この摩訶大将棋にコンピュータ支援機能とネットワーク対局機能を付けた電脳摩訶大将棋(=アドバンスド摩訶大将棋)を展示し、復刻されたルールの紹介もいたします。また、そのような復刻の元となった古文書解読のこと、駒の名称の意味、大型将棋史や将棋の伝来についても説明させていただきます。

 

摩訶大将棋はボードゲーム/遊戯であると同時に、古代の合戦や仏教の世界観、陰陽道の占いを絶妙のゲームシナリオでもって表現する将棋です。また、摩訶大将棋の駒の起源を辿れば、薬師如来、十二神将、伎楽、狛犬と師子、法華経、易占、古代ペルシアとの関連性が見えてきます。摩訶大将棋には、古代日本の文化史が盤と駒の向こう側に見え隠れしていることは確かです。

 

復刻を重ねるにつれ、摩訶大将棋のルールのもつ緻密さが明らかになり、したがって、対局されたに違いないことも明らかで、また、平安時代後期にこのようなゲームを創作したゲームクリエイターが日本にいたことにも驚かされています。私たちは摩訶大将棋の制作者ではありませんが、長らく埋もれていた摩訶大将棋の発掘者として発表させていただきたく思います。